最強の騎士
ノーラは舞台への扉に手をかけたまま、ううう、と歩み出せないでいた。
舞台は準決勝。
ノーラ対ローレンスの選手入場の合図は既に出ていて、観客も大いに盛り上がっていたが……ノーラは動けない。
まだ相手のローレンスも出てきていないみたいだし、いっそこのままダッシュで舞台から逃げてしまおうか、などと考えていた。
うん、案外それはいい考えかもしれない、よしどのタイミングで全力疾走しようかなぁ……とまじめに考えていると、どん、と体を押された。
つんのめるようにして外に出ると、そのままバン、と扉は中から勝手に閉まってしまった。
「ああぁっ、ちょっと!」
ドアに叫ぶが微動だにしない。
きぃぃいいい、と声をあげていると、一段高いところから選手は早く舞台へ、としびれを切らしたような声が聞こえてきた。
観念する気持ちで、とぼとぼと前に出て行くしかなかった。
石造りの舞台に踏み込むと、相変わらずのエプロン姿に、初戦の雄志も思い出してか、やはり最初は様々な感情のこもった視線を浴びるノーラ。
何だかもう恥ずかしかった。
と、向かい側からもようやく相手が出てくるところだった。
すた、と現れて舞台に上ったのは……銀色の鎧騎士。
ローレンスだった。
サミー並みに大きいが体は細身だ。
全身をくまなく頑丈そうな鎧に包んでおり、顔もフルフェイスの兜に包んで表情がうかがえない。
そして手に信じられないくらい鋭利そうな長剣を持っている。
ローレンス、ローレンス、という歓声が沸く。
ローレンスが剣を振り上げて天にかざすと、おおおお、とざわめきがひときわ大きくなる。
優勝候補というのは本当らしい。
実際、剣を振る動作も異様に機敏で、強い、というのは見ただけでもわかった。
運営側にしてもそういう意識があるのか、ローレンス登場にたっぷり間を使ってから、鐘を鳴らした。
『ノーラ対ローレンス、試合開始!』
はじまってしまった。
あ、あわわ……と、どうしよう、と震えていると、ローレンスは素速い動きで剣をびしっとノーラに向けて、男性の声で語りかけてきた。
「私は西大陸の騎士、ローレンス。修行の旅でやってきてから、何度か武闘会で優勝させてもらっている。どうか互いにいい試合をしようじゃないか」
「……は、はあ」
何と答えたものか迷ってしまうノーラだった。
するとローレンスは、今更ながらノーラの村娘然とした格好に気付いたようになって、一瞬黙ったが、すぐに口を継ぐ。
「全くの丸腰とはな。徒手空拳で力を発揮する格闘家か? だが私はそんな相手とも腐るほど戦ってきた」
「は、はい……って違います!」
何となく頷いてしまったが、びっくりして首を振った。
動き出しそうになっていたローレンスを制する。
「ま、待ってください!」
「何だ」
「いや、あの。えと。わたしは格闘家なんかじゃないんです」
ゆっくり話そうと努めて、ノーラは慎重に言葉を発した。
焦りつつも、ノーラは決めた。
さっきのトンプソンと違い、このローレンスはどこか紳士的な雰囲気がある。
もしかしたら話が通じるかもしれない。
「しかし、おぬしは武器を持っていない。格闘家ではないのか」
ノーラはさっきと異なり、棍棒を用意する余裕すらなかったため完全に非武装だった。
「あ、いや、あの。これは違うんです、……装備してくるの忘れちゃって」
てへっ。
笑うと、しかし兜ごしにもローレンスが何だが不機嫌になるのがわかった。
「おぬしは何を言っているんだ? 忘れるわけがあるか」
「い、いやしょうがないじゃないですかぁ! 忘れちゃったんだもん。だってそもそも、私装備が必要な人じゃないですし。……村娘で、武闘会に来ちゃったのだってたまたま、アクシデントで……」
「準決勝まで勝ち上がったのはおぬし自身だろう?」
「だから、それもアクシデントでぇ……」
「おぬしが言っていることがわからん」
ず、とローレンスは一歩詰める。
わあっと叫んで、ノーラは後ろにジャンプした。
「ほんとなんです! そうそう、この試合も、すぐに降参するつもりだったんですぅ!」
それでローレンスは黙った。
「あのその、わたしみたいなのじゃあなたのような騎士には絶対敵わないしぃ、だから、はじめから戦うつもりもなくて……」
涙目になって必死にまくし立てていると、ローレンスはしばらく言葉を発さない。
もしかして理解してくれたのだろうかとノーラは思ったが……彼は剣を下げていない。
「なるほど、それがおぬしの戦法か」
「へ……」
「そういえばトンプソンとかいう男が言っていたな。油断させるようなことを言われたと。残念だが、私にはそんな言葉は通じないぞ? 降参すると言っておいて相手の寝首をかくようなまねはな。――この卑怯者めっ!」
驚くほど機敏な動きで、だんっ! と跳躍して進んでくるローレンス。
