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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
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デュエリストの恋

 光の女神の祝福を受けたクレアレーヌは花嫁のようだった。

 純白のドレスの丈は短く、ウェディングドレスと呼ぶにはいささか少女趣味で扇情的だが、裾から伸びる華奢な足が彼女の清楚で未成熟な美貌をひときわ印象づける。彼女は無人の大聖堂にテオの姿を認めると、自信に満ちた歩調でゆっくりと近づいてきた。硬い靴音がうつろに響く。ステンドグラスを透かした光が鮮やかに降り注ぐ中、彼女の淡い青の瞳はまっすぐテオを捉えていた。その唇がかすかに震える。彼はクレアレーヌに心を奪われそうになった。また会えて良かった。再会の喜びを伝え、二人で分かち合いたかった。しかし手にした剣の重みが彼の胸の奥を冷やす。忘れたわけではない。彼女が消える前夜の事を。クレアレーヌは天使のように美しい少女だが、清楚なのは、見た目だけだ。

 抜き身の剣の切っ先をテオはクレアレーヌに向けた。

 規則正しい足音が一瞬だけ、かすかに乱れた。しかし彼女のテオに向けた視線が翳る事はなく、迷いのない足取りは何事もなかったかのように二人の間の距離を詰める。テオは軽い失望を覚えた。立ち止まって会話の時間を作ろうとしない彼女に対して。そして彼女を制御できると思った自分自身に対して。

「君の奔放な性格は知っているつもりだったが、まさか光の女神の駒に成り下がるとはね」

「そうする事が世界のためになると思いましたので」

 クレアレーヌは微笑んだ。これまでに見せた事のない、優しく寂しげな笑みだった。何故、彼女は今この時にこんな風に笑うのだろう。テオは違和感を抱いたが、澄み渡った鐘の音が大聖堂に鳴り響き、彼の思索を打ち切った。



 目覚めて最初に目にしたものは視界を埋めつくす透明な繭、そしてその中で眠る同じ姿形の少女。自分と繭を隔てるように透き通った壁があり、少女たちと瓜二つの全裸の娘が映っている。彼女は驚愕に目を見開き、無言でこちらを見つめていた。それが自分の姿なのだとクレアレーヌはすぐに気づいた。

「313号は役目を終えた」

 背後で女の声がした。振り向くと、黒い法衣に身を包んだ年上の女が立っていた。神に仕える聖職者。豊かなその胸元で、闇の女神のメダリオンが暗く輝いている。彼女が軽く手を振ると、宙に映像が現れる。右腕を失った血塗れの少女がどこかに運ばれていくのが見える。赤毛混じりの長い金髪、眉上で切り揃えられた前髪。繭の中で眠っている少女たちと同じ顔。

「貴方が彼女の後任よ」

 女は冷ややかな声で告げた。満身創痍の少女の映像がかき消える。それが古代魔術である事や、今現在世界のどこかで実際に起きていることを映写したものである事を即座に理解できる程度には、知識や常識がクレアレーヌにはインプットされている。しかし彼女は自分が全裸でいる事を恥ずかしいとは思わなかった。

「313号と呼ばれた彼女はどうなりますの?」

「貴方にそれを知る権限はないわ」

「彼女はまだ生きておりますわ。そして周囲の人々は彼女を救おうとしておりました。同じ人間が二人同時に存在するわけには参りませんのに……」

「彼女はもう、デュエリストとしては使い物にならないわ。でも、闇の聖女クレアレーヌ・ロシャスは人気の高いデュエリストだから、身請けしたいという者はいくらでもいるでしょうね。313号が表舞台に現れる事は二度とない。誰かの愛玩用の奴隷として一生を終える事になる。勿論、そのような不道徳な行為が露見する事はないわ。デュエリストは人類史の偉人の英霊、神に仕える不死身の戦士という事になっているのだから。仮にデュエリストと瓜二つの少女がいたとしても、それはクレアレーヌ・ロシャスではない」

 クレアレーヌは不意に悟った。313号と呼ばれた少女に救命措置が施された理由を。そして自分も彼女と同じ運命を辿るかも知れない事を。視線が力なく宙を彷徨う。女聖職者の無慈悲な声が頭上から降り注ぐ。

