フィルトラント
大きな門をくぐり抜けると、村の何倍もの広さがある、フィルトラントの町並みが広がった。
石畳の町の中に入ると、ノーラは思わず身を乗り出すように見る。
村よりも狭い感覚で立ち並ぶ、モダンな作りの家々。
人並みで賑やかな広い街路。
その脇に敷物を広げて商売をしている露店の人びと。
活気のある町中に入っていくと、行商と別れて一人町を見回した。
「わあやっぱりすごい!」
胸に手をあてて、街路の中央で軽く感動に浸った。
村を出発してからおよそ一日半。
この日の夕方にやっと町に着いたのだった。
ノーラとしてはかなり久しぶりの町だ。
「はあ。やっぱり町って、町だなあ。人の住むところだなあ」
それからノーラは町を眺めながら、宿を探した。
さすがに外からたくさん人が来るのが当たり前なのか、宿はいくつも見つかった。
とはいえ、滞在する以上は高いところは無理。
見つけた中で一番の安宿にすることにして、その『ガチョウ亭』という宿に入った。
部屋は狭かった。
安宿にふさわしい、ベッドしかないような木造の部屋だが、それでもまあ、居心地はよかった。
むしろ、村の家よりはいい程である。
それで安心して、まずは風呂に入ってベッドで寝た。
そして、次の朝。
鐘の音と共に飛び起きると、すぐに身支度をととのえて、顔に喜色を浮かべるノーラだ。
「よーし! 町に出よう!」
町は広く、いろいろな施設があるようだったが、まずは露店を眺めることにした。
露店通りと化している一角に入ると、すぐにがやがやと人の声が大きくなった。
活発に売り文句を言っては、客を呼び込もうとしている老若男女の店員が快活だ。
こっちのパンは安いよ、とか上等の鶏を売るよとか、町で流行の織物だとかいう言葉が飛び交っている。
「見てるだけで楽しいな。あ、すみません。そのパンください」
ノーラは、歩きざま、まずは衝動的に購入した。
紙袋に入れてもらって、とりあえずはそれを持ちながら眺めることにした。
そうしていると、自分の格好と行動に、ああ……なんかわたし、村娘、っていうか町娘してる? とよくわからない満足感を得て、気分が高揚した。
金属や木材などで作った飾り物がある店があった。
村にはない雰囲気の店なので、立ち止まって眺めた。
だけでなく、紙袋を片手に、飾り物を手に取ってみる。
一応ノーラも女の子であるので、かわいいなぁこれ、と思って眼をきらきらさせた。
髪飾りを試しに髪につけてみて、置いてある鏡に映す。
「何かいいかも……」
これならもしかして、ユーリも少しはかわいいと思ってくれるのでは……などと思ったが、途中で少し落ち込んだ。
こんなことしてユーリに大きな変化が現れるとは思えない。
大体、今はそんなことはどうでもいいのだ。
ユーリやらマリアやら村のことは忘れるためにここにきたのだから。
飾りを棚に戻すが……露天商のふくよかなおじさんが、おやとノーラを見る。
「お嬢ちゃん、いいのかい?」
「ええ、すみません」
少し残念な気もしたが、元来必要のないものだ、と思い至っていた。
他のはどうだい、と勧められたが、それもいいえと断った。
悪いかなぁ、と思ったものの……別段、おじさんは気にもしていないようだった。
にこりと笑ってノーラに言った。
「まあお嬢ちゃんは若いし、何より元々きれいだから髪飾りなんてつけなくても、見た目に損することはなかあね」
「えっ。……」
ノーラは、ぴくりとして、一瞬耳を疑ったように固まった。
それから言葉を反芻して、よく考えてから聞き返した。
「すみません、今なんて……?」
「え? いや、だからお嬢ちゃんはきれいだから――」
「もう一回」
「うん?」
「もう一回言ってください」
「……お嬢ちゃんはきれいだから――」
「もう一回」
「きれい……いや何回言わせるんだよ」
不可解そうな顔をしたおじさんに、す、すみませんとノーラはちょっと恥ずかしげに謝ったが……なんか、変な気分だった。
おじさんの言葉が信じられない気がしたのだ。
え、わたしってそうなのかな?
