09:大雨の降る森で
第三層の川に居ることが多いらしいワニ型のモンスターには森の中で遭遇し、人を丸のみにできそうな大きさに驚きはしたものの、速さはなんてことなかったのでサクッと倒して第四層への転移門に到着。
ついでに転移門付近の木も一通り存在力に分解したことでLv一〇はどうにか達成できた。
そしてリシーがこれまでの階層と同様に確認画面を出す――かと思ったんだけど、リシーは白い布のような物を【物品目録】から取り出して身に着け始めた。
剣の鞘や杖は付けたままその上にスリット入りの布を巻いて、ベルトで留めてミニスカートに……いや、どういう意図なのかさっぱりなんだけど。
「リシー? その、それは、何?」
「このスカート? これは雨具の一つよ。第四層では雨が降ってるから、アキも何か身に着けておいた方が良いんじゃない?」
「そっかぁ……ありがと」
スカートだけではなかったようで、同じ素材と思われるフード付きの短い外套を取り出し、首元の金具をパチリと留めている。言われてみれば、白い布地には水分を弾きそうな艶がある。
雨具か……ギルドで貰ったのはサバイバル用品の延長のようなもので、雨具は含まれていなかった。木材を加工するのと同じように何か、まぁ普通に上下で分かれてる雨合羽でも作るか。
木材の余剰分はいくつか確保してるから、そこから繊維素と擬繊維素だけ抽出して薄くまとめれば……なんかかなり透明高めに仕上がったけど大体よし。雨合羽の上から剣の鞘を斜めに掛けて完了だ。
「あら、徒渡りじゃないのね」
「……何それ?」
「えっ? 私が履いてるこういう……水をはじく長い靴のことよ? 左右で繋がってて胸ぐらいまで履く徒渡りもあるけど、知らない?」
「あー、胸ぐらいまであるのなら見た覚えもあるかな。名前は知らなかったけど」
釣り番組か川の中の生き物を取るような動画でなら見た覚えはある。リシーが今履いている足の付け根まで覆う、あるいはそこまでしか覆わない靴は、ちょっと記憶にない。思い出せる範囲で一番近いのは、アメリカ西部開拓時代をモチーフにした衣装かな。あれはブーツが別になってたけど。
雨具と言っていた他の装備より少し薄手かな、と思っていたら、その上に更に何かを着けはじめた。
「えっと、聞いてばかりで悪いけど、今着けてるののことも教えてもらっていいかな?」
「これは、徒渡りの長脚絆っていうスパッツの一種ね。このウェーダーの強度はちょっと低めだから、それごと脚を守る防具よ」
「そっか、教えてくれてありがとう」
「気にしなくていいわよ」
スパッツ、と聞いて股間の方に視線が行きかけたけど、たしか本来は足に巻く方の名前なんだったかな。
リシーがここで身に着けている白い雨具類の隙間からちらりと黒色が見えた。
さっきまで隠されてもいなかった黒いインナーが見えているだけなのに視線が吸い寄せられる。本当に、さっきまで隠されてもいなかったのに。
顔ごと視線をそらして深呼吸した。
第四層に転移するまではそんなに対策する必要あるのかな? とか思ってたけど、実際必要あったわ第四層なめてた。
転移門のすぐ近くからも広がっている凸凹の激しい森はまだ良いとして、天候が土砂降り。
水たまりがある、なんてものではなく、比較的歩きやすそうな所でも靴が浸る程度の浅い川になっているような状態である。勿論深いところは深いし、土だってぬかるんでそう。転移門は石っぽい材質だけど、これはこれでちょっと滑りそうになる。
これは、少なくとも傘程度ではどうにもならないし、雨合羽でもまだまだ甘かったと言わざるをえない。このまま進むのはキツいかな。
「ごめん、ちょっとだけ待ってもらっていい?」
「ちょっとでいいの?」
「うん、すぐ作るから」
今まで履いていたスニーカーのような形の靴も参考にしつつ、ちょっと厚めの長靴をまずは作る。長さは普通の長靴ぐらいで、雨合羽の上から履く。硬さが欲しい所に木質素を少し含ませ、柔らかくあってほしいところに空気を含ませた結果、長靴はかなり白っぽい色になった。
この上にウェーダーゲイター……なんかリシーが言ってた名前と違う? まぁ、それをきつめに巻くことで、長靴の口から水が浸入するのをある程度防ぐ。隙間からしみ込んではくるだろうけど、そのぐらいなら収納してしまえば、おそらく水に浸かっていてもどうにかなる。いや、溜まっている水を収納した方が早いか。
