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見晴らしの良い丘の上から、ハルバーンの街並みが一望できる。涼風が体を優しく撫で、草が舞えば鳥たちのさえずる声も心地よく。
椿が産んだ子供のフィレオニスタと旦那のタシュバ、義理息子のエルザードを連れて、花を手向けて話しかけた。
タシュバが蝋燭に火を点ける。
ゆらめく炎が視界いっぱいに広がり、静寂が辺りを包み込んだ。
「初めましてにょ、リンディさん」
椿はタシュバの腕の中から降りて、墓前に丸い手を合わせる。前妻のリンディさんにはきちんと報告したかった。
「日本という異世界からやってきた、山田椿と申しますにょ。あ、椿が名前で山田が性ですにょ。みんなからはツキと呼ばれてますにょ。今日、リンディさんに報告しに来たのは、私がタシュバの妻となったからですにょ……その、エルザードくんからはちゃんと認めてもらえました……にょ」
少し緊張している。
震えた声で喋ると、タシュバに頭を撫でられた。
「俺の妻となり、エルザードとフィリーの家族となって一家を守ってくれてるんだ。俺は、ツキを愛してこれからも共に過ごすことを誓う。リンディには、口できちんと説明しなければいけないと思って墓参りに来た」
そよそよと風が吹く。
ピンク色の垂れ耳もそよぎ、愛息子のフィリーと義理息子のエルザードも告げた。
「僕は竜騎士養成の実習中に、ツキお母さんと出会ったんだ。強くて、可愛くて、涙もろくて。ツキお母さんのおかげで、大型の赤竜からは五体満足で助かったし、父さんとは会話がまた増えたんだよ。その切っ掛けを作ってくれたのは……」
父譲りの翡翠色の瞳が、椿のつぶらな瞳と絡み合う。どれだけそうしていただろう。彼は少し瞳を潤ませ、そして墓前に顔を再び向けた。
「僕は、ツキお母さんと、父さんと、フィリーのために竜騎士になれるように頑張ります。母さん、天国で僕達を見守っててください」
胸の前で拳を握りしめ、騎士の礼をするエルザードは、少年とは呼べない立派な青年に見えた。
椿が感極まってエルザードに抱きつくと、彼もまた抱きかかえてくれる。
「さぁ、フィリーもリンディに挨拶しなさい」
タシュバが墓前の前にフィレオニスタをちょこんと置く。水色の垂れ耳を上下に動かし、そわそわと動いてから墓前に挨拶をした。
「うにょん! ボクは、フィレオニスタと言う、雪うさぎです。まだ生まれたてだし、ママよりも小さいけど、いつかは雪うさぎの王さまとなります。えっと、リンディさんはてんごく? とやらで見守っててください!」
フィリーのしっかりとした発言に、タシュバと椿、エルザードも驚いた。言葉の中に王という単語が出てきた事にも空耳かと思ったくらいだ。
椿は目を丸くしてフィリーに問う。
「フィ、フィリー。もっかい言ってにょ。今ニャンて言ったにょ?」
「ママより小さい?」
「違うにょ。そのあとにょ!」
「あぁ、王……かな。どうしたの、ママー」
「どうしたのじゃないにょ。フィリー、雪うさぎの王なんて無理に決まってるにょ。ヘンテコなこと言っちゃダメにょ」
ぺちりとフィリーの頭を叩く椿。
涙目となったフィリーは椿の体に擦り寄った。
「ボクが王さまとなって、ママが女王ね。その前に、もっと雪うさぎを増やさないとね!」
「ちょ! 私がポコポコと子供を産める女に見えるにょ? 幾らニャンでもビッチみたいじゃないかにょ?」
雪うさぎをポコポコ産む椿。
口から泡を出してフィリーを生み出したが、あれはあれで奇妙でしんどい出来事だった。あんなのが頻繁に出来るものかと自問してしまう。
「ボクにはママの気持ちが一番分かるんだ~。ママは、雪うさぎをもっと増やしたいって思ってるの知ってるもん!」
「あのね、私にはいま、タシュバやフィリー、エルくんが居るから良いんだってばにょ」
ペチペチと頭を叩きながら説教をする雪うさぎ。フィリーはうっとりした顔で椿にちゅうをした。
「王は力が強いだけ。女王であるママしか子供を産む事ができないもん。女の子が生まれてもずっと続くんだ」
「にょにょっ!」
「でも一人じゃ産めないし……パパが一緒だと、雪うさぎは順調に増えるかな~。一年に一回ずつ、もしかしたらもっと産む事ができるんだもん!」
フィリーは興奮してタシュバやエルザード、椿に言った。
「女の子が生まれてもママみたいに強くないと、雪うさぎは増えないんだよ~。ママだけが特別なのかなぁ~」
「フィリー、その話は中断だ。で、フィリーは強い雪うさぎになるんだな?」
黒竜騎士タシュバの表情になっている。
椿は一瞬だけドキリとしたが、フィリーはどこまでもマイペースだった。
「うん! パパやママ、エル兄ちゃんを助ける雪うさぎになる! おっきくなったら王さまになりたい! クランティールで最強の……あ、二番目に強い雪うさぎになるんだ~~!」
「一番はツキお母さん?」
エルザードがフィリーと目線を合わせるように、同じくしゃがみ込んだ。
「そうだよ~。ママは規格外だから、どんな敵にも勝てると思うよ」
