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あと一歩、踏み出したなら。  作者: 姫ちゃん
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「いいかー、宿題溜めんなよー。それとオープンキャンパスはどっかしら行っとけ!」


たっちゃんの声が教室の中に溶けてゆく。

生徒たちの興奮が目に見えない波となって揺らめくようだ。

そう。明日からは夏休み。高校生活最後の(三年次はもう休みどころではないだろうから)夏を謳歌しようという気持ちで皆の心は踊っている。



たっちゃんは夏休みの過ごし方をいくつか注意して、


「気を付けー」


「礼っ!」


「さよならー!!」



また1ヶ月後だねー、また会おうねー、遊ぼうねー、など生徒達の声が飛び交う教室内を縫うようにして歩く由理の肩を九条が叩いた。



「約束、忘れんなよ」


「23でしょ?分かってるわ」



つん、として歩き去る彼女の後ろ姿を九条はくすりと笑いながら見つめていた。


一方、柚葉は由理と異なり部活はなかったので他のクラスの友達と帰ることにしていた。


「九条君、由理をよろしく」

おちょくるつもりで言ったはずが、



「おう。…ヤバい、楽しみすぎる」

なんてにやけながら言うものだからから回った気分だ。


九条の隣に遊馬あすまが並ぶ。


「加藤さんも、また来月ね」


「…う、うん」


そっか、今目の前にいる彼は『クラスの人気者』であり柚葉のよく知る遊馬ではない。

学校はおろか図書室で会うこともないなあ、と思う間に遊馬と九条が柚葉の隣を通ろうとする。




シャツの裾を掴まれた。



「…図書室で会えないの、寂しくなるね」


驚いて見れば遊馬はあの特有の惹きつけるような笑顔を浮かべて柚葉の隣を通り過ぎたところだった。


やっぱり彼は心臓に悪い。







その日、九条は通う高校の最寄り駅へと向かっていた。

この分だと待ち合わせ時間より十分ほど早く着いてしまいそうだ。足が自然と速くなってしまうのを止められなかった。

あの葛城が。今日。一緒に出掛けてくれるというのだ。半強制のような誘い方をしてしまったが、内心ものすごく嬉しい。

だからといって彼女をあちこち連れ回すつもりはなかった。目的を終えればすぐに別れることになるだろう。



時間は彼女の部活が終わる午後に合わせた。

湿気と暑さを備えた風があたりに吹く。その不快感に思わず顔をしかめた。

九条は改札口に彼女の姿を認める。自分よりも早く来ていることに驚いた。短めのスカートから覗くすらりとした足。携帯をいじっているために伏せられた瞳。普段見ないハイポニーテールの由理を見てどきりとした。やはり可愛い。



九条が近づくと由理も気づいたようで携帯から顔を上げた。


「ごめん、待った?」


「別にそんなことないけど」

こんな会話ですら恋人同士のもののように考えてしまう自分はよほど重症なのかもしれない。


「もっと…遠出とかするのかと思ったんだけど」


「いや、んなことないよ。今日はちゃんと目的があるから」


「目的?」


「うん」


まあ、と九条は言った。


「とりあえずついてくれば分かるって」




自分より半歩先を行く九条は自分に見覚えのありすぎる道を歩いていく。柚葉と学校から帰るときに必ず通る道だ。


「……?」


不思議に思い九条の顔を覗いてみるが、彼の表情からは何も読み取れない。

普段から直球で来るくせに、と由理は心の中で九条に毒づいた。



「はい、到着」



「…あ?」



彼が立ち止まったのはこぢんまりとした店の前だった。この道を通っているからもしやとは思ったが。



「なんでここ?」


店の壁にかかった看板には、『ICY』の洒落た文字が。



「言ったでしょ、葛城のこと知りたいって」


「…さ、先に入る!」


由理は思わぬ直球に焦り店内へ慌てて入ってしまった。

後を追いかけて中へ入ると甘い香りが鼻をつく。 

由理は目をきらきらさせながらアイス達を眺める。


「どれがおすすめ?」


「どれを食べでもおいしいけど、私がいつも食べてるのはバニラね。追加料金でトッピングができるの。おすすめはオレオとマシュマロ。いちごと組み合わせてもおいしいわ。あとは季節限定かなあ。今は夏みかんのシャーベットが出てて…」



