2*留美との関係(1)
今は午後七時。まともな中学生が家に帰り始める時間。あるいはもう家についている人もいるかもしれない。さっきのアドレスを携帯に登録して、服を選ぶ。黒いTシャツに赤と黒のチェックのスカートをはき、黒いコートを羽織った。そしてニーハイをはく。こういう格好は好きだ。赤いリュックに携帯と財布を入れてリビングに降りた。案の定誰もいなかった。
テーブルに置いてあったプリッツエルを一箱もって、玄関に向かう。編上げのブーツをはいて、何日ぶりかの家の外へ飛び出した。
冬風は遠慮を知らないというかなんというか、足に防寒対策をしていない私をあざ笑うかのように吹いている。私の家は海の近くに建っているからなおさらだ。海風ほど冷たいものはない。そのまま風にあおられて歩き出す私は、いったい何に向かっているのか、何を求めているのか、自分でもよくわからなかった。
しばらく歩くと住宅地を抜けて、交通の激しい国道に出た。そんなに都会でもないのにバスが何本も走っている。できるだけ明るいところに行きたかったので繁華街行のバスに乗り込んだ。車内には怖そうな目つきをした女の人と、参考書を抱えた中学生や高校生、それから化粧のやたら濃い女の人が乗っていた。空席もかなりあったので、私は一番降り口に近い席に座った。
バスは国道を駆け抜けて、やがて明るい繁華街に着いた。途中で参考書軍団は降りていたので、車内には私と目つきの怖い人、化粧の濃い人しか乗っていなかった。
「次は~食品センター前、食品センター前。お降りの方はブザーを鳴らしてお知らせください」
――――ピンポーン
目つきの怖い人がブザーを押した。
「次、止まります」
行くあてもなかった私は、ブザーを押すのもめんどくさく、ここで降りることにした。食品センターといっても名ばかりで、実際はアミューズメントショップが多いのだ。ゲームでもしていれば、この人の多い環境にも慣れ親しめるかもしれない。そんな願いもあった。
百八十円を運賃箱に入れてバスを降りた。冷たい空気に触れた途端、なんだか悲しくなってきた。
何で私はこんなに孤独に一人で立っているんだろうか。いつ、私の人生は狂ってしまったのだろうか。少なくとも小四までは私の周りにはたくさんの友達がいた。毎日学校に通うのが楽しくて、校庭を走り回るのが楽しくて、時間はあっという間に過ぎていった。
小五のクラス替えで、仲の良かったこと離れてしまってから、私の人生が狂ったのかもしれない。いや、逆だ。同じクラスになった人たちが最悪だったのだ。私は昔から運動はそこそこしかできなかったが、勉強がとてもよくできた。それを憎み妬んだ人がいたのだ。そして、私は一人になった。誰もしゃべりかけてくれないから、誰も一緒に遊んでくれないから。教室でもいつも一人で。家に帰ったって親はいなくて。
唯一の見方は隣の隣のクラスにいたから、なかなか助けに来るのは難しかった。畑中留美。彼女は私の生涯の友達になるはずだった―――――。
「じゃまだ。どけ」
罵声を浴びせられて気づいた。道のど真ん中に立っていることに。これでは邪魔と言われても言い返せもしない。しかたかないので、
「ごめんなさい」
と謝って、近くのファストフード店に入ることにした。
「いらっしゃいませー、食後に特製冬の雪見パフェはいかがですか~?」
笑顔で迎えられて、うれしいと思うのは私くらいではないだろうか…。ささやかな疑問を抱きながら、チーズバーガーセットとコーヒーを注文した。
「六百九十円頂戴しま~す」
甘ったるいバイト定員の目の前に千円札を置いた。
「千円からでよろしかったですか?」
「はい」
おつりと商品を受け取って、席を探した。一人用の席なんて、いくらでも空いていた。
コーヒーを飲みながら携帯を開くと新着メールが二通入っていた。
【お姉ちゃん:出かけてるの?】
あれだけインドア派の私が出かけることなんて年に数回だから、珍しがっているらしい。無理ないか。
【椿:ちょっとようじがあって。夜ご飯はいらないから】
それだけ返事をして、もう一通のメールを開いた。
【留美:助けて椿。もういやだよ】
――――留美?
もう一度画面を凝視する。間違いなかった。留美のアドレスだ。
留美とは幼稚園のころから本当に仲が良くて、絶対死ぬまでの付き合いになると思っていた。小学校で私がいじめに遭った時も、留美だけは私の味方をしてくれた。
でも。
留美は中学に入ってすぐに不良グループにつかまってしまったのだ。明るい髪の色が原因らしかった。最初は拒み続けていた留美だったが、ある時から急に学校に来なくなった。一年生の五月ごろだったと思う。留美のお母さんから電話があった。
『留美が椿ちゃんの家に行ってない?』
って。
もちろんうちにはいなくて、携帯に電話を掛けたけどつながらなくて、大騒ぎになった。結果、留美は不良グループの先輩の家に泊まっていることが分かった。そして、留美のお母さんもそれ以上深追いをしなかったため、留美とはそれっきり連絡が途絶えたままだった。
そしてそのことで人間不信になった私も登校拒否になってしまった。
【椿:三年も連絡しないで何してたのさ!今どこにいるの?】
急いで返信した。それに対する返事は意外にもすぐに来た。
【留美:駅前の、コンビニの前】
【椿:すぐ行く。絶対待っててよ】
まだ食べかけの類を置いてあった持ち帰り用の紙袋の中に手早く詰めて、ファストフード店を出た。駅前のコンビニは、電車で五分もかからないところにある。店の前の電停に着くと、ちょうど電車が来た。それに乗り込んで、座ってからまた携帯を開くと新着メールが増えていた。
【留美:ほんとごめん】
【椿:話はあとで聞くから。今はいいよ】
実は、もうあきらめていた部分もあった。留美のことは心配だったが、もうダメなんじゃないかと何度も思っていた。あんなグループに取りつかれてしまった以上、私の力ではもう留美を元に戻すことはできないんじゃないかって思っていた。でも今、やっと助けを求めてもらえた。それが嬉しかった。
「コンビニエンスストア前~、お降りの方は…」
車内アナウンスが流れて、扉が開いた。私はダッシュで降りてコンビニへ向かった。
「留美?!」
そこには、三年前とは打って変わった留美の姿があった。濃い化粧をして、髪は前よりさらに明るい色になっている。服装といい、座り方といい、もはや昔の優しかった留美はどこにもいなかった。
でも。
「………っ、つ、椿ぃぃ!!!!」
いきなり泣きながら私の胸に飛び込んで来た留美を見て、内面までは変わっていなかったことにとてもホッとした。
「どうしたの?今まで何してたの?てゆうか話せるの?」
私がそう聞くと留美は、
「話す。全部話すから聞いて。えっと…スタバ行こっか?」
と言って歩き始めた。
気づけば、辺りはもうすっかりひと気がなくなっていた。夜九時の路地裏なんてそんなもんだ。