3:歓迎会
その日、ミズガルド騎士団営舎の食堂では大勢の使用人が目まぐるしく働いていた。下ごしらえを待つ野菜や肉、白い陶器の皿と器、鈍色のカトラリー……そのどれもが、任命式後の騎士団員揃っての歓迎会のために、果てしなく大量にあるのである。担当するそれぞれが無心に芋の皮を剥き、肉を叩いて柔らかく処理をして、湯気に晒されながら大鍋をかき混ぜ、割らないように慎重かつ素早く食器を運び、カトラリーを一本一本磨き上げて並べていく。平常においても、各自の任務状況によりまちまちな時間に食事をとる騎士達相手に朝から晩まで稼働をしているが、彼らが一斉に揃う晩餐の準備は平常の比ではなかった。この日ばかりは過酷な訓練をしている騎士達よりも体を動かしているのではないかというほど手と足を動かし、ようやく準備が整うのだ。おまけに準備は終わりではなく始まりで、ここからはまた休みなく給仕を務めなければならない。食事を順番に提供し、空いた皿を下げ、酒を抱えて運ぶ厳しい体力仕事に朝から働きづめの使用人達の目からは気力が尽き――てはいなかった。
「見た!?見た!?」
「見た!噂以上だった!」
「それよね!噂以上とかすごいわよね!」
「これでも散々この営舎で男前の騎士様達を見てきて目が肥えていたのに、彼は別格だったわ……」
「下手な貴族よりよっぽど高貴な顔立ちよね。ほんと、かっこいいを超えて麗しい」
逞しい女性達は重ねた食器を両手に抱えながら、目を爛々と輝かせた。入団前から噂になっていた『麗しの騎士』を実際目の当たりにした興奮がますます口を動かしていく。
「あれで平民なんでしょ?信じられない!」
「同じ平民の私達にも望みがあるってことよね。あ~、これからの仕事がものすごく楽しみになってきた!」
「騎士学校の首席ってことは頭良し、腕前良し、それでいて顔も良し……ああ、お近づきになれたら嬉しくて死んじゃうかも」
「名前はたしか……」
「ルイス」
目立つ新人騎士用の席から食堂の隅の空いた席へと移動をして一息ついていたルイスが目を上げると、よく見慣れた紺碧色の長髪の男が立っていた。男――アルバート・オズボーンは気兼ねなくルイスの隣の椅子を引いて腰を下ろした。
「席を移動するには早いんじゃないか?第一の先輩方とは少しは話をしたの?」
「……」
「してないんだな。騎士になってもその人付き合いが嫌いな不愛想が拝めて嬉しいよ」
訳知り顔で頷いて、アルバートはワインを煽った。生粋の貴族である彼はそんな何気ない仕草も洗練されている。
ルイスとて、先輩騎士達と全く会話をしなかったわけではない。これでも新人という立場を考慮して、矢継ぎ早に飛んでくる質問に「はい」か「いいえ」で答えてはきた。……本当にその二言で済ませていたため、周囲は早々に親睦を諦めてくれた。必要以上に馴れ合うつもりがないルイスとしては彼らの潔さは大変ありがたく、こうして無事に避難ができたというわけだ。
「お前こそいいのか」
「俺はもうちゃんとすべき人には挨拶と世間話をしてきたから、問題ないさ。誰かと違って」
軽い冗談に睨み返しても、アルバートはにこにこと人好きのする笑顔を崩さない。ルイスは背もたれに深く背中を預けてため息を吐いた。付き合いが長い彼に睥睨が効かないことはわかっているし、彼の冗談に一切の悪意がないことも、よくわかっていた。
隅に移動して多少周囲からの視線は削がれたが、まだ話題性のある新人騎士を遠巻きに見ている目は多い。ルイスに話しかけようとして、彼の剣呑な雰囲気にまごついた者達は、気安くルイスと会話をするアルバートについても何事か話しているようだった。
「あのバクスター団長に蹴りを入れたんだって?」
「すっきりした」
「はははっ!なにそれ、さっそく何かあったの?」
「……言いたくない」
「わかった、わかった。また今度、部屋でこっそり教えてくれ」
まだ食べ足りてないだろう、と笑いを噛み殺したアルバートに赤ワインとベリーのソースがかかった牛肉が乗った取り皿を差し出され、ルイスは無言で受け取り、フォークで口に運んだ。
「お前、細い見かけによらず大食いだよな」
「細くない」
「そうか?何やら因縁があるらしいバクスター団長に比べたら、女鹿のようだと……」
「私がどうかしたか?」
「!?」
