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悪魔の願い事

作者: KMIF

 少女は病室のベッドに腰掛けていた。年は十歳ほど。白い病院服を身に纏っている。髪はツインテールにまとめ、見たものにどこか幼い印象を与えた。そんな彼女の目線の先にいるのは、一人の男性。

 黒いスーツを身に纏い、髪はオールバックにしているともすれば執事のようにも見える男性だ。けれど、目だけはギラギラと異様に輝いている。

 ここだけを見れば彼は普通の人間だと思われるだろう。

 だが、彼はその身には不釣り合いなほど大きな翼を有していた。それは蝙蝠の翼のような形をしており、広げた姿はさながらドラゴンの翼のような力強さも湛えていた。

 彼は大仰なそぶりを見せてから、少女へと向き直る。

「わが名は悪魔バルゼファー! 少女よ! 貴様の願いは何だ!」

 悪魔と名乗った青年に、少女は静かに答えた。

「何も、ないわ」

「……はい?」

 これまでの様子はどこへやら、バルゼファーはぽかんと口を開けて首を傾げる。だが、すぐにコホンと咳払いをして再び舞台俳優のような素振りをして続ける。

「何でもよい! ないか!? 命と引き換えに、何でも叶えてやろうぞ!」

「命と引き換え?」

 少女の言葉を受け、青年は頷き、静かに首を振った。

「ああ、もういいや。この口調の方が楽だ。まぁ、願い事なら基本何でも叶えてやるよ。ただし、一瞬で叶う奴な。不老不死とかはなし。願い事を叶えたらお前の命を頂く。つまり、お前は死ぬってわけだ。ま、こう見えても俺は忙しいんだ。お前の魂を回収したら次のところに行かなくちゃいけねえからとっとと頼むわ」

