31
「私、先輩のことが好きです。よかったら、先輩の彼女にしてもらえませんか」
悪いけど、と遊馬は言葉を返した。
「とりあえず今は、彼女とか・・・・欲しいわけでもなくて。だから付き合えない」
「先輩の今までの彼女さんは、先輩の表面だけ見て好きになったような人ばっかりじゃないんですか。私は違います」
「どう違うの?」
「私は、先輩が放課後努力してる人だって、知ってます」
遊馬は瞠目し、彼女のまっすぐな眼差しを受け止めた。彼女は続ける。
「放課後、よく駅前の図書館にいますよね。そこで難しそうな問題集いつも解いてる。それに、木曜日にはうちの図書室の窓あたりによく腰掛けてるの、見かけます」
「・・・・・・・・」
「先輩は上辺だけの人なんかじゃない。努力してるからこそ、彼女さんとも一緒に帰ってあげられない。でもその理由が勉強したいからなんて言えない。でも私は知ってます。私はそんな先輩が好きです。好きだから、邪魔したくもないです。でも、先輩が息抜きしたい時に少しでいいから傍にいたい、っていうのはわがままでしょうか・・・・・」
加藤さん以外にも自分の努力を知ってくれている人が現れた。理解もある。それに自分に向けている眼差しは本気だというのが伝わってくる。好きだと目から伝わってくる。遊馬は揺れていた。彼女なら。理解のある彼女なら、上手に付き合えるかもしれない。自分もきっとそんな彼女が好きになれる。それならば。
「わかっーーーー」
遊馬が答えようとした、その瞬間。誰かが二人の脇をものすごい勢いで駆け抜けた。柚葉だった。柚葉は遊馬たちがいることにも気づかず、一目散に階段を目指している。
「加藤さーーーーー」
尋常ならざる彼女の様子に思わず声をかけて追いかけようとした遊馬を目の前の後輩が腕を掴んで止めた。
はっ、とする。自身の腕を掴む力があまりにも強いことに遊馬は気づいた。彼女は目を大きく開いて柚葉が消えた方向を凝視していた。そこには軽い狂気すら感じられた。遊馬から向けられる視線に気づき、慌てて手を離す。
「今、話をしてるのは私ですよ、先輩」
笑いを交えながらそう言った彼女の顔はすでに元に戻っていた。気のせいだったろうか。
「そうだね。ごめん」
加藤さんにはきっと、好きな人がいる。そして今ならまだそう思うだけで彼女のことはけじめをつけられる。
大丈夫。今度こそ、失敗しない。
「わかった。君と、付き合う」
その言葉を聞いた彼女の顔が喜びに綻んでいく。
「本当に、私で、いいんですか?」
「好きだって言ったのそっちでしょ。だけど、君とはあまり一緒にいてあげられないよ。それでもいいの?」
「いいです。私は先輩のそばに居られるだけで、嬉しいですから」
「できるだけ、一緒に帰れるようにする。休日も毎週とはいかないけど出かけたりもしようか」
「そんな・・・・・先輩の重みにはなりたくないので、そんなことしなくても・・・」
「いいよ。俺も、もう少し彼氏としてのあり方を模索するべきだと思う」
「・・・ありがとうございます。どうしよう。嬉しくて言葉にならない」
俯いて黙り込んでしまった彼女に遊馬は問いかけた。
「名前・・・えっと、さっきまで覚えてたんだけど・・・・」
「1年B組の高羽美郷です。遊馬先輩」
「わかった。これからよろしく、高羽・・・・あ、いや、美郷」
「・・・・・はいっ!博之先輩!」
☆ー☆ー☆ー☆ー☆
啓之の姿を屋上に認めた柚葉の行動は素早かった。ちょっとトイレ行ってくる、と言い残し夢中になって校内へ入り階段を上った。途中、名前を呼ばれた気がしたが、柚葉は振り返らなかった。早くしなければ彼が消えてしまうことを恐れて。全速力で屋上階まで上った柚葉は息も絶え絶えに目の前のドアノブを掴んだ。彼女を拒むとされたドアはしかし、予想に反してするり、と開いた。屋上に降り立った彼女は必死に啓之の姿を探す。すると中央あたりに人影が一人ぽつんと立っているのが見えたが彼かどうかはわからない。
「ひろっ!!」
柚葉は一か八かで叫んだ。その人影は彼女の声に反応して振り向いた。しかし。
「ひろじゃ・・・・・ない・・・・・?」
「あんた・・・・・」
振り返った顔は柚葉の全く知らない顔で、それを認めた柚葉は大きく息を吸った。そして、今の現象がいかにありえないことだったかに気づき、ショックを受けた。啓之はとっくに亡くなっている。それなのになぜ、彼の姿が見えることがあろうか。それでも、彼女は信じていた。もしかしたら彼は自分に会いに来てくれるかもしれないと。そして昔のように笑いかけてくれるかもしれないと。
「は・・・・・・・」
彼女の頬を、一筋の涙が伝った。ただ、過去に振り回される自分が、惨めだった。もう終わったことなのに、どうして今でも私は縛られているのだろう。どんなに会いたくても、彼はもう、現れることはないというのに。
それに、目の前の人に見られてしまった。恥ずかしいやら情けないやらで、最悪の気分だった。
「すっ、すみませんでした!」
「おい、待てよ」
柚葉が踵を返して立ち去ろうとすると元々そこにいた人物が柚葉を呼び止めた。
「何があったが知らないけど、泣きたければ泣けば。・・・・・俺は別に気にしない」
見知らぬ男子生徒はそれだけ言って、彼女から距離をとって、床に座り込んだ。
今すぐにでもここから消えて一人になりたいと願った。しかしそろそろ花火の打ち上げが終わり、生徒たちは校内へ戻ってくる。鉢合わせでもしたら、それこそ死んでしまいたくなるだろう。一人になるどころではなくなる。彼女は男子生徒の言葉に従うことにした。彼が視界に入らない場所でうずくまり、声を殺して泣いた。