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雪神

 この作品は、一時このサイトでUpしていましたが、某出版社に応募するため

削除していました。しかし、結果が出て賞に何も引っ掛からなかったので

再度Upしました。

序章


 そこは銀世界だった。

 麓の町を見下ろしても、周囲を見渡しても、そこは一面銀色に塗り潰されていた。

 肌を刺す冷気を纏った風。

 触れると、一瞬にして元の姿に戻るそれは、引き換えに体温を奪う。

 白く積もった冷気の固まりは、人の心を優しく包み込み、清い心へと誘ってくれる。冷淡で何もかもを覆い隠す絶対的支配者だというのに、善と悪、陽と陰と同様に対となる姿を持ち合わせている。

 冷たく人間社会の障害となるはずなのに、人の心に作用し、人と人との距離を近づける不思議な力がある。

 それは、人に対してだけに起こる事象なのだろうか……




 1章:snow


 一年を通して雪と氷に覆われた町「キーラス」。

 産業も商業も全て雪から派生していったもので、それらが成功し町の活力となっている。

 そして、キーラスでは年一回催される大祭「ライトキーニ」が三日間に渡り開催され、この祭りの期間中が一年で最も活気に溢れ観光客などでごった返す。

 そのキーラスを見守るようにそびえ立つ山があり、霊峰サーネントと名づけられたその山には一つの伝説がある。

霊峰には雪神がいるという伝説があり、ここ一帯に降り積もる雪は雪神の賜物とされている。

そして、雪神が山を降りる時、麓の湖スタルピッチに得も言われぬ光景、「フローズンダスト」が起こるとされ、その現象は町に幸福と平和をもたらすと伝承されている。


 青年の心は暗く沈んでいた。

 町は大祭ということで活気付き、町人も観光客達も笑顔で満ち溢れている。日々の苦痛や辛さを忘れているというのに、ブライズの心を占めているのは辛く悲しい思い出だけ。

 すれ違う人々の足はライトキーニで盛り上がるキーラスへと向かい、青年が向かう先にある湖スタルピッチへ行こうとする者はいない。

 厚く踏み固められた道の両端には等間隔で松明が置かれ、明り取りに必要となるランプがいらないくらい道を照らしている。

「はぁ……祭りなんて嫌いだ……」

 楽しげに奏でられる音楽が張り詰めた空気を震わせ、湖に向かうブライズの耳に届く。その演奏に促され、町の方角に向いた顔には寒さにも増して何か他の思いを纏っているらしく、憂鬱の何物でもない。

 彼が語る言葉通り、ブライズにはこの時期にだけ思い起こされてしまう悲しい過去があった。

 彼には手本となる父親や、甘えられる母親がいない。

 幼い頃、死別したブライズは叔母に当たるシェリルの元で暮らし、現在も一緒に住んでいる。両親の記憶のないブライズにとって、二人がどんな人物であったかを知る術は、二人の一番近くにいた叔母のシェリルしか頼れない。

両親も叔母であるシェリルも服飾関係の仕事をしているため、ブライズもその道を志し、まだ駆け出しではあるがとある工房にて修業している。

 日々の仕事に追われている最中は、自分の過去の嫌な思い出は忘れられるものの、この大祭の期間中だけは思い起こしてしまい笑顔で溢れる町にはいられなくなってしまう。

『父さん……母さん……』

 二人の面影を知らないブライズ。彼にとってこの大祭は辛い過去に縛られる期間でもあった。

 人目を避けるように湖へ向かうブライズ。徐々に音楽は夜陰へと吸い込まれ、耳に届くのは雪を踏みしめる足音と白く吐き出されるブレス音のみ。

 

 雪と氷に覆われた湖、スタルピッチ。

 果たしてここが本当に湖であるのかと疑問を抱いてしまい兼ねないが、列記とした湖なのである。万年氷と雪に覆われているが、湖底まで凍結しているわけではなく、温泉があることが幸いし水中には淡水魚が生息している。そのため、ある一定の期間だけ湖面をドリルでくり貫き釣りを楽しむことができる。

 現在はその期間外であるため、夜ともなると人気は皆無に等しく、一人になりたいブライズにとってそこは独り占めできる世界であった。

 一面に広がる雪原を月明かりが照らし、荘厳な装いを醸し出している。

 その湖面を眺めるため、近くにあった雪に埋もれる切り株の雪を退け簡易な椅子に座るブライズ。遮蔽物のない湖面を渡る風は強く、防寒着を身に付け寒さに強い彼でさえ身震いを起こす。

「……今年は、積雪が少ないみたいだ」

 毎年のようにこの場所にて湖面を眺めているブライズにとって、微々たる積雪の違いや氷の厚さについて詳しくなり、ほんの数秒眺めるだけで分かってしまうまでになっていた。それだけ長年に渡って彼を苦しめる呪縛は強く、想像以上の重荷となっていた。

「……すけて……」

 誰もいないはずの湖から聞こえる女の子の声音。

 一瞬、自分の耳を疑ったブライズだったが、確かに誰かがいると分かるぐらいその声は確実に聞こえた。

「……誰?」

 思わず立ち上がり、周囲を見渡すブライズ。しかしその場から人の姿を確認することができず、湖面まで降りてみると唯一氷が薄くなった場所にて溺れている人を見つける。

「たっ、助けて……」

 体の芯まで凍らせてしまいそうなほど冷たい水の中でもがく少女。必死に足掻いているものの、自力で上がれるまでに至っていない。

「きっ、君、大丈夫!?」

 溺れている女の子の場所ぎりぎりに立ち、ブライズは声を掛ける。

「大丈夫かって!? みっ、見れば分かるでしょ、おっ、溺れてるんだから、はっ、早く助けなさいよ……」

 必死さとは裏腹に、少女は傍観しているブライズに対してありったけの文句をつける。

「うっ、うん、助けるよ……」

 そうはいったものの、周囲に助けられそうな人も道具もなく、唯一頼れるものといったら己自身しかない。

「ほっ、ほら、はっ、早くしてよ……」

「でっ、でも、どうすれば……」

 煮え切らないブライズの態度に対し、少女は半ば怒気を含みながら睨み付ける。

「いいから、はっ、早く、助けろよっ!」

 必死さからか、性格が変わったかのように口調が乱暴になる。

「わっ、分かったよ……」

 状況が状況だけに、ブライズも意を決して割れた氷のぎりぎりの位置まで進み少女を助けようと動く。しかし、いつ割れてしまうか分からないだけに、ブライズは完全に腰が引けてしまい踏ん張ることができない。

「ほら、はっ、早く……」

 必死に伸ばした右手を掴み、ブライズは全身の力を使って溺れていた少女を助け出す。しかし、あまりに力一杯引き上げたため、反動を受けた拍子に二人は抱き合う格好になってしまう。

「あっ……」

「あっ……」

 お互いに思いもしない出来事に目を丸くし、超至近距離で互いの瞳を見入ってしまう。

 ブライズの目に飛び込んでくるルビーのように紅く輝く濡れた瞳。

 完全に濡れてしまい、張り付いている銀髪(シルバーブロンド)の髪。

 全てがブライズを当惑させ、この距離感に思わず頬を赤らめてしまう。

「……お前、いつまで抱きついてるつもりだ?」

 艶っぽかった瞳は一瞬にして消え、人を蔑むような目つきで睨む。

「えっ、あっ、ごっ、ゴメン……」

 今どんな場所に立っているかを忘れていたブライズ。反射的に下ろしたまでは良かったが、足元の氷が割れてしまい二人は極寒の湖へと落ちてしまった。


「さっ、さっ、寒すぎる……」

 完全にミイラ取りがミイラになってしまったブライズは、凍える体に鞭を打って湖近くにある簡易露天風呂へと向かっていた。

「まったく、お前はどんくさい奴だなぁ~」

 少女はというと、ほぼ薄着の上に靴を履いていないという前代未聞な格好のため、素足で雪上を歩かせるわけにもいかず、ブライズは何の因果か分からないが彼女をお姫様抱っこしていた。

「そっ、そう言われても、あっ、あの状況じゃ、むっ、無理だよ……」

 少女を抱きかかえている腕は完全に震え、水分を含んでしまった衣服は徐々に凍結を始めている。

「どうかしたのか、さっきから震えているみたいだけど、そんなにあたしに触れるのが緊張するのか?」

 ガチガチ震えているブライズの気持ちなど露知らず、少女は暢気にこの状況を楽しんでいるかのような言葉を述べる。

「ちっ、違う、さっ、寒いんだよ……」

 体の芯から湧いてくる寒さに唇は震え、歯もカタカタと鳴ってしまう。

「プッ、どうしたんだよ、あたしを笑わせたいの? まっ、この状況だし、お互いに打ち解けたいというのなら、喜んで見せてもらうけど」

 自分自身も落ちないようブライズの首につかまり、高みの見物をしようとしていた。

「わ、わ、わ、笑わせられる、よっ、よっ、よっ、余裕ないよ……」

 喜怒哀楽を表現することさえできないブライズ。ゆっくり歩いていては埒が開かないと思い、雪上をガシガシ駆け出す。

「ちょ、ちょ、いきなりどうしたんだよ?」

「あまりに寒いから、体動かそうと思って……」

 予想以上に揺れるブライズの腕の中で、少女は楽観視していた状況から落ちるのではないかと心配が募りだし、首にしっかりとしがみ付く。

「で、これからどこへ行くつもりなんだよ?」

「冷えた体をあっという間に温められる場所に行くんだ」

 落ちそうになる少女を何度と抱え直し、ブライズは足場の悪い中、温泉へと急いだ。


「うぅっ……さっ、寒い……」

 ここが無人であることを証明するように、簡易な造りをした建物内は完全に照明が落とされ寒々としていた。

「ここなのか、体を温める場所って?」

 ようやく自分の両足で踏みしめられる場所に来た少女は、暗闇の中を見渡す。

「えっと、たっ、確か、ここに……」

 過去の記憶を頼りに手探りで明かりとなるものを探す。

「うん? これかな?」

 質感や形状からしてこの物であることを確信したブライズは、ゆっくりとコックを開く。

「はぁ、明るくなった」

 それが間違いなくランプであったことや、ようやく暗闇から開放された安堵感からホッとするブライズ。一方で、仄かな明かりのおかげで暗闇だった空間が一気に広がり、少女はここがどんな場所なのか気付く。

「何だよ、ここ?」

「ここは、湧き出した温泉に入ることができる場所なんだ。源泉が湧いてるから、そのままでは入れないけど」

 ランプを手にブライズは少女の下へと歩み寄る。明るさを増す光源に目を細めながら、ブライズを見上げる。

「へぇ、温泉に入れるのか。それにしては、ちゃっちい建物だな」

「しょうがないさ。ちゃんとした管理をする人がいないし、何より、利用する人も少ないんだ」

 ランプを持った右手を左右に振り、建物内に必ずあるモノを探す。

「あっ、あったあった」

 目的のものを探し当てたブライズは、その場にしゃがむと近くに置いてある錆びたハンマーで数回叩く。鋭い金属音が何度かした後、ランプの明かりとは違う光源が広がる。

「なぁ、何を叩いたんだよ?」

「これだよ、ダイナモストーン。これは衝撃を与えると発熱する石で、キーラスに暮らすどの家庭にもある暖房器具なんだ」

 ブライズは立ち上がり避けてみると、そこには赤々と発熱する石の塊があった。

「へぇ、熱くなる石ねぇ。初めて見た」

 物珍しそうに近寄る少女だが、ブライズの立つ位置よりも近づこうとはせず、体が冷えているはずなのに手をかざして温まろうとはしない。

「ほら、近づいてごらんよ、温かいから」

「えっ、うん……温かいよ」

「もっと近づかないと、濡れた服が乾かないよ」

「いっ、いいよ、このままで……」

 ブライズに促されてもなお近づこうとしない少女。ブライズが立つ位置だと少々熱すぎる感はあるが、このぐらい近寄らないと濡れてしまった服や冷えた体を温めることはできない。

