モンスター現る
なんとか帰る機会をうかがいたいノーラだったが、知らず知らずのうちに村の入口までやってきてしまっていた。
外の野原が見えてきて、おびえたように歩をゆるめた。
ブライアンの背に声をかける。
「あ、あのぅ、やっぱりやめませんか。危ないし、明日にでもすれば……?」
「今日サボれば一日分の経験値が無駄になるだろう。さすがにそれは困る」
と、彼はまじめな顔で振り返る。
「この村に来るのだってかなり大変だったのだからな。いつまでもそんな状態では冒険に困る」
それに付き合わされるこっちのが大変だよ……とノーラは思った。
でもぉ、と、何とかやらないで済む方法を考えながらだだをこねているノーラだったが……間もなく村の外のだだっ広い平原との境目まで連れ出されてしまった。
う、うえぇ、とうろたえながら外を見回すノーラ。
行商団などに守られていない状態でこんなところにくるのは一体どれくらいぶりだろうか?
考えると身がすくむ。
ここを一歩出ればもう、安全地帯ではなくなる。
一般人などではとても敵わない凶悪なモンスターが、いつ出てきてもおかしくない場所なのである。
「さすがに、僕らだけでここまで来ると、結構緊張するね」
ユーリも横で外を眺めていた。
いつも落ちつている彼だが、このときばかりは中々神経を張り詰めさせているようである。
ユーリと隣同士、というのは中々だが……恐怖の方がまさって、ああぁ帰りたい帰りたい、と心の中で唱えだすノーラだった。
ふと前を見ると、ブライアンは、そそくさと外に出て行っていた。
とてもじゃないが一人で出る気はしない平原に、すたすたと歩いている。
「それにしても……よく平気ですね、あの人」
ブライアンは、平原の短い距離を、歩いては方向転換して戻り、また少し歩いては逆方向に戻り、ということを繰り返していた。
傍目には何をやっているのかと思うような行動だが、モンスターをおちょくる行動と考えればまあ、わからないでもない。
「でもあんなところまで行って、一気に囲まれたらどうするつもりなのかな……」
「そのために僕らを呼んだんだろう」
改めて、無責任だなぁ、とノーラは思った。
だが村の近くで冒険者に死なれても、寝覚めが悪い。
一応、ブライアンが倒れたらダッシュして連れ帰ろう、というくらいの気持ちは持って眺めることにした。
――と。
すたっ、と草原の誰もいないはずの方向から、足音が鳴る。
見ると、そこに、草を踏む人影に似た何かがあるのに気付く。
ノーラは、思わず背に冷や汗をかいて指した。
「あ、の、ユーリ? あれっ」
「あれは……間違いない、モンスターだ!」
ブライアンも気付いて振り返ると、その影はたっ、たっ、と進んでブライアンに近づいていっていた。
一匹のモンスターである。
「インプだな」
かたかた震えているノーラの横で、ユーリが言った。
浅黒い肌に、角のある頭を持っている。
そして鋭利な爪を持った、人間に似た体型のモンスター、インプだった。
ブライアンが言うように、モンスターの中では弱い範疇のものだが、それでも普通の人間などよりはよほど強い存在である。
体力をはじめとした力が人間の数倍以上あるなどといわれ、多くの村人に恐れられていた。
冷静に見ると、ノーラたちとの距離も結構近い。
インプの非人間的な肌に、牙のある口から漏れるキキッ! という甲高い鳴き声も目の前であるかのように感じられた。
モンスターを近くで見たことはあまりないノーラだったが……足がすくんでいた。
実は、小さい頃にモンスターに襲われかけたことがあって、そのときは間一髪で助かったが、その記憶からモンスターには普通以上に恐怖心があって苦手だった。
たじたじになって、離れて見るしかなかった。
だが、ブライアンはモンスターと見るや、すらりと剣を抜いた。
「ようやく現れたな、経験値め。さっさと始末してやる」
威勢のいい言葉と共にかちゃりと切っ先をインプに向け、構えた。
『キキィッ!』
視界に入ると、インプはそれを敵意と見なしたか、威嚇するように鳴いてブライアンに距離を詰めた。
「結構、いけそうじゃないかな。それなりにいい武器を持っているみたいだし」
ユーリがそんなふうに評した。
実際、インプにはそれほどの知能はないらしい。なので、やることと言えば単純に体や腕で攻撃してくるくらいのものだ。
冒険者にちゃんとした装備があれば、倒せない敵でもない。
それはブライアンにもわかるはずだった。
『キキッ! キィッ!』
すぐにインプが、ざっ、と地を蹴ってブライアンに組み付こうとした。
ブライアンは待ち構えていたように、振り上げた剣で――ずばっ!
