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落雷死亡事故保険

作者: 宇宙庭園

 昨夜は雷雨の酷い日だった。寝ぼけているときに雷の轟く音がしたのは覚えている。鹿島は布団から起き上がるとカーテンを開けた。あまりにも眩しい光に一度目をそらしたのち、ベッドのそばにあったサングラスをかけてもう一度外を眺めた。空は雲一つない青色で、昨日の夜が嘘みたいな快晴だ。外の眩しさに顔を顰めているとサイドテーブルに置いてあった電話からけたたましい音が鳴る。課長だ。わざわざ課長からの着信音はハードロックにしているため一瞬でわかる。

「おはようございます」

「ああ、今すぐ来てくれ。出勤は昼からだろうが緊急事態だ」

「はあ、何です?」

「実はだな、特殊保険第二類、まあつまり天災による死亡保険がおりるかもしれない。お前の担当の客なんだよ。今それで早いとこ調査しないといけない状況だ。わかるな?」

「かしこまりました。今から準備してすぐ向かいます」

 鹿島は大きくため息を吐いた後、部屋の電気をつけた。先程開けた窓からの光だけでは準備をすることもままならない。普段はもっと遅く十時頃に家を出ているが、時計の針はまだ七時を指し示している。鹿島にしては珍しく早起きをした日だったのだが、考えていた予定は全て崩れてしまった。

 事務所にはすでに同僚が揃っていた。基本的に皆夜型なのでこの事務所は大体正午から開くのが常だが、今日は異常事態だ。鹿島はデスクに近づくと、デスク上のファイルを目に通す。そこには今回の死亡者の情報が書いてあり、担当者のサインはくっきりと『天海鹿島』とある。

「本当に俺の担当かよ」

「じゃなかったらわざわざモーニングコールなんてしないが?」

「天野課長。いやあ、ありがとうございます。わざわざ電話してもらっちゃって」

「じゃあ早めに目を通して調査だ。特殊保険調査、それも天災モノなんて久しぶりだからな」

 天野課長は着ているスーツの襟を正し課長用のデスクへと戻る。エアコンをつけているが、それでも真夏にスーツを着込むその姿は異様だ。

「やっぱ夏にスーツはヤバいよ。絶対頭茹っておかしくなるだろ」

「課長に聞こえるよ」

「へいへい。浅見サンは今日も真面目だな」

「それはもうお客の誰かさんがやらかしてくれたおかげよね。調査課なんて本当お客様対応が無ければ暇で高給の仕事なんだけれどね」

「本当いい金額もらえるよな」

「最近は天海くんのお客ばっかやらかしているよね。死神かなんかなの?」

「そんなんじゃあないけどな」

「まあ私は優しいので? 今回の色々にサーチかけといたわよ。メールで送るから確認しといてよ」

「サンキューな。マジで助かる」

 浅見は頷くと再びキーボードをたたき始めた。浅見はサーチに長けており、SNSでの投稿を主に纏めている。今もパソコンの画面にはいくつかのSNSが同時に開いており、自動検索やスクロールでせわしない。鹿島はその動作に見入っていたが、ハッとして手元のファイルを開いた。

 今回の死亡者は高山燈子。二十七歳のアパレル勤務。顔写真では優しそうな女性という印象を受ける。今回の『落雷死亡事故保険』に加入したきっかけは「占いで雷に打たれて死ぬと予言されたから」だ。鹿島は他の情報にも目を通したが、心惹かれるものはなかったようで机にファイルを伏せた。

「じゃあ俺はちょっと出かけてくるから。なんかあったら連絡くれよ」

「了解」

 鹿島は浅見に手を振りながら事務所を出る。七月にもなると気温は三十度を超えており、肌が焼けつくような日差しが突き刺さる。事故現場は電車で十数分、原宿駅の辺りだ。

 人混みに流されるようにして駅から出ると、スマホのマップでは結構近くを指し示していた。まだ朝、それも平日なので普段のように魑魅魍魎が跋扈しているわけではない。いつもより声掛けも少なく、鹿島は安堵した。大通りから外れた裏路地の少し先に事故現場はある。かすかに差した光が黄色のマリーゴールドを輝かせている。幸いにも心肺停止による死だったため、苦しまずに死ねたことだろう。

「なるほどな」

 鹿島は地面を触る。そこにはマリーゴールドが咲いているだけで、あるはずのものがない。焦げ跡だ。花をかき分けて地面を観察するが、コンクリートに黒ずんだ場所などどこにも無かった。