「悲観する必要はないわ。複製体の寿命は短い。どんな末路を辿ったところで五年も経たずに全てが終わる」

 クレアレーヌは顔を上げ、自身を見下ろす金髪の女に毅然と言い放つ。

「見くびらないで。わたしはもっとうまくやるわ」

「いい反応ね。この場所で目覚めさせた甲斐があったわ」

 女はすっと目を細め、「デュエリストは自分が誰かの複製体に過ぎない事を知らないのよ」と付け加えた。


 自分には無数のスペアがおり、自分が何か失態を犯せばスペアが自分に成り代わる。自分でなければできない事など何一つとして存在せず、平均的な人間の十分の一の寿命もない。自分と同じ人間が無数にいるにも関わらず、自分には自分のスペアの記憶や経験を知ることもできないし、その感覚や感情を共有することもできないのだ。自分の代わりなどいくらでもいるのに、自分はどこまで行っても孤独。クレアレーヌ第314号の人生は、それを知る事から始まった。

 クレアレーヌは闇の女神に仕えるデュエリストの一人だった。人類社会を分割統治する『神』と呼ばれる超越種は、統治者間の意見の相違を代理戦争によって解決した。神々はその超越的な科学力、或いは奇跡の力をもって人類史の偉人達の複製体を作り出し、英霊と称して地上に派遣。神々は彼らに『神器』と呼ばれる伝説の武器を与え、代理戦争の駒として、自らの定めたルールに則り殺し合いを行わせた。基本的には一対一の決闘が主流だが、集団戦の時もあるし、神々の軍勢を率いた陣取り合戦の時もある。代理戦争のルールはその都度変更された。神々にとって代理戦争はゲームに過ぎなかった。勝敗よりも楽しめるかどうかが重要だった。

 神の統治下にある人類は、地上に降臨した英霊をデュエリストと呼んだ。デュエリスト同士の戦いは人類にとっても娯楽だった。今や人類は超越種の庇護を得た高度知的生命体を自認している。戦争など、野蛮人のする事であり、野蛮な時代を生きた偉人は今も神々の罰を受け、野蛮な行為に明け暮れている、と高みの見物をする事で自身の優位性を確認している。

 他のデュエリストと同様に、クレアレーヌは自身の仕える神の神殿で日々を過ごす。彼女は夜が嫌いだった。悪夢に苛まれるからだった。目覚めると、胸に大きな穴がぽっかりと空いているような錯覚に陥る。いったい何を失ったのか、自分でもよくわからない。どこかで夜禽が鳴いている。扉をノックする音がして、例の金髪の女聖職者の気遣わしげな声がした。「大丈夫? うなされていたようだけど」──獣の遠吠えがかすかに聞こえる。無音の世界ではないはずなのに、女聖職者はデュエリストの少女のうめき声を聞き逃さなかった。監視下に置かれているのだろうか。クレアレーヌは身を起こし、一人用のベッドを覆う透けるように薄い天蓋を開いた。

「お尋ねしたいことがありますの。テオは……テオ・セレストはデュエリストではありませんの?」

「彼もデュエリストよ。貴方と同じ闇の女神に仕えているわ」

 クレアレーヌの胸の奥に暖かな安堵が込み上げた。

「ではテオもこの近くに……?」

「ええ。彼もこの神殿内で暮らしているわ」

「彼の夢を見ましたの。今すぐにでもお会いしたい」

 女聖職者は眉根を寄せた。呆れたようにクレアレーヌを見て、一呼吸置いてから口を開く。

「こんな時間に何を言い出すの。彼は就寝中よ」

「でしたら明日の朝まで待ちますわ」

「言い忘れていたけれど、デュエリスト同士の交流は推奨されていないの。それにテオは史実通りの悪趣味な男よ。敵対陣営のデュエリストとわざわざ親睦を深めてから殺している。彼には近づかない方がいい。クレアレーヌ、特に貴方は」