まっすぐに斬りつけた。
「や、やった!?」
ノーラがそろりそろりとユーリの元に戻ってくる。
顔には歓喜が浮かんでいる。
だが……インプは後ろのよろめいたものの、特に致命傷を受けた様子もなく、足を踏みしめて、またブライアンに向きなおった。
「倒せてないようだね」
「な、何で? 今、思いっきり切れたんじゃ……」
遠目でも、明らかに刃物が食い込んでいるように見えた。
中々でかい剣だし、体を切断したくらいの衝撃は物理的にあった気がするのだが。
だがブライアンは、やはり、というように舌打ちする。
「まだレベルが足りないか」
「……れ、レベルが足りないとあんな鋭利そうな剣で切っても意味ないの?」
「さあ……」
こちらはユーリもよくわからないようである。
何だか理不尽な気もしたが、とにかく効いていないものは効いていないようだ。
すると今度は、インプが、ばっ! と飛びかかってブライアンの顔を爪でひっかいた。
ひゅん、という風を裂く音と主に、ブライアンの頬から血が飛ぶ。
「ぶ、ブライアンさん!」
ブライアンは倒れはしないもののよろめいていた。
くっ、と焦ったような顔の彼を見て、ノーラは思わず叫ぶ。
「あ、あのー! もう帰った方がいいんじゃ……」
「それじゃ経験値が得られないだろうが!」
怒った調子で返された。
経験値の価値がいまいちわからないので言い返すこともできず、どうすればいいのかわからないノーラだった。
はあっ! というかけ声と共に今度はブライアンが再び大きくインプに切り込むが、それでも倒すには至らなかった。
インプも濃い色の血を流してよろめいたものの、未だ立ってブライアンに敵意を向けている。
どころか、すぐにブライアンに向けて体当たりをした。
ブライアンはふらついて、さっきよりも大きなダメージを受けたように見えた。
足下がおぼつかない。
ユーリが、さすがに声をかける。
「勇者さん、もういったん退いた方が」
「……いや。計算上、あと一撃で多分いけるはずなんだ」
「そんなこと言っている場合じゃ……」
「大丈夫、次は僕が攻撃を……」
途中まで言ったところで、ブライアンが突如、言葉を失った。
どうかしたのか、と思ってノーラが見ていると――ぎょっとする。
インプの後方、というかもう、すぐ近く。
いつの間にか別のインプがすた、すた、と現れてきていたのだった。
しかも一匹ではなく、二匹、三匹と湧いていた。
ノーラは顔をさっと青ざめさせた。
「え、ちょ、嘘でしょ……。モンスターがあんなに?」
「さすがにこれはまずいな。あれじゃどうにもならない」
不意の事態に、ユーリは柵を越えて外に出た。
ブライアンの方に向かう。
「えっ!? あ、ちょ、ちょっとユーリぃ!?」
ノーラはびっくりして手を伸ばすが、ユーリは離れて行ってしまう。
「まて、もう少しで倒せそうなんだ――」
そういうブライアンだったが、剣を持ち直して攻撃をしようとしたところで……傷ついているインプとは別のインプに襲われた。
「うぉっ!」
驚いて剣をたたきつけるブライアンだったが、インプが一撃では倒せないのは既に実証ずみだった。
返しざまに、体当たりをたたき込まれた。
「何……ぐふっ!」
その衝撃に、自称勇者ことブライアンはあっさりと気を失って、どしゃっ、と倒れた。
「きゃあーっ!?」
ノーラは悲鳴を上げる。
そのまま、インプにもみくちゃにされそうになるブライアンだった。
言わんこっちゃない、とノーラはちょっと思ってもいたが、恐怖が先に立った。
すると、ユーリは慌てて走りながら、ノーラに振り向いた。
「僕は彼を介抱するから、何かあったら頼む!」
「えええ!? ちょっと、で、で、でも、でも!」
びっくりして、あううとノーラは混乱する。
モンスターがいっぱい現れて、足ががくがくする……でもユーリ一人にまかせるわけにもいかない、やばすぎる状況である。
自分も何かしないと、と思って、せめてユーリ一人が狙わないようにできれば、と思いついた。
考えたノーラは、おそるおそる柵から足を踏み出して近づいた。
それが功を奏したか、何匹かのインプがブライアンから離れ、ユーリが彼の体に近づくことに成功した。
ノーラはほっとした。
「や、やった……ってあれ?」
と見ると、当然のことだが離れたインプがノーラに向かって距離を詰めてきはじめた。
「わ、わ、わああっ?」
おびえて、思わず引き返そうとするが……そこでノーラは立ち止まる。
