13
「………」
我を忘れたように再び、見つめ合う。
まるで周りの空気が静電気か何かを帯びたかのよう。肌がそわそわする。落ち着かない。
ねえ、なんで私を見るの?何が目的なの?私の反応から何を得たいの?
そう聞きたいのに。
彼の瞳に魅入って口が動かせない。口どころか、全身縛られたよう。どうすればいい、どうすれば───?
その時、空気がふわりと動いた。
彼が手を私の方へ伸ばしてきたのだ。それこそ、私の緊張を解かせないかのように慎重に、ゆっくりと。そして、彼の手のひらが私の頬に触れた。ぴくりと身体が反応する。彼の手は思ったより熱くて、でも触られているとなぜか安心する柔らかさを持っていた。遊び人のはずなのに、なんでこんな優しい触れ方なの。どちらが本当のあなたなの。
その時────
“柚葉”
声が聞こえた。暖かくて懐かしくて愛しさが含まれている声。それは目の前にいる彼から聞こえたわけじゃなかった。どちらかというと、自分の心臓に近い部分から。心の奥、から。
私の頭の中で何かが白く明滅した。あれは…情景?自分の隣で笑ってる人は…今は亡き彼。
“柚葉”“柚葉”“柚葉”
彼は何回も私の名を呼んで、愛しげに頭を撫でた。
二人のそばには大きな桜の木。花びらが風に舞って地面に桃色の絨毯を作る。彼の手はそのまま私の顔に下りてきて、私たちは見つめあった。
“大好き…”
お互いの顔が近づいた。
「やめてっ!」
ぱん、と乾いた音がした。
気がつけば、柚葉は顔に触れている遊馬の手を振り払っていた。遊馬は驚いた。自分でも無意識のうちに彼女に手を差し伸べていたからだ。そして───振り払われたことにショックを受けていた。柚葉の瞳は泣きそうに震えている。泣いている女子の相手をしたことは何回もあるのに、今はまったくどうすればいいか分からない。あまりにも彼女が弱々しく見える。自覚もなく自分のために泣いているような女子たちとは、彼女はまるで違った。その表情はあまりにも暗く、何の感情を反映しているのかさえ判断がつかない。
「あ…」
柚葉が我に返る。自分のしたことに衝撃を覚えているらしい。幾らか顔の暗さは戻ったが、今度は自責が表情を占領している。
「ごめっ、なさい」
私、今すごい酷いことした。手を、振り払ってしまった。それ以上に、もっとひどいこと。手に力が入る。
思い出すのも恐ろしいくらい、ひどいことを考えた。
たった今自分は思い出の中の彼と、目の前で手を振り払われたまま固まっている人を重ねようとした。
名前が同じだけで、それだけで重ねようとした。
最低。ひろにも、目の前の彼にも。
「ごめんなさい…」
泣いてもしょうがないのに涙が一つ、頬を滑る。
それを合図に次から次へとそれが止まらなくなった。手で抑えても、出てくる。止まんない。どうしよう。泣いたら絶対変な人だって思われるのに。いや、それ以前に最悪な人間だって。
「ごめんなさい」
他にもっと言いようがあるはずなのに、今はこれしか思いつかない。ただ、謝るしか。
それまで固まっていた遊馬が、ぎごちなく再び柚葉の顔に手を伸ばす。柚葉は驚きはしたが、それを受け入れた。遊馬の手が再び彼女の頬に触れた。さっきよりもより、そっと。壊れものを扱うかのように慎重な手つき。指で柚葉の涙を拭った。柚葉は為されるがままだった。半ば茫然としていたせいもあるのか、反応は瞳が微かに揺れ動くだけだった。そうしていると、涙が止まった。それを確認して遊馬は静かに手を離す。こんな時、なんて言ったらいいものか。
「ごめん」
出てきたのは彼女と同じ謝罪のみ。
彼女は首を振った。むしろ自分が、と言いたげだ。
何が彼女をここまで悲しませてしまったのかは分からない。自分の行為は彼女の衝撃とは直接的には絡んでいないようだ。どうやら彼女に何かを思い出させるきっかけになってしまったみたいだけれど。
「大丈夫?」
こんなに所在なげに震えて、大丈夫なわけないだろと自分に突っ込みを入れる。こんな無意味な質問。なんでこんな言葉しか。しかし不用意に言葉を発して彼女を悲しませたくなかった。
彼女は弱々しく頷いた。
ああ、無理させてる───そう、思った。
柚葉は遊馬に対して申し訳なくなった。
気を使わせてる、自分が。だってすごく困った顔してるから。ごめんなさい、あなたが悪いわけじゃないのに。私が変なこと考えたせいで。
思考を総動員させて、無理やり笑顔を作った。
ちゃんと、笑えてるかな。
「大丈夫だよ、ありがとう」
そして付け足した。
「本当に───手、振り払っちゃって、ごめんなさい。あの、その行為自体は嫌いじゃなかったの…、むしろ私が悪くて…」
あんな想像した私が。
遊馬は頷いた。いつもより、首がみしみしと音を立てた。
「俺、帰ろうか?」
空気を読んでそう申し出た。彼女が一人になりたがってるんじゃないか、って感じたから。
「ううん…大丈夫…ここにいて」
彼女にしては珍しい懇願口調だった。
見れば彼女はまだ何かに耐えているようで、一人にできるような状況ではなかった。帰るなんて軽薄すぎることを考えた自分を呪った。
とりあえず、傍にいた。彼女の震えが収まるまで、ずっと。不用意に何かをしてはいけないと直感で分かっていたので、ただ近くで見つめる他なかったのだ。
しばらくすると、彼女の力を入れっぱなしだった拳がゆっくりと開かれた。深く深呼吸をする。自分の方へ向き直って、頭を軽く下げた。
「ありがとう、傍にいてくれて」
そう言って上げた顔にはまだ完璧ではないにせよ普段と同じ表情に戻っていた。ほっとした。
「良かった」
「私のこと、変な人だって思った?」
不安そうに上目遣いで聞かれる。
「思うわけない」
遊馬は即答した。あんなに悲しそうに涙を流す人間を変だなんて言えるわけないのに。
「そっか」
柚葉は答えた。少し、嬉しそうな色が目に漂った。
「もうそろそろ、帰ろっか?」
気づけば辺りはもう暗くなりかけていた。太陽が沈む直前の残光が部屋に差し込む。
うん、と柚葉は答えてカウンターへ荷物を取りに行った。
遊馬は深く息を吸った。さっきの出来事からほとんど空気をよく吸っていない気がしたからだ。
彼女を思い出す。何が彼女をあれほどまで悲しませ、泣かせたのかがとても気になった。それは彼女の禁断領域で絶対に踏み込ませてはくれないだろうけれども。あの陰のある表情に遊馬は少し、心惹かれるものを覚えてしまっていた。
待て待て。なんでこんなシリアス?
ってか展開が早い気がする…気づいたら登場人物たちが、私の想像を遥かに超えて行動してました。
大丈夫なのか、これ?
いやでもまだ好きになるまでの過程とかあるしっ、そこでまた二人にたくさん悩んでもらうしっ!
と言い聞かせる姫でした。