雨水がもう一度溜まるまでに少し時間は掛かるだろうし。
加工に関しては、成分の調整はかなりアバウトにやれるし、マウスやキーボードでの操作よりもタイムラグなく、本当に思った通りに加工できるので、製作にかかった時間はほんの三〇秒ほどだ。
「お待たせ。この階層は、やっぱり色々危険……なのかな」
「ええ。モンスターはそこまで多くもないんだけど、長生きしてる個体が居ることも多いから、危険度は高いわね」
「……急に難度が上がった感じだなぁ……」
「……どうかしたの? アキ」
「ん、いや、まぁ、俺が住んでたところだとここまでの大雨は年に一回あるかどうか、ってぐらいの珍しさだったから……ちょっと楽しい気分でもあるんだけど、モンスターをしっかり警戒しておかないといけないのが残念だなって。大好きってほどでもないから、本当にちょっとだけね。リシーはどう?」
「……私は……そう、ねぇ……ここはいつ来てもこの天気だから、油断できない階層だって警戒してばかりだったわね」
「そっか。ま、行こうか」
他の転移門は第五層へ向かうもののみで、採集エリアは無し。
気分を切り替えて、警戒しながら進もうと思う。
第三層と似たような感じで木を取りつつ道を作りながら……水たまりを量産しながら進んでいると、ゴウゴウと結構な勢いで水が流れてそうな音が聞こえてきた。
「……この階層にも川があるのかな、この音は」
「ええ。第三層よりは狭いけど、危険度は上ね」
「それはまぁ、危険なのは音でわかるよ」
水音に深みがあるというか、重なっているというか……探せばあるんだろうけど、日本だと珍しいぐらいの川幅はあるんだろうなぁ。
「っと、そうだ。俺はまたあの舟で越えようと思ってて、多分もうリシーを乗せても大丈夫だと思うけど、どうする?」
「そ、そうね……川を渡る前に、ここで一度試してみない? 難しそうなら、越えやすい場所も教えるわよ?」
「確かに、実験は大事だね」
ということで、第三層でも使った舟を出し……たら、リシーは自分で乗り込んだ。やり方もマナーもよくわからないけど、エスコートでもした方が良いのかな? とか思ってたところだったので助かる。
腰のベルトから剣は鞘ごと外し、杖も手に持って後部の板に腰を下ろしている。
俺も前側の板に座って、四つの動力部に【物品目録】を使って水を放ち、船体を少しずつ浮かせるように出力を調整する。
二メートルぐらいまで浮かんだところで、重力と釣り合うように再度出力を調整した。
「凄いわね……」
「頑張った。前、はまだ木があるから、後ろに進んでみるよ?」
「え、ええ」
ボート部分に前後がある以外は舟の前後に違いはない、というより動力部のほとんどは回転体のような構造になっているので、下向きの加速以外ならどの方向にも進むことができる。
「第三層で見た時より余裕そうね?」
「Lvも上がってるから、何とかね。モンスターを警戒しながらだと流石にちょっと余裕はないけどね」
ついでに使用後の水の回収も諦めている状態なので、理想としてはやはりもっとLvを上げつつ慣れていきたいところ。
急加速はしないように後退を始め、今まで来た道をある程度戻り、減速。ここまでは問題なし。
「次は前に進んで、さっきの所まで戻るよ」
「ええ。これなら大丈夫そうね」
「うん、そうだね。……ん。それじゃ、一旦降りるよ」
空中を滑るように進み、先ほどの場所まで戻ってきた。
前の木が邪魔ではあるけど、舟に乗ったまま回収できるかというと怪しい感じだし、上から越えていくのも少し怖いので着陸は止む無し。
舟を地面に下ろし、俺が舟から降りようとしたところでリシーも一緒に降りたので、舟を収納。棒を取り出し、木を取って道を作りながら損傷がないかの確認。
動力部に関しては詳細に見ても損傷はなく、靴底に付いていた泥で多少汚れている程度なので、泥を分けてしまえば問題ない。
そうこうしているうちにどんどん聞こえてくる水音が大きくなり、森を抜けて川に辿り着いた。
「……確かに、第三層の川よりは狭いね」
