冒険者
「じゃあ行ってきます、お父さんお母さん」
ノーラは両親に言って、にこりと笑った。
村の暦で秋季第一週のこの日、ノーラはいつものように早起きして、仕事に向かおうと家を出るところだった。
穏やかな物腰の父ジェフと、ジェフよりだいぶ若くてきれいな母クリスティーナが、いつものようにお見送りをしてくれた。
「まだ暑いから体調には気をつけるんだよ。父さんももう少ししたら農作業に向かうからね」
はーい、とジェフに笑顔を浮かべると、ノーラは服装を鏡でチェックして、髪を整えた。
「うふふ、大丈夫よノーラ、ちゃんとかわいいから」
クリスティーナが優しげにほほえむ。
ノーラは顔を赤らめてクリスティーナを見た。
「えー? そーお?でもお母さんの方がきれいだよ」
「まあ。ノーラの方がかわいいわ」
「ううん母さんの方が」
何回もやりとりを繰り返す二人。
ジェフが微妙に戻るタイミングを失ったようにしていると、ノーラははっとして、早くしなきゃ、じゃ、行ってきます! とドアを開け、畑の方に向かった。
へへ、と機嫌良く、頬に手をあてたりなんかして歩くノーラだった。
今日もいいことありそう、などと根拠のない期待に胸ふくらませていた。
るんるんとしてノーラは歩いた。
と、畑の途中にある建物の前でふと立ち止まった。
思い出したように見ているそれは、村唯一の酒場である。
派手な看板をつけていて、中の騒がしさを伝えてくるスイングドアの入口がある。
そこからちょうど一人の色っぽい女性が出てくるところだった。
彼女はノーラに気付くとあら、と足を止める。
「ノーラ、おはよう、うちに何か用?」
「あ、いえ、マリアさん。手伝いの通りがかりです。用事とかは……」
村でノーラの他の唯一の若い女性である、マリアである。
マリアは二十三才で、豊かに波打つ髪をした、大人びた美人だ。
スタイルがよく、出るところが出ている。
特に胸が凶悪な代物で、男の視線を集中させていた。
「今日も、人、いっぱいいるみたいですね」
「ええ、まあね。うちって、結構人気だもの」
酒場は主人であるマリアの父が醸造した酒が人気、ということで常に人がいる。
今日も朝からそれなりに入っているようだ……が。
実際、酒よりは娘のマリアが人気なのだというのは村民の共通認識だった。
改めてノーラはマリアの胸部を確認する。
すると、た、確かに、と言いたくなるようなものでノーラはたじろいだ。
服装もドレスのようなワンピースで、髪には飾り物、顔は薄化粧、と、シャツとスカートとエプロン常備のノーラに比べて明らかに垢抜けていた。
村の男はこの胸とスタイルと顔と声といろいろなものにやられてマリアにくぎ付けなのだ。
そのせいかどうか、ノーラがやりたくないようなキツイ仕事まで、マリアをスルーして大体ノーラに回ってくることが多い。
まあ、別にいい。
仕事のことはいいのだ。
でも、マリアがそれを知っていて放っているのは微妙に憎たらしかった。
それにマリア、そういう扱いを受けているからしょうがないのかも知れないが、ちょっと高慢な部分もないではなかった。
マリアは長身からノーラを見下ろしつつ、少し髪をいじくると笑みを浮かべた。
「ねえノーラ、あなたっていつも、私の胸を見ているわよね」
「へっ!? べ、別に見てませんよ!? あの、そんな……」
「それに、胸だけじゃなくて、腰とかそれに顔とかもそうよ。そんなに私が気になる? スタイルを比較して、気にしているの?」
ぐっ。
思いきり図星を指されたノーラは黙る。
違う、というのも負け惜しみのようでなんかイヤだった。
マリアはそんなノーラの思いを知ってか知らずか、優しげにノーラを上から下まで眺めた。
「心配しなくても平気よ。きっと、ノーラもじきに大人っぽい体型になるわ。それに胸だってきっと大き……」
言いかけたところで、マリアはノーラの平均よりかなり平らかな胸を見て噴き出した。
「ぶふっ……く! きっと胸だって大きくなるわよぶふっ!」
今笑った! 確実に笑った!