そこではっ、となり九条を見る。

九条は明らかに驚いていて、目が開いているのがこちらからでもよく分かる。ヤバい、勢いに任せて話しすぎた。引かれたかも。



「…じゃあ、俺はバニラのトッピング追加にしよっかな。葛城は?」


由理が九条を覗き見ると彼は微笑ましそうに由理を見ている。目が合って、慌てて逸らす。


「わ、私は…うーん…夏みかんにする」



「トッピングは?」


「いらない…」


OK、と頷き注文をする。


「756円です」


そう言われて由理は財布を出すが、九条に先を越される。


「806円、お預かりします」


店員がアイスを用意する合間に由理は財布を確認する。


「自分の分、あとで払うわ」


「いいよ。今日は俺のおごりだから」


「…逆じゃない?負けたの私なんだけど」


「俺が払いたいから黙っておごらされてなよ」


「でも」

由理は何となく素直になれない自分がもどかしかった。ただ一言ありがとう、と口に出してしまえばいいだけなのに。


「いいから。…可愛い葛城を見れたからそれで」


「やっぱあんたさ、遊馬の影響受けてるよね」




アイスを受け取って椅子に座り、ほっと由理は息を吐き出した。目の前の夏みかんシャーベットを見つめる。本当においしそうだ。



「えっと…いただきます」


「いただきまーす」


一口食べると、口の中に夏みかんの味が広がり、酸味を残して溶けた。


「お…おいしいっ!」


「これ、めっちゃおいしいのな」


九条が目を丸くする。由理は頷いた。


「でしょ!?何度も来たくなる理由分かるっしょ!」


目を輝かせながらぱくぱくとアイスを食べるその姿に九条は彼女の新たな一面を知れたと感じる。

こういうところは普通の女子高生らしい。



由理がもう一口食べようとするその腕を九条は捕まえた。そのままその手を自分の口元まで持って行き、


「!?」


「おわ、シャーベットもいけるね」


とにっこり笑う。

由理は一瞬、呆然としながらもすぐに立て直す。


「何、人のアイス食べてるのよ!」


「や、つい気になって」


間接キスをしたことには気づいていないのか、彼女は。


「そっちも寄越しなさい!」


と言うなり由理は自分のスプーンで九条のアイスをすくって食べる。


「やっぱこれ、最高だわー」


「ねえ、葛城ってさ、男とそういうことするの平気な感じ?」


「…そういうことって?」


「だから、間接キスとか」


数秒間の沈黙。そして急に由理の顔が真っ赤になる。


「あ…ご、ごめん、完全無意識…」


うわ、天然タラシか。ってかこの表情可愛すぎる。


九条は湧き上がる様々な感情に耐えなければならなかった。


「あんま男とやんない方がいいんじゃないの、今は俺から仕掛けたからあれだけど」


「ごめん、そうする」


「別に責めてるわけじゃなくてさ。俺の気持ち考えてよ。葛城のことが好きなんだから、他の奴とはしてほしくないってこと」


「…だから、なんでそう簡単に好きとか言うかな…」


「最初に告白したとき言ったじゃん、積極的にいくよって」


「反応に困んのよ…」


顔を赤くしながら由理は俯いた。

今までこんなに男子から迫られたことがなかったためにどうすればいいのか分からない。

大抵、告白を断ってしまえば次はなかったからだ。

それでもこいつはめげてない。そんな価値が自分にあるとも思えないのに、目の前の彼は頑張っている。



二人の沈黙とともにアイスはゆっくりと溶けていく。





「ご馳走さま。おごってくれてありがとう」


「どういたしまして」



並んで駅への道を歩く。

お互い何を話せばいいかも分からなくて無言になってしまう。学校の話と言ってもほとんどをアイスを食べている最中に消化してしまった。

どうしようかと考えあぐねていると、隣にいたはずの由理の姿が消えていた。

不思議に思い振り向けば、数メートル後ろに由理が突っ立っている。

戻って彼女の視線を辿れば、


樫野川かしのがわ花火大会』

の文字がでかでかと躍るポスターが。


「これ、今日だったんだ」

ぽつりと彼女が零す。


「何か特別なの?この花火大会」


「そういうわけじゃないけど。でも花火大会なんて何年も行ってないなあって」


これもしかして。いけるやつじゃないか。

心の中の自分が興奮気味に告げる。


いやでも断られたら怖いし。

そうストップをかけたものの。


「だったら行こうよ、俺と」


口が勝手に言葉を紡いでいた。


「あ、いや、暇だったら、だけど」

そう慌てて付け足すと、由理は愉快そうに笑った。


「今度は私が、焼きそばおごるから」


そう言って先に歩き出した。





そしてその数週間後。


「…加藤さん?」


「あ、遊馬君…」


夏休みの中の、もう一つの出会いが生まれる。

彼女は知らぬうちに初めて彼の名前を呼んだことに、まだ気づかない。



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