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「それで?」
由理は聞き返した。彼女にしては珍しく目を丸くしている。
「また来週ね、って…」
小さな声で、柚葉は返事をした。
昼休みを利用して、教室から窓の外を眺めながら柚葉は昨日の出来事を由理に話していた。あの人の口止めは由理には適用できない。
柚葉は先日の衝撃から、まだ立ち直れていないままだった。
というよりも立ち直れるわけない。
あの顔を近づけられて覗き込まれて、くすりと笑われた挙げ句、唇に指を…
そこまで考えたところで柚葉の思考が停止してしまう。
“秘密ね”
そう囁かれて簡単に立ち直れる女子がいるわけない。
「そりゃまた…学校の七不思議になってもおかしくないわね」
「そーかも…」
「なんで図書室なんだろね」
そう聞かれた柚葉は首を傾げながら、こう言った。
「理由は言われてないけど、誰もいないから入ったみたいな感じだった」
「誰もいない場所を探してたってこと?」
「それは分かんないけど…」
「あいつだったら、放課後も自分の隣に女子を数人置くくらいはしそうなのに」
柚葉も否定しなかった。初対面の女子にあんなことができる人だったら十分、いや十二分にありえる。
「でも彼女と一緒にいないんだったら他の女子といるなんてもっての他じゃない?」
そうか、と由理が納得する。
「うっかりしてた。そうだよね。でも女子じゃなくて男子といるって考えもあるし」
「もう全然わかんない。なんで図書室なのかもさっぱりだし」
「やっぱ、ウチの高校の七不思議に申請すべきだと思う」
ふう、と由理は息を吐き出した。急に柚葉の方へ身を乗り出した。
「それはともかく」
「な、何?」
柚葉は若干、身体を引きつつ答えた。
「あいつ、“来週も”って言ったのよね?」
「そうだけど…」
「クラスメートなんだから、普通明日ね、って言わない?」
そう言われて柚葉は考える。
確かにクラスメートだと知れていたなら、あの時彼は“じゃあ、また明日”と言えば良かった話ではないのか。なぜわざわざ来週なんて言い方をしたのか?柚葉は心の中で答えが閃く。来週の木曜日も…来るつもりなのかもしれない。そう思った瞬間、柚葉の心臓は緊張という名の手で鷲掴みにされた。
「つまりよ…」
由理が切り出した。
「来週の木曜日も来るかもしれないって言いたいんでしょ?」
生気のない声で柚葉は答えた。なんかあの人、絶対有言実行っぽいし。
「もしそうなったらどうするの?」
「どーするもないよ。私があの人に来ないでなんて言えるわけないでしょ?」
そんな勇気ないし。柚葉はさりげなくガラス越しに映る彼の姿を見やった。相変わらず多くの生徒に囲まれている。
はあ…最悪。どうすればいいの?
「まあ、可能性だからさ」
由理が慰めるようにしてくれたにも関わらず、柚葉の心は全く晴れなかった。
未だ桜が咲いている。新学期が始まったばかりなのになぜこんなことでため息をつかなければならないのか。全部あの人のせいだ。
柚葉はまだ遊馬のことを名前で呼ぶ気にはなれなかった。理由は分からないけれど、思い出の彼のこともあるし、呼ぶことがあの人の存在を自らに近づけてしまうトリガーになる可能性を否定できないからだった。
図書委員の仕事に対して気が重くなるのは初めてだ。
あの人が来る確率九割。
他に誰も来ないし、二人きりの確率九割九分。
その中でさらに何かが起きる確率九割九分九厘。
考えれば考えるほど気分が落ち込んだ。
ひろに会いに行ってこの苛々を全部聞いてもらおう。そうしたらすっきりするかも。慰めるように頭を優しく撫でてくれた手はもう存在しないけれど。