11.恋バナ
「――おい。もう寝たのかよ」
「――ってぇ! ……なんだよ。寝てねーよ」
俺の足の脛に、急に鏑木の踵が落ちてきた。俺が黙り込んだことに腹が立ったらしい。
「寝ちまったのかと思った」
「ったく、寝てると思ったら起こすなよ」
「だってよー、こういう時は恋バナとかすんじゃん。なのに木嶋寝ようとすんだもん」
「恋バナなんかしねーよ」
「学校とかに好きなやついねーの?」
「はぁ? いねーよそんなん」
恋バナしないって言ってるのに、鏑木は話をぐいぐい進めてくる。
「いねーの?」
「ああ」
「ずっと?」
「ずっとじゃねーけど、今はいねー」
「えー、じゃあおめー童貞かよ」
「はぁ? 童貞じゃねーよ」
「え、童貞じゃねーの!?」
鏑木がガバッと毛布を被ったまま、俺のほうに起き上がった。
いやいや飛躍しすぎだろ。なんで今好きなやついなかったら童貞なんだよ。
「マジ!? 木嶋、童貞じゃねーのかよ!?」
「うるさい」
「なんで? 風俗?」
「違う。しつこい」
「いつだよ。最近?」
「今年の春くらいだよ。うっせーな、もう寝るぞ」
「うっそ、マジで!? 相手は!? 同クラのやつ?」
あんまりにもしつこいから、ついうっかり言ってしまって後悔。おかげで鏑木がハイテンションで、毛布ごと俺の上に乗っかってくる。
「なー! 木嶋ぁー」
「うっせーな。相手はバイト先の客だよ! 付き合ってすぐ別れたし、思い出したくねーんだよ」
そう、実は二年になってからすぐ、バイト先だった居酒屋の常連さんと付き合い始めた。相手は女子大生で、向こうから告白されて付き合い始めたのはいいが、ヤッてすぐに別れたのだ。付き合った期間は二カ月くらい。実はその女は童貞喰いで有名だったらしく、別れたあとになって他の常連さんから聞かされた。
別れは一方的で、最初は俺が初めてで下手すぎて嫌われたのかと落ち込んだが、別れの理由が〝童貞じゃなくなったから〟というのは、さすがに滑稽すぎて笑いが出る。
完全なトラウマで、まだ傷は癒えていない。だから今のバイト先でも、極力女子とは話をしないようにしている。
「で? そういうお前は童貞じゃないんだろーな」
恋バナしないって言ったのにしつこく追求され、ちょっと腹が立った俺は、意地悪くそう言い返してやった。
「あー……俺、女とはヤッたことない」
「なんだよ、お前こそ童貞なんじゃん」
人のこと童貞童貞ってしつこく聞いといて、お前が童貞なんじゃねーかよと、鼻で笑おうとしたが、鏑木の意外な一言で言葉が詰まった。
「女はねーけど、男とならある」
「……は?」
「俺、童貞だけど男となら経験あんだよね」
ゴロンと俺の胸に頭を乗せて、鏑木が仰向けに寝転んだ。
「……お前、ゲイなのか?」
「うーん。わかんね。……ほら俺さー、顔が女みてーじゃん。だからさ松永みてーなのが寄ってくんだよなー」
「……」
ゲイではないが、男とヤッたことあるって言われて、どう反応すりゃいいんだ。
(さっきも一緒に風呂に入ったわけだし、だからといって変な雰囲気にはならなかった。いやいやそういうのって、自意識過剰だろって、ゲイだからって、そういう目でみるのはダメだって……え、ちょっと、待て。松永はそういう意味で声かけたのか? おいおいおい、余計だめだろう松永)
俺が悶々としていると、鏑木の頭が俺の胸の上で動いた。
「なー木嶋、俺のこと嫌いになった?」
「――え? いや……」
少し言い淀んだ俺に、鏑木は俺の胸の上から頭をどかし、体を布団の端にゴロリと移動させた。
「……俺さ、昔からそういうのが多くてさ。変質者に攫われそうになったり、男から告白されたり、よくあんのよ。ここって田舎だからそーいうのあんまないように見えるかもしんねーけど、あるんだよなー実際は意外と」
「……」
「ほら、俺んとこ親もあんな感じじゃん。家も転々としてて、だから友達もあんまいねーし、高校行ってもさ一人制服違うじゃん」
「……制服、勝手に好きなの着てんじゃないのか」