「そっ、そう? まぁ、温泉に入っている間に服は乾くからいいか」

 ランプを床に置き、ブライズは生乾き状態の服を脱ぎ始める。

「うぅ、さすがに裸になると寒いな」

 何とか上半身だけ裸になったブライズは均等な間隔で靴やコート、インナーを床に並べる。

「さっきはあんなに寒がってたのに、今度は服を脱ぐのか? していることが矛盾してるぞ」

「だって、これから温泉に入るんだ。服のまま入れないよ」

 ズボンを脱ぐ手を止めるブライズ。

「さぁ、君も服を……あっ、ゴメン、僕ったら何考えてるんだろ」

 差し伸べた手を引っ込め、顔を左右に振る。

「一応、脱衣所もあるんだ。僕ったら、女の子の前で裸になるなんて、寒すぎて思考能力が低下してるのかな?」

 今の自分が何をしていたのかを思い出し、ブライズはそそくさと男性用の脱衣所に向かおうとしていた。

「……ちょっと、待ってよ」

 呼び止められ振り返るブライズ。

「大丈夫、脱衣所には女性用の大きなタオルもあるはずだから、心配しなくてもいいよ」

「そうじゃない、そうじゃなくて……」

 さっきまでの威勢は姿を隠し、着の身着のままの少女は両手をみぞおちの下の辺りでもぞもぞさせている。

「えっ?」

「……一人は、怖いから嫌……」

 何を思ったか、少女はブライズが目の前にいるというのに徐にローブを脱ぎ出す。

「ちょっ、ちょっと待ってよ。ここじゃマズいよ!」

 完全に全裸になってしまう前に、ブライズは脱衣所に飛び込み自分用と彼女のためにタオルを取ってくる。

「……はぁ、はぁ、はぁ、予想外なことしないでくれよ」

 肌触りがあまりよくないものの、この場では有効活用できるタオルを首に掛け、ブライズは大き目のタオルを少女の足元に置く。

「ごめん、無理言って。でも、だからって、あたしの裸を見るのは絶対禁止だからな。見たら、お前の顔にメガトンパンチお見舞いするからな」

 一体、どっちの彼女が本物なのか分からなくなってしまうほど、ふり幅のある変わりように頭痛を感じてしまうブライズ。

『はぁ~今日はなんて日なんだ……』

 しょんぼりうな垂れるブライズ。自分が裸であることを思い出し、思わずくしゃみが出てしまうのだった。


 部屋のすみ~の方で残りの衣服を脱いだブライズは腰にタオルを巻き、約束を守り決して少女の方を振り向くことなくランプを持って露天風呂へと向かう。そのため、少女がどんな装いをしているか分からない。でも、さっき、渡したはずのタオルがまだ床にあったような……

 そんな不純なことをできるだけ考えないよう言い聞かせ、風呂へと向かう二人。少女の小さく冷たい手が背中に添えられ、自分が真後ろにいることや、何かの拍子に振り返らないよう保険を掛けているようである。

絶対後ろを向くなときつく言われていたが、流石に男であるブライズは気にならないはずはなかった。

抱きかかえたときに感じた女の子の温もり。これこそ不純な考えかもしれないが、筋肉質な男は違う華奢で氷のように滑らかな肌。意識するなと己に言い聞かすが、否応なく妄想は膨らんでしまう。

ランプを手に前だけを見据えるブライズ。風呂へ続く道がこれほどまでに長いと感じたのはこれが初めてであった。

濃い湯気が露天風呂であることを物語る場所まで来ると、ブライズは少女をその場で待たせ四方にあるランプに火を灯す。湯気によって露天風呂自体が発光しているようになり、ブライズは湯加減を確かめるため足先を湯につけてみる。

「うわっ、あっちぃ!」

 体が冷えていることと、異常なほど熱い温泉の相乗効果により、いつも以上に熱さを感じてしまう。予想していたことだけに、すぐ目の前にある大量の雪をスコップで湯船に投入し湯加減を調整する。

「……うん、いい具合だ。これなら入れるぞ」

 差し入れた右手でお湯を掻き回し、ちょうど良い湯加減になったのを確認する。

「さっ、こっちに来てもいいよ」

 湯気の向こうで待つ裸の少女をいつまでも放置してはおけず、ちょっぴり殴られる覚悟をして呼ぶ。すると、揺らめく湯気の中を歩いてくる少女の姿。しかし、彼女の輪郭を見た瞬間、ブライズはそれ以上見てはいけないと感じとっさに顔を背ける。

「……やっぱり、そうだったのか……」

 半ば予想していたことだったが、どうも心の中では釈然しないものがあった。本能と理性が交錯し、自分はどうすればよいのか思考回路がショートしてしまう。

「フフッ、不意を突かれて見てしまうかと思ったけど、やっぱりあたしのメガトンキックが怖かったか」

 堂々と裸体を晒している少女。一見すると立場が逆なのではと思われるが、人それぞれの価値観があるのだからそれはそれとして良しとしておくべきなのか。

「……あの、さっきと違うんだけど……」

「うん? 何が?」

「そっ、その……メガトンパンチとキックの件……」

 決して後ろを振り向こうとはしないブライズ。改めて彼女がどんな佇まいをしているのかを思い浮かべてしまい、熱くもないのに頬が赤くなる。

「細かい事気にするなって。どっちにしろ、ケガをするのはお前なんだし」

 自分の言動を気にすることなく、少女は手加減しているとは思えないほど強い手形をブライズの背中に押す。

「いっ、痛い、です……」

 ポツリ呟くブライズ。今日という日がどれだけ自分にとって不幸な日であるかと、嘆きたい気持ちで一杯だった。

「さっ、先に入って下さい」

 背中を向けたまま、ブライズは湯に入るよう促す。

「うっ、うん……」

 改めて温泉というものを前にして、どこか踏ん切りのつかない少女。得体の知れないモノに対して警戒するのは自然な成り行きなのだが、どうも別のものに対し拒否感があるようである。

「……あつぅぅぅぅぅぅいっ!!」

 ほんの足先だけを湯に付けただけだというのに、少女は走り回ってしまうほどの熱さを訴える。

「えっ、熱いの? 十分温くなったと思うけど」

 異様に熱がる少女に対し疑問を抱きながら、自分でも確かめるため後ろを振り向かないよう注意しながら湯に手を入れてみる。

「う~ん、丁度いい感じなんだけど」

「はぁ、はぁ、はぁ、あたしをヤケドさせるつもり?!」

 散々走り回ったおかげで熱さを感じなくなったのか、少女はその場に座り込むと湯に付けた足先をじっくり観察する。

「ゴメン、寒くなってきたから、先に入るよ」

 後ろを振り向かないと心に決め、ブライズは寒さに耐え切れず先に風呂に入る。

「はぁ~っ、気持ちいいや~」

 さっきまで冷え切っていたのが嘘のように、体の中心に向かって伝導する温かさに心の底から湧き上がる思いを吐き出す。

「君も入りなよ。冷えたままだと、風邪を引いちゃうよ」

 少女のことを考え、ブライズはできるだけ距離を置こうと露天風呂の隅の方へと移動する。

「はぁ~、こんなに風呂が気持ち良いなんて思うの初めてかも」

 バシャっと自分の体にお湯を掛けたり、湯を掬って顔に掛けたりと風呂を満喫する。その間、少女は何か画策しようとしているのか、風呂の周りをヒタヒタと走り回る。

「はぁ……うん?」

 湯船に浸かり、ブライズは完全に緊張の糸が切れてしまっていた。その油断を気付かせるように、じわじわと変化する湯の温度に瞼を開ける。

「ねぇ、さっきから……」

 と、湯船に入らず、全裸で動き回っている少女のことが気になり姿を探していたその時、突然降り掛かってくる冷たいもの。

「うわっ! つっ、冷たい!」

 上から降ってきた冷たいものの一欠片を掴んでみると、それはさきほど風呂に大量に投入した雪であった。

「あっ、そこにいたの。雪掛かった?」

 スコップを握り締めた少女は、雪の中におもいっきり差し込むと自分の顔よりも大きい固まりを湯船に投入する。

「まっ、まだ、雪を入れるつもり?」

 徐々に温かさを失っていく湯船に浸かっているブライズは、さきほど落ちてしまった湖のことが頭を過ぎり、これ以上入っていられなくなる。

「もちろん。ヤケドしちゃいそうなほど熱かったんだから、ここは念には念を……」

 再び襲い始める悪寒に体を強張らせるブライズなど気にもせず、少女は止めの一かきを投入するのだった。


「はぁ~気持ちいい」

 気の済むまで雪を投げ込んだ露天風呂に浸かる少女。ブライズが耐え切れず上がったというのに、少女は自分にとって最適な温かさなのか湯船に浸かりながら気持ち良さそうに脚を伸ばしたりしている。

「いいねぇ~温泉って」

 自分の背後にいるはずのブライズに呟きながら、左右の肩に微温湯を掛ける。

「……そう」

 幸いなことに乾いた衣服を纏い、ブライズは湯船の中で羽を伸ばす少女の衣服を持って風呂用の椅子に座っていた。

「あの、何個か気になることがあるんだけど、質問してもいい?」

「うん? まぁ、答えられる範囲で」

 自分の腕に微温湯を掛け、自分の素肌を眺める。

「君の名前は?」

「知らない」

 …

「どこの生まれなの?」

「知らない」

 ……

「君って、いくつ?」

「知らない」

 …………

「両親や兄弟とかいるの?」

「知らない」

 …………

「どうして冷たい湖で溺れていたの?」

「しらな~い」

 一辺倒な返答だというのに、少女は答えをはぐらかしてでもいるのか真面目に答えず、最後の問いには変な抑揚を付けて答える。

「……僕をからかってるの?」

 少々ムッとするブライズであったが、見た目年下の女の子に対しガミガミ言うのは避け違ったアプローチを試してみる。

「多少からかいたいと思ったけどさ、正直なところ、本当に分からないの」

 微温湯と戯れる事を止め、湯船の中で膝を抱える。

「それって、記憶が無いって事?」

「う~ん、そういう事になるね」

 自分の置かれた状況を至って楽観視している少女に対し、ブライズは深刻に受け止め顎に手を当て考え込む。

「う~ん、困ったなぁ……」

「えっ、どの辺が?」

「君は、自分が今置かれている状況が分からないの? 名前も、出身も、年も、肉親も知らない。記憶がないってことに対して、君は何とも思わないのかい?」

 思わず立ち上がり、感情的な意見を少女に投げ掛ける。

「う~ん……何も」

 暫しの長考に対しても生産的な返しはなく、ブライズは頭を抱えてしまう。

「はぁ……君って……」

 進展のない話に呆れてしまう。

「ねぇ、あなたの名前は?」

 唐突な問いに、ブライズの悩みの種が一瞬消えてしまう。

「えっ、ブライズだけど」

「ブライズ……ねぇ、ブライって呼んでいい?」

 少し考える仕草をしたと思ったら、体を捻りブライズに問い掛ける。

「ブライ……ですか……」

「ねっ、いいでしょ? 決定ってことで」

 お伺いを立てたというのに、一方的に決定してしまう少女。決められてしまったブライズの方はというと、納得していいのか悪いのかと違う悩みの種に悩まされる。

「ブライは決定したけど、肝心のあたしの名前が無いか……」

 少女がたっぷりとお風呂に雪を投げ込んだおかげで、もんもんと煙っていた湯気は半分以下となりブライズのいる位置からでも少女の姿が見えるようになっていた。そのため、少女は自分の肌の白さと大量に積もっている雪を見比べ、共通項を見つける。