 胸の奥がちりちりと痛んだ。何に対する痛みなのか、クレアレーヌには解らない。

 史実におけるクレアレーヌ・ロシャスは千年以上前の人物で、悪政を布く巨大帝国に反旗を翻したレジスタンスのリーダーとして知られている。民衆からは聖女と崇められ、帝国からは魔女と恐れられたが、側近の裏切りによって囚われの身となり、あえなく処刑された。その側近が、テオ・セレストだった。彼は宝石に目がくらみ、クレアレーヌを帝国に売り渡した。しかし彼女の処刑の直後、謎の天変地異によって帝国は跡形もなく消滅した。彼女は本物の神の御遣いだった、聖女を殺したために神罰が下ったのだ、生き残った人々はそう信じ、ひたすら天に祈った。当時の記録は帝国とともにこの世から消失したが、テオの残した手記だけは異国に渡り、難を逃れた。聖女クレアレーヌの真実として後世に伝わったのは、裏切り者の言葉のみ。クレアレーヌ・ロシャスの複製体314号の知識もまた、テオの手記を元にしている。

 しかし夜ごと夢に見るテオの姿、その関係は『史実』とは全く違う。

 それが何。ただの夢だ。神の文明をもってしても、喪われた人間の記憶を復元することはできない。あの夢がクレアレーヌ・ロシャスその人の記憶であるはずがないし、仮にそうであったとしても自分はただの複製体、史実の偉人とは別人だ。そしてそれはテオの複製体にも言える事。夢も史実も真実も、自分には何の意味も持たない。それらに干渉する力が自分にはないのだから。いくらそう言い聞かせてみても、胸の奥に生じた痛みが消える事はなかった。

「彼には何故、敵対陣営のデュエリストと親睦を深めることができますの? デュエリスト同士の交流は推奨されていないと貴方はおっしゃいましたのに……」

「代理戦争のルールとして敵との対話や交渉が認められる事もあるわ」

「代理戦争の観戦は、わたくしにもできますかしら?」

 女聖職者は答えなかった。続きの言葉をクレアレーヌに促すように、肩上で切り揃えられた癖のある金髪が揺れる。

「テオの戦い方を確認しておきたいのです。ルールによっては彼とタッグを組むこともあるでしょうから」

「そういう事なら許可するわ」


 鍛え上げた体躯に日焼けした肌。癖のある茶褐色の髪。魔導映像で見た彼は、夢に現れたとおりの姿だった。やっぱりそう。あれはただの夢ではない。クレアレーヌの心中に確信が芽生える。テオの動きは俊敏で、戦い方には無駄がなかった。相手を確実に殺す事のみを考えているかのよう。代理戦争における勝利条件は、相手を殺す事ではなく、故に彼の戦い方はどこか異質だった。とはいえその振る舞いに加虐趣味は見受けられず、ジゼルという名の女聖職者がかつて口にした『悪趣味な男』という評には反しているように思われた。その点は想定の範囲内だった。それよりもクレアレーヌを驚かせたのは、彼の手にした神器だった。

 魔剣、或いは闇の聖剣『星砕き』──それはレジスタンスのリーダーとなったクレアレーヌが携えていた剣だった。現存する記録には剣に関する記述はなく、故にそのような事実は、史実としては存在しない。しかし彼女は悪夢の中で『星砕き』を握っていた。闇の女神の加護を受けた黒い刃の聖剣を。

「貴方はわたくしに複製体の秘密を明かした。わたくしの記憶にも手を加えたのですか?」

 視線をテオに据えたまま、クレアレーヌはジゼルに小声で尋ねた。

「質問の意図が不明瞭ね。もっと具体的に言ってちょうだい」

「わたくしはこの神器を……『星砕き』を知っているのです。いつも夢に現れるから」

「貴方に任意の夢を見せる力はあたしにはないわ。まして見たこともない剣の形状を夢の中に正確に描画する力なんて……。でも、こんな説があるの。全ての人類は心の奥底の根幹の、無意識の領域で繋がっている。証明するすべはないわ。目に見えない領域に関する仮説だもの。だけど生きていると、無意識のうちにそのような領域から真実を引き出したとしか思えない現象に遭遇する事がある。第六感、霊感……そんな言葉を想起させる出来事よ。貴方が見た夢もその一種なのかも知れない」

