乙女ゴコロ
村長宅は村の北方に位置する。
名の通り村の様々なことに対して決定権を持っている村長が住んでいるのだった。
やってきたノーラとブライアンは、普通の家と見た目は変わらないこの家をたずねた。
好々爺という顔の村長、ドロワおじいさんは、ノーラの顔を見るとすぐに迎え入れた。
「何じゃね、ノーラがたずねてくるとは珍しい」
「それが……こちらの方なんですけど」
ノーラは、言って後ろにいたブライアンを引き合わせた。
すると村長は、ほう、といったあとに、彼をつぶさに観察しはじめた。
……正直、ノーラは引き合わせたところでどうにかなるものでもないとは思っていた。
明らかな不審者だし、村から追い出されるのが結局の落ちだろう。
大体、村長のドロワおじいさんは、長年生きてきて得た知識と見識で、尊敬と畏敬を集める存在だった。
村の様々な取り決めを作り、いざこざを裁いたりする法のような役割も一人でこなしていて、まさに村の長といっていい。
言わば村の常識という概念なわけで、こんな人に不審者を引き合わせるんじゃなかったなぁ、手間かけさせたなぁ、とノーラはむしろ後悔すら抱いていた。
だが。やや、とドロワが目を見開く。
「これは……冒険者殿、我が村によくぞおいでになった」
「え?」
ノーラは一瞬目と耳を疑う。
村長は、ブライアンを上げたあとに、丁重にもてなしはじめた。
茶など出し始めて、何となく居心地の悪いノーラである。
なんか村長の反応に違和感がありすぎる。
いつもと全然違うような……と思って見ていると、すぐに何やら話を弾ませはじめるブライアンと村長だった。
「あ、あの、村長……」
「ノーラよ、おぬしは不審者扱いしとったようじゃが、こちらは本物の冒険者じゃ」
「は、はあ」
「村のものはまだあまり知らぬようじゃが、魔王が復活したというのも、どうやら事実のようじゃしのう」
へえ、としか反応できないノーラだ。
「村人には何もできぬし、不用意に混乱を招く発言はしたくないからそんなことは言わなかったがの」
「魔王、ですか……」
「モンスターが凶暴になっとる、というのもじゃ。村の近辺で言えば、森の中の『日の出の丘』があるじゃろう。あのあたりに空間のひずみがあると言われていて、そこからモンスターが出現しているのではないかという噂もある」
「え……日の出の丘に?」
日の出の丘は、モンスターの危険が今ほどじゃなかった頃に行っていたこともある場所だった。
「それも魔王の仕業とも言われておる。だから、勇者……、即ち魔王討伐を掲げる冒険者は、きちんと歓迎せねばならぬぞ」
うーん、とノーラ。
何かどうも、納得できない。
「でも、別にその人が魔王を倒したわけじゃないですよね、まだ。現状村に来ただけっていうか……。どういう人かも知らないし……」
「とにかく、冒険者殿にはできるだけ尽くさなければならん。そういう掟じゃ」
よくわからないが、なぜかこの冒険者に好きにさせなければならないということだろうか。
「で、冒険者殿はレベル上げがしたいんじゃったな」
「はい、まずは周辺でいくらか上げたいと思っています」
「あのー、それで、レベル上げって何なんですか」
「ふむ、ノーラもまだまだ勉強不足じゃの。要は、安全地帯のすぐ近くで行ったり来たりしながらモンスターを狩ることを繰り返すのじゃよ」
「……はあ? そんなことしてないで早く魔王を倒しに行けばいいのでは……」
本音が出ると、何を言う! とブライアンが口を挟む。
「レベル上げは必要なプロセスだろうが。冒険の基本中の基本だぞ! 戦って戦って、戦闘力を上げねばならんのだからな!」
なぜか怒られた。
だが、ブライアンの言葉で、また何となく村人の誰かが言っていた話を思い出すノーラだった。
――冒険者だけじゃなく、人はモンスターを倒すと経験値というものを得て、それがたまるとレベルが上がり、戦闘能力が上がる。
で、モンスターを倒せるような技能者は比較的高いが、ノーラを含め村人はもちろんモンスターなんかと戦えば高確率で命を落としてしまうため、大体においてレベルは1であるようである。
こんな話だったか。
さらに、レベルがあがると特別な力を得ることができるとかいう話もあった気がするが、細かくは覚えていない。
何にしろ村の生活に関係のない話なのだ。
「つまり、モンスターと戦って、強くなろうってことですか」
「そうだ、だから手伝って欲しいのだ」
「冒険者って、そういうのを自分たちでやるから冒険者って言うんじゃないんですか?」
素直な疑問を口にすると、彼はそこが難しいのだ、と言った。
「他に仲間がいればいいのだが、僕は一人だから、モンスターにやられれば即、死んでしまう。リスクが大きいんだ」
生々しい話を始めて聞いて、ノーラは少し黙る。
「だから、僕を村の外、モンスターが出るか出ないかの境界に連れていって欲しいのだ。それで、もし僕がモンスターに倒されたら、村の中まで運んでほしい。これで危険がぐっと減る」