「あっ! グッド・アイディア!」

 閃きと共に少女はザバンと湯船から立ち上がると、その湯に濡れた裸体を何の恥じらいも無く晒す。

「あたしのこと、『スノウ』って呼んで」

 その突然の出来事に、散々警戒していたブライズはとうとう少女スノウの裸身を目の当たりにしてしまう。

 ランプの淡い明かりの中に浮かぶ銀髪(シルバーブロンド)と蠱惑的な魅力を放つ紅い瞳。そして何より、その幼さ残る中にも女性として主張している部分のある肢体は、湖面に映る月よりも、誰も足を踏み入れていない雪原よりも遙かに美しくブライズの眼に映っていた。





 二章:memory


 自らをスノウと名乗った少女は、今、ブライズに負ぶさっていた。

 氷のように冷たい湖から脱出した二人は、何とか濡れてしまった服と凍えそうだった体を温めることができた。しかし、夜は瞬く間に深くなり、家路に着いた頃には町は平静を取り戻しつつあった。

「……ただいま」

 軽い少女とはいえ、落として夢の世界を旅しているスノウを無理矢理引き戻すということはできず、どうにかドアのロックをあまい状態にして外すと体ごと押し込んで帰宅する。

「おかえりなさい。随分帰ってくるのが遅かったわね」

 夜も遅いというのに、待ってくれたシェリルは怒ることなくブライズを出迎える。

「……うん。ちょっとしたハプニングがあったものだから」

 完全に体重を背中に預けきっているため、あまり身動きがとれないブライズは、シェリルに背中の主をそっと見せる。

「あら、可愛らしい女の子ね。どこで会ったの?」

 ぐっすり眠っているスノウの寝顔を覗き込むシェリル。

「それが不思議なんだけど、凍結しているはずのスタルピッチで溺れていたんだ。こんな寒い場所なのに、薄着で靴さえ履いてなくて、その上、記憶がないらしいんだ」

 スノウを背負ったブライズはシェリルと併走するように家の中を進み、シェリルの助けを借りてソファーにスノウを寝かせる。

「薄着で出歩くなんて、どこから来たんだろう?」

 ソファーの上で蹲る少女を見下ろすブライズとシェリル。

「う~ん、こんな子、この町では見掛けた事ないねぇ。多分、違う土地から来たのかもしれないわね」

 サラサラの銀髪(シルバーブロンド)に触れるシェリル。

「やっぱり、そうなるのかな?」

「多分そうだろうねぇ。大祭の期間中だし、いろんなところから観光客がくるから、そう考えるのが妥当だろうね」

 髪を撫でていた手を、今度はボロボロの衣服へと向かわせる。

「ろくな服さえ着させてもらえないなんて、可哀想に。この子のために服を用意するから、明日にでも着させてあげましょう」

「ありがとう叔母さん」

 一度シェリルの顔を窺い、再びスノウへと視線を戻す。

『……綺麗な銀髪(シルバーブロンド)。この色、どこかで……』


 若き日のシェリル。

 その日もいつものように町には優しい雪が降っていた。

 何気なく町中で見掛けたドレスを纏った銀髪(シルバーブロンド)の女性。

 素直に綺麗と見惚れるシェリル。

 馬車に轢かれそうになる女性を助ける青年。姉に紹介されたケビン。

 気遣うケビンと助けられた銀髪(シルバーブロンド)の女性。互いに見つめ合う。

 何かを言いかけるものの、何か失くしたものがあるらしく、足元を頻りに気にしている。どうやら助けられた拍子に、さっきまで掛けていた鼻眼鏡を失くしたようだ。

 視線を外してしまった瞬間、道端で手を振る女性の姿に気付き走っていくケビン。手を振っているのは、姉さん……

 落としてしまった鼻眼鏡を掛け直した女性。しかし、そこにはケビンはいない。

 仲睦まじくお喋りをしている二人。その二人、あるいはケビンに対し何か言い掛ける女性。

 そのまま寄り添い去っていく二人。

 その姿をただ眺めている女性の後ろ姿。


 あの時の女性と、今目の前で眠る少女の髪の色が同じであったことをシェリルは思い起こしていた。

「……夜も遅いわ、あなたも早く寝なさい。この子は、私の部屋に移すから」

「……うん」

 ブライズも満更ではなく眠いようで、叔母の言葉を素直に受けて二階にある自室へと向かう。

「おやすみなさい」

「おやすみ……」

 あくびをしているブライズを見送り、シェリルは再び銀髪(シルバーブロンド)の少女を見下ろす。

「あの時の人と同じ人……ううん、違うわね。同一人物だったら、私よりも年を取っているはず……」

 優しく語りかけるように、シェリルは微笑を浮かべスノウの髪を優しく撫でるのだった。


 一年を通して暖房の欠かすことができない気候のため、寝具に渡るまで保温され寝冷えを起こさない毛皮のようなものを使用している。当然、ここで暮らしているブライズも同様の寝具を使っている。

 運動が得意とはいえないブライズだけあって、昨晩の出来事のお陰で普段よりも体力を消耗してしまい、朝を迎えてもなおぐっすりと眠っていた。

「……ぐっすり寝てるなぁ、コイツ」

 人を引き付ける特徴的な紅い瞳の少女は、まだ眠っているブライズの顔をじっくり覗き込む。それはまるで、お目覚めのキスをするような間合い。

「……あっ」

 スノウが近くにいることを察知でもしたように、ブライズはスノウが目と鼻の先ほどの距離のところで目を覚ます。

「……わぁぁぁっ!」

 半ば条件反射的に目覚めたブライズは、一気に飛び起き同時に掛け布団をめくり上げる。

「はぁ、はぁ、はぁ、かっ、顔を近づけて、なっ、何するつもりなんだよ?」

 朝から日常生活で味わうことないシチュエーションに、ブライズの鼓動は早鐘を打ち一気に覚醒する。

「朝食、できたってさ」

 シェリルが着替えさせたのか、昨夜別れた時とは違う装いをしているスノウ。シンプルな女の子がパジャマとして使うようなワンピースを着ている。きっとシェリルのお下がりか何かだろうか。

 短い伝言だけ残すと、スノウはそのまま部屋を出て行く。

「……はぁ、何て、目覚めの悪い起こされ方なんだ」

 朝から体内を駆け巡る血液の速さに、ブライズは少々気分が悪くなってしまった。


 朝から違う意味で気分の優れないブライズであったが、今まで面倒を見てもらっている叔母さんの朝食を食べないという行為をできるわけがなく、顔を洗い衣服を整えダイニングへ行く。

「おはよう、ブライズ」

「おはようごさいます、叔母さん」

 いつも慣れ親しんだ叔母との朝の挨拶をし、ブライズは既にスタンバイを整えているスノウの隣に座る。

「何もたもたしてんだよ、起こしに行ってやったんだから、とっとと降りて来いよな」

 先ほどと同じ服を着たスノウは、朝食をお預けされ続けていたようでゆっくりと登場したブライズにストレスをぶつける。

「そう言われても、身の回りを整えるとこれぐらい掛かるよ」

 早朝から気分の悪い小言を聞かされ、ブライズは精神的に苦痛を感じてしまうのだった。

 今日の朝食の献立は、目玉焼き、白パン、コーンスープ、サラダというもの。

 テーブルの上に並べられた料理を、ブライズは普段通りの流れで食事をする。一方のゲストであるスノウはというと、物珍しいのか一つ一つ匂いや熱さなどで吟味して白パンとサラダしか食べようとしない。

「あら、スノウちゃん、目玉焼き食べないの?」

 半熟の黄身を残すという絶妙な焼き方で仕上げている目玉焼きを、スノウは手をつけていなかった。

「ごめんなさい、食べれないの」

 目玉焼きを一瞥するものの手を付けることはなく、スノウはサラダに添えられたプチトマトをフォークで刺す。

「どうして食べないんだよ、せっかく作ってくれたのに」

 スープをスプーンで掬い口に運ぶと、ブライズは原型を留めたままの目玉焼きとスノウを見やる。

「そうなんだけどさ、あたし、ベジタリアンなんだよね」

 そう宣言すると、スノウは口一杯にサラダを詰め込んでもしゃもしゃ咀嚼する。

「記憶喪失の君が、どうして分かるんだよ?」

「説明できないんだけど、何となくそんなキャラっぽいんだ、あたし」

 どこか違う次元の話を聞いているように、ブライズとシェリルは少々どころか大いに理解に苦しむ。

「……キャラですか」

 呆然自失のブライズのことなど気にせず、スノウは我が道を邁進していた。

 食事を終えようとしたとき、シェリルは二人を顔に目線を配りナプキンで口元を拭う。

「二人共、今日の予定とか立ててるの?」

 シェリルの問い掛けに、食事をほぼ終えた二人は顔を見合す。

「そういえば、何も考えてなかった」

 素早く視線を外すブライズに対し、スノウは横顔をじっと見つめる。

「予定がないんだったら、ブライズ、町を案内してあげなさい。今、大祭の期間中だから賑やかだよ」

「町を案内するの……」

 どこか乗り気ではないブライズ。

「へぇ、お祭りやってるんだ。気になる~」

「いろんな出店とか、珍しいものが見つかるかもしれないよ。楽しんできなさい」

 すっかり行く気満々のスノウと引き換え、どこかやるせない様子のブライズ。

「だったさ。楽しんじゃおうよ」

「……」

 瞳を爛々と輝かせ、スノウは元気のないブライズの肩をバシバシ叩く。

 そして、外出するということで薄着しか持ち合わせていなかったスノウのため、シェリルが用意した服を着ることになった。そのため、先に準備を終わらせたブライズは玄関先で待たされていた。