 バルゼファーは気取った様子を取り払って、彼女のベッドに腰掛けた。少女は一方で彼をじっと見つめたまま、やはり首を捻る。

「ごめんなさい。本当ならお願いごとを言ってあげたいんだけど、今は本当に何もないの」

「い、いやあるだろ!? ほら、お菓子いっぱい食べたいとか、何かあるだろ!?」

「ないわ。本当に、ごめんなさい」

「ま、マジかよ……これがうわさに聞く悪魔殺しかよ……」

 彼は大きくため息をついて肩を落とした。少女はそんな悪魔の肩にポンと手を置く。

「元気出して。ね?」

「おう、ありがとう……って、元はお前のせいだからな!?」

 ノリツッコミをかますバルゼファーを見て、少女はクスクスと笑う。すっかり調子を狂わされてしまった彼はポリポリと頭を掻き、その翼を広げたまま窓の方へと歩み寄った。

「そうだ。お前、名前は?」

 彼が訊ねると、少女は静かに答えた。

志島弥勒しじまみろくよ。よろしくね、バルゼファー」

「おう! また明日も来るからな! その時までに願い事を用意しておけよ!」

 そう言って飛び去る彼を見ながら、弥勒は小さくため息をつく。

「明日……か」

 彼女は諦観を孕んだ視線で窓にかけられたカレンダーに目をやる。その横顔は、どこか愁いを帯びていた。

 翌日、朝一番にやってきたバルゼファーは弥勒に詰め寄った。

「よう! さぁ、何か願い事はないか!?」

「ごめんなさい。無いわ」

「やっぱりな!」

 バルゼファーは半泣きになりながらベッドに腰を下ろす。そのあまりにも情けない姿を見て、たまらず弥勒は問いかけた。

「それにしても、貴方、本当に悪魔なの?」

「あったりまえよ! ほら、この翼が目に入らねえか!」

 しかし、弥勒は懐疑的なまなざしを向けたままである。それを受け、バルゼファーは諦めたように息を吐いた。

「わかった。証拠を見せればいいんだろ、証拠を」

 そう言って彼が虚空に手をかざしたかと思うと、そこに幾何学的な紋様が浮かび上がり、そこから一本の巨大な槍が出てきた。トライデントという、三つ又の槍である。

 彼は口の端を歪めながらそれを掴み、ブンブンと回してからポーズをとる。その様を見て、弥勒はパチパチと拍手を送った。

「すごいわ、バルゼファー。でも、それくらい手品でもできそうだけど」

「な、何ぃ!?」

 バルゼファーは顔を真っ赤にして弥勒に詰め寄った。

「俺の魔術がたかが手品と一緒だぁあ!? 上等じゃねえか! おうやったらぁ!」

 彼はのしのしと窓際まで歩き、そこで右腕を窓の外へと突き出した。

「さぁてと……そら!」

 彼が右手に力を込めた瞬間、そこから巨大な炎が発せられ、空を飛んでいた鳩を黒こげにした。彼は口の端を歪めながら、弥勒の方を見る――が、彼女は依然として首を振っていた。

「悪魔って言うけれど、まだ信用できないわ」

「や、野郎……覚悟しやがれ。このバルゼファー様の力を見せてやる」

 彼は次々と様々な魔術を使ってみせた。魔方陣から使い魔を召喚したり、幻覚を見せることで病室を花畑に錯覚させたり、はたまた体を弥勒だけ見えるよう透明化させ、その状態で診察に来た医師のカツラを取ってみたり――彼の持てる技術の全てをつぎ込んだはずだった。