「自然現象の落雷というには不思議すぎる。もう少し何かしらの形跡があるもんだが。保険請求が通るかもしれないな。まあだからこそこっちに話が回ってきたんだろ」

 鹿島は周りを物色するが、路地裏、それも行き止まりのところにめぼしいものなどあるはずがない。調査だけで帰れるよう、真っ先に現場に来たのが裏目に出てしまった。情報を集めるために、この近くにある燈子が勤めていたアパレルショップへとマップの目的地を変更した。


 燈子の元勤め先は安易に見つかった。大通りに面するとあるビルの二階で、でかでかと看板が掲げられていた。一度に一人しか通れないような階段を上がると、扉越しからハーブ系の匂いがする。扉を開けるとカラコロと軽い音のベルが鳴った。店内はハーブやシナモンのような匂いが充満し、いかにもエスニックという風体だ。木製のテーブルにはビーズのネックレスやイヤリングが並べられ、ハンガーラックには様々な柄の服がかけられている。天井からはドリームキャッチャーのような飾りが沢山垂れ下がっていて、少し異様だ。

「いらっしゃいませ」

 奥の方から五十代くらいの女性が歩いてくる。すべての指に指輪をはめており、ギラギラと輝くネックレスに宝石のようなものがついた眼鏡をかけている。

「すみません。ちょっとお時間いいですか」

「はいはい、いいですよ」

「私は高山燈子という女性について調べていまして、ここで働いていたって聞いたんですけどなにか彼女についてご存じないですか」

「燈子さんね、そういえば今日はこれから夕方に燈子さんが出勤してくるわ。その時に直接聞いていただけないかしら」

「あー、申し訳ないんですけど高山さんについての連絡が行ってないんですか。そうですね」

「なにかあったんですか?」

「ああ、実は高山さん、昨日の夜に亡くなっていまして……」

「初めて聞いたわ。そうなのね……」

「お悔やみ申し上げます。それで私は彼女の入っていた保険の調査員でして、彼女について教えて欲しいんですよね。今調査していることの内容によっては給付される金額が変わってくるので」

「わかりました。しかし本当に調査員ですか」

「すみません。名刺を渡してなかったですね。私は天海鹿島と申すものです。よろしくお願いします」

 鹿島は慌てて鞄から名刺入れを取り出すと、女性に手渡した。女性は納得したようにその名刺をポケットにしまうと店の奥へと引っ込んでいった。鹿島がそのことに首を傾げていると、女性は店の奥から椅子を持ってきて鹿島の前に置いた。

「お気遣いありがとうございます」

「今お茶を用意しますからね、少し待っていてくださいね」

 そういうと女性は再び奥へと戻る。室内の雰囲気もあり時間がゆっくりと流れているような感覚になる。奥から聞こえてくる缶を開く音や食器を用意する音が心地よい。まだ午前十時なのもあって客が現れる気配がない。この街は夜にこそ煌めくからだ。こんな平日の昼間から仕事をしない人は少ない。ハーブとシナモンの香りが更に強くなる。鹿島が店の奥に目を向けると、女性はトレーにクッキーとポット、カップを乗せて鹿島のそばに近寄った。

「すみませんね、お待たせしてしまって」

「別に大丈夫ですよ。こちらこそわざわざお茶まで淹れてもらっちゃって。ありがとうございます」

「いえいえ、ハーブティーはお好きですか」

「好きです」

「良かった」

 鹿島は女性に勧められるまま、お茶に口を付けた。少しピリッとしたハーブティーで、浮いている花が視覚的にも良い。リラックスする香りが直接鼻腔へと流れた。

「それでは話をしましょうか。まず、高山さんはここで働いていたんですよね」

「そうです。五年前に社員として雇用した時から良くしてくれています」

「とても占いを信じる方だったとか?」

「はい。私も占いを少しやっておりまして。彼女に教えることもありましたよ」

「実はですね、うちの保険に加入した際の理由に占いが絡んでましてね、ショックを受けるようなことだったんですけどそのことについて何か聞いてませんか?」

「そうね……。ああ思い出したわ。そういえば彼女が占いに手を出す少し前、きっかけになるのかしらね。とても有名な占い師に占ってもらったとは聞いたわ。どんな結果だったのか聞いたのだけれど、急に顔を青くしてしまって。とても印象的だったし燈子さんがそんな顔をするのは初めてだったから覚えているわ。その後から積極的に占いを学んでいたわね」

