タンス泥棒
「うー、ん。そろそろ終わりかな」
ノーラは、畑の端で汗をぬぐって背筋を伸ばしていた。
きれいなブラウンの髪が太陽を反射する。
この日も朝から村の手伝いをしていた。
秋播きの作物を育てる畑で、種を播くのだ。
で、それも一段落したところだった。
ノーラは後片付けをすると、畑を出た。
「こっち終わったので、わたし帰りますねー!」
持ち主のおじさんがありがとな、お礼はあとで持ってくよ、と返した。
それを聞いて上機嫌に、畑から離れていくノーラだった。
前にブライアンという冒険者がきてから、しばらく経っていた。
ノーラは村では、相変わらず同じように過ごしている。
飲んだくれたときのことは……みんなはあまり触れないでいてくれる。
嬉しいやら微妙な気持ちやらではあったが……ノーラとしても忘れたい過去なので、まあよしとした。
この日も、お昼ご飯のために、それなりに軽い足取りで家の方へ向かって歩いた。
今日のご飯、何だろうなぁ、などと口ずさんでいると、ノーラは急に歩みを止める。
表情が淀んでいる。
それもそのはずで、目の前の酒場からマリアが出てきたところだった。
「あら、ノーラ」
マリアはいつものような反応を口にしたが……その顔はなぜか、中々に愉快そうだった。
ノーラはそれに既に気付いている。
飲んだくれた件は、大体の村人がスルーしてくれているが、例外もあるのだった。
「今日も朝から畑仕事?」
「まあ、そうですけど」
「ふうん。そうね、それがいいわ、ノーラには。酒場でやけ酒するよりは」
からかうように言ってくる。
軽い気持ちで言っているのだろうが、むうっ! とノーラは顔をしかめた。
「最近はもう全然お酒なんてやってないですよ」
「だから、それがいいことだって言ってるのよ。体を動かせば、成長も早まって……きっと、胸も大きくなるわよ」
言って、最後に、くっ、と笑いをこらえるように口を手で押さえた。
ぐぐぐ、と歯ぎしりするノーラである。
あのことがマリアにはよっぽど面白かったのか、あれから何回もこんなやりとりがあるのだった。
マリアは面白そうに、かつ皮肉っぽい口調で言った。
「ねえノーラ。もうモンスターがいるようなところに行かない方がいいわよ。大変な目に遭うだろうし」
「……言われなくてもわかってますよぉ、そんなことは」
「あら、でも冗談じゃないのよ。前に鍛冶屋のグラントさんが言っていたけれど、南の『黒岩石の洞窟』あるでしょう。あそこにも前に増して凶暴なモンスターが現れるようになってるって言ってたわ。そういうことが、よく起こっているみたいね」
「グラントおじさんが? へえ……」
「やっぱり村から離れないのが一番なのよ」
マリアは得意げに締めくくった。
黒岩石の洞窟、というのは村の鍛冶屋のおじさんが原料を調達に行くという場所であり、村の外の野原をしばらく南下したところにある。
ノーラは場所は知っているものの奥まで入ったことはない。
ただ洞窟には元々モンスターがいる、という話は知っていたので、考えてちょっと身震いした。
モンスターなんて、二度と会いたくない。
それでちょっと冷静になったノーラは、そそくさと歩き出した。
「じゃあわたし、これからお昼なので……」
「乳製品はいっぱい摂った方がいいわよ」
イラッ。
静まりかけた気分がまた波立ってきた。
ノーラは背を向けてずんずんと歩いた。
ノーラはそのまま家に帰ろうと思ったが、中途の道で、思いついて足を止めた。
ユーリにでも会って、癒しを求めたい、と思ったのだ。
きびすを返して、顔を合わせてからお昼にしよう、とすたすたと歩き出す。
「……あれ。そういえば、何日か、ユーリに会ってないなぁ……?」
歩きつつも、ふと不思議に思って宙を見つめる。