 流石に息切れを起こすバルゼファーに、弥勒は惜しみのない拍手を送った。

 それを聞き、バルゼファーの口元に笑みが浮かぶ。やっとこれで魂を回収できる。

 そう確信していた。

「わかったわ、バルゼファー。貴方が悪魔だって言うのは信じてあげる」

 来た、とバルゼファーは弥勒に見えないよう拳を握りしめ次の言葉を待った。

 すると彼女の口がゆっくりと開かれ――

「でも、命はあげられないわ」

「マジかよ!?」

 予想と真逆のことを口にされ、バルゼファーはとうとう号泣する。

 弥勒は彼を慰めようとしていたが、バルゼファーは彼女の手を振り払って窓へと向かう。

「もういい! お前のとこなんか二度とくるか! バーカ! バーカ!」

「あ……」

 止める間もなかった。バルゼファーは大泣きしながら空へと飛び去ってしまい、弥勒が伸ばした手は虚しく空を切る。

「……ちょっと、意地悪し過ぎちゃったかしら?」

 彼女は小さく俯いて悲しげに目を伏せた。あの様子では、もう二度と来ないだろう。

 そう確信していた。

 が、

「お〜っす……」

 翌朝、バルゼファーはボロボロの状態で病室に入ってきた。少女は慌てて彼の方に寄り、倒れかけた体を抱きしめる。

「ごめんなさい。昨日は意地悪し過ぎたわ。でも、どうしたの? こんなにボロボロになって……」

「それがよぉ、昨日よぉ。上司に言ったんだよ。担当変えてくれって。そしたらめちゃくちゃ怒られてさぁ……『ちゃんと役目を終えるまで帰ってくるな』って……」

 そこまで話したところで、バルゼファーは彼女の胸に顔をうずめて泣き始めてしまった。その様を見て、弥勒は戸惑いながらも彼の頭を撫でる。

 そこで彼女は、そっと口を開いた。

「ねえ、バルゼファー。もう一度昨日の魔術を見せてくれない?」

「でも、どうせ手品みたいだって馬鹿にするんだろ?」

「しないわ。ごめんなさい、昨日は意地悪し過ぎたの。本当は、すごく驚いたのよ?」

「本当に?」

「本当よ。あんな凄いもの、生まれて初めて見たわ。できれば、もっといろいろ見てみたいわ」

 そこまで言ったところで、彼女は口元に人差し指を当てて首を捻り、さらに続けた。

「もしもっと楽しませてくれたら、その時こそ願い事を言うわ」

「マジで!?」

「ええ、大マジよ」

 すると、それまでしゅんとしおれていた彼の羽が急速に張りを取り戻していき、彼もそれにつれて元の勢いを取り戻していく。

 自分の魔術の腕を褒められて調子に乗ったバルゼファーは、またも役者のように堂々と告げた。

「ならば、お見せしよう! このバルゼファーの妙技を!」

 彼がパチンと指を鳴らしたかと思うと、周囲の景色が花畑へと変わった。弥勒はハッと口元を覆いながら、辺りを見回す。そこでバルゼファーは会心の笑みを浮かべた。

「どうだ? お前の記憶を読み取ってそれを投影したんだ。これが、今お前が見たかった景色なんだろ?」

「ええ……そう、よ……」

 声が震えているのを不審がったバルゼファーは弥勒の顔を覗き込んで、ハッとする。彼女は泣いていた。その様を見て、彼は手をばたつかせる。

「わ、悪い。べ、別の魔術を見せようか?」

「いえ、これがいいわ……だって、私の家族たちとの一番の思い出が詰まった場所だもの」

 バルゼファーはポリポリと頭を掻きながら、彼女の隣に座る。そうして、そっぽを向きながらも優しく問いかけた。

「なぁ、お前の家族って、どこにいるんだ?」

「もう、死んじゃったわ」

「え?」

 弥勒の言葉に、バルゼファーは身を固くする。けれど、そんな彼をよそに弥勒は告げた。

「私以外は、みんな病気で死んじゃったの。パパも、ママもみんな。その時にね、ママが言ったの。私たちの分まで生きなさいって。精一杯、生きなさいって」

 そこまで言ってバルゼファーの方を見た弥勒は、小首をかしげた。

「泣いてるの?」

 そう。彼女の言う通り、バルゼファーは泣いていたのだ。鼻水まで垂らして、嗚咽を漏らしながら。

「な、泣いてねえよ馬鹿! 悪魔は泣かねえんだよ!」

 じゃあ、これまで号泣していたのは何だったのか、とほほ笑む弥勒をよそに、バルゼファーはすっくと立ち上がる。

「よし、決めた! もう俺はお前の願いを聞くまで帰れねえからな! こうなったらとことんやってやろうじゃねえか!」

 とは言ったものの、そこで彼の腹から情けない音が漏れた。それを聞いて、弥勒はクスクスと笑う。一方で、バルゼファーは顔を真っ赤にしながら彼女を指さす。

「ちょっと待ってろよ! 何か食ったらまた来るからな!」

「絶対?」

 その言葉に、彼はドンと胸を叩く。

「おうともよ! 悪魔は約束にはうるせえんだ!」

「本当に来てくれるのね? 明日も明後日も?」

「ああ。もうこうなりゃ明日も明後日も一か月後も同じだよ! だから、待ってろよ!」

 そう言って去っていく彼に、弥勒は小さく首を振る。その横顔は、ひどく幸せそうだった。

 さて、それからというもの、バルゼファーは毎日弥勒の病室を訪れて魔術を披露した。その度に弥勒が拍手を送り、彼もまんざらではなさそうに照れる。

 また、それだけでなく二人は様々なことを話した。家族の事、友人の事、それから悪魔の事。バルゼファーは魔界では相当優秀な悪魔だったらしく、飛び級して大学に進み、その後一流会社へと就職したそうだ。更に、今見せている姿は仮の姿であり、本当の姿はもっと凄まじいと言うと、弥勒も感嘆の声を漏らしていた。

 しかし、そんなファンタジックな話よりももっと彼女を驚かせたのは、今彼が高架下でホームレスのオッチャン達と共同生活を送っているということだった。その時弥勒が憐れむようにお見舞いのバナナを恵んできたのを彼は忘れることができない。