「でしょ? 跳んで渡れるほど狭くはないけどね」
「だね」
第三層の川と比較すると、幅は四分の一、よりちょっとありそうなぐらい。つまり、目の前にある川は幅三〇〇メートルほどの濁流である。深さもありそうだし、岸も切り立っているので、少なくとも、生身で抜けられる気はしない。
そして、岸にはギリギリまで木が生えている。
「向こう岸がああだと……舟を下ろすのが難しかったら、飛び降りてもらうことになるかも?」
「あ、そうね。構わないわよ。私の判断でいいかしら?」
「うん。それと一応、川を渡る前に舟を浮かせたまま木を取れるか試させて。できそうだったらそれで行こうと思ってるから」
「ええ、それでいいわ」
方針も決まったので、川を飛んで越えるための舟を取り出した。
鞘と杖を既に手に持っていたリシーが乗ったので、俺も乗って運転開始。
まずは近くの木に少し寄せて、出した棒を当てながら――〇.二秒ほど掛かったけど収納には成功した。
「……まぁ、問題ないかな」
「……まぁ、そうね。遅くなってるのは確かみたいだけど、十分でしょ」
「ん。それじゃ、進むよ」
「ええ」
空を飛んでいるので、川が濁流でもスリルが少しあるぐらいの違いしかない。
安全運転を心がけているので少し時間は掛かっているものの、何の問題もなく進み、向こう岸がだんだん近づいてきた。
邪魔な数本に棒を当てて収納し、舟を奥に数メートル進めて下ろす。
「何事もなくてよかったよ」
「そうね、お疲れ様。ちなみに、この階層だと上流に進めばこの川に合流する川がいくつかあって、ここよりは流れが緩やかだったり、川の中に何本か木が生えてたり、川幅が狭かったり、渡りやすい所はいくつかあるの。次の階層に初めて挑むぐらいの探索者なら、普通はそういうルートを探すことになるわね」
「……なるほど、大変そうだね」
「そうなのよー?」
ちょっと拗ねている、っぽい。
あんな風に飛んで攻略するのは、多分珍しいんだと思う。
ドローンぐらい普通に作れそうだけどな、この世界の技術だと。
「空を飛ぶための道具とか、ロープみたいなのを運んでくれる道具とかは出回ってないの?」
「なくはないけど……道具のLvを上げるのに結構なお金が掛かるのよ? 空気や水にだって存在力はあるんだから、ここだと、かなり良いものじゃないとすぐに壊れるでしょうね。さっき言ったみたいに十分なLvがあれば川の上流を越えられるから、そういう人には道具も必要ないし」
「……言われてみれば、確かに」
「でしょ? それと、その道具が大きな音の出るものだったらもっと酷いことになるわね。空中は視線が通りやすいから、モンスターに自分の居所を教えてるようなものでしょ? モンスターの方が高Lvなところでたくさん誘き寄せたら……Lvがいくつか下がる程度で済めば幸運、最悪消滅するまで存在力を奪われるわよ」
「うわぁ……」
Lvを装備で補って攻略、なんてゲームでは割とやってたけど、この世界でそれをやるのは怖いなぁ。
リシーの話はなんか実例を知ってそうな感じだし、そこまで深く考えずに既にやってたことだからマジ怖い。
「あー……俺はどうなんだろ、Lvは適正ぐらいありそうだけど、飛ぶのは控えた方がいいかな?」
「うぅん……難しいところね。アキ、一応言っておくけど、普通は、丁度いいぐらいのLvの階層でモンスターを一撃で倒したりは、できないのよ?」
「えっ?」
「いや、『えっ』て……そういえばアキって、自分以外だと、私が戦ってるところしか見てない、のね」
「そうだけど……普通は、もうちょっと時間がかかるってこと?」
「ええ。そうじゃないと第三層で四人パーティーに追いつけそうにはならなかったわよ?」
「……それもそっか」
第一層では転移門と無関係な方向に進んで草を取ってたりしたし、第二層でものんびり歩いてたのに、もう少しで追い付けそうだったからなぁ。
直進して追い抜いたけど。
「……うん? 後ろ?」
「モンスターが来るの? ……あら、大きい」
「ホントに大きいね、っと俺に来たか」
俺が拓いた道を追ってきたモンスターは、蛇っぽい形をしていた。
茶色と黒のまだら模様なので少し見づらいけど、直径が一メートルぐらいはありそう。全長は、三〇メートル前後ぐらいかな?