「有名な占い師か。名前とか分かりますかね?」

「いいえ、そこまでは」

「わかりました。では彼女の人間関係のうち、彼女に危害を加えそうな人物について心当たりはありますか」

「いいえ。燈子さんは他の従業員の子とも仲が良くて。たまに友達が会いに来るくらいには慕われていましたよ。恨みを買うようなことはしていないと言えますね」

 結果的に高山燈子は占いに傾倒しており、恨みを買うようなことはない勤勉な女性であるという情報しか手に入らなかった。店主の女性も「どうしてあの子が」と呟いている。鹿島はスマホを取り出すと、浅見に宛ててメールを送った。

「今日はありがとうございました。そういえばお名前を聞き損ねていましたね」

「ああ確かに。私は竹原といいます」


 鹿島が残りのお茶を飲み干し、竹原に感謝を述べ店から出るとすぐにスマホが鳴った。浅見からの返信だ。メールには『SNS見つけたよ』という文面と共にSNSのアカウントに通じるリンクが貼りついている。鹿島がリンクをタップすると直接アカウントのプロフィールページへと飛んだ。そこには高山燈子の自撮りや生活が掲載されており、本人だと簡単に断定できた。キメ顔の自撮り写真にアフタヌーンティーの写真、一般的な女性のアカウントだが何個か目につくスピリチュアル系の投稿がある。お目当ての投稿は大体一年前くらいにあった。『有名な占い師のとこに来た!』という文面と共にいかにもという感じの大きく丸い水晶玉が鎮座した写真が投稿されていた。水晶玉は光の加減なのか少し濁っているように見える。少し霞んでいるのか、よく見るようなピカピカのそれではない。それゆえに神秘的な雰囲気を醸し出していて、さも『本物』であるかのように見える。

「本物、なんてのはなかなかいないんだけどな。これはちょっとクサいかもしれねーな」

 投稿には#友達や#私達前世でも友達らしいというハッシュタグが付けられていた。占い師がどこの誰かを断定する情報は足りないが、この時に高山燈子と行動していた女性に辿り着くのは簡単だ。文面に乗せられていた高山燈子の友人らしきアカウントへのリンクを踏むと、アイコンでは彼女と同じくらいの年らしき女性が笑っていた。プロフィールページには『ネイリストやってます♡』。名前はMikika Takamura――たかむらみきか、投稿によると原宿でネイルサロンを開いている。ご丁寧にネイルサロンの住所まで載っている。ネイルサロン用のアカウントもあるようで、鹿島はそちらも流し見をした。

「これは、そうとう仲良しだったみたいだな」

 ネイルサロンのアカウントではモデルとして高山燈子のアカウントが紐づけられている。この女性はよほど高山燈子と親交があったらしい。鹿島は次の行き先を見つけたとばかりにマップを開いた。

 ネイルサロンは中世ヨーロッパのような外見をしていたためすぐに見つかった。白い壁、白い柱。筆記体のロゴに金で装飾が施されている。直射日光を浴びて鬱陶しいくらいに光り輝いている。

「サングラス貫通するくらい眩しいってなんだよ。見つけやすかったから結果オーライなんだけどさ」

 鹿島は手元のスマホと店を見比べる。SNS上の情報とも差異が無い。透明な自動ドアの先には白を基調とした店内が見える。自動ドアをくぐると、甘い香りが鹿島を覆った。

「いらっしゃいませ。ご予約のお客様ですか?」

「いや、ここのたかむらみきかさんという方とお話をしたくて」

「高村店長ですか。失礼ですがどのようなご用件で?」

「高山燈子さんという方についてお話を聞きたくて。多分たかむらさんに聞いていただければわかると思います」

「わかりました。少し後ろに下がらせていただきます」

 そういうと、お洒落な女性は後ろに引っ込んだ。どうやら個室での施術を行う店らしく、フロントには会計場所や待合ソファーなどのモノしか置いていない。奥に通じるドアはいくつかあり、そのうちの一つ、先程女性が入っていたドアに目をやる。きらきらしいドアには『une』と筆記体で書かれたプレートが下がっている。鹿島が凝った装飾を眺めていると、ドアが音もなく開いた。中からは、SNSで見たままの綺麗な女性が出てきた。

