7.友達になろう
「サンキュー。鏑木も殴られたとこ貼っとけよ」
俺はなるべく布団を踏まないようにしながら床と布団の境に腰を掛けた。シャツの前を捲り上げ、隣の部屋の明かりで鳩尾を確認する。
蛍光灯が暗くてよく見えないが、たぶんちょっと打ち身になってるはず。痛みのある箇所に、透明フィルムを剥がして、ツンと匂いのする湿布を自分で貼り付けた。
「うは、冷た」
貼った箇所を手で撫でていると、鏑木が俺の腹をまじまじとみていることに気がついた。
「なに」
「木嶋、腹筋割れてんじゃん」
「あー、俺昔空手やってたし、その名残。俺筋肉つきやすいみたいで、ちょっと鍛えると腹が割れるんだ」
「マジか。へぇー。……俺も鍛えたら割れんのかな」
そう鏑木が自分の薄っぺらい腹をさすった。
「そんなガリガリじゃムリだろ」
俺がふんと鼻で笑うと、鏑木が「ちぇ」と言って立ち上がる。そして隣の部屋から菓子パンを二つ持って戻ってきた。
「ほい」
「パン?」
「腹、減ってね? 今それしかねーけど」
渡されたのは、スーパーとかで昔から売ってそうなジャムとマーガリンを挟んだコッペパンだった。
「こっちがいいなら、替えてやっけど」
鏑木がバナナクリームを挟んだパンを差出す。袋に『20円引き』のシールが貼ってあるのを見て、鏑木が気を遣って俺に新しいほうのパンをくれたことを察した。
「……いや、こっちでいい」
「あそ」
鏑木は布団の上に、土のついたズボンのまま容赦なく座ると、バリンとパンの透明な袋を破いて、布団の上にパンクズが落ちるのも構わずパンにかぶりついた。
そして殴られて切れた口の中が痛むのか、小さく「あー、いて」と呟いた。
「いつもパン食ってんのか?」
「あー俺、親父と二人暮らしだから、飯はこんなのばっか。金ねーから外食もしねーし、キッチンも下の店にしかねーしな」
「親父さんとふたり暮らしなのか」
「ああ。親父は下の店の住み込み。スナックを手伝う代わり、にここに住まわせて貰ってる。さっきいたろ、カウンターのとこに。あれが親父」
「え、ああ……さっきの」
さっきカウンターにいた髭面の黒服が親父か。
鏑木はパンをモグモグと咀嚼しながら、ぱたんと布団に仰向けになった
「俺んちすげーとこでビックリしたろ。親父、スロットとかですぐスッてくるし、金ねーんだよなぁ。俺も木嶋みてーにバイトしてぇなー」
「すりゃいーだろ」
ジャムパンを頬張りながらそう言うと、鏑木は口の中のパンを全部飲み込んでから「……俺が金持って帰ってきても、全部親父に取られちまうから」と小さく言った。
それを聞いて、俺は鏑木がなんでこんななのか、ひどく腑に落ちた。
スナックの二階で、子供に無関心な賭博狂いの親父との二人暮らし。
その上、掃除の行き届いていない不衛生なヤニだらけの部屋で、栄養価の乏しい食事。
――うちもシングルマザーで貧乏だったが、ここまでの酷さはなかった。
「なあ、木嶋んとこは? なんでバイトしてんの。親が小遣いくれねーの?」
「ああ、俺一人暮らしだし」
「えっ木嶋一人暮らししてんの!?」
鏑木が感心したような声を上げてガバッと起き上がると、俺のほうに向かってあぐらをかいて座り直した。
「まあな。学校近くの、六畳一間でめちゃくそ古いアパートだけどな」
「へぇ~でもいいじゃん。もしかして木嶋、県外組? 家どこ?」
県外組は寮か一人暮らしだから、鏑木もすぐにピンときたようだ。
「東京だ」
「東京!? 東京のどこ? はぁ? マジで? すっげー! 都会じゃん!」
「中野ってとこ」
「中野ってどこ?」
「新宿にすげー近い」
「すっげ。うぇ〜いいな〜。修学旅行さ、東京だったろ。親父が積立てしてくんなくて、行けなかったんだよな〜。行きたかったな〜東京」
意外だった。てっきり行きたくなくて行かなかったのかと思っていた。俺も行ってないけど、俺の場合は地元に帰りたくなくて、行かなかっただけだ。
「でも東京なら他にも学校あったろ。なんでこんなド田舎の、クソみてーな学校に来たんだよ」
まあ誰もがそう思うよな。出身が東京って言うたびに、当然のように聞かれる。
「ウチも親がシングルで、母親が再婚したから家を出たかったんだよ。学校の金は出してもらってっけど、生活費は自分で稼ぐって決めたんだよ。関係ねーおっさんの金で生活すんのやだろ」
「でもここじゃなくてもさー、もっと近くに学校あったろ」
「とにかく関東から出たかったのと、家賃が安くて、俺くらいの頭でも受かるところがここしかなかった」
