四方山話(夏のホラー2023参加作品)
今日は週に一度のママ友とランチをする日だ。
子供を幼稚園に預けて一度家に帰り、簡単に洗濯と掃除を済ませたらすぐ家を飛び出した。
家が嫌いなわけでは無い、子育ても家事もやり甲斐があり比較的苦にならない。それでもこうして友達とお茶ができる時間は貴重な息抜きになるし、楽しみなのだ。気の合うママ友は本当に大切にしたいと思う。
歳の離れた夫も理解を示してくれて「どんどん行きなさい」と、私が出かける事に賛成してくれている。もう少し心配してくれてもいいのに・・・と、欲張りな私が顔を出すのも毎回の事だ。夫には感謝していますよ。
「こっちこっち」
ミナミちゃんのママは、ドアベルを鳴らしながら入ってきた私を目ざとく見つけて手を振った。
お馴染みのカフェチェーン店はコーヒー、紅茶はもちろんランチが美味しい事でも有名なお店だ。私達はすっかり行きつけになり毎週通っている。
彼女の娘のミナミちゃんと私の娘のカナは子供園の頃からもう4年の付き合いだ。ほとんど同じクラスでいつも一緒、先生からも姉妹のようだと言われて育ってきた。もちろん幼稚園のお迎えで母親同士顔を合わせる事も多く、親同士もすっかり意気投合してこうして毎週のようにお茶をする仲になっているのだ。たまにできない時もあるけど。
「私はこのランチとビールください」
彼女はいつもお昼からお酒を頼む。私は最初もしかして、と心配になり、はっきり聞いたこともあるのだが、彼女は「こんなの博多生まれの私からしたら水みたいなもんよ」とカラカラと笑うばかりだった。実際に見ていてもビールの3杯や4杯では顔も赤くならない。大したものだ。
軽く乾杯したら早速情報交換。
最近は順調だ、と思う。
少し前にちょっと暴力的な男の子が居て、クラスの誰それがいじめられていたとか、誰ちゃんが髪の毛を引っ張られたとか少し暗い話題が続いたことがあったけど、年長になる時にその子の親が転勤になり引っ越してしまったので今のクラスは本当に平和なようだ。
もう少ししたら嫌でもそういった汚い世界を見ることになるのだから、せめて幼稚園の間くらいは穏やかでいて欲しいものだ。
なので今の話題はクラスの男の子二人と、ミナミちゃんとの三角関係についてだった。5歳児侮りがたし。子供は子供で恋愛が始まっているのだ。
ミナミちゃんは目がぱっちりしていて本当に可愛い子だ。父方に英国人の血が入っているらしく瞳の色も少しブルーでお人形さんみたいな子だ。我が娘のカナも負けてないと思うけど、それで言えばカナは日本人形って感じかな。純和風の顔立ちをしている。どっちも可愛いことにはわかりないが、今のところモテるのはミナミちゃんの方だった。
カナは特定のボーイフレンドがいるそうだ。
5歳児侮りがたし。
そんな子供の話に花が咲き、お酒もいい感じに彼女の潤滑油となっている様子で二人の会話はポンポンと弾んでいった。私は少し真面目すぎると自分でも思う。だから明け透けで歯に衣着せぬ彼女のような人はピッタリだ。本当にバランスが良くて楽しい。願わくば彼女もそう思ってくれていますように。
「あ、そうそう、こないだミナミがね、変なことを言っていたわねえ」
ほろ酔いで調子の出てきた彼女から、ふと思い出したようにそんな言葉が出てきた。
「幼稚園から歩いて帰ってるでしょ、家のすぐ近くまで来た時にミナミが、
『あれ?ホリ先生いなくなっちゃった』
って言うのよ」
ホリ先生という名前はよく知っている。幼稚園の体育指導の先生の名前だ。
「え?ホリ先生いたの?って聞いたら、『うん、ずっと後ろに居たよ、でも居なくなっちゃった』って言うのよ、怖くない?」
背筋がゾッとした。
「なにそれ?怖すぎる」
首筋がピリピリする。
「でしょう?鳥肌もんよ。ミナミにいつまで居たの?って聞いたんだけどよくわからないみたい。でも、ずっと後ろにいたんだって。私はちっとも気が付かなかったわ」
たまたま用事があって後ろに居ただけかも知れないけどね?って彼女はまたカラカラと笑うが、こういった話は最近本当に多い。母親がターゲットとは限らないのがまた怖い。
背後にも気をつけないといけないのか。またストレスが溜まるのを感じながらその話は終わった。
「そう言えばカナもこないだ変な事言ってたわ」
次は私の番だ。カナも時々不思議ちゃんになる子なので、こういった話題は結構豊富にある。あまり話す機会は無いけど。
「幼稚園からの帰り道にね、
『私の家、ここじゃ無いの』
って言い出してびっくりしたわ。じゃあどこなの?って聞いたら青森の山の方に住んでたはずなんだけど詳しい住所は忘れちゃった、って青森なんてどこで知ったのかしらね」
「幼稚園ってそこまで教えるのかな?」
「英語も漢字も教えているからもしかしたらね、それかYouTubeで何か見たのかもしれない」
「ありそう、ミナミも変な事ばっかり覚えんのよ」
「覚えてほしく無い事ばっかり覚えるよねー」
ほんと。アレは助かるけど困る諸刃の剣なのだ。
子供との時間はとても貴重だ。幼稚園から家までの数分間でもきっとお互いに大切な時間なのだ。この時間はきっといつまでも忘れない。でもカナはちょっと不思議ちゃんすぎると思うけど。
「帰り道と言えばもう一つあるわよ」
ミナミちゃんのママは声を顰めた。
それはイケメンで噂の新任の先生と、あるママ友さんがこっそり会っている所を目撃してしまったそうなのだ。いや、それが一番大ニュースじゃないの?
