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或いは、なにものか

写真、或いは過去

作者: 舎密化学

私の友人は、何かにつけて写真を撮りたがる。

その被写体にはどんなものでもなり得てしまう。歴史的建造物や、有名人や、さらに他愛のないペットとの戯れなど。身の回りの全てが、友人にとってカメラを向ける対象となる。私がその一つとなるのもしばしばある。

それは常に一瞬で、二度と現れることがないものだ、と常々友人は云う。

だから、自分は一生に一度の、かけがえのない光景との出会いを大切にしているのだ、とも。

稀だが、友人がわざとそんな景色を作ろうとしているのを見るけれど、私は黙っていた。私がとやかく云う必要のないことだ。

一方で私は写真をあまり撮らない。

今の時世、誰だってカメラを持っている。携帯電話には付いていて当たり前の機能であるし、ゲーム機でさえ写真が撮れる。眼鏡にもいつかそんなものが付くのかな、などと最近思うこともある。尤も、使い道は限られそうだけれど。

どうして写真を撮らないかと云えば、別段、撮るものがないからである。使い方がよくわからない、というのもあるが。私は元来機械音痴であった。

旅行に行ったとしても、目に焼き付けておけば何ら問題はない。時間とともに少しずつそれは薄らいでいくが、不満はないし、不自由もない。

そもそも、旅行というものは、自分の目で実際に見るために行くものだ、と私は思う。その場所の写真なら幾らでも、どこにでもあろう。

写真は撮らないが、観光地のパンフレットはよく溜めておいてある。書かれている説明を読むのは、なかなかに面白い。

知的興味からなら、写真を撮ることはある。水族館に行って、この魚はなんだろうな、と思うとカメラを向ける。後で図鑑で調べることができるようにだ。

そう云ったものばかり撮るから、私の持っている写真の大半は何かしらの動植物のものに占められ、景色や友人を撮ったものは少ない。


そんな私と友人が、ある時旅行に行った。

歴史的に有名な建物が並ぶ、観光を売りにした街だった。古い街並みが、視界の隅々に現れる。

例によって友人は写真を、数歩歩くたびに撮っていた。その写真の幾らかには、私も写っていることだろう。

また私はパンフレットを端から一部ずつ取って、それを広げながら街を散策した。

なるほどここではこんなことがあったのか。

意外と歴史が浅いのだなあ、云々。

やはり間近で見るのは違う。写真では感じられない、迫りくる歴史の渦に、私は感動した。

印象に残らないわけはない。その光景は私の記憶に深く染み込んだ。

なるほどこういうのが、友人の云うかけがえのない出会いなのだろうな、と一人感慨にふけっていた。


旅行から帰り、幾日かが経った頃、友人から一枚のDVDを受け取った。

どうやら、先の旅行で撮った写真らしい。私は別にいらないと云ったのだが、折角だからと友人が推すので、渋々預かったのだ。

断ろうとしたのも、私の機械音痴に由来した。パソコンとは何だ。すごく複雑な機械ではないか。

まあ、見るくらいならできよう。

パソコンの電源を入れ、ディスクを再生する。画面にいろいろな建物の写真が映し出される。

友人の笑顔が眩しく映る。背景にはそびえ立つお寺が入っている。

自分が撮られている写真を見るのは気恥ずかしいものがあった。すぐさま違う写真に移す。

あらかた見終えたところで、私はディスクを取り出そうとした。

画面に何かが映し出される。取り敢えず「はい」を押しておいた。

次に画面を見た時には、DVD上の全てのデータが消え去っていた。

何か手違いがあったのだろうか。私はパソコンのファイルの中をくまなく探した。だが、一切それはなかった。跡形もなかった。

慌てた私は何を思ったか、ディスクを手に取り、光を反射する面に向かい息を吹きかけた。もちろん、そんなことをしてもデータが戻るはずはなく、私は肩を落とした。

もしや先ほどのあれが原因か。私は俄かに不安になった。

何せ、友人の大事な思い出の写真を丸ごと失くしてしまったのだ。それはきっと友人にとって代え難いものだったろう。

溜息をつく。……

仕方ない、正直に謝ろう。

私は友人に電話を掛けた。受話器がやけに重く感じた。

しばらくして友人の声が聞こえた。

私は今までに起こったことの顛末を伝えた。偽りなく全てを。どんな風に云われるだろう、と心配し、落ち着いていられなかった。縁を切られることまで覚悟した。

きっと、友人にとってこの写真は大切な、一生に一度の思い出なのだから。

だが、友人の言葉は、私が考えていたほど厳しくはなかった。

「だいじょうぶだよ--」

軽い口調で話す。そして一言。


「バックアップとってあるから」


今は、かけがえのない思い出をバックアップできる時代なのだな。

さっき見た写真の中の友人の笑顔が、私にはなんだか本物ではないように思えてしまった。


写真というものは便利ですね。

思い出をとっておけるから。

それでも、その写真の中の光景は、本当の「思い出」でしょうか。

かけがえのないもの、と云う意味を、今一度考えたいです。

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― 新着の感想 ―
[良い点] 情報社会に隠れた喪失感を鋭く指摘し、大衆へ新たな目線を与えてくれる素晴らしい作品。 [一言] わたし、バックアップは取らない派です。やり方も知っているし便利なのだけど、 消えちゃったら、し…
2014/01/28 18:57 退会済み
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