突然乱入してきた声にルイスは目を剥いた。アルバートも、おっと、と手で口を塞ぐ。
ウィリアムは新人二人の様子を意に介さず、アルバートとは逆隣の席に着いた。
「私の名前が聞こえたが」
「……」
「今日の模擬戦についての反省を述べていました」
笑顔ですんなりと言い放つアルバートに、ルイスは内心で感心した。そのまま、素知らぬ顔で肉を食べる。
「君も新しい顔だな」
「第三騎士団第一部隊に配属されました、アルバート・オズボーンと申します」
「オズボーン家の長男か。代々優秀な騎士を輩出する家だ、君にも期待している」
「ありがたいお言葉、身に余る光栄でございます。……では、私は席に戻ります」
「!」
そそくさと立ち上がったアルバートに、ルイスは眉間に皺を寄せて彼を見上げた。ルイスの驚きと怒りが綯い交ぜになった表情を見たアルバートは笑いを堪え、ウィリアムに一礼をして、一つにまとめた紺碧色の髪を揺らして元の席へと戻っていった。取り残されたルイスは、自分を見捨てたアルバートへの報復を胸に誓った。
「随分親しげだったな。彼とは親交があるのか?」
心なしか目つきを鋭くしたウィリアムが訊ねた。それを聞いて何になる?ルイスは僅かな苛立ちを感じながら、口を割った。
「はい」
「いつから?」
「……南部国境戦に参戦した時からです」
「そうか。彼もあの戦いにいたのか」
ウィリアムは指でトンと卓を突いた。
「君はあの戦争の開戦当初から参加していたな」
「はい」
ルイスは端的に肯定した。
「南部国境戦前はどこかで戦っていたのか?」
「いいえ」
「十四歳の初陣で、あの一年半を生き延びるどころか、功績を上げるとは素晴らしい実力だな。エミールが騎士養成学校に君を推薦したのも頷ける」
入団書類で経歴を把握しているのだろう。ウィリアムがなぞる自分の軌跡に、ルイスは黙って耳を傾けた。
「今日の戦いぶりも、実際の戦場を経験した者にしかない気迫があった」
ウィリアムが胸に手を当てた。ルイスは僅かに顔を顰めた。上官を蹴りつけたことを咎めるつもりかと身構えたが、ウィリアムの目に叱責の色はなかった。ただ考えが読めない無表情のまま、じっとルイスを見つめている。
「手の具合はどうだ?」
問われて、ルイスはウィリアムに剣を弾かれた時の痺れを思い出した。ぐっと拳を握り、記憶を追い払う。
「問題ありません」
「ならばいい。思いがけず力加減を間違えてしまって申し訳なく思っていたのだ」
ウィリアムは真っ直ぐにルイスを見据えて言った。酒のせいもあり、ほとんどの者が姿勢を崩して宴を楽しんでいる中で、彼は堅苦しいほど背筋を正していて、その生真面目な性格が窺い知れた。
嫌い、ではない。初対面での子ども扱いに憤りを覚えたものの、元々は憧れの存在であったし、こうして接してみればその実直で慇懃な言動は好感を持てる。新人のルイスに砂埃を付けられても憤慨するどころか素直に褒め称えてくれる公平さも信頼できる。
やたらに反発することこそ子供じみた態度だろう。こちらも素直に歩み寄りを……
「ところで、君はワインを飲んでいるのか?まだ成人したばかりで酒は飲みなれていないだろう」
「……」
「周りに合わせて無理に飲むことはない。体質によっては明日酔いの症状が出る場合もあるから、飲みすぎには注意しなさい」
「……」
「どうした?もう酔いが回ってきたか?」
「ご心配いただかなくても体調は自己管理していますので」
前言撤回。やはり嫌いだ。歩み寄りたくない。
(なんでこいつは俺を子ども扱いするんだ!?あんた俺の何なんだ、保護者じゃなくて上司だろ!他の新人だって成人したばかりのヤツばっかりなのに、どうしていちいち俺だけにわかりきった説教をするんだ!)
アルバートもイヴも、他の新人達もすでに何杯も酒を煽って顔を真っ赤にして陽気になっているのに、節度を守って少しずつ飲酒している自分が指導されることに納得がいかず、ルイスは苛々と顔を顰めた。その表情を酔いからくる体調不良の兆しだとでも勘違いしたのか、ウィリアムが伸ばしていた背筋を屈めて覗き込んでくる。ルイスは酔った失態を責めるようなウィリアムの眼差しからぐるっと顔を背けて立ち上がった。
「失礼します」
一連の様子を離れた席から見守っていたアルバートが楽しんでいたことなど、この時のルイスは知る由もないのであった。