「はじめまして」

「はじめまして。たかむらさんですか」

「はい、私が高村美樹香と申します」

 高村美樹香は鹿島に名刺を差し出した。それに応えるようにして鹿島も名刺を差し出した。高そうな紙に凝った装飾がなされている名刺には間違いなく『高村美樹香』と記されていた。

「突然ですが、私は高山燈子さんについてお話を聞きに来ました。彼女について、そして彼女と行った有名な占い師について教えていただけますね」

「はい、でもどうして燈子の話を聞きに来たんですか?」

「実は、高山燈子さんがお亡くなりになりました。その死亡状況に不可解な点があるので調査をさせていただいています。なにぶんこの世は不可思議だらけ、何があってもおかしくはないですがことによっては大金が動くので。調査が必要なんですよ」

「亡くなった、んですか。そうですか」

「そうですね」

「もしかして、雷に打たれた……とか」

「ご明察ですね。知っていたんですか」

「いえ、燈子が亡くなっていたことは知りませんでした。でも彼女の死因についてはお話することができるかもしれません。さっき、占い師についてとおっしゃっていましたよね。そのことについて、話したいことがあります」

「ありがとうございます。それを聞くためにここまで来ているので願ったり叶ったりですよ」

 鹿島が目を細めて笑うと、高村は少し緊張したのかごくりと生唾を飲む。その場できょろきょろと辺りを見回し、視線が少し泳ぎ始めた。心なしか少し顔が青い。

「それでは、話していただけますね?」

「はい。……大体一年ほど前のことです。知ってますか? 結構有名な占い師なんですけど、よく『揺らぎ水晶の占い師』と言われている人です。たまたまその人を見かけたっていうのを友達から聞いて、燈子と一緒にショッピングしていたのでその足で会いました。SNSとかで言われているのですがめったに会えないのでそのまま勢いで占ってもらって、最初は普通だったんです。よくあるタロットや手相での占いでした。最後に水が入っているみたいな水晶玉に順番で手を当てて欲しいと言われました。はっきり思い出してきました。そうです。私が手を当てた時は何ともなかったんですけど、燈子が手を当てたらあの占い師はなんか変な顔をして『あなたは雷に打たれて死にますね。たまに未来が見える人が居るんですけどどうやらあなたはその一人だったみたいです』みたいなことを言われてました。冗談みたいなノリだと思ってたんですけど、占い師は変な雰囲気だし、燈子は異様な様子でその言葉を信じ切っているみたいでした。帰ってからSNSで普通に投稿していたのでそう見えただけだと思っていました。この前会った時も普通で今こういう風に言われてても、まだ燈子が死んだという事を受け入れられていないところがあります。……私から話せることはこのくらいです」

「ありがとうございます。失礼ですがこの前会った時とは具体的にいつ頃のことでしょうか」

「大体、二週間前くらいだったと思います。一緒にアフタヌーンティーへ行きました。その時は普通に元気で、死ぬ片鱗なんて全くありませんでした」

「根掘り葉掘り聞いてすみません。しかしかなり重要な情報が得られました」

 鹿島はサングラスを正し、組んでいた足をほどいた。改めて高村の方に向き直ると、テーブルの上に右手を置き人差し指で音をカツカツ鳴らす。

「占い師は未来が見えるんですね。それで高山燈子さんが雷に打たれて死ぬ姿が見えたと」

「はい」

「未来が見える、なんてのは普通はありえないですよね。そして的中した。誰がどう見たって相関関係がありますよね」

「はい。でも燈子がそれのせいで死んだとしても、占い師は捕まらないし証拠なんてないですよね。天海さんは占い師を捕まえに来たんじゃないですか」

「いやあ別に占い師をシバきに来たんじゃないですよ。名刺には特殊調査員と書いてますけど、警察とかそっちじゃないんですよね。私が知りたいのは占い師が関与しているかどうか、高山燈子さんが自然現象による落雷で死んだかどうかなので。犯罪とかは関係ないですね」

