青空の下で君と
目を開けるとそこは、いつもの血溜まりの上。
周囲にはおびただしい数の人、人、人。
否、人だったモノ———。
ここがどこなのか、どうしてここにいるのかもわからない。
腕の中には、どこか見覚えのある女性。
《貴女》は……誰だ。思い出せない。
血に染まった体。焦る心。冷めていく熱。
握りしめていた手は力を失い、はらりと地面に落ちる。
嘆き、悲しみ、そして慟哭。
強烈な感情に支配され、俺の意識は引き千切られる様に途切れた。
「……」
校舎の屋上にて、佑月悠真は空を見上げていた。
私立王鳳学園。
歴史と伝統ある、由緒正しき学び舎。
広大な敷地の中には、校舎の他に学生寮やカフェ、スポーツジムなど、ありとあらゆる設備が用意されている。
生徒は大半が政治家や資産家の子供であり、将来を約束されたエリートばかりである。
「……また、いつもの夢か」
ぼんやりと翳む目を擦る。着ていたワイシャツは汗でびっしょりと濡れていた。
もう何度この夢にうなされてきただろうか。まったく慣れる気配はない。
それほどリアルな夢なのだが、自分にそれを体験した記憶はない。
ゆったりと地面から体を起こす。
どこまでも広がる青空。太陽は既に高く昇っている。
4月の風は少し強く吹き、雲を南へ運んでいく。
校舎に隣接するグラウンドからは、授業終わりの生徒たちの声が風に乗って聞こえてくる。
時計はちょうど12時を過ぎた頃だった。
「もう昼か……購買にでも行くかな」
あんな夢を見た後でもお腹は空く。
ふらふらと階段の方向へ足を延ばす。
同時に、誰かが勢いよく階段を駆け上がる音が聞こえてきた。
屋上の扉がバンと勢いよく開く。
「はぁ…はぁ…ここにいましたか、悠真さん!」
小柄な女の子が、息を切らしながら入ってきた。
制服のスカートが少し乱れている。
サイドに結んだ髪、小動物のような可愛らしい顔。
だがいつものそれとは違い、その目には怒りが籠っていた。
彼女の声色からも、怒っているのは間違いなさそうだった。
「あー、その……どうしてここが?」
「そんなことはどうでもいいです!悠真さん、また授業をサボりましたね!? 教室に行ってもいないんですから!」
思わずしまったという表情が出てしまい、それが余計に火に油を注いだようだった。
澄み渡る晴天の下、悠馬は年下の女の子に言いたい放題責められるばかりだった。
佑月悠真。王鳳学園二年生。
訳あって先週、この学園に転校してきたばかりだ。
そんな彼にお説教中の彼女は、比良坂燈。
学年は一つ下で、この学園での悠真の相棒である。
この学園には、相棒と呼ばれる独自の校則がある。
相棒となった生徒同士は、学園内においては、《《常に行動を共にしなくてはならない》》。
誰と相棒となるかは、入学時に学園から通知される。
基本的に拒否権はなく、何度も破れば進路にも影響する。それほどに重い校則でなのである。一応生徒同士の相性は最大限考慮されているとのことだ。
権力者の子供が多いこの学園では、よからぬ輩に狙われたりと一般人よりも危険に遭遇する確率が高まる。
常に二人一組で行動することで、そのリスクを軽減する試みなのだという。
さて、ひとしきり怒られた後、悠真はずっと疑問に思っていたことを質問した。
「……ところで燈ちゃん、その両手に持っている箱は?」
「ちょっと、悠真さん真面目に聞いて……って、あーーー!」
彼女が突然大声を出したので、つられて驚く。
「ゆ、悠真さん……今、なんと……?」
「え……その持っている箱は?」
「惜しい、その前です!」
「……ところで燈ちゃん」
「それです! やっと名前で呼んでくれましたね!私、感激です!」
彼女の表情がぱっと明るくなった。
入学初日からずっとそう呼んでほしいと言われていたのだった。
「うん、まだちょっと恥ずかしいんだけどね」
「私は恥ずかしくないですよ! 悠真さんのバディになれるの、すっごく楽しみにしてたんですから!」
ずいっと体を寄せ、手を握ってくる。
一体自分のどこを気に入ったのだろうか。悠真には理解できなかった。
「あぁそれで、この箱でしたね。実は私、今日は早起きしてお弁当を作ってきたんです。それなのに教室に行ったら居なくて……でもここなら天気も空気もいいですし。悠真さんっ!」
弁当の風呂敷を解きながら手招きする。
「一緒にお昼ご飯を食べましょう♪」
「はーい、悠真さんのお好きな卵焼きですよー。たくさん食べてくださいね♪」
今、目の前には豪勢は重箱が並んでいた。
その箱が二つ、三つ……全部で五つ。二人で食べるには、明らかに量が不自然だった。いくら食べ盛りの高校生とは言え限度がある。
「あ、ありがとう……。ところで俺、卵焼きが好きって言ったっけ…?」
「入学案内読まなかったんですか。相棒には相手の情報が学園から提供されるんですよ」
「へぇ、そうなんだ」
「そうなんだって……あ! もしかしなくても、私のプロフィール、まだ読んでくれてないですよね!?」
「い、いや……そんなことは」
じぃっと睨まれる。
「……ごめん」
「もう、仕方ないですね……いいですか? 相棒の情報を共有しておくことは、この学園生活において大事なことなんです。学園の警備は万全ですけど、もともとは不測の事態を想定しての制度ですから、いざという時に相棒を守れないかもしれません」
正直過剰にも思えたが、上流階級というのはそういうものなのだろう。
一般人の悠真には想像もできないことである。そして実際、この学園のセキュリティは要塞並だ。入り口だけではなく、どの建物に入る際も、逐一身分証が必要になる。
「わかった、今日中に確認しておくよ」
「お願いしますね。あ、お茶はいかがですか?ルイボスティーもありますよ」
あははうふふと楽しいランチタイムは過ぎてゆき、午後の授業の時間が近づく。
あの巨大なお弁当は、なんとか全部胃に収めた。
味は美味しかったが、次はもう少し量を減らしてもらうように言おうと心に固く誓った。
さすがに午後は授業に出るかと思っていると、燈が不安そうに尋ねた。
「……悠真さん、授業に戻る前にひとつだけいいですか?」
「うん? どうしたの」
「実はさっき、相棒の情報共有の話をしたと思うんですけど、学園から送られてきた悠真さんのデータ、|黒塗り《Not Reported 》の部分が多かったんですよね……だから私、悠真さんのこと、まだあまりわかってなくて……」
「……」
「で、でも私! 立派なバディになりたいんです。だから悠真さんのこと、これから色々教えてくださいね!」
「……そうだね。必要なことは、また伝えることにするよ」
「ありがとうございます! それじゃ私、そろそろ教室に戻ります。悠真さん、これ以上サボったらいけませんよ?」
「わかってる。じゃあ、また放課後にね」
しっかり釘を刺してくる彼女を見送り、教室へ歩き出す。
「……」
自分の過去は、よく思い出せないことが多い。
そして覚えていることも、あまり人に言うことではない。
あの天真爛漫な彼女には、尚更だ。
俺をここに連れてきて、あの人はどうしたいのだろう。
限界寸前の胃袋をさすりながら、教室へ戻った。へ戻った。