まあいいや、と思ったが……そのとき、横から何かの騒音が鳴って、足を止めた。
村人の家である。
そこから、誰かが言い合っている声が聞こえてきた。
『よく聞け。俺は泥棒ではない。このなりを見ろ』
『なりなんか知るか! っていうかなりからして怪しいだろ、この泥棒め!』
複数人が、かなり激しく言い争っているように聞こえる。
こんなことは普段あまりないので、ノーラは驚いてしばらく立ち止まってしまっていた。
たしか、農家のネルソンおじさんの家だったはずだ。
ノーラは、コンコンとノックしてからドアを開ける。
「あのー、すみません……どうしたんですか……?」
そっと中をのぞき込むと、確かに、すぐ前にある居間に、壮年にさしかかった白髪のネルソンおじさんが立っていた。
が、そのすぐ前に、ノーラの見たことのない人間も、いた。
それも複数。
ネルソンおじさんが気付いてノーラを見る。
「ああ、ノーラちゃんか。見ての通りさ。泥棒だよ」
剣呑なひびきに眉を寄せるノーラ。
この目の前にいる人たちが泥棒ということだろう……と思って見たのだが、ノーラはその直後、うっ! と急に顔をゆがめて一歩退いた。
「何を言っている。だから俺たちは泥棒などではない。――勇者だ」
そういう彼ら、四人の独特の服装をまとった人間たちが、一目でどういう存在なのかが直感的にわかったからだ。
ノーラの知っている冒険者と雰囲気が酷似している。
一気にノーラのテンションが地下にまで下落した。
ネルソンおじさんは、続けて怒鳴っている。
「民家に泥棒に入る人間のどこが勇者だ!」
四人の勇者を、とりあえず見てみた。
雰囲気こそ冒険者だが、ノーラが知っているものより中々派手な格好をしている。
二人が男で、二人が女だ。
先頭でおじさんと言い合っている若い男は、剣を腰に下げ、飛び跳ねたような奇妙な髪型をしている戦士風の様相だった。
その後ろが、妙なローブを着て杖を持った少女で、話も聞かずに興味深そうにきょろきょろ眺めている。
その背後は筋肉隆々の格闘家風の男で、こちらは申し訳なさげな、神妙な顔をしていたが……。
四人目は一番珍妙で、際だって露出の多い格好をした、踊り子のような女性だった。
怪しい。
泥棒かどうか以前に、不審者として追い出したくなる風貌である。
だが間違いなくこれは冒険者なんだろうなあとノーラは頭が痛くなった。
冒険者となれば不審者ではない、という扱いがなぜか村長によって取り決められているのだ。
っていうかまた冒険者か。
いい加減にして欲しい。
おじさんはそういう事情を知ってか知らずか、タンスを示す。
「無断で入って、ここにあるものを持っていこうとしていただろうが」
ノーラは、えっ、とびっくりした。
見ると自称勇者は別に否定もしていなかった。
「まあ、それはそうだが」
「えっ? あの……そこにあるものをとったんですか?」
「まあな。今は返せと言われたので返したが」
「いやそりゃそうでしょう! っていうか、ええ? それは泥棒でしょう」
だが全く悪びれているようにも見えない、自称勇者だった。
「別にいいだろう。勇者なのだから、当然の権利だ」
「いやいや。意味がわかりませんけど……」
これはさすがにおかしくないか? と思うノーラだった。
冒険者って――。
実はあれから数人、ノーラは村に来る自分勝手な冒険者たちと会っている。
大体はすぐに旅だったりこちらから追い返したりしていたが……冒険者が増えている、ということはつまり、魔王が復活して冒険者が討伐を目指している云々、というのは本当らしい。
まあ、冒険者はそういう意味ではすごい存在かもしれない。
しかしタンス泥棒はたちが悪い。
最初に来たブライアンもだったが、勇者希望にはろくな人間がいないのだろうか?