「そうなんですね。でももし、燈子があの占いのせいで死んだんだったらそれって私のせいになりますよね。私が燈子を占いになんて誘わなければ良かったんだ」

 高村の顔が少し赤くなる。鼻をすすったかと思うと、その目からは綺麗な涙がこぼれ落ちた。

「それはどうなのか、とは思いますけどね。だってわざわざ高山さんに『アンタは死ぬ』と声をかけたんですよ。それが偶然でなく仕組まれた事だったってこと、大いにあると思うんですけどね。むしろ高村さんが事の顛末を知っていたことによって高山さんの真実に辿り着けるかもしれないんですよ。ああ、そうですね。言い忘れていたので今言いますけど、今回の協力料についての話です。二択で選んでもらえますか。高山さんの死、その真実もしくは協力金になります。もし真実を選ばれるのでしたら、そこで知ったことは他言無用でお願いしますね」

 鹿島はそう言い切ると高村にウィンクをした。高村はパチパチと瞬きを繰り返すと、最後にゆっくりと目を閉じた。

「……燈子の死について知りたいです。普通の死じゃないんですよね。だったらせめて、私だけでも真実を知ったうえで弔いたいです。お願いします」

「かしこまりました。では誓約書にサインしてもらいます」

 鹿島は足元に置いていた鞄からファイルを取り出すと、テーブルの上に置いた。そこには『誓約書』と書かれており、詳しい項目についていくつかの記述が為されている。鹿島が高村にペンを渡すと、高村は慣れた手つきでサインをした。鹿島がそれを確認し顔を上げると、高村の少し歪んだ顔が視界に入る。

「あんまり気に病まない方がいいっすよ。下向いてると明日は我が身ってね。人間いつ死ぬかわからないものですから、なるべく前を向いて生きるのも大切だと俺は思いますけどね」

 鹿島が口からこぼした言葉に対し慌てて「申し訳ない、デリカシーありませんでしたね」と付け加えると、高村は「ありがとうございます」と笑って返した。鹿島は胸を撫でおろすと、次の目的地、最終到着地になるであろう占い師のことに思いを馳せた。


「今日居るって投稿あったわよ」

 浅見が隣のデスクにいる鹿島に声をかける。机に突っ伏していた鹿島は浅見の方に目を向けると、そのままもう一度眠りにつこうと頭を腕の上に乗せた。

「ちょっと。起きなさいよ。仕事でしょう」

「めっちゃいい夢見てたんだよ。起きるから髪の毛引っ張るのはやめろ。ハゲる」

「じゃあさっさと起きなさい」

「オカンかよ。あーあ、面倒だけど行くか。面倒だけど」

「高い給料もらっているのだからそれくらいは働きなさい!」

「へいへい」

 鹿島は大きく伸びをしてサングラスをかけると、浅見のパソコンに映し出されている画像を眺めた。そこには「今原宿に話題の占い師が居る!」や「原宿に有名な占い師が来ているらしい」、「バズってた占い師がいるんだけど」というような呟きが並んでいる。浅見は最新と書かれたタブをクリックし、鹿島の顔を覗き込んだ。

「これ、多分そうでしょ。運が良かったよね。八時まで寝過ごしてなかったら連絡しても行かなかったでしょ」

「飲んでたら気づいてなかったかもな。サンキュ。居なくなる前に会っとかないと」

 鹿島は着ていたシャツの襟を正し、ほどいていたネクタイを結びなおす。少し首を回して調整し、デスクに置いていたネクタイピンを付けた。ズレていたサスペンダーを正すとカンカンと革靴の先を鳴らす。必要なものを纏め、浅見の残るオフィスを後にした。


「今有名な占い師が居るんだって! ほら前SNSでリツイートしたやつ。せっかくなら行ってみない?」

 鹿島の耳に女性の声が通る。その内容に思わず振り返ると、女性は連れのもう一人に対して道案内をしているところが見えた。都合がいいとばかりに鹿島がその二人のあとを追うと、あからさまに怪しい風貌をした女性の姿があった。薄い紺のベールを被ったその女性は、長蛇の列に並ぶ人々に対し一人一人丁寧に占いをしていた。鹿島は最後尾に並びその女性を観察するが、どこにもおかしなところは見当たらない。素早く捌けていくその手腕は見事だ、と感心してしまうほどのやり手だと見受けられた。あと二人ともなれば会話も聞こえてくるわけだが、その内容にもおかしな点はない。強いて挙げる点があるならば、どの客に対しても大きな水晶玉に手を当てさせる点だろうと鹿島は思案した。全ての客に対して水晶玉を触るよう指示しているらしいのだが、ただそれだけだ。水晶玉に注視していると、いきなり揺らいだように見えた。前の人が手を当てた瞬間だけ、少し水晶玉の中身に水のような揺らぎが発生したような気がすると鹿島が水晶玉を注視していると、その耳に会話が流れ込んできた。