「はぁ~町を案内しなきゃいけないのか……祭り嫌いなの知ってるのに……」

 不本意な仕事を押し付けられてしまったブライズは、この嫌な時間を潰すため俯きながら歩き回っている。

「はぁ……何か、複雑」

 ぶつぶつ独り言を呟いていると、ようやく身支度を整えたスノウと叔母さんがやってくる。

「待たせたね、ブライ」

 常に上から目線のスノウのご登場に、俯いていた視線がそちらへ向く。

 シェリルが見立てた衣装は、フード付きのローブ、ズボンを基調としたもので、ご自慢の透き通る白い肌の露出は少ない。袖口をファーで覆ったものは

この地方ではごく一般的な装いで、この服装なら町中を歩いても怪しまれることはない。

「どお、似合っちゃってる?」

 新しい服を身につけたスノウは、ウキウキとした思いを包み隠さず満面に現し、その場でくるっと一回転してみせる。

「あっ、ああ……」

 正直なところ、ブライズは褒めるべきかどうか悩んでいた。生まれてこの方人を褒めるという経験が少なく、この場合、どうすればいいのか瞬時に答えを導くことができない。

「何々、見惚れちゃって言葉も出ない? まっ、当然と言っちゃ当然かもね。あたしも気に入っちゃったんだこの服」

 言葉に詰まっているブライズに詰め寄り、スノウは上目遣いに顔を窺う。

「そう言ってもらえると嬉しいわ。スノウちゃん、スタイルが良いから何でも似合うわよ。ほら、ブライズも何か一言いってあげなさい」

 自分の揃えた服を気に入ってもらい、シェリルもどこか嬉しいそうである。

「うっ、うん、にっ、似合ってるよ」

 叔母に促され、ようやく言葉を口にする。

「ふぅん、まぁいいでしょ。でも、それじゃ、女の子を口説くには時間が掛かりそうね。何だったら、口説く練習でもしよっか。勿論、あたしを好きな人と見立てて」

 からかっているのか、もしくは、本心から口説いて欲しいのか、スノウの言動は人の心を惑わす。良くも悪くも。

「だっ、誰が、君を口説くものか?!」

 からかわれてしまい、酷く狼狽するブライズ。経験が無いことが必然と明るみになってしまう。

「さぁさぁ、二人ともこんな場所で遊ばないの。お祭りが終わってしまうわよ」

 温かく傍観していたシェリルであったが、ここは大人として事態を丸く収める。

「はっ、そうだった。お祭り、お祭りに行かなきゃ」

 改めて今日の予定を思い出し、スノウはブライズと共に外出する。あまり乗り気でないブライズの手を引き、ドアを開ける。

「行って来ま~す」

「……行って来ます」

 祭りと聞いて心躍るスノウ。一方、祭りの嫌いなブライズ。

 この対照的な二人は、大祭『ライトキーニ』へと向かう。

「行ってらっしゃい」

 温かく照らす太陽のような笑みで二人を見送るシェリル。

「何だか、賑やかになってきたわね」

 二人が出て行ったドアを眺め、シェリルは微笑ましく思うのであった。


 ライトキーニ・二日目。

 今日は多少の降雪があるものの、一日目と変わらず町は観光客や屋台を出している商人達で賑わい溢れ返っている。

 一番多くの出店や観光目的で訪れる人々でごった返しているキーラス大通りに来た二人。人混みを好まないブライズにとって、この場所はとても居づらくすぐにでも逃げ出したいという衝動に駆られてしまう。しかし、今日はお守りをしなければならない子がいた。

「あっ、あれ、面白そう!」

 自称、記憶喪失の女の子スノウ。

 彼女のお守り兼町の案内を仰せつかってしまったブライズは、慣れない人混みの中を右往左往していた。

 ブライズにとって見慣れたものでも、記憶のないスノウにとってこの通りはまさにおもちゃ箱をひっくり返したかのように、どれもこれも興味を引くものばかり。そのため、見失わないよう細心の注意を払わなければならない。

「まっ、待ってくれよ……」

 祭りを楽しむということを端から捨て、ブライズは祭りをエンジョイしているスノウの身辺警護をするつもりで臨んでいた。

「ねぇ、これってどんな遊び?」

「これは、球当てっていう遊び。3球でどれだけ遠くの的を落とせるかを競うんだ」

 一生懸命遠くの的に当てようと頑張る子供達の隙間から、ブライズは出し物の説明をする。スノウはへぇ~と理解を示しながら様子を眺めている。

「う~ん……次行ってみよ~」

 彼女であったら、どさくさに紛れて参加するとダダをこねそうだが、何かを吟味したらしく次の出店に行ってしまう。

「あっ、待ってって……」

 思いつかない行動の数々に、ブライズは完全に振り回されっぱなしだった。


 その後、くじ引きやお面屋さん、雑貨を扱う出店などを回り、大通りを散策した二人。途中、スノウでも食べられそうな芋を使ったスナックを買い、食べ歩いていた。

 次はどこへ行こうかと悩んでいた時、不意にすれ違う見覚えのある横顔。

「あっ、ブライ君!」

 気付いたミモザ。それに習い、ブライズも立ち止まる。

「ぜっ、ゼオードさん……」

「やだなぁ、ファーストネームで呼んでっていつも言ってるじゃん。まったく、真面目なんだから」

 親密な関係を匂わせる発言に、スノウは突っ込まずにはいられなくなる。

「何だぁ、誰だよ、この女?」

「彼女は、ミモザ・ゼオードさん。大衆民宿『スノーブライト』で働いてるんだ」

「へぇ~民宿で働いてんの……」

 因縁でもつけている様に、スノウは下から上へと見上げると防寒着を着ていてもはっきり分かる胸を睨みつける。

「ブライ君、この子、誰?」

「あっ、ああっ、この子は、スノウって言うんだ。記憶喪失みたいで、どこから来たのか手掛かりがないから、とりあえず家にいるんだ」

 初対面の二人を、ブライズはぎこちなくではあるが互いに紹介する。

「えっ、記憶喪失なの、その子」

 思いもしない事態に、目を丸くして驚く。

「そうみたいなんだよ。突然なんだけど、何かこの子に関する情報とか知らない?」

 スノウの頭の上で会話のやり取りをしているだけに、スノウは自分が無視されているのではないかと錯覚してしまう。

「そうねぇ~お客さんからの情報、う~ん、ないなぁ。ゴメンね協力できなくて」

 仕事の途中なのか、ミモザは話を早々に切り上げそそくさと人混みへと消えていく。

「……はぁ~」

 どこか後ろ髪を引かれる思いのするブライズの様子に、スノウは違和感を覚えた瞬間にピンと来る。

「ブライ、あんな巨乳娘のどこかいいんだ?」

「……彼女と僕は同じ境遇なんだよ。僕は両親を亡くし、彼女も父親を亡くしてるんだ」

 片思いを寄せている相手をバカにした発言にも関わらず、ブライズは気付いていないようで放心状態のままミモザが消えた人混みを見ている。

「境遇が一緒だぁ?! そんなの関係ねぇだろ。好きな相手なら、好きだって言っちまえよ!」

 今までに無いスノウの男口調にブライズは我に返り、力なく俯いてしまう。

「……言えたら、どれだけ楽になれるだろうか」

 片思いを寄せているブライズの横顔を見て、ふと、スノウの記憶の断片が蘇る。


 それはまるで過去の出来事。

 だが、そこにいるのは、今の自分(・・)ではない自分(・・)

 モノクロの映像の中、見覚えの無い男に助けられるスノウ(・・・)。

 助けられた拍子に一度、顔を見上げただけで胸が高鳴るスノウ(・・・)。

 立たされ目線が合う位置だというのに、男の顔を真っ直ぐ見ることができず恥らう。

 違和感のある自分(・・)

 恋してるって思うのに、どこか俯瞰で見ているような錯覚。

 自分(・・)であって自分(・・)じゃない。

 そして、この助けてくれた人物、一体誰なんだろう?

 見覚えがあるような、ないよな……

 でも、どこか懐かしく、心が落ち着く存在。


「……どうかしたの?」

 口やかましいスノウが逆に沈黙してしまった姿に、ブライズは遠くを眺めていることを止める。

「……いやっ、ちょっとだけ思い出したかもしれない」

 俯くスノウの顔をブライズはき込むように窺う。

「どんなこと?」

「自分でもよく分かんないんだけど、でも、全然手掛かりになることじゃないみたい」

 自分でも理解に苦しむだけに、そこからヒントを探そうにもどこをどうすれば分からない。

「でも、少しずつ思い出してきたから、全部思い出すのも時間の問題かもね」

 少しシュンとしてしまうスノウであったが、そこは天性と言うべきか分からないが根っからのポジティブさで払いのける。

「ねぇ、そういえば、ブライってどんな仕事してるの? ブライの働いてる場所、見てみないなぁ~」

「きゅっ、急に言われてもなぁ、今、大祭期間中だから、入れるかどうか……」

 自分の仕事場を見たいと言い出され、ブライとは困惑してしまう。勤務時間外に訪れたことはなく、建物の前まで来ても中に入れるか分からない。

「いいでしょ~、外から見るだけでもいいからさぁ~」

 ここぞとばかりに自分の愛らしさを前面に押し出し、悩むブライズの背中を押す。

「……分かったよ、場所だけだからね」

 スノウの願いが実を結び、ブライズは渋々職場を案内することにした。


 一番の活気で溢れる大通りから離れ、周囲は衣服に関する店が並び喧騒が嘘のような静かな時が流れている。

「ほら、ここだよ。約束通り、場所だけだからね」

 どちらかといえば来慣れているブライズは、この静けさや見慣れている建物を見るだけで気分が落ち着いたりする。もしかしたら、渋々っていうのは自分にとってフェイクな思いなのかもしれない。

「ミッチェル工房って書かれてるけど、ここでどんな仕事してるの?」

 ドアに掛けられている看板を読み、スノウは率直な疑問を投げ掛ける。

「服の装飾関係の仕事をしてるんだよ。ほら、早く大通りに戻ろう。こんな所に居たって、何も面白いことなんてないよ」

 ブライズの心配を他所に、スノウはそこにドアがあるから開けるんだということを実証するかのように、ガチャガチャとノブをいじる。

「開けようとしたって無駄だよ。きっとミッチェルさ……」

「あっ!」

 んが、鍵を掛けてると言いかけた時、思いとは裏腹に開いてしまうドア。

「開いちゃったよ」

「……はぁ、ちゃんと鍵を掛けていなかったのかな……」

 ブライズの願いも虚しく開いてしまったドア。そして、開いたドアが開いたなら入らなきゃもったいないでしょと言いたげに、スノウは遠慮することなくブライズの仕事場に入る。

 大祭中は休業しているため、広い工房の中はがらんとしていて寒く感じる。

「うわぁ~何なの、コレ?」

 外に居ても中に居ても変わらず、スノウの目に映るもの全てが珍しく雑多な仕事に関するもの全てに食いつく。

「はぁ、無断で入ったなんてバレたら、ミッチェルさん、怒るだろうなぁ……」

 自分の職場なのだが、責任者不在の現場に入ってしまったことに対する罪悪感は大きく、このことがバレないことをブライズは祈った。

 ものを作る現場だけに、そこにあるもの全てが通常よりも大きいサイズのものばかりで、初めて見るスノウでなくても第三者の立場の人も少なからず驚いてしまうだろう。

 美術館に飾られた絵画を見て回るように、スノウは工房内を見て歩く。そんな時、ある一つの刺繍に目が止まる。

「綺麗……」

 それは製作途中のものであったが、スノウの目には何か惹きつけるものがあった。

「この刺繍は、今開催している大祭に用いられている雪の紋章なんだ。霊峰サーネントにいるとされている雪神の紋章でもあるんだ」

 工房で働く他の人が手掛けたものであることに瞬時に気付く。そして、自分よりも遙かに繊細で綿密さを醸し出す仕事ぶりに、ブライズは自分が未熟であることを痛感してしまう。