 クレアレーヌは答えなかった。記録映像の中でテオは若い女と対峙していた。複製元はどこかの国の王女だったのかも知れない。クレアレーヌよりも年上の、高貴な印象の美人だった。彼女の神器は槍だった。しかし彼女はその利点を生かそうとはしていなかった。むしろその力を発揮する事を恐れているようにも見える。それが対戦相手に対する好意故である事は、恋を知らないクレアレーヌの目にも明らかだった。一方のテオに迷いはなかった。決着はあっという間に着いた。一気に間合いを詰めたかと思うと、黒の聖剣が彼女の胸を深々と貫いて、それで全てが終わった。癖のない白金色の長い髪が流れ落ち、女の顔を覆い隠す。クレアレーヌは唇を噛んだ。第六感だとか霊感だとか、自分にそんな特別な力があるとは思えない。既に死んだ複製体の足元にも及ばない。自分はただの紛い物の大量生産品に過ぎない。


 テオと話す機会は数日の後に訪れた。タッグ戦による代理戦争が新たに始まる事になり、クレアレーヌはテオと組むよう命じられたからだった。それは女神の決定であり、人類に拒否権はない。それでもデュエリストが監視下に置かれている事に変わりはなく、二人の面会時には聖職者が同席する。テオの傍らに佇む彼の専属の聖職者は、クレアレーヌと同じ年頃の銀髪の少女だった。利発そうでありながらどこか儚げな印象で、先日の記録映像にあった白金色の髪の女にどことなく似ているような気がした。

 クレアレーヌは無意識のうちに自身の髪を指先に巻き付けていた。

 腰まで伸びた赤毛混じりの金髪は、生え際こそ直毛だが、毛先に行くほどウェーブが強くなっていく。まっすぐな髪に生まれたかった。そんなことを不意に思った。目の前の銀髪の少女も、記憶映像で見た白金色の髪の女も、癖のない髪をしているのに。テオの髪には癖があるから、隣に立つ女の子の髪は、癖のない淡い色の方が似合っている……。主観だらけの憂鬱に、胸が詰まりそうになる。

 銀髪の少女はテオを見上げ、癖のある茶褐色の髪を白い指で絡め取る。「随分と伸びたのね。戦うとき、邪魔にならない?」「そんな風に思った事はないよ。この視界に慣れているからね」「髪を束ねた方がいいわ。紐ならあたしが用意するから」──彼女はまるで調教済みの猛獣を愛でるように、恐れを感じさせない距離感でテオに接していた。テオは穏やかな物腰でされるがままになっており、彼女が望むのであれば、どんな要求にも応えるのではないかと思われた。クレアレーヌの胸の奥が軋む。彼女の存在に気づいても、銀髪の聖職者の態度は変わらない。対等な人間ではないのだ。デュエリストは人類にとってもゲームの駒に他ならない。だからといって自分を卑下するつもりはなかった。デュエリストであるという一点において、この場に集う誰よりも自分はテオの近くにいる、クレアレーヌはそう己に宣告した。

 簡単な挨拶を交わした後、クレアレーヌはテオに尋ねる。

「貴方は『星砕き』の真の力をご存知ですの?」

 テオは小さく息を呑み、クレアレーヌに向けた目を大きく見開いた。それは一瞬の事だったが、クレアレーヌは彼の変化を見逃さなかった。一呼吸置いてから、テオは穏やかに口を開く。

「真の力というものが何を指すのかは解らないが、『星砕き』は私に与えられた神器だからね。君が自身の神器について知っている程度には知っているよ」

「わたくしの神器は……『星剣』は闇の女神の鍛えたものではありませんわ。『星剣』からは闇の女神の力を感じないのです。わたくしに感じ取れるのは、光と闇を併せ持った古き神の力のみ。そのような存在をなんとお呼びすればいいのかわたくしには解りませんが、敢えて言葉にするならば、そう、至高神……」