ち、違いますぅ! とノーラは驚いて逃げ出したが、ほとんど一瞬のうちに追いつかれた。
「私は卑怯者は嫌いだ。全力で討ち取ってやる」
「ひきぃいーーー!」
変な声が出ながらも別な方向に駆け出そうとするノーラだったが、それより早くローレンスは疾風のように長剣を振るった。
びゅう! と空を切る長剣――だがノーラがたまたますっ転んだので直撃は免れた。
それでも、袖とその下の皮膚が少し、真一文字に斬りつけられていた。
「い、いたたぁっ!? もう少し加減してくださいよぉおいやあああ!」
「武闘会をなめるな。加減して勝負になるか!」
ローレンスはがちゃっ、と鎧を鳴らしながらすぐに踏みだした。
長いリーチを活かして、袈裟懸けに長剣を振るう。
「わあああん!」
涙目で半狂乱になりながらノーラはよけようとしたが、これも完全には逃げられない。
ずばっ! とスカートの端が切れ、その下の足からも少し血が滲む。
「いたいいたいっ! ほんとに本当に、戦う意志なんてないのにいぃ!」
「まだ言うか!」
「だって本当に、流行病で六人も倒れたからたまたま準決勝に来ただけ……」
「六人倒れただけで準決勝? これだけ出場人数がいてそんな都合のいいことがあるものか!」
「いやトーナメント表見てくださいよぉお! そうなってたでしょぉおおお」
「私は表など見ない。ただ目の前の敵を倒すだけだ」
「ええええぇえん、もう、バーカバーカあ!」
ノーラは叫声を上げながら、手近にあった石をローレンスに投げつけ、ついでに逃げる。
かん、かんと鎧にあたる石に、彼はうっとうしげにしつつも、誇らしげに胸を張る。
「そんな攻撃が私に通じるか。特別、物理防御の高い鎧をわざわざ選んで来ているからな。ちなみに炎の魔法にも強い」
「何ですかそれ、ずるい!」
最悪、いざというときにフレイムを使おうとしていたノーラは愕然とした。
「ずるいことがあるか。どちらかといえば人をだまそうとしたおぬしの方ずるいだろう」
と言う間に距離を詰め、今度はノーラの顔の近くを剣先がかすめた。
ぴっ。と、頬に傷が走る。
「ひ、ひぃ」
どだ、と座り込んで、さすがに、恐怖に表情が歪むノーラである。
直撃していないせいもあるのか、確かにサミーの言っていたとおり、一撃一撃にそれほどの威力はないようではある。
だがこのままじゃ結果は知れていた。
ローレンスもそう思ってかどうか、じれったそうにした挙げ句、剣を少し引いてこれまでにない構えをした。
まわりが少し静まり、ノーラはそれに怖いものを感じる。
と、ローレンスが低い声で言う。
「もう、いいだろう。そろそろ、かたをつけようではないか」
「か、かた、とは……?」
「私は卑怯者が嫌いだ。曲がりなりにもずるいと言われて終わるつもりはない。だからこれからすることを教えてやろう」
「へ? な、何です……」
「一撃の下に切り捨てる私の技だ。大体の敵はこれで倒してきた。『肉を切らせて骨を断つ』という名で、刺し違える覚悟で相手を一刀のもとに倒す必殺技だ。――今からお前に突撃する」
「や、やめてくださいそんなの!」
とんでもないと慌てるノーラだが、ローレンスは構えを解かない。
ノーラは立ち上がって場所を移動しようとするが、しかしローレンスが舞台の中心にいるので、どこにいってもローレンスが方向を変えるだけで目標が定まってしまうようだ。
あわあわしているうちに、ぎり、とローレンスが足に力を入れる。
「私とあたったことが不運だったとあきらめろ」
「い、いやーだー!」
ノーラはろくに体勢も取れず、涙目でじたばたするしかなかった。
ローレンスはぐっ、と足を踏みしめ、その直後、高速で跳躍、突撃してきた。
ぶおん!
風の音すら聞こえてきそうで、瞬間的にノーラは、とてもよけられるものには見えないと思った。
「きゃあああ!」
「さらばだ、貧乳の少女よ、自分の無力を呪え!」
ああああ、と悲鳴を上げていたノーラは、急にぴきっと固まった。
今にも自分を貫いてきそうな位置に来たローレンスに、瞳孔の開いた目を向ける。
「……たし、あります」
「……何?」
「わたし胸ありますぅうううううううぅ!」
「え? え、いやしかし……なっ!?」
ノーラの言葉に今日一番の困惑を見せたローレンスが、さらに驚いた。
ちょうど剣がノーラに突き刺さりそうになる直前、ノーラが左手を突き出していた。
レベル3になって覚えていた魔法をはじめて使うため、フレイムを使うのとは別の手を本能的に前に向けていたのだ。
「普通かそれよりちょっとないくらいですうぅううううう! えあかったぁあああっ!」
涙目で言うと、ノーラの左手に魔力が集中した。
瞬間、強烈な勢いで風の刃が出現してローレンスを捕らえた。
風属性の下級魔法、エアカッターである。
驚いたローレンスは――ザザザザッ!