「この形、何だが懐かしい……」

 表面に浮き出た刺繍部分を愛でるように撫で、何かを思い出したかのような口ぶりの言葉を呟く。

「えっ、また何か思い出したとか?」

「ううん、ただ何となく懐かしいなって思っただけ……」

 そして二人は、今まで歩き通しだったことを思い出し、今は使用者のいない作業用の椅子に座る。

「あのさ、ちょっと気になることを思い出したんだけど、シェリルさんを叔母さんって呼んでたよね。それに、ミモザと境遇が一緒で、両親を亡くしたってことも。ブライの事、何一つ知らないから教えてよ」

 静かな空間に流れる凛とした空気。

 二人きりという空間だからこそ話せることがあったりする。

「そういえば、今までずっとキミのことばかり考えてて、自分のことを何一つ話してなかったね」

 自分自身のことを何一つ話していなかったことを思い出し、喧騒から隔離された空間で話すことにした。

「叔母さんから聞いた話だけど、僕の両親は僕が生まれてすぐに不慮の事故で死んだらしくて、身寄りのない幼い僕は母さんの妹であるシェリルさんに引き取られたんだ。それから、両親とも同じ服に関する仕事をしていたらしくて、僕も同じ道を選んだんだ。叔母さんもキーラス染めっていう仕事をしていて、家族全員が服にまつわる仕事をしてるんだ」

 所々に死という悲しいキーワードを挟むものの、口ぶりは至って穏やかで両親の死を真摯に受け止め前向きに生きていることを感じさせる。

「仕事はまだまだ駆け出しだけど、いつかきっと一人前として認めてもらうんだ。それは自分自身も嬉しいことだし、何より、天国にいる両親も喜ぶんじゃないかなって思うんだ」

 両親の記憶の無いブライズ。だが、一緒に過ごした瞬間(とき)は短いかもしれない。それでも、二人がこの世に存在していたからそこ今の自分がいるのだ。例え記憶がなくても、両親の思いは確かに心の中に存在している。

ブライズとスノウは、ある意味、共通項があるからこそ出逢ったのかもしれない。

「でも、仕事に中々慣れなくて、いつも……」

 話を続けようとした矢先、不意にスノウに向き直ってみると超至近距離にスノウの顔があることに気付く。

「……うわっ!」

「……ねぇ、ここってあたしたち二人だけだよね」

 憂いを帯びた眼差しでブライズの瞳を真っ直ぐ見据えるスノウ。幼さを残しているにも関わらず大人びた色気を漂わす紅い瞳。それは違和感を覚えずにはいられないはずなのに、スノウという少女を構成しているアビリティーのように完成されている。

「うっ、うん、そっ、そうなるね……」

 あまりの至近距離にたじろいでしまうブライズ。一方のスノウは、その距離感を維持するためゆっくりとにじり寄る。

「……あたし、何かヘンな気分になってきちゃった。ブライの話を聞いてただけなのに……」

 それはまるで獲物を狙う肉食獣のように、相手の動きを窺うようにゆっくりと腕を伸ばす。

「ちょっ、ちょっと、待ってよ……」

 じっと座っていられなくなり立ち上がろうとするものの、スノウの色気に惑わされたかのように動けなくなり簡単に捕まってしまう。

「フフッ、ここには誰もいないんだし……ねっ、しよっ」

 ブライズに纏わりつくスノウは、優しく耳元で囁き掛ける。間近に聞こえるスノウの息遣いに、背中を何かが貫く感触に襲われる。

「こっ、ここで、すっ、するって……」

「フフッ、分かってるくせに……」

 再び正面にブライズの顔を捉えると、スノウは憂いを帯びた紅い瞳を閉じキスしようと迫る。

「すっ、スノウ……」

 身動きの取れない中、ブライズはこの流れでどこにキスをされるのだろうという期待と不安が頭の中を駆け巡っていた。

 接近するスノウの唇。一種の愛情表現なのか、それとも……

「おっかしいなぁ、鍵を掛けたと思ったんだが……」

 何の前触れなく現れるデコの上がった中年男性。彼こそ、この工房主でありブライズの雇い主でもあるミッチェルであった。

「みっ、ミッチェルさん!!」

 こんな時に現れるはずのない人物の登場に掛かっていた魔法が解け、そこまで迫っていたスノウを突き飛ばす。

「わきゃっ!」

 何の身構えもしていないスノウはというと、床の上に転げ落ち背中を強かに打ちつけてしまう。

「んっ、ブライ! どうしておめぇがここにいる?」

 ミッチェルも閉鎖しているはずの仕事場に人がいるという事態に、ふつふつと怒りがこみ上げる。

「いやっ、そのっ……」

「言い訳なんぞ聞きたくねぇ! とっとと出て行きやがれ!」

 稲光のごとき一喝に恐れ戦き、ブライズはぶつける文句を蓄えるスノウの腕を引っ張り一目散に工房を出て行く。

「ったく、若けぇモンは善悪の区別もできやしねぇ……」

 静寂が戻った工房を見渡すミッチェルであった。


「はぁ、はぁ、はぁ……」

 一番に出てきて欲しくない人物の登場に、ブライズの心臓は予想を遙かに上回る心拍数を叩き出し、少し走っただけだというのに息が上がってしまう。

「やっ、やっぱり、来るんじゃなかった……」

 両膝に手を付き、ブライズはしてしまったことに対し悔やむ。

「ちょっ、ちょっと、いきなりどうしたんだよ~」

 訳もなく連れ出されてしまったスノウは、さっきの人物のことや、いきなりのブライズの行動について答えを求める。

「仕事場の親方が来たんだよ。来ないと思ったのに……」

「あのツルツル頭のオヤジがミッチェルかよ。名前とギャップがあり過ぎだろ」

 違う観点から今の事態の総括をするスノウ。少しも悪びれる様子もなく。

「そっ、そこを、追求するの……」

 ようやく呼吸が整ったところで空を見上げてみると、さっきまで小雪が舞っていたが今はすっかりやみ、太陽が姿を現している。

「あ~走っちゃったから、暑いや」

 お湯を熱がるだけあり、スノウはこの状況にも関わらず羽織っていたマントを脱いでしまう。

「でも、スリルがあって良かったんじゃない?」

「えっ?」

 マントを乱暴に畳むスノウの顔は、さっきとは打って変わり小ズルイことを考える子供のような表情をしている。

「スリルは恋のスパイスだって言うし、あたしのキスを貰い損ねちゃったからちょっと後悔してるんでしょ?」

 まさに小悪魔的な笑みと仕草で、ブライズを挑発するスノウ。しかし、心も体も疲労困憊なブライズは、壁に寄り掛かりながら座り込んでしまう。

「……いつでもいいよ。ブライがして(・・)欲しいって言えば、して(・・)あげるよ」

 ブライズの耳を擽る甘い囁き。しかし、ブライズはというと、もう反応する気力さえ失われていた。


 気を取り直したブライズは、大祭の期間中に開いている叔母の染め物教室を思い出しそこへ向かうことにした。

 いつもは染め物工房として何人もの職人が工程別に仕事をしているが、大祭期間中は叔母が中心となり簡単に染め物を楽しめるよう開催している。

「分かりましたね。この液体で書いた部分だけが白くなり、染料に浸け乾かすと模様として浮き出てきます。では、皆さん始めてください」

 工房の中は、家族連れの観光客や恋人など多くの人々でごった返し楽しそうな談笑で溢れている。

「いらっしゃい、スノウちゃん。祭りは楽しい?」

 工房に二人が訪れたことに気付き、シェリルは話しかけてくる。

「うん、とっても楽しいです」

 満面の笑みで答えるスノウ。さっきの妖艶な笑みが嘘だったかのように、無邪気さを体一杯に現す。

「ブライズ、あなたも少しは祭りを楽しんだ?」

 長年共に暮らしているだけあって、今回の大祭についての感想を求めてくる。

「うっ、うん、まぁ……」

 頬の辺りをポリポリ掻きながら、今日一日の出来事を頭の中で思い起こす。

 簡単に言ってしまえば、スノウに完全に振り回された一日ではあった。しかし、いろいろな場所で見せるスノウの表情は目まぐるしく、今のように子供っぽい所を見せたと思えば、ミッチェル工房で見せた男を誘惑するような大人っぽい仕草。

 基本的には同じ表情の造りなのに、自分の心のままに違う印象を与える表情(かお)を作ってしまう。その姿によほどの自信と経験があるのではないかと思ってしまう。

「私の方でも、スノウちゃんについてあちこちで聞いて回ったんだけど、やっぱり有力な情報はなかったのよね」

 一瞬にして空気を変えてしまう一言ではあったが、スノウはいたって楽観的というか気にしていない素振りをしている。

「あっ、スノウなんだけど、徐々にではあるけど、記憶が戻ってるみたいなんだ」

「うん、少しずつですけど」

 多少の成果を報告するものの、まだまだ先は長いことを暗示させているようにも取れる。

「そうなの。でも、無理に思い出さなくてもいいんだよ。ゆっくりとでもいいからね」

 ここはあえて急かさず、温かく見守っていくことをブライズ共々優しく教えるシェリル。

「そう言ってもらえると、何だか、記憶を取り戻さなくてもいいかなって思っちゃいます」

 冗談交じりに場を和ませようとするスノウ。しかし、内心では、違う思いも抱いたりしていた。

『……そう言ってもらえると安心できる。できるけど、正直、あたしって誰なの? あたしの正体って……』

 笑顔の裏に潜むスノウの気持ち。それは叶えられることができるのだろうか。




 三章:lonely


 その日の夜、大祭を楽しんだスノウとブライズは家に帰り、叔母さんと三人で食卓を囲む。

 夕食は、相変わらずベジタリアンであることを主張するスノウのため、シェリルは全料理を野菜メインのメニューとして作った。ブライズには少々物足りなさを抱くものの、たまにはいいわねと叔母さんとスノウは口裏を合わせたかのようによさを力説した。

 スノウはこの日に体験したことをシェリルに話し、ブライズの立場を危うくするような場面を幾度となく作る。しかし、寛容な心を持った叔母は、ちょっぴり叱責をするものの、ブライズの立場からの意見も言ってくれてこの場を丸く治めてくれた。

 その後、一日の疲れを取るため、ブライズが先に風呂に入った後、スノウと叔母さんが一緒に入った。熱いのは嫌と散々駄々をこね暴れまわったりしたが、叔母さんの大人力で対処し風呂を済ませることができた。

 やはりと言うべきか、最後のひと暴れをしたスノウは、叔母さんと同じ部屋のベッドに入るとすぐに寝てしまった。始めのうちはすやすやと眠っていたものの、しきりに寝返りを繰り返し、何か温かいものが頬を伝っていることに気付き目を覚ます。

「……泣いてたの、あたし?」

 頬を拭いながらベッドから起き上がるスノウ。自分の手の甲に付いた液体を見据え、どうしてこんな事が起きたのか巡らせてみる。

「……」

 隣のベッドで眠っている叔母さん。

 見ず知らずの女の子を優しく招き入れ、一緒に食卓まで囲んでくれた。まるで母親のような温もりを与えてくれた。だが、それでも埋まらない何かが心に存在しているのも事実。この思いは何なんだろう?