 それは冒涜的な言葉だった。

 火、土、水、風、光、闇、生命、死──そのいずれかを司る八柱の神。人類を統治するそれらの神々の価値は平等だ。四大元素は言うに及ばず、光も闇も生も死もこの世界を構成する要素の一つであり、そこには善悪も優劣も存在しない。そして神は人類にとって絶対的な存在だった。神の上に神はおらず、神の下に神はいない。現存する神を差し置いて至高なるものなどこの世のどこにも存在しないはずだった。

 しかし居並ぶ聖職者はクレアレーヌを咎めなかった。彼らは皆一様に口を閉ざしていた。自身の手札を伏せたまま、誰かが迂闊な行動に出るのを手をこまねいて待つかのように。

 静寂を破ったのは、テオの力強い声だった。

「私のかつての戦友は随分と勇敢なお嬢さんだったようだね。こうして甦った今の時代でも君と共に戦えるとは。光栄だよ」

 テオは大股でクレアレーヌに歩み寄ると、彼女の手を取ってその甲に口付けた。思いもよらぬ彼の行為にクレアレーヌは絶句する。テオは気にする素振りも見せず、毒気のない口調で続けた。

「至高神。至高神か。真実のためならば神をも恐れぬ心意気。そんな君がデュエリストとして仕えてくれるとは、我らが闇の女神もさぞかし心強い事だろう」

 そうね、と答えたのはクレアレーヌ専属の女聖職者ジゼルだった。彼女の声には意味深な笑みが含まれていた。テオの雄弁な振る舞いによってクレアレーヌの失言は不問になったが、クレアレーヌのテオに対する疑問もまた、うやむやになった。テオは穏やかな笑顔のまま、クレアレーヌの手を放す。クレアレーヌはその手を胸元で軽く握っていた。彼は『星砕き』の真の力を知っているのだろうか。胸元に置いた己の手に指を重ねようとして、クレアレーヌはとどまった。彼の指と唇の感触が残っている場所に触れてはならないような気がした。


 クレアレーヌとテオのタッグは負け知らずだった。闇の女神の陣営の他のデュエリストの出番はなかった。たった二人で対立陣営のデュエリストを次々に葬り去ってゆく。民衆は二人に熱狂した。伝説の聖女と彼女を裏切り処刑台に送った男。その二人が現代に甦り、神の決闘代行者となり、手を取り合って強豪に打ち勝つ。彼らの端麗な容姿もまた、人気に拍車をかけた。二人のデュエリストとしての振る舞いを歴史上のエピソードに当てはめて、新事実を発見した、史実にあるこの記述はこういう意味だったのだと珍説や陰謀論を唱える者も後を絶たない。

 そこは古代の闘技場を模した最新鋭の決闘場だった。神々のもたらした虹色の石、この世のものではない石でリメイクされた人類文明。満場の観客の熱狂を浴びながら、クレアレーヌはテオに向き直る。足下には事切れたデュエリストが転がっている。しかし二人は無傷だった。クレアレーヌは顎を上げ、挑発するようにテオを見上げる。彼の間近で共に戦い、クレアレーヌは確信に至った。テオは『星砕き』の真の力を知っている──

「わたくしにキスしてくださらない?」

「ここでかい?」

 クレアレーヌに答えるテオの口調は穏やかだったが、その目は笑っていなかった。

 クレアレーヌは動じる事なく、悠然と微笑んだ。

「ええ。ファンサービスですわ。大衆の望むわたくしたちの姿を彼らにお見せしなければ」

「……望んでいるのは君じゃないのか」

 テオは軽く身を屈め、クレアレーヌの耳元で囁く。それは大衆の望むテオ・セレストのロールプレイに過ぎないのか、それとも彼自身の欲求によるものか。テオはクレアレーヌを乱暴に抱き寄せ、噛みつくように唇を奪った。クレアレーヌの手から銀の筒が滑り落ちる。それは彼女に授けられた神器、使い手の意思に応じて光の刃を宿す剣。しかし今、その『星剣』に刃はない。