 そして今日も、一通り楽しい話や魔術を見せて彼女を楽しませようとしていたバルゼファーは時計を見て、小さく舌打ちした。

「そろそろ帰るか。んじゃ、また明日な」

「ええ、ありがとう。また明日」

 バルゼファーは彼女に微笑みを向けながら飛び去る。

 彼はそのまま高架下へと向かい、自分で作った段ボールハウスへと足を踏み入れた。

「おっと、もう配給が来ていたのか」

 どうやら仲間のホームレスが入れてくれたらしい賞味期限が切れた弁当をがっつくバルゼファーは病室にいる弥勒に思いを馳せる。

「ったく、あの野郎。本当にやる気があるのか?」

 すでに出会ってから一週間が経過している。しかし、弥勒が願いを言うような素振りを見せることは一度もなかった。

 彼は空になった弁当箱を恥の方に寄せ、大きくため息をつきながらボロボロの毛布を羽織る。

「うぅ……さみぃよぉ。何で俺がこんな目に……」

 呟きながら、バルゼファーはミノムシのように丸まる。そこに、最初に見せた威厳ある悪魔の姿はなかった。

 翌日、バルゼファーはいち早く弥勒の元へ向かっていた。今日こそ終わらせてやる、と心に決めながら。

 やがて彼女の病室が見えてくると、彼は一層加速した。そうして、開いている窓を開けて中へと入る。

「よう、弥勒! 今日こそ願い事聞かせてもらうぜ!」

 けれど、彼女の様子はどこかおかしかった。一応彼が来たことには気づいたようで目線を寄越してくれたが、それでも起き上がるということはしなかった。

「お、おい、どうした? 具合でも悪いのか?」

 慌てふためくバルゼファーに、ふっと弥勒は笑いかける。

「えぇ、とても悪いわ。ごめんなさい、バルゼファー。ずっと黙ってて」

「ちょ、ちょっと待て! 何の話だよ! わかんねえよ!」

 弥勒は、うわ言のように呟いた。

「私のパパとママは死んだって言ったでしょ? 病気で。私も、その病気なの」

 そこで、彼女の目から一筋の雫がしたたり落ちた。

「ごめんなさい、バルゼファー。私、あなたが来てくれて嬉しかったの。もうずっと一人だと思っていたから。でも、あなたが来てくれて本当に楽しかった。途中から、願い事を言おうと思っていたけど、言えなかった。だって……」

 彼女は震える手をバルゼファーの方へと伸ばす。

「言ったら、もうあなたと会えなくなると思ったから」

「……ッ! 馬鹿野郎!」

 バルゼファーは彼女の手を掴み、すぐにハッとする。もうすでに彼女の手は元の温かさを失いつつあった。

 もう彼女は死ぬ運命だということを悟るなり、バルゼファーの目から涙がこぼれ落ちる。それを見て、弥勒は微笑んだ。

「でも、安心して。もう、私は死ぬから。最後に、願い事を叶えて?」

「ああ……ああっ! 言ってみろ!」

「じゃあ、私にあなたの本当の姿を見せて?」

「それで、いいのか?」

「ええ。だってもう助からないもの。不死を願っても、命を取られるのでしょう? だったら、あなたの本当の顔が見たいの。お願い」

 バルゼファーは俯き、彼女の手を握ったまま呟いた。

「わかった……見せてやるよ」

 直後、彼の体がまばゆい光に包まれる。弥勒はそちらを薄目を開けてじっと見守っていた。そうして光が止むころには――ヤギの頭と人間の胴体、それから尖った尻尾を持つ巨大な生物の姿があった。

 バルゼファーは鏡に映る自分の姿を見て、苦笑する。

「どうだ? お前が見たかったものはこういうもんだぞ? 醜いだろ?」

 意図せず、彼の手が虚空に円を描く。すると、そこから巨大な鎌が出現した。彼は両手でそれを振りかぶり、弥勒に狙いを定める。

 一方で、弥勒は慈母のような笑みを浮かべながら言い放つ。

「醜くなんかないわ。だってあなたは――」

 鎌が、弥勒の首へと振り下ろされる。

 弥勒は最後に、これまで一度も見せたことがないような満面の笑みを浮かべ、

「私の天使だから」









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