「……」

 視線は部屋のドアへと向けられ、その先にいるであろう人物の姿を思い浮かべていた。


 ベッドに入ってもなお眠ろうとしないブライズ。

 工房で見た刺繍の緻密さに触発されたのか、ブライズは枕もとのランプの明かりを頼りに細かな刺繍をしていた。中々上手い一刺しができず、時間ばかりが経過していた。

 そんな最中にドアをノックする音。

 普通なら眠っていてもおかしくない時間帯であるが、ブライズはそんことなど気にも留めず自然の流れで返事をする。すると、ゆっくりとドアが開きスノウが中に顔を出す。

「……ごめん、寝てた?」

「ううん、寝てないよ」

 この時間帯だからだろうか、少し元気のないスノウ。今朝と同様な寝巻き姿で現れる。

「どうしたの、夜遅いよ?」

 ベッドに下半身だけを入れた状態のブライズ。手元には刺繍セットがある。

「……理由はないんだけど、寂しいから一緒にいてもいい?」

「……いいよ」

 ブライズの承諾を受けると、スノウはゆっくりとした足取りでベッドのところまで来ると中に入ってくる。

「ブライこそ、こんな遅くに何してたの?」

 一緒のベッドに入るスノウ。一般男子なら意識せざるを得ない状況ではあるが、そのような邪推な気持ちは起こる気配がなかった。

「……刺繍をしていたんだ。工房で見たのと同じもの」

 隠す理由もないブライズは、製作途中の刺繍を見せる。

「キレイだね……」

 製作途中ではあるが、出来上がった部分を触るスノウ。その様子は何かを懐かしんでいるようで、哀愁を感じさせる。

「何だかんだで、明日で大祭が終わるんだよな」

 これまでの大祭期間中に起きたことを思い起こすブライズ。ちょっと楽しく、そして疲労感のあった二日間。隣にいる記憶を失くした少女との出会いによってもたらされた出来事は、今までになく波乱万丈なものばかりであった。

「そうなんだ……町が賑やかでなくなっちゃうんだね」

 スノウも楽しむことができた祭りが終わってしまうと考えてしまい、寂しさを滲ませる。

「……大祭が終わった後のこととか、考えてる?」

 スノウとは視線を合わせず、自分が作っている刺繍の製作に戻る。対するスノウは、眼中になかったようで、どうしよっかなぁ~と宙に視線を泳がせる。

「このままこの町で暮らすってのもあるし、違う土地に行ってみるのも悪くないかも……」

「……そうか」

 彼女なりのビジョンを聞き、ブライズは多少なりの考えがあることを認識する。

「でも……」

 突然距離を狭め、スノウは肩に寄り添ってくる。

「ブライが一緒に暮らそうって言ってくれたら、一緒に暮らしてもいいよ……」

 一瞬に垣間見えるスノウの変化。

 前のようにからかっているのか、それとも本心からそう言っているのかブライズには本意が分からない。だが、記憶を失くしたまま他の土地へ行ったとして、一人で暮らしていけるだけの力がこの子にはあるのだろうか。いっそこのまま、一緒に暮らせば……

「……そっ、そんな事、いっ、言うわけないだろ?」

 心の揺れが言葉にも出てしまい、しどろもどろになってしまう。刺繍の手を止めスノウに顔を向けてみると、唯一見せていなかった表情(かお)がそこにはあった。

「……あたしが……近くにいたら……邪魔なの……」

 つぶらな紅い瞳を潤ませるほど湛えられた涙。それを必死に零さないよう、瞼を閉じようとしないスノウ。ここまで感情を素直に出した姿を、ブライズはこの時初めて見た気がした。

「……そっ、そんなことない、そんなことはないよ」

 一人の女の子を傷つけてしまったと悟ったブライズは、心の中にあった邪念を打ち払いスノウの瞳を真っ直ぐ見据える。

「……独りは嫌なの……独りにしないで……」

 とうとうスノウは泣き崩れ、ブライズの胸に飛び込む。今まで溜めていた涙が決壊し、ぽろぽろと止めどなく零れ落ちる。

「……ゴメン、キミのことをちっとも分かろうとしないで。キミが居たければ、いつまでも居てもいいんだ」

 自分の胸で泣くスノウを、ブライズは純真な心で迎え入れる。そして、自分の気持ちを込めるように銀髪(シルバーブロンド)の髪を優しく撫でる。

「……ホント……ホントに?」

「うん……」

 ブライズの優しい言葉によって涙は止まり、スノウは満ち足りた笑みを浮かべ残った涙を拭う。

「えへへ……あのね、お願いがあるんだけど、膝枕してもらっていい?」

「えっ、膝枕?」

 スノウの意外なお願いに面食らうブライズ。

「ねぇ、いいでしょ? 一度でいいから」

「えっ、うん、分かった」

 何の意図があるのだろうかと一瞬考えたりもしたが、素直にスノウの願いを叶えることにした。

「……一度、こうしてみたかったんだ」

 ふわふわの掛け布団をめくり上げ、スノウはブライズの太ももに頭を乗せ横たわる。

「……これって、女の子が男の子にするものじゃないの?」

「いいの、細かいことは気にしないの……でも、ありがとう」

 ブライズの膝の上で横たわるスノウ。体を縮め、胸の辺りで軽く握った姿を見ていると、やっぱりまだまだ子供なんだと実感する。

 しばらくその状態を維持していると、いつの間にかスノウが眠っていることに気付く。

「何だ、寝ちゃったのか……」

 静かな時が流れたと思いきや、スノウは安心しきった表情ですやすや眠っていた。

「う~ん、これは難しいなぁ……」

 体勢をできるだけキープしながら、スノウをどかすという動作ができず途方に暮れてしまう。

「ごっ、ごめんよ、これもキミのためだから」

 できるだけ起こさないよう気をつけながらスノウの体を動かし、ブライズはどうにかベッドで寝れる体勢に直す。

「ふぅ、やれやれ……」

 ブライズの気苦労など知る由もなく無邪気に寝息を立てているスノウ。その寝顔を見下ろしてため息を一つ。

「僕も疲れたよ。寝よっと」

 さっきまで抱いていた自分の未熟さのことなどすっかり忘れ、ブライズは刺繍セットをベッド下の籠に入れ、ランプの明かりを消してベッドに潜り込んだ。


 ライトキーニ最終日。

 大祭の最終日である今日は、夜に通例となっているパレードが控えている。祭りに関わる誰もがパレードに参加でき、それはそれは盛大に開催され大祭の閉幕を迎える。

 パレードの参加者には雪の紋章の入ったマフラーを支給され、それを巻きつけてキーラス大通りをパレードする。毎年行われているが、どれだけの参加者が見込まれているか定かではないためいつも品切れになっている。

「へぇ~最後にパレードするんだ。楽しそう~」

 朝食を囲む席で、シェリルは大祭の最後を締めくくるイベント情報を教える。勿論、スノウの反応は頗るいい。

「そうそう。そのパレードで着るマフラーを貰っておいたの」

 話のついでに食卓を離れるシェリル。

「ねっ、一緒に参加しよ、ブライ」

「えっ、あっ、あぁ……」

 スノウは素直に面白そうだから参加しようとしているが、毎年のように経験しているブライズは、大祭の最終日に行われるパレードのもう一つの意味を知っていた。

 それは、好きな相手と一緒に参加すると恋が成就するという噂。

 正直な所、その噂の信憑性は低い。単に誰かが噂を広めたに過ぎないかもしれないが、その噂を信じ一緒に参加した結果、見事カップルになったというケースが多々あった。この年齢になり、まだ女の子と付き合った経験のないブライズは、今年のパレードに掛けてみようと決心していた。

 ライトキーニ自体好きではなかったが、この迷信のような噂に縋るしかあの(・・)()との距離を縮めるチャンスがないと考えていた。スノウと一緒に参加してしまったものなら、彼女との距離が否応なく近づきカップルが成立してもおかしくない。その状況だけにはしたくないと、ブライズは頭の中で妙案を捻り出そうとしていた。

「はい、これがパレード用のマフラーよ」

 シェリルが持ってきたマフラーは両端に雪の紋章が織り込まれたもので、通常一人で使うには長く、何重にも巻ける。しかし、それを二人で巻き合うと丁度いいため、この行為が二人の距離を縮める結果となるのだろう。

「うわ~長いマフラー。あたしぐらいあるよ」

 シェリルの持つマフラーを一つ取ると、横に伸ばしたり縦に垂らしたりとその長さを確かめる。

「うん? 何だが、毎年毎年マフラーが長くなってるような……」

 記憶は定かではないが、昨年のマフラーを思い浮かべ、ブライズはスノウの持ったマフラーの長さを目測する。

「あたし一人で巻くと長いから、一緒に巻こうよ、ねっ?」

 軽く首に巻きつけた状態で、スノウはその端をブライズに差し出す。

「いっ、いいよ、無理に一緒に巻かなくたって」

 今にもこの場所でカップル巻きが実現しそうになり、ブライズは必死に抵抗する。

「え~、ぐるぐる巻きにすると息苦しいし、軽く巻いた状態だと引きずっちゃうから、その方がいいと思うんだけど……」

 巻いていたマフラーを解き、残念そうにテーブルの上に置く。

「ふふっ、何だが恋人同士みたいね」

 微笑ましく二人の姿を見ていたシェリルは何気なく呟く。

「えっ、ええっ!」

「もう、そんなことないですよ~」

 真に受けてしまい、酷く動揺してしまうブライズ。

 一方のスノウは、端からそんな思いを抱いていない様子で否定する。


 大祭の最終日ということで、メイン会場となるキーラス大通りは一日・二日とは比べものにならないくらい多くの人々で賑わっていた。

「うわ~凄い人!」

「あぁ、こんなにライトキーニって有名なんだ……」

 人でごった返している大通りの様を見止め、二人は人の多さに驚きを隠せない。

「こんな有様だけど、今日はどこを見て回ろうか?」

 混雑している通りを隔てるようにブライズの前に回り込み、スノウは笑顔を振りまく。現実に目を向けず、今だけは楽しもうと。

「さて、どうしようか……」

 暫し、どこを巡ろうかと思案していると、人混みの中を歩く見慣れた顔。昨日も会った、ミモザだった。

「あっ、ブライ君。今日もお祭り見て回るの?」

「えっ、うん……」

 昨日とは違い、今日のミモザはせかせかした様子はない。

「そうなんだ。私も今日はお祭りを見て回ろうと思ってたの。民宿が忙しいんだけど、母さんが今日ぐらい休んでもいいって言うから」

「へっ、へぇ~、そっ、そうなんだ……」

 やはり、ミモザを前にしたブライズは打ち付けられた杭のように直立不動になり、強張った表情で受け答えてばかり。その様子を間近で見ていたスノウは、ブライズの変わり様に呆れてしまい思わず助け舟を出してしまう。