などと、にわかに興奮した、浮ついた気持ちが生まれてきているのだった。
いやいや、商人が商品を買わせるために上手いことを言っただけなのだろう、とすぐ思い直す。
村にくる商人でもたまにやることだ。
ノーラは笑って返した。
「おじさんたら、上手ですね、ふふ」
「お嬢ちゃんがきれいなのは本当だがね。まあ、また気が向いたらよってくれよ」
「またまた……」
と言ってノーラも店からゆっくり歩き出すが……そんなそぶりをしつつも、妙に顔から喜色が湧いていた。
何だろうか。
そういえばよく意識してみると、ここにきたときから、男性の視線が結構集まっているような気もする。
そう考えると、おじさんの言っていることも、あながちお世辞じゃないのでは、という気になる。
ノーラは背筋を伸ばしてとことこっと歩いた。
そして、建物の大きな窓ガラスを見つけると、すっと近づいて、鏡代わりに、そこに映る自分を見てみた。
顔の角度を変えて見て、さらに、斜に構えてポーズを取ってみてから……呟いた。
「わたしって――もしかして、結構いけてる?」
村で同じことをしていたらまず心配されるレベルの言動だったが、幸いに町の騒がしさと人波に、ノーラの行動も埋もれていた。
ノーラはポーズを解くと髪をさらさらっ、と整えて、それからようやく歩き出した。
露店通りはとりあえずまた後で行くとして、別の通りに向かうつもりだった。
だが……その前に今度は、不意に男に声をかけられた。
「すみません、そこのきれいなお嬢さん」
と手をさしのべながらノーラに並んできたのは、若い男だった。
二十代ぐらいの、小綺麗な服をまとった、身なりの整った男だ。
「……えっ? わたし? 何?」
きょろきょろとしたあと自分だと気付いたノーラは、びっくりして自分を指す。
優雅に頷いた男は、ノーラの歩きが止まると、前に出て笑みを浮かべた。
「もしよろしければ、僕とお茶など、どうですか」
「え……お茶。わたし?」
「ええ、その。かわいらしいお嬢さんだと思ったので、つい声をかけました。町の娘じゃないんですね。この町では、きれいな人は誘うのがマナーですからね」
そんなことを言って、ですからあなたに声をかけましたとまた笑った。
ノーラは、そこにいたって、ははぁ、とようやく気付いた。
噂に聞くナンパである。
確かに、よく見れば軽薄そうな、よくそういうことをしそうな感じの男だとすぐに気付いた。
だが、ノーラはそうと気付いても不快そうな顔をしなかった。
ついて行ったりする気はないが、にやにやと、あふれ出てくる笑みが抑えられないのだった。
「えっとぉ、わたし、用事があるので……」
一応言うと、男もそうですか、と残念そうにする。
「だが、あなたのようにきれいな人と会えたのも何かの縁。今度会ったときはぜひ」
彼はそういって、花を一輪取りだして、ノーラに渡した。
それにまたぴくりと反応するノーラだった。
「もう一回言ってください」
「え? ああ、えと、あなたのようにきれいな――」
「もうやだー! そんなに言われたら照れるじゃないですかもー!」
ドンッ! とそこで一人で顔を赤らめて、男を突き飛ばすノーラだった。
「うわあああぁ――」
レベル3の強さも相まって男は吹っ飛ばされ、がっしゃんごろごろ……と路地裏まで転がって消えたが、ノーラは気にしなかった。
というか気付かなかった。
歩き出しならが、にっこにっこと笑みを浮かべて、いい気分だった。
「はあ。町っていいところ」
これだこれだ! と、周囲からの自分の扱いに満足しきっていた。
これが本来の女子供の置かれるべき状況なのだ、と。
ああ、一人のうら若き娘として扱われることの何と甘美なことか!
そしてそんな調子で一日を終えると、次の日も上機嫌に町を散策し、次の日も次の日も……というように、ガチョウ亭に泊まりながら町の闊歩を続けるのだった。
ノーラはこの日も町の中を歩いていた。
露店だけじゃなく、大道芸人がいたり芝居小屋があったり、長い間いても飽きないのだ。
結構な日数が経過していたが、ノーラは町歩きをこうして毎日継続していた。
この日は食堂や酒場のあるあたりの通りを見ていた。
「町は酒場も大きいなぁ……」
何とはなしに呟きつつ歩いているノーラだったが……ふと、前方で数人のちょっとした騒ぎがあるのが見えた。
酒場の真ん前だ。
中年のおじさんが酒場に入ろうとして、それを周りにいる同年代くらいの男たちが押しとどめている。
「ほら、ロイ。こんな時間からまた飲んでばかりで、いい加減にしろって」
だがおじさんは周りの男を振り切って、うるせえ! と酒場に入ろうとする。
「別にいいだろうが! 飲もうが飲むまいが、俺の勝手だ」
そんなふうに叫んで、また男たちともめはじめる。
どうやら中年のおじさんが酔っぱらってて、周囲が手を焼いている構図らしい。
村にも悪酔いするおじさんはいるが、町でもそれは変わらないようだ。
迷ってから、早足に通り過ぎようとしてみたが……そこで酔っぱらいのおじさんがノーラに目を留めて、男たちを振り払って前に出てきた。
ノーラはびっくりして立ち止まる。
「きゃっ」
「……ほお。この辺にこんなきれいな娘がいたか? なあ、俺と一緒に飲まねえかい?」
きれい、という単語に一瞬反応するも、ノーラはとりあえず冷静になった。
「えっと。すみませんが……わたし、そういうのは……」
するとまわりの男たちが近くに来て、急いで酔っぱらいを抑えようとする。
「すまんねお嬢ちゃん。おい、ロイ、さすがに見過ごせないぞ」
言っておじさんをどこかに連れて行こうとする。
だがおじさんの方も激しく暴れた。
「やめろ! おい娘っ! 俺と酒が飲めんと言うのか!」
どさくさにノーラの腕を掴んで引っぱろうとしてきた。
もーやめてよ、とノーラは段々苛ついてくるが、男は離そうとはしなかった。
思わず本能的に手か足かもしくは魔法が出そうになった時……おじさんの首根っこが掴まれて持ち上げられた。
ノーラはびっくりして見上げる。
うわっ! と驚くおじさんを軽々と持っているのは、筋肉隆々の大男だった。
「若い娘に絡むなんて感心しねえぞ。飲んだくれのおやじ」
言うが早いか、ぶんっ、と軽々とおじさんを放り投げた。
かなりの距離を飛んで、おじさんはどむっと地面にたたきつけられる。
おお、と周囲の人が声を上げる中、おじさんは顔を上げると大男の迫力に息を呑んで、慌てて逃げていった。
一瞬のことで、ノーラは少々ぽかんとした。
はっと気付いて、大男の方を見る。
一応助けてくれたわけだし、頭を下げた。
「あのありがとうございまし……え?」
しかし途中で、驚いて言葉が止まる。
ノーラを見ている、大男の方も驚いていた。
「もしかして、テトラ村のあの嬢ちゃんか?」
「洞窟の時の勇者さんたちの、格闘家のサミーさん?」
偶然目の前に立っていた大男は、あの勇者パーティの武闘家、サミーであった。