動きは十分見える程度だったので、回避してから首のあたりをとりあえず突いて――剣を持っていかれそうだったので収納して構えなおす。二〇センチぐらいしか刺せなかった。
「ちょっ、見境ないわねこのモンスター」
俺に刺された蛇型のモンスターは即座に狙いをリシーに変え、噛みつこうとして回避され、更に巻き付こうとして反撃で斬られた、という流れだった。
今まで一体で現れたモンスターは狙われた側が一撃で倒していたから、リシーは俺の獲物と認識してあまり手を出そうとしてなかった様子。リシーがつけた傷もかなり浅そうだ。
まぁ、リシーは攻撃を継続するつもりのようなので、俺も邪魔しない程度に――
「ってまた俺に来んの!?」
大口を開けた頭が上から突っ込んでくる。リシーがさっき言った通り本当に見境がないモンスターだ。
回避は簡単だけど、剣はこれ一本しか持ってないし、あまり有効な攻撃を与えられそうにないので、手持ちの材料で即席の投擲武器――槍でいいかと、単純に槍の形に切り出すように木を加工。
地面に噛みつくような形で動きが止まったので、その上を通るように跳び、【物品目録】できるだけ加速させた槍を、モンスターの後頭部あたりを狙って三本射出。
第三層で作ったケトル似の試作品を掴んで下を向け、下に加速して着地。
「暴れすぎ、よっ!」
暴れている胴体を避けつつモンスターの頭にまで接近していたリシーが、そのまま光っている剣を振って首を骨まで断った。あの光を扱うのが闘技なんだっけ。強いなぁ。
皮が少し厚めに残るぐらいの加減……だったけど、胴体が暴れすぎて千切れた様子。
まだびくびくと動いてはいるけど、直前まで暴れていたのと巨体のせいか、力が失われるのも早いようだ。
「えっと、どう分けましょうか、これ」
「リシーの方が有効な攻撃してたと思うし、俺の剣だと刃渡りからしても切り分けるのに苦労しそうだから、任せるよ」
「そう? それじゃあ、真ん中ぐらいで切って……尻尾側を貰うわね。頭はアキが持ってっていいわよ」
「わかった、ありがとう」
リシーが再び剣を光らせて切り分けたのを確認して、切り分けられた胴体の頭側を収納し、続けて頭も収納した。
リシーも剣を鞘に戻していて、切り分けられた胴体の尻尾側を【物品目録】で収納した。
「これがこの階層のモンスターか、大きいね」
「いや、今のはかなり大きな方の個体だからね? 普通はこの半分ぐらいよ」
「そうなんだ? ……普通の方なら、剣で終わってたかな?」
「あれだけ動けるなら大丈夫だったと思うわよ。そういえばさっきモンスターの頭を縫い付け――」
俺の方に歩いてきていたリシーが、蛇型のモンスターが運んできた泥水のせいで見えにくくなっていた穴に、ドボッと音を立てて勢いよく落ちた。
うん。俺が木を取った後の穴だな。
落ちる時に体勢を崩して胸あたりまで水没したまま硬直している。
「…………頭は打ってなかったように見えたけど、大丈夫?」
「……うん、だいじょ、ぶ……」
「……」
……どうしようこの状況……。
プルプルと震えている様子のリシーを放置するわけにもいかないだろうし……とりあえず、声をかけてみるべき、かな。
「えー……っと、とりあえず……その穴ができた原因は俺だし、申し訳ない……」
「……い……いいわよ。今のは、私の不注意だもの」
ゆっくりと立ち上がったリシーのケープとスカートの内側から、泥水が滴っている。
脚の付け根までしかないウェーダーからは逆に泥水が溢れている。
第三層まで履いていたブーツの上からではなく、履き替えていた気がするから、まぁ、ブーツは無事だと思う。ただ、安全そうな場所まではそのまま進むつもり、っぽい?
「まぁ……俺に何かできそうなことがあったら言ってね?」
「いいってば。元々、ある程度濡れるのも仕方ない階層だもの。進んでるうちに雨で泥も落ちるでしょ」
「……そっか」
「それより、さっきの戦闘音でモンスターが様子を見に来るんじゃない?」
「あ、それはあるかも。今のところわからないけど、とりあえず転移門の方に進もうか」
「ええ」
リシーのインナーは、
例のヒートテック(に類似した構造のもの)+ニーソ+足首まであるレギンス。
レギンスがインナーの中では一番外側。
どれも黒色でぴっちりしたもの。
吸湿速乾。
リシーの雨具は素材がちょっとお高いのと剣の邪魔にならないようにという理由から布量少なめ。
ミニスカートのスリットは、その内側に留めてある武器を外に出すためのもの。
徒渡り:徒歩で川を渡ること。
Wader:徒歩で川を渡る人のことを指す。
Gaiters:西洋風の脚絆。フランス語ではゲートル。