「おまけです。あなたのこれからについて述べましょう」

「おまけ、ですか?」

「ふふ、視える人と視えない人が居るの。だからサービスってことになるんだけど、聞きたい?」

「もちろん聞かせてください!」

「そうね、あなたは近いうち火事に巻き込まれてしまうわ。気を付けて」

「は、はい! 火事が起きるんですね。ちゃんとガスの確認をします!」

「ありがとう。また来てね」

「ありがとうございます」

 前にいた女性は左に捌け、鹿島と占い師の視線が交差する。占い師は「次の方、どうぞ」と告げ、鹿島を机の前に誘導した。占い師の座る机の上には賽銭箱型のお金を入れるケースと水晶玉だけが置いてある。水晶玉は先程のように揺らぐことはなく、ネオンの光を受けて鈍く輝いていた。

「一回千円です。こちらの箱に入れてくださいね」

「よろしくお願いします」

 鹿島が箱に千円札を突っ込むと、占い師は手を出すように促した。空いている真ん中のスペースに右手を置くと、占い師の冷たい手が鹿島の手を取った。

「不思議な手相をしてますね。わりと沢山の手相を見てきた自信があったのですが、その中でもなかなか特徴的です」

「へえ」

「お客さんはこの先、生きるか死ぬかの場面に立たされることがありますね。生命力は強いですが、それを超えた選択を迫られる時が来るでしょう。お金に困る事は無さそうです。随分強い意志をお持ちのようですね。手相にもそれが現れています。その意志のまま突き進むことが幸せの鍵になるでしょう」

「ふーん、そんなピンチ来るんですかね」

「一応参考に程度のレベルですので。信じるも信じないもあなた次第です」

「あとなんか気を付けることとかあります?」

「そうですね、意志が強すぎるがゆえに他者のことを顧みず歩いていく傾向があります。基本的にはそのままうまくいくことが大半ですが、一回か二回、とても大きい後悔をするでしょう。あとは身近な人間の死が多いみたいですね。伴侶は現れる可能性がある程度です。なにかのきっかけがあれば人生を添い遂げる人が現れるとありますが、多分このままでは現れないでしょう」

「そうなんすね。てか聞きたいことがあるんですけど、高山燈子って人、そうだなあ前に落雷で死ぬって言った人のことを覚えていますか」

「覚えていますよ。自然現象で亡くなってしまうから、避けるのは難しいだろうと告げた方です」

「本当に自然現象なんですか。いくつか不審な点がありましてね」

「何かありましたか。とはいっても私は一介の占い師。視ることは出来ても、それだけです」

「そうですか」

 占い師は変わらない表情に声のまま告げる。焦っている様子も見受けられない。鹿島の手を開放すると、占い師は自らの手を水晶玉に当てた。

「最後にこれを触ってください」

「構いませんが、これは何ですか。先程は揺れたように見えましたが」

「視える時に揺らぐのです。だから私は『揺らぎ水晶の占い師』と呼ばれているのです」

「何が見えるんですか。やっぱり未来予知ですかね」

「その通り、手を当てた人の近い未来を視ることが出来るんです。人によって視える時と視えないときがありますが」

「じゃあ見えるといいですね」

 占い師が急かすまま、鹿島は水晶玉に手を置いた。ほんのりと生暖かいそれは、夏の夜という背景があっても明らかにそれ自体が熱を持っている。じわりと水晶玉が手に吸い付いているような感覚が鹿島を襲った。手と水晶玉が一体化するような、何とも気持ち悪い間隔が腕を通して伝わってくる。水晶玉が揺らぎ、更に熱さを増した。

「これ大丈夫な奴ですか。なんかさっきと違くないですか」

「おかしいですね」

「いくらぐらいします、これ。損害賠償とか勘弁なんすけど」

「焦らないでください。もう少し手を当てて貰えますか」

 先程までのんびりした喋り方だった占い師の声が尖る。鹿島は占い師の言う通りに手を当てているが、異様な様子からか顔が少し歪む。水晶玉の中身は沸騰したかのように泡を吐き出し、明らかに水晶ではない何かに変化したようだ。