 やがてテオはクレアレーヌから唇を離すと、片手で彼女を抱き寄せたまま、割れんばかりの歓声を上げる観衆に向かって手を振った。彼は晴れやかな笑顔だった。クレアレーヌは力なく彼の胸に頭を預けた。足下に転がる『星剣』をテオは爪先で器用に蹴り上げ、空っぽの手でキャッチする。そしてクレアレーヌに囁く。

「初めてだったとは思わなかったんだ。手荒な真似をしてすまなかった」

 クレアレーヌは答えなかった。経験のなさを見透かされるほどたどたどしい反応をしてしまったのかと思うと気恥ずかしくて仕方がない。彼女の内心を知ってか知らずか、テオがさらに追い打ちをかける。

「君のような美人を放っておく男がいるとは思えなかったからね」

 テオは『星剣』をクレアレーヌに握らせると、大きな花束を抱えるように両腕で彼女を横抱きにした。熱狂的な大歓声の中、クレアレーヌは銀髪の少女を思い出していた。調教済みの猛獣を愛でるようにテオに接していた、自分と同じ年頃の可憐な聖職者。彼女とテオはいったいどのような関係なのだろう。胸の奥が焦げるように痛い。クレアレーヌはテオの体温を感じながら、刃のない『星剣』を両手で抱きしめた。


「光の女神の陣営に移籍するつもりはない?」

 ジゼルにそう問われたとき、クレアレーヌは真っ先にテオの事を考えた。そして即座に答えを出した。テオは『星砕き』の真の力を知っている。選択肢は一つしかなかった。

 しかしそれは最期まで秘めておかねばならない事だ。

 答える前にジゼルの意図を確認しなければならないし、もしも移籍するのであれば、彼女の説得に応じた体を装わなくてはならなかった。クレアレーヌはジゼルを見据え、慎重に言葉を選ぶ。

「わたくしは闇の女神のデュエリストですわ。他陣営への引き抜きは不正行為ではありませんの?」

「確かに褒められたことではないわ。だけど神の法で禁じられているわけじゃない。それに貴方の神器は所属陣営を選ばないわ」

「ですが貴方のおこないは他の聖職者の目には裏切りと映りますわ」

「構わないわ。あたしは闇の女神のみを信仰しているわけじゃない。あたしの信仰の対象は神々の文明そのものよ。だから様々な神に仕え、様々な角度から神を見て、その文明の全貌に近づきたいと思っている。あたしのような研究者気質の聖職者は決して少なくないわ。法的にも道徳的にも、あたしを弾劾する事は誰にもできないはずよ」

「異端者として追われる事になるわけではありませんのね」

「異端者だなんて、随分と前時代的な考え方ね。そんな事にはならないわ。神の優劣、信仰の在り方……そういったものを巡って人間同士が争う事を神々は望んでいないのだから」

 ジゼルはすっと目を細め、癖のある笑みを浮かべた。獲物を狙う狐のような狡猾そうな笑い方だった。しかしクレアレーヌにとっては渡りに船だった。今はどんな弱みでも武器として利用しなければならない。彼は『星砕き』の真の力を知っているのだから。

「わたくしは貴方について行きますわ。ですが一つだけお願いがございますの」

「どんな事かしら」

「監視なしでテオに会いたい」

「彼の事が好きなのね」

「はい。それがいかに不毛な事かも存じておりますわ。ですからわたくしは彼の元を離れ、光の女神のデュエリストとして生涯を終えたいのです。その方が彼のためにもなると思っておりますので。ですが最後に一度だけ……」

 クレアレーヌの震える声をジゼルは冷ややかに打ち切った。

「分かったわ。あたしが段取りを付けましょう」


「……俺に何をした」

 豪奢な長椅子に腰を掛け、足を組んだ体勢で、テオはクレアレーヌを睨んだ。クレアレーヌは臆さなかった。対外的な一人称を使わなかった彼に優越感を抱いたし、年上の男の虚勢を可愛らしいとも思った。クレアレーヌはテオの横に腰を下ろすと、彼の手に自分の手を重ねながら囁いた。