「ねぇ、ミモザも一緒に見て回ろうよ。二人で見て回るのも限界があるからさ」

「えっ、いいの? 何だか、邪魔にならない?」

 意外な提案に素直に驚くミモザ。一人で祭りを回るというのもどうかと考えたりしたが、ここで素直に同行してもいいものなのかと考えてしまう。

「いっ、一緒に見て回る?!」

 信じられないスノウの発言にドキマギし、ブライズは一緒に見て回る様を思わず想像してしまう。

「どっ、どうしてそんなこと……」

「はぁ、分かってねぇなぁブライ。こうでもしないと、お前と巨乳娘の距離が縮まらねぇだろ。こんなチャンス、二度と来ねぇかもしれねぇんだぞ」

 強引に首根っこを引っ掴み、スノウはブライズにひそひそと言い聞かせる。

「そうかもしれないけどさ……」

「もう! そういう態度だからダメなんだよ。今日ぐらい楽しめよ。上手い具合にサポートしてやっから」

 うじうじしたブライズを叩き直してやろうと、スノウは荒療治的な提案を打ち出す。それは、自分がミモザとブライズの仲を取り持つと言ってるようだ。

「あの~何話してるの?」

「いっ、いやぁ、別に……」

「これからどこに行こうかなと、相談してたんだよ」

 さっきまでのやり取りを悟られぬよう、二人は平静を装う。

「それでさ、結論は出た?」

 二人の視線を浴び、悩むミモザ。

「う~ん、お言葉に甘えちゃおうかな?」

「よし、決まり!」

 こうして、ライトキーニの最終日を二対一で巡ることとなった。



四章:confession


 ライトキーニのメイン会場から一歩離れ、ブライズ達はありとあらゆる冬特有のスポーツのできるキーラス・アミューズメント・パークを訪れる。

 やはり大祭というだけのこともあり、この施設も多くの老若男女が利用し思い思いに楽しんでいる。

「うわ~っ! こんなめちゃくちゃ楽しそうな場所があるなんて信じらんない!」

 入り口に入って早々、目の前に広がる遊園地のような光景に度肝を抜かれる。

「そ~でしょ、そ~でしょ。ここでは雪や氷を利用したスポーツができるの。ちゃんと道具も貸してくれるから、思う存分遊べるよ」

 仕事に追われる日々から開放された反動からか、案内したミモザも少しテンションが上がる。

「はぁ……ここには来たくなかったんだけどなぁ……」

 はしゃぐ様子の女性陣の横で、ブライズは重苦しい雰囲気を纏っていた。

「こんな場所があるって知ってるんだったら、どうして案内してくれなかったんだよ?」

「ブライ君、運動が苦手だもんね。だから、教えなかったんでしょ?」

「えっ、まっ、まぁ……」

 ブライズの事を知り尽くしているのか、何故案内しなかったかを言い当ててしまう。

「そんな理由? 時々体を動かさないと、ブクブク太るよ」

 インドア派のブライズを敵視するように、スノウは冷たい視線を投げ掛ける。

「とにかく、楽しもう!」

「賛成!」

 拳を振り上げはしゃぐ二人。その光景に、先が思いやられると感じるブライズであった。


 最初に訪れたのは、天然の池をアイスリンクとして利用したスケート場でスケートをすることにした。

 スケートなど経験のないはずのスノウであったが、専用の靴を履きリンクに立つと、自分でも意外だったようで、滑らかに氷上を滑る表情は驚きに満ちていた。

 一方のブライズは、当初から難色を示していた通り、渋々スケート靴を履きリンクの上に立つことができるもののそこまで。一歩踏み出すたびに転び、立つ姿もへっぴり腰で格好悪い。

「……周りの人に笑われてるよ、だから来たくなかったんだ……」

 リンクの縁に掴まり、やっとのことで体勢を維持するブライズ。

「そんなことないって、気のせいだよ気のせい」

 ブライズと違い氷上でも何気なく立っていられるミモザとスノウは、ブライズを励まそうと滑り寄る。

「そんなの堂々としてればいいんだよ。これが普段通りだってさ」

「いいよなぁ~他人事だと思ってさ……」

 いとも簡単に滑れてしまう二人を羨ましくもあり、悔しくもあるブライズ。だが、一向に進歩しない自分にも苛立ち、いくら足掻いても上手くならない様にやる気が失せてしまう。

「キミ達だけで楽しむといいよ。僕は、見てるから」

「そう、じゃっ、あたしは華麗にリンクの上で舞ってるから、せいぜい見物してなさい」

 ブライズの言葉を真に受けたスノウは、早々に見切りをつけリンクの中央へと滑っていく。

「……ふぅ、そう言わないで一緒に滑ろう。私が支えてあげるから」

 縁にしがみ付いている手を取り、ミモザはブライズを支えながらリンクの中に入っていく。

「ほら、私が支えてるから、ブライ君も滑る努力をして」

 向かい合って滑りながらブライズの手を握り支えるミモザ。背後を気にしながらの動作だけに、少しでもバランスを崩すと倒れてしまう。

「うっ、うん……」

 手を握られていることなど忘れ、ブライズは自分の足元に目をやり必死に滑ろうと努力する。そんな二人の横を、調子付いたスノウが片足だけで滑ったり回転を加えたりとかなりエンジョイしている。

「……あの時と変わらないね。初めてここに来た時と」

 不意に見せる優しい笑み。その瞬間だけ、ブライズは顔を上げる。

「……えっ?」

「ほら、初めて日曜学校の遠足でここに来たでしょ? えっと、確か、十年前だっけ?」

 遠き過去を思い起こすミモザ。ブライズの方はあまり余裕がなかったが、ゆっくりと思い起こそうとする。

「え~っと……十年前……」

「もぅ、覚えてないの? あの時も、ブライ君はスケートが嫌になって止めるって言い出して、それを私が一緒に滑ろうって誘ったの。ホントに覚えてないの?」

 ゆっくりと手を引かれて進む二人。その様子を、滑り疲れたスノウは氷上を惰性で滑りながら見ていた。

「……ゴメン、最近、覚えることが多くて、中々思い出せない……」

「ヒドイなぁ、思い出は、思い出されないことが一番悲しいのに……」

 思い出せないブライズに見せる悲しい顔。それは、あの日、自分にも父親がいないと告白してくれた時と同じ。

「……覚えてるよ、君は教室でいつも中心にいた。明るくて活発で、いつも笑ってた……」

「……私も、覚えてる。いつも一人で、窓の外ばかり見てた……」

 徐々に思い出していくブライズ。そして、今に至るまで抱いている気持ちの出発点を。

「……僕、ゼオードさんに憧れてたんだ。行動力があって、人気があって、文武両道のところとか、僕にはないものだから……」

「……そう、かな?」

 違う次元の人なんだと思っていた。例えるなら、太陽と石ころ。しかし、あの時の告白を聞いた日から、僕は、君に親近感を覚え、いつの間にか恋心へと変わっていった。

「僕、運動音痴だったから、何でもこなしちゃうゼオードさんが凄いなっていつも思ってた」

「フフッ、運動音痴だったから、あの時と同じように支えてるんだね」

 少しよろけるブライズを支えるミモザ。その顔に、さっき見せた悲しい顔はなかった。

「運動が苦手な所も変わらないけど、繊細な心の持ち主だっていう所も変わらない……」

 スムーズに滑っていく人々の中において、ゆっくりと滑っている二人。それは違和感を覚えずにはいられないが、ある意味、二人だけの空間の中にいた。

「ぼっ、僕は……」

「ブライ君って、今も昔も変わらないね。良くも悪くも……」

 何か心に芽生えたものを感じ、ミモザは真っ直ぐ見ていた視線を不意に落とす。その瞬間、保っていたバランスが崩れ、ブライズはミモザを巻き込む形で転んでしまう。そのため、ミモザがブライズに覆いかぶさる形となり、否応なく顔と顔の距離が近づいてしまう。互いに見つめ合い、頬を赤らめてしまう。

「ごっ、ゴメン……」

「こっ、こちらこそ……」

 ゆっくりと起き上がると、何事もなかったかのように努めるものの、冷たいはずの頬がなぜか熱を帯びている。

「……」

 その一連の流れを傍観していたスノウは、胸の奥がモヤモヤするのを感じそれを紛らわそうと再び滑り始める。気持ちスピードを速めながら。

『なっ、何なの、この気持ち……でも、どこか懐かしいかも……』

 その後、雪にまつわる遊びという遊びを堪能し、スノウはさっき感じた思いなど吹っ切って大いに遊んでいた。

 

 遊び疲れた三人は、その後、温泉を利用したスパへ行った。そこで食事をし、寒く疲れた体を癒すため温泉に入ることにした。勿論、混浴ではないため、ブライズとミモザ達の浴場は別となる。

 大浴場はそれなりに利用者がいるものの、別段混んでいる感はなくのびのびと浸かることができる。

「はぁ~大浴場って開放感があって、気持ちい~っ!」

 ご自慢かどうか自負していないが、目に見えてボリュームのある胸を隠さずミモザはお湯に浸かりリラックスしていた。

「こんなに気持ちいいのに、入らないの?」

「あたし、浸かるよりもサウナ派だから、これでいいの」

 それとなく熱い湯が苦手なことを話したものの、湯船を前にして浸からない姿に違和感を覚えてしまう。

「こんなに遊んだの、久々かも」

 仕事に追われる生活から一時的に開放されたミモザ。溜まりに溜まったフラストレーションを発散するように、ブライズ相手に遠慮などせずハメをはずしていた。

「う~ん、やっぱ、服を着た状態で見ても生で見ても、ミモザの胸、おっきいよなぁ」

 湯船に浮かぶ二つの膨らみを見て、しみじみ思うスノウ。

「喜ぶのは男の人ばかりで、おっきいのも何かと不便なんだよ。服なんて、可愛さよりも大きさ重視になっちゃうし」

 一度、ぽよんと自分の胸を叩くミモザ。

「へぇ~そんなもんかねぇ……」

 自分のまな板に近い胸を一度見下ろし、スノウは自分の胸が大きくなった様を想像していた。

「私は逆に、スノウの肌の白さに憧れちゃうなぁ。きめ細かそうだし、スベスベしててさ」

「ミモザだって十分白いよ」

「えっ、そう?」

「肌が白いたって、何の役に立つって言うんだよ。別に、男が興味のあるものなんて、胸か尻ぐらいだろ?」

「それは、そうかもしれないけど、女の子は白い肌に憧れるの。いつもキレイでいられる秘訣はお肌だって、母さんよく言ってるから」

 決して男性のいるときにできない話をするミモザとスノウ。そして、スノウはいよいよ核心へと迫ろうとしていた。

「なぁ、ここにはアイツ(ブライズ)がいないことだし、腹を割って話そうぜ。正直、アイツのことどう思ってるんだ?」

 まさに直球勝負。

 変な遠回しな言い方はせず、スノウはミモザに対し真っ向勝負した。

「……スノウの方こそ、あの人のことどう思ってるの? 正直に言って。私も正直に答えるから」

 いきなり矛先を返されたスノウは、想像していた展開にならず調子が狂ってしまう。

「えっ、あたし? あたしは……」

「えっ、聞こえないよ?」

「すっ、好き……みたいな……」

 モジモジしながら、スノウは素直に思っていることを口にする。

「……そう、なの」

 湯船から身を乗り出して答えを聞き出したミモザは、スノウの答えを聞くと再び浸かりなおす。

「……あの人のことは人間性には好きだけど、恋愛としては見てない。ううん、見れないの」

 ミモザの悲観的な言葉。それは、何を意味しているのか?