「なんだ、おめーもバカなんじゃん」
鏑木は俺の話を聞いて、ヒャハッと楽しそうに笑った。
その後もしばらく鏑木にせがまれて東京の話をしていたら、気が付くともう二十二時を過ぎていた。
「ごちそうさん。じゃ、俺そろそろ帰るわ」
「もう帰んの」
「ああ、だってもう十時過ぎてんだろ。ほら青少年なんちゃら法ってやつ。未成年が一人で歩いてると、補導されちまうんだって」
「あーだから俺よく声かけられんのか」
妙に納得したような顔で頷く鏑木に、何度も補導されたのに知らんかったのかと呆れた。
「鏑木、明日は学校くんの?」
「俺? あー……明日は行くかな」
「そっか」
「気が向いたらだけどなー」
「ん。そっか」
立ち上がってリュックを背負うと、鏑木もパンの空き袋を持ったまま立ち上がった。
「……そういやさ、木嶋、なんでずっと俺のこと追いかけてたんだよ」
「あー……」
布団を大股で跨ぎながら、なんと答えるべきか頭をかく。
いきなり『お前は死ぬかもしれないからそれを阻止するためだ』とは言えるはずがない。
「別に追いかけてた訳じゃ……っ! いってーな」
いきなり膝裏を蹴られ、カクンとしながら鏑木のほうを見ると、鏑木は怒った顔でこっちをみていた。
「嘘つけ! どうせ松永にでも頼まれたんだろ」
「それはない。松永とは何も話してない」
これは本当だ。前回の時間軸では仲が良かったが、今回はまったくと言っていいほど接点がない。
「じゃあ、なんで追い回すんだよ」
なんと言えばいいのか。ここで間違えば、親しくなるどころか、きっともう鏑木は俺と目を合わせることすらしないだろう。
「いや……、ちょっと、友達になりたくて……」
でも俺の口から出てきた言葉はこれだった。
俺ってマジで不器用すぎる。
「ほら、俺、友達いねーしさ、学校でも一人だし……」
しどろもどろでゴニョゴニョと言い訳をする俺。
これはもう絶対鏑木に引かれるやつだ。もうこれ以上取り繕えない。
失敗した、終わったと覚悟した。
だが意外にも鏑木は引くどころか、俺の言葉を聞いて吹き出した。
「ぶはっ! マジで? 毎日がっこ行ってるのに友達いねーの?」
ぎゃははとてっぺんが黒い金髪を揺らし、腹を抱えて笑う鏑木。
「木嶋、顔こえーもんなー。そっかーしかたねーな、俺が友達になってやんよ」
「……」
なんだかすごく腑に落ちないが、もういいこれでいこう。
友達がいないのは本当だし、嘘じゃない。
俺がはーっとため息をつくと、鏑木がガシッと肩に腕を回して凭れてきた。
「よし! じゃあ夜道が怖いっていう木嶋のために、友達の俺がそこまで送ってやんよ」
「……怖くねーって」
ヒャヒャと変な笑い声をたてながら、背の低い鏑木は俺にぶらさがるようにしながら、狭い階段を一緒に降りていく。
階段を落ちそうになって、俺があぶねーって焦るのもおかしいらしく、ゲラゲラ笑っている。
懐に入ってしまえば、人懐こくて笑い上戸で、結構いいヤツなのかも。
だがそんな鏑木も、靴を履いて店に繋がるドアを開けた瞬間、スンと素に戻った。
香水とタバコと酒が混じる空間に足を踏み出し、「やだーもう帰っちゃうの~?」という若いホステスの高い声とギラギラとしたレーザーの光を浴びながら、俺たちは外に出た。
「分かるとこまで案内してくれたら、一人で帰れっから」
「んー」
黒いズボンのポケットに手を突っ込んで、ちょっと猫背気味にゆらゆらと歩く鏑木。さっきまでの上機嫌が嘘のように、いつもと同じ無愛想な鏑木に戻ってしまった。
「……じゃあこの辺でいいから。ありがとな」
バイト先の居酒屋近くの道に出て、鏑木に別れを告げると、鏑木も「ん」と立ち止まって俺の方を向いた。
「……顔、殴られたとこ腫れるから、帰ったら冷やせよ」
だんだん朽ちて変な色になっていく鏑木の頬を指差すと、鏑木がにへっと笑った。
「ちょっと腫れるくらいがいーんだよ。じゃなー」
そう言って鏑木は、派手な色に照らされながら、もと来た道へ引き返していった。
アパートに着き、真っ暗な玄関を開けると、「ただいま」と誰もいない部屋に向かって声をかけた。狭い玄関で靴を脱いで入り、台所の電灯の紐を引っ張り、電気をつける。
時計はもう夜十一時近い。俺はふあっとあくびをした。
一日の疲れは風呂で流すのが習慣の俺は、風呂の掃除をしながら、一日の出来事を反芻し、ゆっくりと湯につかって鏑木とやっと接触できたことに安堵していた。