「媚薬が効いてまいりましたのね」

「媚薬だと……」

 テオは絶句した。クレアレーヌは悪びれずに答える。

「闇の女神の勝利に貢献したデュエリストへの褒賞として、わたくしがお願いいたしましたの」

「まったく。こんな事をして何になる。君もデュエリストなら解るだろう」

 テオはクレアレーヌの手を払いのけ、憂鬱そうに頭を抱えた。テオの拒絶にクレアレーヌの胸の奥は痛んだが、すぐに気を取り直し、椅子に座ったままのテオにのしかかるように身を寄せた。

「わたくしはただ、貴方のお望みのものを差し上げたいだけですわ」

「そんなものはこの世にはないよ」

 何か言おうと開きかけたクレアレーヌの唇をテオは自らの唇で塞いだ。そのままキスを続けながらテオはクレアレーヌを長椅子に押し倒し、形勢を逆転する。やがて唇が離れたとき、クレアレーヌは熱に浮かされたように放心していた。テオはにやりと笑って言った。

「その様子じゃ君も媚薬を飲んだんだね」

「もしも毒だったらと思うと……」

 それ以上は言えなかった。今のテオのいない世界に一人で残りたくはなかった。すぐに新たな複製体が投入されるのだとしても、新しい彼が『星砕き』の真の力に気づくとは限らない。魔剣の真実を知っている今のテオはクレアレーヌにとって特別な存在だった。それに共に過ごした記憶は新しい彼の中にはない。姿形が同じでも記憶が違えば別人だ。しかし当の本人は、クレアレーヌの言葉の意味を理解しかねるようだった。テオは軽くため息をつくと、クレアレーヌの身を包む薄手の衣服に手をかけた。

「まあいい。たまにはこういうのも悪くはない。媚薬を盛られる機会なんて滅多にないだろうからね」

 クレアレーヌの脳裏にまた、銀髪の少女の姿が浮かぶ。しかし今度は胸の痛みは感じなかった。テオとの関係は一度きりで終わる。そして次に会うときは敵同士になっている。だけどそれでいい。そのとき彼の記憶の中にわたしの姿があるのなら、わたしは永遠に彼のものになるのだから。



 クレアレーヌは丈の短いドレスの裾をたくし上げ、右太腿のベルトに留めた柄のみの剣を握りしめる。戦闘の開始を告げる鐘楼の鐘が鳴り響く中、彼女は『星剣』に光の刃を宿した。黒曜石の床を蹴り、対戦者との間合いを詰める。本気で挑めば勝負は一瞬で終わるだろう。最強の神器と謳われた『星剣』に斬れないものはない。いかなる盾も鎧も光の刃の前では無力。まして人間の体など、熱したナイフでバターを切るように一太刀で両断できる。光の刃を受け止めてもなお無傷でいられるものは、神の領域で生み出され、鍛えられた神器のみ。クレアレーヌは光剣でテオに斬りつけた。光り輝く刀身をテオは魔剣で弾き返す。衝撃に腕が軽く痺れ、クレアレーヌは後ずさる。テオは攻撃に転じなかった。いつもの彼とは様子が違う。

「わたくしを殺さないのですか?」

「その必要はないだろう。代理戦争において、対戦相手の殺害は勝利条件ではないのだからね」

「……随分と見くびられたものね」

 クレアレーヌは『星剣』を天に掲げ、その力を解放した。彼女の背に光り輝く三対の翼が生える。人の背丈の十倍はある大聖堂の天井に向かって彼女は一気に舞い上がり、光剣を構えて急降下した。テオが魔剣を構え直す。クレアレーヌは『星剣』を投げ捨て、自ら魔剣に飛び込んだ。背中に生えた翼がかき消え、黒い刃が胸を貫く。クレアレーヌの鮮血を浴びた魔剣が暗い光を放つ。夢の中で幾度も見たあのときの光景のように。

 クレアレーヌの夢に現れるテオ・セレストは裏切り者などではなかった。彼はクレアレーヌ・ロシャスの身代わりとなって帝国に囚われたのだった。皇帝の前に引き出されたテオは、臆する事なく言い放つ。

