8.死を回避させるには
あれから三週間。
俺と鏑木はというと、あの日を境に急激に仲良くなっていた。
男と男の友情は拳で、というのは本当らしい。
気を許した鏑木は意外と人懐こくて、餌をもらって人馴れした野良猫のように、今では俺をみかけると鏑木のほうからから寄ってくるようになった。 以前はあんなに俺から逃げていたのに、おかしなものだ。
今日だって、鏑木といたせいで、帰宅したのは22時過ぎ。
別に遊ぶ約束をしていたわけじゃない。なのにバイトが終わって裏口から外へ出ると、居酒屋のネオンに照らされた鏑木が、歩道の車止めのポールに座るように寄りかかって待っていたのだ。
「遅かったなー」と手を降る鏑木。
「待ってるなら連絡しろよ」って言うと、
「バイト終わったら、いつかは出てくんだろ」って笑ってた。マジで暇すぎんだろ。
二人でどーでもいいことを話しながら、鏑木に安いと教えてもらった商店街の端にあるスーパー激安タナカマートに寄って、二人で好きなパンを買って、鏑木んちで食べて帰ってきた。
スナックは相変わらずホステスさんが元気で、俺に「ハルちゃんばっかりじゃなくて、たまにはお姉さんと遊んでよ~」なんて冗談言って「悪い女だなー」って常連さんと笑ってたし、親父さんは俺に会釈を返すでもなく、まったく関心なさそうにコップを磨いてた。
そして二階はいつものように、散らかっていてヤニ臭くて男臭かった。
(そういや鏑木は今日、昼も夜もパンだったな)
鏑木は最近学校によく来るようになり、昼飯を屋上で一緒に食うようになった。
自分で作った弁当を持参する俺とは違い、いつもいつも鏑木は、家からパンを持ってきて食べている。
細長いパンがいくつも入ったスナックパンだったり、この前みたいなジャム入りのコッペパンだったり、ウィンナーが乗ったパンだったりと、意外とバリエーションがある。
でもさすがに飽きるだろうと、この前俺の弁当と替えてやったら、「木嶋、料理できるのすげーな」って喜んで食ってた。
金がないから仕方なく作ってるだけで、別に俺は料理は上手くないし、弁当の中身もお粗末。焦げて形の崩れた下手くそな卵焼きと、焼き目の濃いウィンナーに白飯くらいしか入っていない。
(あれで喜ぶって、いっつもパンばっかで、まともなメシ食べてないってことだよな)
激安タナカマートも、具の入ったおにぎりよりもパンのほうが少し安い。だから今日もパンを買ったが、パンを食べる鏑木の袖から覗く手首の細さを思い出し、おにぎりにすりゃ良かったと、バスタブに湯を溜めながら少し後悔した。
ダボダボの短ランボンタンの下は、俺が思っているよりもきっとガリガリなんだろう。
(もしかして食生活の見直しが、死の回避に結びついたりすんのか?)
いや、多分問題はそこじゃない。もっと根本のところ。
例えばもし鏑木の死の原因が、家庭環境にあるとしたら?
それならば食生活云々よりも、生活そのものを変える必要があるだろう。
(父親の職探しとかか? そんなの俺がどうこうできるもんじゃないしな)
いきなり現れた息子の同級生に、まともな仕事に就けって言われて素直に改心するはずないし、そもそもそれで真面目になるような大人なら、はなからスナックの二階で息子と暮らすことなんかしない。
(親父さん、俺と目すら合わせねーしなぁ)
せめてあの最悪な住環境をどうにかしてやりたいが、俺ができることといえば、弁当をわけてやったり、たまに家に行って掃除してやることくらいだ。
(今のところ、鏑木の死と関連しそうな問題は、家庭環境くらいなんだよな)
鏑木と一緒に過ごすようになったこの三週間で分かったことは、学校を休みがちであることと、生活環境が悪すぎることくらいだ。
最近はよく来るようにはなったが、それでも休みがちだ。まあ不良は学校に来ないもんだし、鏑木曰く『面倒くせーなと思ったら行かない』ってことらしいから、出席日数とかその辺は気にしてなさそうだし、それが原因で死ぬとは考えにくい。
(鏑木は本当に俺以外に友達はいないみたいだし、いてもあのバーのマスターのおっさんグループとか、行きずりで喧嘩した奴とか、その程度なんだよな。それ以外で気になるのは、親父さんの交友関係か)
あれから何度か鏑木の家に遊びに行って、出会うのはスナックのママやホステス、常連のおっさんたちくらいで、父親の交友関係は不明だ。
(鏑木からの話を聞く限りでは、普段は寝ているか、タバコ吸って酒飲むか、スロットに行っているかって感じか)
ただ借金があるっぽいから、もし何かあるとすればそこか。つかそれくらいしか思い浮かばない。
『……俺が金持って帰ってきても、全部親父に取られちまうから』
初めて鏑木の家に行った時、ポロッと鏑木が言っていたことが、俺の頭の隅に引っかかっていた。
(親父さんと金のことでもめたとか、死にたくなるような何かがあったんだろうか)
今日は11月17日で、11月も後半にさしかかる。
鏑木の死が発覚する3月まではまだ時間があるとはいえ、もうすぐ12月だし、3月まではあっという間だ。
(鏑木が自殺する前に、俺に何か相談でもしてくれりゃあなぁ。そうすれば自殺を意地でも止めるのに)
鏑木の相談相手になれたら、このヤバいループを終わらせることができるんじゃないだろうか。
鏑木は思ったよりも俺に懐いてくれているし、このまま親友の座に収まれば、もっといろいろ話してくれるようになるに違いない。
(この三週間でかなり仲良くなったしな。今度は俺の部屋でメシでも食おうって誘ってみるか)
いつも鏑木の家ばかりだから、うちでメシ作ってやるって言えば喜ぶかもしれない。
(簡単なもんしか作れねーけど、パンよりはマシだろ。何が食いたいか聞いとくか)
俺は『木嶋すげー!』と喜ぶ鏑木を想像しながら、鼻歌まじりで風呂に入った。