何事もなかったかのような顔に戻ったマリアに、ノーラは真っ赤になってむぐぐと拳を握るが、何とか抑える。
悪い人ではないと思いたい。
いや、実際性格が悪いわけでないのは知っている。
でも、近年明らかになってきた体型の成長の差はいかんともしがたい。
「じゃあ、私お酒を運ばないといけないから」
ひらひらと手を振って歩き出すマリアだったが……どことなく胸を強調して歩くのを見て、んぐぐ、とノーラは怒りを押し殺すばかりだった。
と、そこでマリアは振り返った。
「あ、そういえば知ってる? 冒険者用の看板を立てようって話になっているんだって」
「……何ですかそれ?」
「あらやっぱり知らないの。肉体労働系だからノーラが知っているのかと思った」
むっとするノーラだが、気付かずマリアは続けた。
「私もよく知らないんだけど、村にたずねてくる人用なんですって。村長か誰かの発案らしいわよ。この村に人なんてめったにたずねてこないのにね」
ノーラもちんぷんかんぷんだった。
「冒険……?」
わけもわからないままに話を打ち切られてよくわからない。
まあいいか、とノーラはとりあえず仕事に向けて歩き出した。
昨日に引き続き畑に入ったノーラは、昼前まで収穫作業をした。
で、日が中点にさしかかったところまで働いて、休憩しようと手伝いの家から出た。
エプロンをし直すと、はあー疲れた、お昼ご飯、お昼ご飯! と村の中を歩く。
畑が多くある一角から抜けて、家のある南の方向に、村と外を隔てる柵沿いに進んでいたが……そのとき、ノーラはふと歩みを遅めて前方を見た。
人影があって、そこでとどまっているのが見える。
ノーラは本能的に警戒して、少し離れたところで止まってその人を見た。
不審な人影だった。
若い男のようで、村にはまずいない出で立ちである。
ずっと見回していたり誰かを捜すようにしたりしている。
背中に一本の剣を装備した、旅人風のマントを羽織った若い男であった。
商人という感じでもないのに、村に用がある人間なんているはずもない。
ノーラは誰かを呼ぼうと思ったが、周囲には誰もいなかった。
まあ、この狭い村で悪いこともできまいと、ノーラは観念して自分が近づいた。
「あのう……」
はっ、と彼は気付いて、ノーラのほうを向いた。
「おや……君は村人か」
彼はやっと見つけたというような顔をした。
思ったより若い、ノーラより多少上くらいの少年である。
が、だとすればなおさら怪しくもある。
「村人を捜していたんだ、僕は」
「はあ、あなた誰です?」
少年は、よくぞ聞いてくれた、というように、ふんとマントを翻した。
「僕は冒険者だ」
「冒険者?」
「ブライアンという名だ。よろしく。はるばるこの村までやってきたのだ」
はあ、とノーラ。
冒険者……そういえば、朝にもマリアにそんなことを言われたなあと思った。
何なんだ冒険者って? と考え込んだところで、あ、そういえば、と何か思い当たるような気がした。
確か、最近村のどこかで誰かが噂していたっけ?