「買いかぶり過ぎにょ。しょんなこと言ったって、無理な時もあるにょ」
陽が落ちてきた。
夕日はフィリー達を照らして、それぞれの胸に希望の灯を滾り続ける。どんな魔物が押し寄せてきても、家族がいれば、椿がいれば乗り越えられると胸の内で鼓舞させた。
リンディの墓前にある蝋燭の火は、いつの間にか消えている。家族一同、その場を後にしてノムイエットの屋敷に帰っていった。
***
「もっちもち~、もっちもち~♪」
「もっちもち~、もっちもち~♪」
椿とフィリーは、モチモチしたものをこねている。
夫のタシュバと義理息子のエルザードは、台所で二匹が料理に勤しんでいるのを物陰からこっそり覗き見ていた。
「父さん、ツキお母さんは何をしてるのかな」
「月見団子を作るって、張り切ってたぞ」
タシュバとエルザードも手伝おうとすれば断られた。雪うさぎの自分達が適任だから、座って待っていろと言われたのである。
「貴族の奥方は料理などの作法はあまりしないものだが、リンディもそうだった……ツキは変わってるな」
「……そんなとこも惚れてるんでしょ。父さんはツキお母さんにべったりだし、常に笑うようになった」
家族への愛を異常に求める椿と、家族への愛情が希薄となっていた黒竜騎士タシュバ。そんな二人がどこで絡み合うか分からないなと表情を和らげれば、エルザードは目を伏せて苦笑いした。
「もう、僕達に縛られることなんかないんだよ。父さんは、父さんのしたい事をして」
「エルザード、守りたい者の中にお前も含んでるんだ。俺はもう二度とお前達の手を離さない、絶対に――」
エルザードの頭を撫でていると、椿からおやつが出来たと叫ばれた。台所に行ってみるとモチの山が四皿、こんもりとできている。
「ツ、ツキ。これが月見団子か?」
「“月見団子雪”にょ~。モチの中に氷の粒を混ぜ込んだのと、ジェラートのように変えたモチなるものが入ってるにょ! ピンク色が野ロップ味で、水色がソーダ味にょ! 二通り作ってみたから、食べてみてにょ~♪」
ピンク色した野ロップ味の団子を、味見としてタシュバに食べさせた。モチモチして、噛み砕くと冷たさの中に甘酸っぱい味が広がる。デザートとしては最適だった。
「美味い……ジェラートとは?」
「氷を滑らかにしたものにょ~♪ どっちも食べるにょ」
ジェラート仕様なモチを食べさせると口の中で滑らかに溶けだした。こちらは食べやすく飲み込みやすい。ソーダ味は未知の味で、タシュバとエルザードも疑問で頭の中がいっぱいだった。
「こんな甘くて美味しいの、食べた事ないよ。ツキお母さん、これどうしたの?」
「私が住んでた国のソーダ味にょ~。この味を出せないかって、フィリーに言ったら作ってくれたにょ。この子、水関係なら右に出るモノがないくらい万能な子にょ! まだソーダの味も知らないのに、即効で作っちゃったにょ……」
水色の垂れ耳を揺らして、フィリーはエヘンと胸を反らしている。丸い体からはソーダの香りが漂って、椿もペロリと舐めてやると舐め返された。
「ボクはソーダ味を知らないんだもん。ママからどんな味か、頭の中で教えてもらったの~。とっても分かりやすいけど、ママに氷を作ってもらってから味を変えてみたんだ。これはジェラートの方だよ」
タシュバとエルザードがどうやってやったのか見せてほしいとねだると、快く頷いてくれた。フィリーはただの団子に向けて、ふぅっと水の息吹を吹きかける。食べ比べると、確かにソーダの味がした。
「美味しいにょ~♪ ましゃか、クランティールでソーダ味のモチが食べれるとは思わなんだにょ~♪」
「ママ、ボクは役に立った? 王さまになれる~?」
「なれるともにょ! これならいつでも王さまになれるにょ~!」
二人してコロンコロンと転げまわるから、タシュバが椿を、エルザードがフィリーを抱き抱えた。垂れ耳を撫でてやれば大人しくなる。恍惚とした表情で目を細めていた。
「家族が……」
「ん?」
椿が放つ言葉を、夫のタシュバが拾い上げる。
腕の中で身をゆだねる椿の仕草に、いっそう愛しくなった。
「家族がいるって良いもんにょ~。良いことは一緒に分け合えるし、悪いことも相談すればすぐに無くなっちゃうにょ」
「そうだな」
「私がここにいる意味を、やっと見つけることができたにょ。ありがと、タシュバ」
竜王と対峙した時の椿は、この世界で独りぼっちだと泣いていた。涙でくしゃくしゃとなり、震えて縮こまる小さな雪うさぎはもうない。
変わりにいるのは、家族のために奔走する垂れ耳うさぎの――
「ツキ、俺はずっとここに居る。家族は傍に居て、幸せになるもんだろう? これからも一緒に過ごそうな」
「うん、うん、ずっと、一緒にょ~。私を受け入れてくれて、ありがとう、ありがとうにょ……」
人間のように喋って泣いて、たくさん笑う雪うさぎの為に。うれし涙を流し続ける椿の頬を舐めて、バルコニーから月夜の空を眺めた。
舌に残る微かな味は甘酸っぱく、野ロップ味のまんじゅうと同じ味で。微かな余韻に浸りながら、タシュバ達は眠りに就いた。