自分の背後にもいつの間にか新しいインプがいたようで、知らないうちに、前後をインプに挟まれていた。
『キキッ、キキィ!』
複数の鳴き声を響かせるインプに、さーっと血の気が引く。
そして動けないでいると、間もなく前後だけでなく左右にもすたすたと新しいインプが現れた。
「え、え、ええぇーーー!?」
ノーラは目をうたがって見回した。
視界のほとんどがインプである。
モンスターは無数にいる、とはよく聞くが、それをはじめて実感した瞬間であった。
浅黒い肌の、凶悪な瞳を宿したモンスターが、四方でノーラを囲んでいた。
「え、ちょ、ちょっとお。……冗談でしょ?」
『キキッ!』
「いやだぁあーーー!」
思わず大声を上げるノーラだった。
ぴょんぴょんと自分の立ち位置からジャンプして、ユーリの方に向けて顔を出そうとする。
「ゆ、ユーリぃ! た、助けてー!?」
するとユーリはこちらを振り返ってから、自分もモンスターを近くにしつつ言った。
「ごめん、ノーラ、彼をケアしてるから今は手がまわらない。何とか逃げてくれ」
「嘘でしょぉおおおお!?」
嘘じゃなかった。
ユーリはユーリで精いっぱいなのだ。
ユーリを責めるわけにもいかない、が、何か悲しすぎた。
あっさり見捨てられたノーラはじりじりと近づくインプ軍団に、一歩も動けない距離まで迫られた。
『キキキッ! キーッ!』
威嚇するような声に、頭を抱えていやあああと涙目になる。
一発攻撃を受ければ、おそらく終わりであろう。
恐怖に立ちすくむばかりだった。
するとインプは……ギュウギュウとノーラを押しつけるまでになって、密着した。
一分の隙もない。
「ちょ、ちょっと、苦しいよ、うう!」
ノーラは圧迫感にうめき、苦悶を浮かべる。
苦しい。
いつ襲われるのか、それともこのまま挟まれて死んでしまうのか、そんな恐怖におびえた。
するとインプたちはノーラを押しつけつつ、同時に手を伸ばしてきた。
何かと思ったら……今度は体をまさぐりはじめた。
「!? えっ、ちょっと、あの、わ!」
ぐりぐり、と変な手つきでノーラの体の各所を触っているのだった。
「わああ、あの、どこ触ってんのっ、やめっ」
涙を浮かべながら叫ぶ。
だがインプに言って聞くわけもない。
襲われるだけじゃない、まさか、こんなことまで――? ノーラはそんな予想をして、一気に絶望のどん底にたたき落とされる気がした。
『キキキ』
次第に胸のあたりまでもそもそと触られかけて、ぎゃあああ! と盛大な悲鳴を出したが……そのときだった。
急にインプが、手をゆるめた。
助け……と言っていたノーラはきょとんとする。
インプは、モンスターの顔の中にもどこか微妙な表情を滲ませていた。
『マナイタ、マナイタ……』
「……え?」
『ヘイメン、タイラカ……』
「……」
『……、ムネ……』
「……うるさぁぁぁぁぁあぁあああああああああいいっ!?」
ぐしゃっ。
ノーラは涙を浮かべながら、切れ気味にインプの眼球にかかとをめり込ませた。
『キキィッ!? グ、グォオオッ?』
「なによぉおおおおおっ!?」
いっとき、インプは顔を押さえて苦悶したようにうめいた。
だが、レベル1の村娘の蹴りではモンスターを倒せるはずもない。
すぐに目から手を離して、再びノーラを襲ってこようとした。
今度はなぜか体を触ったりはせず、敵意をみなぎらせて爪を伸ばしてきた。
「わ、わあああああもう!?」
びゅん!
ノーラは焦りと憤慨に動かされて、奇跡的に爪攻撃をしゃがんでよけた。
乱れたインプたちの囲いを、這いつくばって抜け出すと、わああああああ!? と叫びながらインプの背中に蹴りをたたき込んだ。
『キィッ!』
ダメージはないようだったが、それでインプが前のめりに倒れて周りの三匹の行動を抑制した。
その隙にノーラは涙目のままに草原を疾走し始めた。
本能的退避である。
「もうやだぁあああああああ!」
全速力で駆けていると、視界に入ったユーリが、ブライアンを抱えながら冷静に指していた。
「ノーラ。村は反対だよ」
「ああああぁあん、あ、こっち!? わああああん!」
くるりときびすを返してまた全力疾走するノーラだった。
ユーリは何とも言えない表情をしていたが、そんなことを気にする暇もないままにノーラは村につっこんで近くの家の壁に激突して止まった。
額からぽたぽたと血を流しながら、よろめいて地面に手をついた。
あとに残ったのは悲しみだった。
「うう……わ、わたしが何したってのよぉぉ……」