14
「私、最低」
暗然たる気持ちで柚葉は呟いた。
隣には由理も座っている。今日は由理と二人で高校の敷地内に設置されたベンチで二人で昼食を食べている。空は澄み渡り日差しも心地よく、五月末ということもあってか暑すぎず丁度いい気温だった。
しかし今の柚葉の心はそれとは真逆にある。
「確かに、それはひどいと思うよ」
由理ははっきりとそう言った。柚葉の心は再び沈みかけたが、浮上した。彼女は自分が思ったことを躊躇せず口に出す。それは良くも悪くもあるが、柚葉はこの友人の性格に助けられてきたのだ。ひろが亡くなったときも。
だから彼女が変に取り繕えばそれが柚葉には分かってしまう。彼女でなくとも、こんな事は批判されて然るべきなのに。今回も由理は自分の気持ちを伝えてくれた。
「なんで、二人を重ねようとしたんだろう。名前が同じだけだからなのかな?私、そこまで薄情な人間?」
ひろと遊馬に対して。
遊馬なんてまだ知り合ってから一カ月と少ししか経っていないのに。自分で思っている以上に二人の名前が同じだったことは柚葉に影響を与えていたのかもしれない。性格は全く違うと納得してはいても。
「私は柚葉も悪かったと思うけど…」
由理が話し出した。
「今は柚葉にひろ君を思い出させるようなことした遊馬を殴ってやりたい気持ちの方が強いかな」
にこりと笑ってそう言った。綺麗な顔してそんなこと言われるとすごく怖いんですけど、由理さん。
「や、でもあの人だってわざとじゃないんだし…」
そう言ってみれば、彼女は一気に口調を強めた。
「わざとじゃなくてもよ!知り合ってまだ一カ月ちょいでしょ?そんな女子に手ぇ出すのがありえないのよ!」
だから怖いってば、由理さん。
でも、不思議。なるべく接するのは避けたいと思っていたはずの彼があんな近づいても嫌だとかは思わなかった。ショックで心が半分麻痺していたというならまだ分かるが。あの時の彼には下心とかそういうのが見えなかったから。それなら、その時の彼の心情は何だったのだろう。何を、思っていたのだろう。そんな事を気にしてしまう自分はあの人をどう思っているの?
「本当ぶっ飛ばしたいわ、あいつ」
「他の女子を敵に回しちゃうよ、それ」
「他の女子を手玉に取ろうとか考えてんなら別にいいのよ。いくらでも取ってろって言いたいけど、柚葉はダメ」
「なんでよ」
「柚葉は純粋だから。素直だから。可愛いから」
そう立て続けに言われては照れるんだけど。
柚葉は顔を赤くした。心の中ではこうも思っている。本当に純粋で素直で可愛かったら思い出の中の彼をこんな風に扱わない。似ても似つかない人と重ねることなんて、しない。
柚葉は図書室で遊馬とそれなりに話して関係を持ってしまっているから由理のようには彼を嫌えなかった。その時点で既に遊馬の持つ魅力にやられているのかもしれない。認めたくはないけど。
「ひろにも謝らなきゃ」
あの後から、何だか怖くてひろの墓には行けずじまいだった。優しかったひろがこれを聞いても怒らないだろうとは思うけど。でも非難されたらと思うと。そうやって考えても始まらないのは分かっている。いつまでも彼の墓参りに行けないとは柚葉も嫌だった。今日にでも行こう、と彼女は決心した。
と。
「あの…葛城、だよね?」
その声に誘われるように顔を上げれば、一人の男子が由理の前に立っている。
「…そうだけど」
素っ気なく由理は返した。眉が少し顰められてる。困惑しているようだ。
「少し話、いいかな?」
敬語抜きの会話。柚葉は気づいた。同じクラスの男子だ。しかも遊馬とよく一緒にいる人。名前何だっけ…えーと…あ、九条君。
「ここでして」
その言葉に九条君は困ったように首を傾げた。
「二人じゃないとできない話なんだけど」
そう言って柚葉をちらりと見た。ここでピンときた。彼、よく由理を見てる人だ。ということは。
「ごめっ、私先に教室帰って」
慌てて腰を浮かしかけると由理は立ち上がった。