無数の刃をもろに喰らった。
刃が鎧を傷つけ、さらに鎧の隙間から中に侵入してローレンスの本体にダメージを与える。
「ぐああああああああっ!」
叫んで、風圧に吹き飛ばされるローレンス。
突進してきたのとほぼ逆方向の上空へ舞うと……どざっ。
そのまま舞台上に倒れて、動かなくなった。
しん、として、徐々にざわめきが立つ。
はっ! とノーラが気付いて、おそるおそる近づくと……ローレンスは倒れたまま、兜が外れて顔があらわになっている。
何となくイメージ通りの、頑強そうな青年であった。
「くっ……やられた、な。まさか、『肉を切らせて骨を断つ』の弱点を突いてくるとは」
「え? 弱点?」
「捨て身の攻撃であるが故に、技の途中は物理・魔法防御がゼロになることに気付いていたんだろう? 代わりにこちらも防御無視の攻撃ができるが、してやられたな」
「い、いや……別に」
「しかも、この鎧がちょうど風属性にだけすごく弱いことを見抜いていたとは」
「え、えぇ?」
「魔法使いが出てくることが少ないからとはいえ、この装備は失敗だったな。戦い方も悪かった。……真に油断していたのは、私の方だったのだな」
ノーラは彼の言葉が理解できなかった。
とりあえず、傷だらけの体を見て、心配げに見下ろした。
「あ、あのぅ、大丈夫ですか?」
「ここまで大ダメージを受けて、さすがに動けないさ。おめでとう、おぬしの勝ちだ」
するとざわめきが徐々に大きくなり……見る間に大歓声になった。
こりゃ大事件だ! とか、ローレンスが負けた! とか声が飛び交っている。
え、え、とノーラは困惑して見回すが、壇上から決定の声が響いた。
『決勝進出者、ノーラ!』
ノーラは、まわりを見回してから血の気が引いてきた。
「ち、違う。あの、わたしじゃない! いやああああ!」
だがあまりの盛り上がりに、観客席から出てきてノーラをもっと近くで見ようとする人まで出てくる始末だった。
ノーラは彼らから逃げて叫んだ。
「いや、決勝なんか出ないですし、わたし!」
すると控え室の方からサミーが出てきて、ノーラの肩を叩いた。
「すげえじゃねえか嬢ちゃん。ローレンスを倒しちまうとはね」
「い、いや、サミーさん、これ、偶然なんです、あの人が勝手に……」
「偶然だろうが勝ちは勝ちだよ。それにしても俺も勝てなかったローレンスを倒しちまうんだから、もう嬢ちゃんとは言えねえな。ノーラさんとでも呼ばないと」
「それだけはやめてくださいお願いします!」
必死で訴えるノーラだった。
が、このあとが一番心配である。
決勝、と考えるだけでも冷や汗が出てくる。
ごくりと唾を飲んだ挙げ句、ノーラは一つの結論に達した。
ざわめきが止まらない中、控え室の方向に駆け出した。
「もういやああ帰るうう!」
そう言って、単純に逃げようとした。
そしてすぐに捕まってしまった。
ノーラはすぐに決勝の舞台に駆り出された。
控え室からの出口は閉まっていたし、決勝戦を期待する声がまわりで高まっていたためにどうしても逃げおおせることができなかったのだった。
再び観客が見守る中、ノーラは、敵と二人だけの舞台に立っていた、のだが……。
ノーラの前に立ったのは、ローレンスほどではないがそれなりに武装して強そうな男だったが……この男、ぶるぶると震えて顔が青ざめていた。
そしてノーラが不審げに眺めている中、鐘の音もならないうちに、武器をぽいと捨てた。
「やっぱり無理だ!」
「は?」
「ローレンスでさえ強えのに、それをあっさり倒した化け物なんかと、戦えるか!」
言って、彼は青い顔で控え室の方へ逃げた。
ドアを叩いて棄権だ棄権、と叫んだ。
「何、まわりの評判? 知るか! 命が一番大事だ!」
言って、開いた控え室にダッシュで消えて行く。
観客が一斉に静まった。
運営の人間が何人かせわしなく動きはじめ、舞台に一人のノーラは、所在ない。
きょろきょろしながら、事態を把握しようとした。
「え、あの、な、なあに?」
そのうち運営の一人が戻って、ノーラしかいない舞台で言った。
『冒険者ヨシュア、棄権。戦意喪失で戦闘不能のため、ノーラの勝利!』
最初困惑げだった聴衆だが……それで、徐々におおおと歓声に変わる。
そのうち大歓声になり、ノーラをたたえるように明るい声に満ちた。
ノーラ! ノーラ! と大合唱で、ローレンスに変わる真勇者の誕生にわき上がった。
ノーラが口をぱくぱくさせていると、観客席の高い壇上まで続いている階段から、壮年の男性が下りてくる。ノーラに会釈した。
「主催者のフィルトラント町長、ムントです」
「え、町長」
「あなたがこたびのフィルトラント武闘会の頂点、優勝者だ。おめでとう」
と握手をしてきた。
ノーラは少し黙ってから絶叫した。
「優勝!?」