いや笑った笑った。
ランチを平らげる頃にはすっかりストレスも抜けて程よい時間。
そろそろお迎えの時間になる。私達はお会計をしてまた、ドアベルの鳴るドアを押して外に出た。ここから幼稚園までは歩いて15分ほど、いい酔い覚ましなんだそうだ。
しかしミナミちゃんのママは本当にいいスタイルキープしているなあ。これなら後についてくる男が居ても当たり前だよなあ、と、見惚れていると、ふと、ミナミちゃんのママの足元にある影が
──── ゆらり
動いたような気がした。
(あれ?今・・・)
私はお酒は飲んでいない。酒気に当てられて酔ってしまうほど弱くも無い。意識はしっかりしていたはずだ。
確かに今、彼女の影が動いたのだ。彼女の動きとは別に。
「あ、あのさ」
私は彼女を呼び止めた。
これはなんとかしないといけない、そう感じたからだ。
…
「せんせーさよーなら」
可愛い声がハモる。カナとミナミちゃんが並んで先生にお辞儀をし、肘をぶつけてご挨拶。以前はハイタッチだったが、あの感染症が流行って以来肘の挨拶になっている。
私達四人は一緒に校門の扉を開錠して外に出た。本当は帰り道が少し違うのだけれど今日は話し合って一緒の道で帰る事にした。
日差しはまさに真夏と言った感じで、私たちの足元に黒い水溜りのような影が小さく固まっている。
カナは少し前を歩くミナミちゃんと彼女のママの影をじっと見つめていた。
車が一台通り過ぎて
うるさいくらい響いていた蝉の声が、ふっと途切れた。
その時
「あ、ホリ先生見つけたよ」
カナが小さく声を出して、ミナミちゃんのママの影を指さした。
「えっ?」
ミナミちゃんのママが振り返ると、いや、振り返ったはずなのに、
影だけ、驚いたように違う方向へ跳ねていた
それは本当に一瞬だけの事で、すぐに何もなかったかのように元に戻ったけど誰もがその瞬間を見逃さなかった。
小さな悲鳴。大声を出さなかったのは流石九州の女と言うべきか。
「見つけたんだから先生の負けだよ。もうついてきちゃダメだからね」
カナは少し5歳児とは思えないくらいしっかりした声で影に向かって諭すように話しかけていた。影は少しだけ揺らめいたけど、すぐに諦めたように大人しくなった。
「もう大丈夫だと思うよ」
カナはにっこりと笑ってミナミちゃんのママを見上げた。
「でも。あまり思わせぶりな事しちゃダメだよ。期待させすぎても罪なんだから」
そしてとても生意気なアドバイスをしてくれたので、私達は道路の真ん中なのに声を出して笑ってしまった。
本当に5歳児は侮れないのだ。
…
ミナミちゃんのママに起こった不思議な現象はそれきりピタリと収まったらしい。
本当に何か起こる前で良かった。こういう黒いモノは良くないのだ。
私の経験上、生き霊は死んだ霊よりもずっと強い。そしてタチが悪い。
そして本体にまで影響を及ぼすと酷い事件になったりもする。
今回はカナに頼ってしまったけど私が解決出来たならもっと良かった。カナは私よりももっと「見える」し、感覚も鋭いようだ。しかしまだ5歳児なのだ。彼女が危ない目に遭わないように私が目を光らせないと。
ミナミちゃんのママは直接ホリ先生と話したそうだ。
今度のお茶会はそのネタがつまみになるだろう。
あ、でも子供達も誘ってあげないとね。今回は子供達のおかげで解決できたようなモノだし、カフェのソフトクリームを前から食べたいってねだられてたし。
そうだね、一緒に行ける時にしよう
そんな計画を立てている時間も私にとっては幸せな時間だった。
洗濯物を干す手が進む
夏の日差しがありがたい
さあ、次のお茶までまた一週間頑張りますか!