「あ……! 何か、これは、崖……?」

「崖、ですか」

「岩が刺さって……死んで。でも、これは……」

「本当に大丈夫ですか。未来が見えるんですよね」

「……」

 占い師は沈黙し、顔を歪ませているのがベール越しでもわかる。時間が経つにつれ鹿島の手は水晶玉に食い込み、指の第一関節まで沈んでいる。ウルトラマリンのネイルが水晶玉越しに輝いている。鹿島は水晶玉から手を抜こうとするが、全く抜ける気配がない。そうこうしているうちに手首まで水晶玉に沈んだ。やけどしそうなほど熱くなっている水晶玉は、ぐらぐらと煮えたぎった湯を球の形にしたかのような姿に変わり果てている。鹿島の背後にいる人々がざわめきはじめ、列は崩れた。ぶくぶくと音がするほど水晶玉は沸騰し、呑まれた手の先は底につくくらいまで来ている。ウルトラマリンが底にぶつかる。占い師の独り言はうるさいガヤによって聞こえない。指の腹が底を撫でた時、魚が溢れて死んだ。泡は魚に、水晶玉は溶ける。ゆで過ぎたうどんみたいにくたくたの個体になってしまった。魚の形をした泡もパチンパチンと弾ける。もはや『玉』ではないそれは、完全に崩壊した。水あめのように粘度の高い液体が鹿島の手を伝う。熱を持っていたそれは、もうぬるま湯くらいの温度だ。

「これ、損害賠償とかないですよね……?」

 占い師の返答は無い。鹿島は不審に思い占い師の顔を覗き込むと、占い師の顔には焦燥や絶望、困惑の色が塗られている。後ろの人々も鹿島と占い師を見守っている。鹿島が水あめのようになってしまった水晶玉を触ろうとすると、「やめろ!」という声が辺りに響き渡った。

「触らないでください。これは全部私のものです」

 占い師はベールを外すと、机に乗っている水晶玉だったものを手に取り、啜った。空気が凍る。背後から「嘘だろ」という困惑の声が聞こえた。突然の出来事に鹿島が硬直していると、瞬く間に水晶玉だったものは占い師の体内に消えていった。結構な量だったのだが、勢いを殺さず全て呑んだ。人々が息をのんだ気配がする。机の上には一滴も残らず、最初から水晶玉なんてなかったかのようだった。

「ヤベえんじゃないか、これ」

 全てを呑んだ占い師の眼光が鹿島を捉える。その鋭さに鹿島は怯むが、占い師は顔をふっと緩めて口を開いた。

「今回はちょっとイレギュラーなことが起こってしまってすみません。皆さんも、変なものを見せてしまってすみません。申し訳ありませんが、今日はここで店じまいになります」

 占い師の言葉に野次馬が散っていく。他の人も悪い夢だった、あれは何なんだろうねと口にしながら場を離れていく。後には鹿島だけが残された。

「それ、呪具の類じゃないんですか。届け出とか出してます?」

「あら、ご存じですか。勿論、数十年前から出しております。こんなことになったのは初めてなんです」

「俺、何もしてないっすよ」

「そのはずですよね。だから不思議なんです」

 占い師は申し訳なさそうに鹿島へ告げた。鹿島は胸を撫でおろすと、姿勢を整える。

「本当にすみませんでした。何が原因かわからないとはいえ、物を壊してしまったことは変わりありません」

「大丈夫です。顔を上げてください」

「すみません、ありがとうございます」

 鹿島は会釈すると、気まずそうにその場から立ち去る。占い師はまるで何もなかったかのように店じまいをし、変化しつつある右手をネオンに透かした。


「とりあえず、呪具がらみっぽかったんだよな」

 鹿島がオフィスに戻ると、浅見がまだ仕事をしていた。隣に腰かけ、声をかける。浅見は興味なさそうに鹿島の方を見やると、再びパソコンに向き合った。

「もう終わったんでしょ。あと本当に訴えられないよね? 経費にも限度ってものがあるから」

「多分大丈夫。ていうかこういうのはねーさんの専門だからこっちに持ってきてほしくないんだよな。連絡はしたけどよ」

「専門の人がついてくれるなら大丈夫そうね。早く報告書仕上げちゃいなよ」

「浅見サンも早く帰れよ。夜道は危ねーからな」

「お気遣いどうも」

 鹿島は自分のパソコンを立ち上げると、テンプレートから報告書の雛型を取り出す。二人だけの静かなオフィスには、パチパチとキーボードを叩く音だけがする。鹿島は首を緩く回すと、苦手な書類仕事に嫌々向き合った。

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