「ちげーよ。親父がさー制服買ってくんなくて、スナックの常連のおっさんが高校の頃着てたやつくれたんだよ。暴走族やってたんだって。今このへんもうそーいうのいないからさ。着るやついねーからハルちゃん着るかって」
そんな理由だったのか。
てっきりそういう昭和の不良に憧れてのパターンだとばかり思ってた。
だから着古された感じてダボダボだったのか。
「まあもともと学校に馴染む気なんかねーけどさ、それでも木嶋が友達になりてーって言ってくれて、ちょっと嬉しかった。最初は俺のこと付け回す変態かと思ってたんだけど、バーのマスターたちがいい子だったぞーって教えてくれたし、喧嘩弱えーのに強いフリして加勢してくれたし」
「鏑木……」
「松永のことで迷惑かけたのに、こうやって家誘ってくれたの、俺すげーうれしかった。今日めっちゃ楽しいし、ずっと友達でいてーなと思った。だから木嶋に言った」
なんかこんなん言っちゃってごめんなーと申し訳なさそうに笑うと、鏑木は黙ってしまった。
――正直なことを言えば、今の今まで俺は鏑木のことを、ループを終わらせるための鍵だとしか考えていなかった。
口では友達とか言っていたけど、なんというかこの意味のわからないゲームを攻略するための鍵。
でも思い返せば、仲良くなってからのこの一カ月、たった一カ月だけど俺にとっても楽しい日々だったんだ。
今日だってはしゃぐ鏑木とすげー笑ったのも事実だし、一緒に食べたメシもうまかった。……こんなふうに、バカみたいに笑っていつも一緒にいるような友達ができたのは、俺自身初めてな気がする。
(タイムループのことはさておいても、鏑木とは、友達として本気で向き合うべきなのかもしれない)
「――鏑木……。俺もお前と一緒にいて楽しかったし、その、別に嫌とかじゃない。ちょっと面食らっただけで……俺もずっと友達でいてくれたらすげー嬉しい」
俺ってほんとこういうの下手くそで、しどろもどろだし、うまく伝わってくれるか心配だった。
でも鏑木は俺の気持ちを察してくれて、毛布から顔を出し「俺も」って言って笑ってくれた。
「へへ、俺たちこれからも友達なー」
「そうだな」
「なーたまには俺、ここに来てもいいー?」
「ああ。そういやバーのマスターたちが、俺たち友達になれたらメシ奢ってくれるって言ってたぞ」
「マジかー! 今度いこーぜ! マスターのメシもうまいんだよなー」
「おっさんたちもジュースとか奢ってくれるって言ってたぞ」
「やりー! 今度一緒にいるとき、道で会ったら奢ってもらおーぜ」
鏑木がまたハイテンションになって、毛布の中で足をばたつかせた。
すっかり目が冴えた俺たちは、その後も話を続け、将来何になりたいとか、今度あそこ行こうとか、そんな話を夜遅くまで喋っていた。
――夜、鏑木が眠って静かになると、俺は一人鏑木の死のことについて考えた。
今の鏑木を見る限りでは死の予兆などまったく見受けられない。
将来のことにも希望を持ってて、自動車の整備工場だの、板金屋だのと、車関連の仕事に就くんだと張り切っていた。
(本当にこいつが死ぬんだろうか)
これまで〝鏑木〟という存在はあまり身近な存在ではなく、ここに来るまで二回鏑木の死を経験しているが、なんとなく他人事というか、実感のないものだった。
しかし今回は違う。
鏑木と親しくなった以上、もうこれまで感じていた死の意味が変わってくる。
俺のすぐ隣で、はしゃいで、眠りこけている人物が、本当に死ぬなんて想像できるか?
(マジで全然想像できねーな)
だがその日はやってくるのだ。確実に。
3月まで三カ月。
教室に花が飾られ、俺が過去に飛ばされるのが3月4日だから、鏑木が死ぬのはその前日だろう。
(とりあえず松永は要注意だな。あと何かあったとき、いつでも俺の家に来れるようにしておこう。逃げ場があるだけでも少しは違うはずだ)
無事にその日が過ぎるまで、鏑木から絶対に目を離さないようにしよう。
そして鏑木と一緒に3年に進級する。
俺はそう誓って、鏑木の口から漏れる寝息を隣で聞きながら、目を瞑った。