そもそも、ブライアンの時から思っていたが、大して強くなさそうな冒険者見習いのようなものまでが勇者と名乗り、横暴な態度をとっているのが不思議でしょうがない。
今回だって、平気で盗みを働くような人間が魔王を倒すとは考えられないし……。
ネルソンおじさんの怒りもわかる。
おじさんは怒りも収まらない調子で言う。
「最近たまにあるとは聞いていたが、本当にやるとは信じられんな」
たまにあるのかよとノーラは耳を疑ったが、それより対処に困った。
「……それで。この人たち、どうするんですか、とりあえず村長に言うのは……あぁ、だめかなぁ」
「村長が許しても、俺は許さんぞ。人のうちに無断で入って泥棒なぞ」
「物資の徴発だ。非難されるいわれはないと思うのだが……」
何だと! とネルソンおじさんは怒髪天をつく様相だった。
普段からノーラの仕事にも結構口うるさいし、当然許さないつもりだろう。
だが一触即発のところで、四人のうちの格闘家風の男が口を挟んだ。
「なあ、アルフォンス。だからやめとけって言ったんだ。さすがに勇者がやることとは、違うだろ」
「何? だがこれで貴重なアイテムが……」
「そういうのは大体洞窟とかだろ」
すると、まあそれもそうだな、と言う勇者。
格闘家は頭を下げた。
「本当にすまなかった。この通りだから、何とか勘弁してもらえねえか」
先頭の男に比べると、だいぶ真摯な態度だった。
どうやらこの筋肉隆々の男だけが、まともなようだ。
ローブを着た少女は、さっきから「早くモンスターと戦おうよ!」とか言ってるし、踊り子風の方は「いつまでここまでにいればいいの? 疲れたんだけど」とめんどくさそうに言っているばかりだ。
「許すったって、何もなしに帰すわけにもな」
格闘家の態度にちょっと表情を柔らかくしたものの、ネルソンは納得しかねるようだ。
「反省を示して、その上でなんか村の利益になるようなことでもしてくれりゃ、考えないでもないがな」
それで、アルフォンス、と呼ばれていた先頭の自称勇者が思いついたように言った。
「ふむ。俺たちもいつまでもここでこうしていたくはないからな。村の利益になるというのなら、武具屋で買い物をする。これでどうだ」
「買い物って……、村の利益には、なりますけど、話が別じゃ……」
ノーラが顔をしかめたが、いや、とネルソンおじさんが口を挟んだ。
「確かに儲けるのは基本的に武具屋だが。だが村の大きな利益にはなるのは事実だ。俺もあそこは手伝ってるし」
ネルソンは多少期待を含んだように言った。
武具屋……というのは要するに村の刃物などを作っている、鍛冶屋のことだ。
村人も鍛冶屋と言っているが、最近、村長の取り決めに従って武具屋という名前に鞍替えさせられていた。
どうやら冒険者の客を見込んだ戦略らしい。
もちろん、武具などたくさん売れるものではない。
だが……前に来た冒険者が立ち寄った際、目玉が飛び出るような金額の剣を買っていって、かなりの金銭が発生した、というのもノーラは聞いたことがあった。
ネルソンおじさんはその辺の利益を見込んだようである。
冒険者は実際、なぜかそれなりの金を持っていることが多かった。
武具屋の売り物の単価はやたら高く設定されているし、この人たちが出し惜しみしなければ、利益は食料品取引の比ではない。
「武具が売れると村の経済が潤うことにもなる」
そういってネルソンおじさんは、ちゃんと武具を買うことを了承させた上で、泥棒の件を不問にすると言った。
「それでいいんですか? いけないことをしたのに……」
「まあ、それについては謝罪することもやぶさかではないが」
アルフォンスが相変わらず高慢な口調で言うのにイラッとしたが……ネルソンおじさん本人が許すというのなら、立ち入る権利もない。
大体、犯罪者として拘束するのは村長が許さないだろな……と息をつくノーラだった。
ノーラが出ようとすると、おじさんが呼び止めた。
「あ、ノーラちゃん、待ってくれ。せっかくだから、このあと彼らを武具屋まで案内していってくれねえか」
「え、わたし?」
「むだな時間も使っちまったし、さすがにこれ以上畑仕事はサボれねえ。頼む」
あっ、ちょっと……と止める間もなく、ドアを開けて出て行ってしまうネルソンだった。
そんなんだから冒険者に家が狙われるんじゃ? とも思ったが……。
「それじゃあ、村娘。よろしく頼む」
それより勇者たちのほうを向いて、ノーラは肩を落とした。
怪しげな冒険者四人が、ノーラを見て早くしろという態度をしていた。