柚葉を見て笑う。「すぐ戻るから」その言葉に九条が苦笑いしそうになる。裏に否定の意味が隠れているような。
「あ…うん」
柚葉はそう返事して再び腰を下ろす。
二人が消えると、辺りは静寂に包まれた。
すごいな、由理は。相手が目の前にいてもあの態度を取れるとは。慣れてるからだろうか。一年のときもこういうことは稀にあったからだ。
────全員、肩を落として帰ってきたような。
「加藤さん」
急に呼びかけられて身体がびくっと反応する。
相手はくすくす笑った。あ、…この笑い方。
声のする方を振り向けば予想した通りの人が立っていた。遊馬だ。先日のことを思い出し、妙に落ち着かなくなる。何とも、思ってないかな。
「この前は、ごめんね」
謝れば、彼は首を振った。
「全然。ってかこちらこそだよね。驚かせるようなことして」
そう言い、柚葉に近づいた。ベンチの空いている所を指差す。
「座っていい?」
「あ…どうぞ」
おずおずと言えば、彼はそこにすとんと座った。
思ったよりも距離が近くて驚く。身体が触れてしまいそうになる。柚葉は緊張した。
いいのかな、この状況。彼女がいる人と二人で。
今更、言えたものじゃないんだけど。
誰かに見つかる可能性だってあるし。今隣にいる人は間違いなくこの高校で一番ゴシップ性が高い人だ。何を言われるか、堪ったものではない。第一なぜ、昼休みの今ここに?
彼を隣に座らせたことを後悔し始めた時、遊馬はぽつりと呟いた。
「…あいつ、上手くいったかな」
何のこと?疑問符を浮かべた柚葉に遊馬はくすりと笑って付け足した。
「九条だよ」
あ、九条君。そっか、仲良いんだもんね。
「もしかして…告白?」
「もしかしなくても、そうだよ」
その答えに柚葉は息を吐き出した。
「やっぱ、好きだったんだ」
「気づいてたの?」
「うーん。よく由理を見てるなあって」
「女子はそういうのに鋭いなあ」
遊馬は感心したように呟いた。
どうなんだろう。男子よりも敏感ってこと、あるのかな。そりゃ、そういう話が好きな性別ではあるけれども。
「由理は告白してきた男子、全員断ってるよ」
情報を教えれば、遊馬は頭をかいた。
「俺も言ったんだよなあ。まだ早いから止めとけって」
「早い遅いじゃないと思う…」
由理と比較的仲良くしていた男子が告白したことがあったが、彼女はそれでも「ごめん」の一言だった。柚葉は上手くいきそうだと思っていたので、これには仰天したものだった。
「まあでも、あいつ他の奴とは違うから」
「何が?」
「粘り強いんだよな。どこまでも粘るから」
「へえ…」
それじゃ、もしかしたらそういう展開もありかも?
由理に彼氏?…うーん、想像できない。
「じゃあ、付き添いなんだ、九条君の」
「うん。別にいらないと思ったんだけどね」
話をしていれば、由理と九条が戻ってきた。
比較的、時間が長かった気がする。
それに九条の肩も落ちていなかった。どういうこと?柚葉の隣の人物を見て由理は声を荒げた。
「遊馬っ!」
「え、俺?」
急に話しかけられた遊馬は慌てている。
「柚葉の隣に座んじゃないわよ」
凄みのある声だ。怖い。怖すぎる。
「や、俺ただ話をしようと…」
「あんたの相手してくれる女子なんてたくさんいるでしょ!」
そう言って由理は柚葉の腕を掴んで立たせた。後ろ手に庇う。一方の遊馬は困惑しっぱなしだ。女子にこのように話し掛けられたことが無いのだろう。
「俺、葛城になんかしたっけ?」
「柚葉に近づいた」
有無を言わさぬ声で由理は告げた。柚葉は恥ずかしくなって逃げ出したくなった。
「由理ぃ…」
「うぅ、やっぱり近づいてほしくないよう柚葉」
「…や、なんで俺ばっか責められてるの?」
グラウンドから活気ある生徒たちの声が聞こえた。
体育祭が近づいてきたのだ。その練習をするために出てくるクラスがこの頃は多くなる。
柚葉たちのクラスも例に漏れず、この後はグラウンドに集合することになっていた。
柚葉は前に一方的に由理に追い詰められる遊馬を眺めながら九条と挨拶をして軽く並ぶように歩くのだった。