「えぇー。いくら何でも、危険すぎませんか。ただでさえ村の人は外はめったに出ないのに。モンスターに会う危険があることをわざわざさせるなんて……」
「しょうがない、冒険者殿が言うなら、やるしかないのう」
「え、ええぇー!?」
村長が即断したので、ノーラはびっくりして詰め寄った。
「何でですか、村人に危険が及ぶんじゃ……」
「これも魔王退治のためじゃ」
魔王なんて見たこともないもののために、村人が危険にさらされるのは納得がいかない。
だが……村長はかたくなだった。
何がそうさせるのか全くわからない程だったが、とにかく決めてしまったらしい。
「って、その肝心の手伝いには、誰が行くんですか……」
面倒な仕事にゆかりのあるノーラは、まさかと思いつつたずねる。
すると村長とブライアンまでもがノーラをじっと見た。
ノーラは目をそらしたあとにしばらくして叫んだ。
「わ、わたしいやですよぉ!? モンスターの中に飛び込むようなまね……」
「じゃが、他に暇なものもおらんしのう」
「わたし、暇じゃないんですけど……仕事、いっぱいありますもん」
「とはいえ、中年男どもにできることでもないからのう。わしもほれ、この体じゃし」
「え、えええ……」
不満をあらわにするノーラ、だが……そう言われると、反論もできない。
「わたし? ほんとにぃ……?」
うんうんと二人が頷くので、ノーラはうなだれる。
またわたしかぁ、と思って、うううとうなっていると、それをしばし見ていた村長が思いついたようにぽんと手を叩いた。
「ふむ、確かにおなご一人にまかせるのは酷じゃろう。なら、ユーリを一緒に行かせるんなら、どうじゃ? あいつの仕事は中断させよう」
「!」
ノーラは、ぴたりとうなりを止めた。
自分で気付いて少し恥ずかしくなったが、本能的な反応なのだからしょうがない。
それからしばらく考えてから、渋々というような表情をわざと作って、言う。
「じゃあ、ユーリと一緒なら、いいですけどぉ」
屋外に出ると、村長宅と連なっている少し小さめの家の前で待った。
そこが、村長の言ったユーリの住んでいる家である。
少し待っているとドアが開いて、ノーラよりも背の高い少年が出てきた。
ノーラははっとして、少し背筋を伸ばした。
「ユーリ、こんにちは」
改まった感じで言う。
彼はノーラに気付くと軽く手を挙げて歩いてきた。
「やあ、ノーラ。何だか大変みたいだね」
同情の滲んだような表情で落ち合ったこの少年に、ノーラはかすかにだけ緊張したような顔を向けて、うん、と言った。
ブライアンにも、よろしく、と言っている彼を、ノーラはちらちらと見たりしていた。
ユーリは村長の孫である、十七才の少年だった。
さらさらの黒髪に高い背の、さわやかな男子だ。
村では異彩を放つルックスである。
何でもないような服装なのにどこかしゃれっ気もあって、一言で言って中々に格好がよかった。
そもそも村で唯一といっていい若い男なので、年齢問わず村の女性に人気があった。
ノーラからしても、若い男が大体出稼ぎにでている村にあって、同年代の男はこのユーリくらいしかいない。
そのために、必然的に彼にはちょっとしたあこがれがあった。
改めて事情を話すとユーリは苦笑する。
「断ればよかったのに、危険なのだから」
「いやあ、その、それができなくて……村長の頼みだし」
ノーラらしいね、とユーリは笑った。
「何なら僕だけでやってもいいよ。ノーラは、仕事に戻ったら」
「え、そんな。別に。……その、一度引き受けたし、やっぱりやらないと」
慌てて言うと、じゃあ一緒に行こうか、とさわやかな表情で歩き出すユーリだった。
ノーラは微妙な気恥ずかしさと共に、うん、と頷いて前を向いて歩き出す。
ユーリは、飛び抜けて素敵、という男性でもないはずだった。
ただ、物腰の柔らかい、まじめな青年なのだ。
ノーラは、ユーリは自分をどう思っているんだろう、と思うことはしばしばあった。
仲よくしているし印象が悪いとは思えないが……ただ、恋愛がどうこうと考えると、どうしても男の注意を一手に受けているマリアの姿が浮かんできてしまう。
今のところユーリはマリアにもノーラにも同程度に好意的に接しているはずだが、普通に考えればマリアの方が女性としては魅力的だろうな、とは思う。
マリアならユーリと一緒になってもしょうがないのではあるが……心持ちは何とも微妙であった。
「二人いれば安心だな、僕が倒れたときはよろしく頼むぞ」
一方のブライアンは相変わらずだった。
げんなりした顔になるノーラだ。
「本当にやるんですか、レベル上げとかいうの……」
「当然だろうが。モンスターと戦うことになったら近くにいてくれよ」
「ええぇ……」
モンスター、と改めて考えると、急に不安になってきた。
本当に引き受けてしまってよかったのだろうか。
モンスターでしょモンスター……と呟きながら、やっぱり帰りたくなってくるのだった。