何と言ったか……。
「ええと、冒険者って、あの、昨今モンスターの増加に伴って現れた職業、っていう?」
モンスター退治やそれに伴うアイテムなどで稼ぎ、町によっては支援を受けることがあるらしい。
そんな断片的な話を思い出す。
彼はさも意外そうに言った。
「何、君は冒険者に会ったことがないのか」
「まあ……はい」
「なら覚えておいてくれ。僕が魔王を倒すことになる冒険者、いや勇者のブライアンだ!」
「魔王?」
「魔王を知らない? 正気か。勇者とは、モンスター退治だけでなく、最後には魔王討伐をすることになる人間なんだぞ」
「ああー……魔王討伐」
と、そこでやっとちょっと納得したようになるノーラだった。
人を襲う怪物――モンスター。
それは元々、村の外の平野や森にはいたが、ここ最近になって数が増え、凶暴さも増している。
そういう噂が、最近村人の間でも話されていた。
で、そのモンスター凶暴化は、昨今復活したと言われる魔王によるものと考えられている、らしいのだ。
魔王は古代、世界に君臨して人びとを恐怖に陥れた魔の存在、と言われていて、歴史の一つとしてはノーラも知っていた。
一応、古代にその魔王を勇者が倒した、などとという話も聞いたことはあるが……そもそも、大体がおとぎ話のようなものと思っていたが。
「要はそれを倒すのが冒険者?」
「冒険者というか、勇者だ」
「どっちでもいいですけど……」
顔をゆがめるノーラ。
平和な村に住むノーラには、どうも、勇者だとか、魔王を倒すなんてどうも非現実的でバカげているように感じられる。
モンスターを倒す、まではまだわかるが……魔王とは。
ほぼ考えたことすらない概念だ。
まあ、要は腕っ節で稼いでいる人たち、ということなのだろうが……それにしても、その種の人間に村で会ったのははじめてだ。
不審者には変わりないし、ある意味で非常事態である。
ノーラは考えつつ言う。
「で、うちの村に何しにきたんですか?」
「勇者なら、中途の村に立ち寄るのは当たり前じゃないか」
「? よくわからないんですけど。……村に立ち寄るって……はるばる来たんじゃないんですか?」
「ふむ。つまりね、この辺のモンスターは町の方面とかその先に比べると弱いだろう。だから早い段階で立ち寄る村という認識なのだ、ここは。城などへ向かう道からは多少外れているが、町は近いしね」
……何を言っているのかよくわからなかった。
「モンスターが弱いだのとか、どういう意味かわかりませんが……あの、でもわざわざ立ち寄ってもらっても、この通り、ここは何もない村ですよ。お客さんをもてなせるような場所じゃないんですが」
ブライアンは心外とばかりに顔を向けた。
「何を言う、この村はな。古代魔王が君臨したときに、それを討伐するために世界を旅した勇者が、討伐前に長い間逗留した場所、としての伝説も残っているんだ」
「はあ……?」
「一部の冒険者にはそういった伝説の村、または聖地として認識されている面もあるんだぞ」
「そんなのはじめて聞きました。本当に、ただの村ですよ」
「勇者が未来の魔王復活のため、魔王を討つ遺産を残した場所とも言われているんだぞ。僕も魔王を近々倒すものとして、訪れておきたかったのだ」
「そんなこと言われても……わかりませんよ。何もない村なのは事実ですし」
勇者云々など聞いたこともない。
村人の誰だって同じだろう。
大体がずっと古代の話だろうし、そんな話をする人はいない。
ブライアンはしかしそこは認めてうなだれた。
「それに関してはそうかも知れない。ただ村人が日常を過ごしているだけの村のようだ」
がっかりしたように言う。
だがすぐにきっと顔を上げてノーラを見てきた。
「だが目的はもう一つあるのだ。――実はレベル上げをしたいのだ」
レベル? ノーラはまた聞いたことのあるようなないような言葉に、顔をしかめる。
「実はまだ弱くてね。数回モンスターと戦うと体力がなくなって危険だから。安全地帯の近くでしばらくやりたいんだ。町の武闘会にも出たいし……。僕は一人でパーティもないから、手伝って欲しいのだ、村人に」
「え? モンスターと……ええ、と。その」
ノーラは瞬間的に、こりゃ駄目だと思った。
会話が通じない上に、どうも危険な香りがする。
それに自分ばかりしゃべって、どうやらあまり親しみの湧くタイプでもない。
こういう時は一人で対処しないで、村の長に相談するというセオリーがある。
それにのっとって、村長宅に連れて行くのが一番だと判断した。
「あの、すみません。私の一存じゃ何とも……。とりあえず村長の家に行きましょう」
「おお! そうか、そうだな、何はなくとも村長の話を聞かなくてははじまらんからな!」
ブライアンは予想外に嬉しそうに頷くと、喜々としてノーラの後についてくるのだった。
ノーラは何が何だかよくわからなかった。