「おまえたちの探している聖女など、この世のどこにも存在しない。己のおこないを振り返ってみるといい。聖女など、魔女など、罪悪感の生み出す幻に過ぎん。クレアレーヌ・ロシャスは帝国初の女聖騎士の名前だったな。忘れたわけではあるまい、民衆の人気を得るために聖騎士に仕立て上げた名門貴族の令嬢だ。おまえたちは彼女を政治利用するだけして、旗色が悪くなれば政治犯として追放した。残念ながら私は彼女に会った事などない。ましてや彼女が反乱軍の指導者であった事実もない。民衆を扇動し、反乱を招いたのは、聖女でも魔女でもない。おまえたちの罪悪感の生み出した幻だ。私はそれを少しだけ利用したに過ぎないのさ」

 それはテオのハッタリだった。しかし皇帝は彼の言葉を聞き終えるや否や、剣を抜いた。

「つまり貴様はこの私と我が臣民を欺いたというのだな。実に見事な手腕であった。褒美を取らせようぞ」

 言うなり皇帝はテオの首をはね飛ばす。クレアレーヌは『星砕き』を通じてその一部始終を目撃した。それは魔剣がテオの死を代償として認めたという事でもあった。黒い刃が暗く輝く。覚醒の合図だと解る。

 魔剣、或いは闇の聖剣『星砕き』。その名は天に瞬く小さな光に由来するものではない。この世に生きるあらゆる命、あらゆる物質を指している。それらを殲滅するために上位種が作った大量破壊兵器、それが『星砕き』の正体だった。

 魔剣は契約者に代償を求める。それは使用者の縁ある者の死。基本的には魔剣に直接血を吸わせる必要があるが、魔剣の使い手が愛している者であればその限りではない。テオが語ったとおり、クレアレーヌ・ロシャスは聖騎士に仕立て上げられた帝国貴族の令嬢だった。ただし実際の彼女は政治利用されて捨てられて終わるような娘ではなかった。彼女は聖騎士の称号に相応しい人間になろうとした。この世から悪を殲滅し、平和をもたらしたいと願った。彼女は考えた。悪とは何なのか。悪とはどこから生まれるのか。彼女は周囲の人々や民衆の声に耳を傾けた。そうして彼女は気づいた。この世に生命ある限り、悪が潰える事はなく、争いが消える事もないと。そんな彼女に目を留めたのが、闇の女神だった。当時、神々には敵対種が存在した。そして帝国は敵対種である邪神の力によって繁栄していた。帝国の圧政と紛争によって邪神は強大になってゆく。そこで闇の女神は帝国もろとも敵対種を滅ぼそうと画策し、クレアレーヌに闇の聖剣『星砕き』を授けたのだった。

 反乱軍の指導者となったクレアレーヌは縁者や知己を次々と手に掛け、代償を蓄積していった。しかし彼女は側近のテオに惹かれてゆく。彼女の中に疑問が芽生えた。魔剣の力を解放すれば、この世界は滅亡する。テオのいるこの世界を滅ぼしてもいいのだろうか。彼女の迷いは反乱軍を窮地に陥れた。敗走が続き、ついにはテオが虜囚の身となった。そして魔剣の見せた最期。クレアレーヌは理解した。テオは魔剣を覚醒させるために皇帝を挑発し、自身を殺すよう仕向けたのだという事を。もはや迷いは何もなかった。『星砕き』の契約者となった時点で引く事などできなかったのだ。彼女は自身の血を捧げ、魔剣の力を解放した。帝国は彼女もろとも一瞬にして灰燼に帰した。テオが弟子に託した虚偽の歴史書のみを残して。

 この光景を毎晩のように夢に見たからこそ、クレアレーヌの複製体314号は気づいた。テオが何故、敵対陣営のデュエリストとわざわざ親睦を深めるのか。そして相手を殺害する事にこだわるのか。彼は『星砕き』の真の力を知っており、魔剣を覚醒させようとしている。何のために? 恐らくは、神を名乗る超越種に一矢報いるために。

 暗く輝く魔剣に口付けながら、クレアレーヌは事切れた。

「こんな事をするために君は私を愛したのか」

 テオのその呟きが彼女に届く事はなかった。


【終】

いずれ媚薬のくだりを加筆したいと思っています。

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