「それって、どういう意味だよ?」

「……自分勝手って思うかもしれないけど、これ以上好きって思ったら、自分の人生もブライ君の人生もメチャクチャになりそうで怖いの……」

 次にスノウに何て言われるか予想できたかのように、ミモザは浴場の中央へと無意識的に向かう。

「……何だよ」

「恋に臆病だって言われるかもしれない。それでもいい。それでもいいの。今の関係を維持できるなら……」

「何だよ、それ!」

 あまりの消極的な言動に我慢できず、スノウは嫌いなお湯の中に入ると我慢しながらミモザを追う。

「何だよ、その言い草! 現実から目を背けるなよ。自分の気持ちになんで素直になれないんだよ!」

 バシャンと湯に飛び込み、ミモザの肩を揺する。

「だっ、だって……」

「あのな、人の人生を勝手に決め付けるなよ。人生は、決して平坦じゃない。山や谷があるからこそ素晴らしいんだ。恋から逃げるな。好きって思うなら、堂々と立ち向かいなよ!」

 真剣にそして諭すように、スノウは真紅の瞳でミモザを真っ直ぐ捉える。それは、自分が叶わないんだと言っているかのように。

「……あたしの方こそ、恋をしちゃいけないんだ。アイツ(ブライズ)にも、人にも……」

 意思の強さ漲る眼光を宿していたはずなのに、今のスノウは性格が変わったかのように瞳を潤ませていた。

「……えっ?」

「あたし…………」

 耳元でされる重大な告白。その瞬間、ミモザは時が止まったかのような衝撃と共に、言い知れない愛おしさがこみ上げていた。


 一日、キーラス・アミューズメント・パークで過ごしたため、スパを出る頃になると空はゆっくりと夕暮れへと向かっていた。

 時間帯から察して、歩いて帰っては肝心のパレードに間に合わないと思ったブライズ達は、キーラスの中心部とスパを往復している馬車を利用することにした。

 スパ内で合流してからというもの、スノウのテンションが急に下り誰とも話そうとしなくなった。ブライズは嫌いなお風呂に入ったから気分が悪いのだろうと思い込んでいた。

 この時間帯、馬車を利用する客が少ないようで、ブライズ達が乗る馬車には他の客がいなかった。

「……あのさ、スノウ、急に無口になっちゃったけど、どうかしたの?」

 縦に長いソファーのような席に、スノウ、ミモザ、ブライズという順に座り、隣になるミモザにこっそり尋ねる。

「えっ、スノウ? う~ん、どうしたんだろう、たっ、多分、お風呂でのぼせちゃったんじゃないかな?」

 本当の理由を知っているミモザ。自分の口から言おうとはせず、スノウ本人が本人の口で言うべきだと考え、その時が来る事を望んでいた。自分が直面した重大な事実を。

「そっ、そうなんだ……」

 ミモザを隔てて座っているため、顔色を窺うことができないが心配そうに様子を眺める。

 馬車の席に座った三人。外の係員がドアを閉め、発車の合図を出す。

 馬車を操る御者が走らせようとした瞬間、パレードの始めを告げる花火が打ち上げられ、客車に乗った三人にも聞こえる。

「あっ、もうパレード始まっちゃうの?!」

「ちょっと早い気が……」

 大祭の経験者である二人は、いつ花火が打ち上げられるかを知っているため、時間帯からまだ早いと感じる。

 バン バン バババン!

 いつもなら一発ずつ打ち上がる花火だというのに、連続して続いた炸裂音にさすがに違和感を覚える。

「おかしいよ、連続して花火が上がることなんてなかったのに……」

 窓の外を窺い、ミモザはその異変を感じ取る。

 ドォォォン!

 次の瞬間、誰もが驚くほどの凄まじい炸裂音が空気を震わせ客車にいる三人に襲う。

「やっ、やっぱり、おかしい……」

 疑惑は確信へと変わり、ミモザは思わず席を立とうとした。しかし、次の瞬間、事態は思いもしない方向へと向かう。

「おい、落ち着け、落ち着けって!」

 花火の音に馬が驚き、それをなだめようと必死に手綱を引っ張る御者。しかし制御ができず、二頭の馬は暴走し走り出してしまう。それを止めようと奮闘する御者であったが、馬の力には勝てず振り落とされてしまう。

「いっ、今、男の人が振り落とされた!」

「って、ことは……」

 前方にある御者が見える窓の外を見ると、残念ながら予想は的中し、そこには誰もいなかった。

「うっ、馬を操る人が、いっ、いない……」

「嘘でしょ!」

 駆け寄って確認するミモザ。しかし、そこには誰もおらず、いきり立った二頭の馬ががむしゃらに走っていた。

 危機的状況に陥ってしまった三人。

 馬をどうこうしようにも、馬の手綱を捌く術も外へ出る手段もない。唯一外へ出られるとしたら、出入り口となっているドアのみ。

「いっ、一体、どこに行く気なんだ?」

 完全に暴走している二頭の馬は、互いに別の方向へ走ろうとはせず息を合わせるように同じ方向へ走っていた。幾分均された雪道から逸脱し、パウダースノーが積もった雪原へと入っていく。不安定の客車はがたがた揺れ、まともに立ってさえいられなくなる。

「ここに居ちゃ危険よ、早く客車から出よう!」

 いち早く行動に出るミモザ。

 揺れる客車の中をよた付きながら進み、出入り口のある後方へ向かう。

「でっ、でも、飛び降りるなんて、危険だよ!」

 天井から吊るされているつり革にしがみ付きながら、ブライズは声を張り上げる。

「大丈夫。周りは雪だから、飛び降りても危険はないと思うの。このまま馬車に乗ってる方が危険よ!」

 ちゃんと周りが見えているミモザは、冷静に対応しクセのあるドアのロックを外し開け放つ。冷気を含んだ空気が一気に客車に流れ込んでくる。

「……わっ、分かったよ、飛び降りよう!」

 この先、どんな状況になるか分からない。だからこそ、意を決して馬車から飛び降りるんだと決意を固める。

「さぁ、スノウ、君も」

 手を差し伸べ、降りようと促すブライズ。しかし、この状況においても、スノウは座席に座ったまま俯き身動きひとつしない。

「……」

「ほら、スノウ、君も馬車を降りようよ」

 話しかけても何一つ反応しないスノウ。ただ、揺れに合わせて体が揺れ動く程度。

「早く! スノウも一緒に!」

 最も足場の悪い出入り口に居るミモザ。早く急かすものの、一向にやって来ない。

「……」

 完全に口を閉ざしてしまったスノウ。その彼女の何かを察知し、ブライズはゆっくりと後方に顔を向ける、

「……ゴメン、一緒には行けないみたいだ。君だけでも先に降りて!」

「だっ、ダメだよ! いっ、一緒に降りようよ!」

「……後から行くよ、必ず。だから……」

 一緒に降りることを聞き届けてもらえず、ミモザはしっかりと手近にあるもをしっかり掴み、外のステップまで降りる。

「……ブライ君……」

 後ろ髪引かれる思いで、ミモザは後ろを一瞥する。やはり馬車に留まったままの二人。自分は、そんな二人を残して先に飛び降りる。私だけ先に降りてしまっていいのかと、自分に問い掛けながら、後を追って飛び降りてくれるだろうと信じ、雪の中へと飛び降りる。

 粉のように巻き上がる粉雪。

 衝撃を和らげるよう無意識に回転し、ミモザはケガをすることなく馬車から生還する。

「ブライ君!」

 粉雪の中から這い出し、ミモザは馬車から後に続いて飛び降りたのかを確かめる。

「スノーーーーーウ! ブライく~~~ん!」

 成すすべなく、雪原を進む馬車を見送るミモザ。まだ馬車に居る二人の名を叫んで。


 二人っきりとなった客車。

 揺れは立て続けに起こっているというのに、ブライズはとても落ち着いた様子でスノウの隣に座る。その間も、スノウは俯いたままだ。

「……スノウ、僕に何か隠しているんじゃないのかい?」

 目線を落とし、ブライズは優しく語りかける。

 ようやく反応を見せるスノウ。ゆっくりと顔を上げ、ブライズに純粋無垢な笑みを見せる。

「……全部お見通しなんだ。ミモザが言ってた事、ホントなんだ」

「えっ?」

 この時、ようやく二人は面と向かい合う。

「……あたしね、思い出したんだ。何もかも……」

 ゆっくりと視線を外すように俯く。

「……そうだったんだ。何となくそんな気がしてたんだ」

 ブライズも感慨深く視線を落とす。

「えっ!」

 ブライズの意外な返しに、スノウは我を忘れ驚く。

「……掴みどころがない子だなって思ってたよ、正直ね。でも、元気が無くなった姿を見て気付いたんだ。記憶が戻ったことで、自分が何者であるかを知ったからじゃないかって」

 ブライズの全てを見透かした言葉に、スノウは今まで抱いたことのない感情が溢れ出してしまう。その結果、ブライズと過ごした思い出が涙となって頬を濡らす。

「……どうして、どうしてブライはそんなに落ち着いていられるの? あたしが人間じゃないって言っても、一緒に暮らせないって言っても、落ち着いてられる!?」

 驚いた様を見たいんじゃない。ましてや、心配してもらいたいんじゃない。何か、もっと人間らしい、人間として『スノウ』として過ごした証が欲しかっただけ。だから、スノウは問い掛けた。

「……うん。どんなことでも全てを受け入れるよ。君が何者であっても、僕の目の前にいるのは、スノウっていう女の子だということを」

 涙で潤む紅い瞳を見据えると、ブライズは腕を伸ばしスノウのか細い肩を抱き寄せる。一瞬ドキッとしてしまうが、不思議と不安感は消え去り、心地いい安心感に包まれブライズに体重を預ける。

 この時が、一生続けばいいとさえ思った。時が止まってしまえば、何も悩むことも悲しむこともない。ずっと、ずっと一緒にいられると。

「……馬車から飛び降りるんだけど、大丈夫?」

「……うん!」

 迷いは消えた。

 まるで悩みというものを知らない子供のように、スノウは今までに見せたことのない最高の笑顔で答える。

 一緒に席から立ち上がると、足並みを揃えるように出入り口のある後部へと走る。向かう途中、ブライズの顔を心の瞳に焼き付けるようにスノウは見上げ、

『ブライ……この三日間、楽しかったよ……』

 清々しい気持ちを胸に、スノウはブライズと共に後部へ走る。そして、ブライズに抱えられるように二人は馬車を飛び降りた。

 



終章


 馬車から飛び降り生還した三人。

 幸いなことに誰もケガをすることなく降りることができ無事であった。

 そして、別れの時が迫る。

「……もう行ってしまうの?」

 夕暮れ近い雪原に佇む二人と一人。

「うん。雪神って大祭が終わっちゃうと、姿が見えなくなるんだ……」

 平静を装うと努力するものの、その表情(かお)にはありとあらゆる感情が滲んでいた。

「また、会えるんだろ?」

 一歩前へ踏み出すブライズ。

「……うん、必ず」

 最後の言葉を呟き、ゆっくりと宙へと舞い上がっていくスノウ。今まで着ていた防寒着姿から和装のような衣装へと変わり、額に雪の紋章が浮かぶ。

『いつまでも、いつまでも見守ってるからね……さよなら、昔からあなたのことを……』

 高度を増していくにつれ、薄くなっていくスノウ。最後、はにかんだ笑みを浮かべたかのように二人には見えた。

 そして、完全に姿が消えたと同時に、空からは透明な雪「フローズン・ダスト」がゆっくりと降りてくる。

「……キレイ」

「ホントだ……」

 それは、雪神、いや、スノウからの贈り物であるかのように、雪原に佇む二人を優しく包み込むのであった。


                                           END


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