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一般向けのエッセイ

追悼 中井久夫

 中井久夫が亡くなった。八十八歳だった。


 私は中井久夫の著書を、図書館でパラパラ読んでいたくらいだが、中井が非凡な書き手だというのはすぐわかった。…もっとも、無名の人間がこんな風に中井久夫を評する事自体、馬鹿らしくて仕方ない。わかる人にわかっているはずだ。


 それでも、こんな追悼文を書き始めたのは、こうした稀有な人物を追悼する人間は少数だろうと想定されるからだ。大衆向けのパフォーマンス人間には無数の哀悼の意が寄せられるのだろうが、こうした人物の死は、ほとんどの人には何の感興も呼び起こさないだろう。


 中井久夫は、昔の東大・京大の豊かな教養を持っていた人で、文章にもそれが滲んでいた。今はこうした教養の持ち主はほとんどいなくなっている。そういう豊かな土壌を自分の内部に持つ人は少なくなっている。賢い人物は消え、頭の良い人間だけが残った。私はこれらの形骸化した、知的面した連中にうんざりしている。また、彼らを崇拝する群衆には腐臭を感じている。


 中井久夫の死は、昔の日本の豊かな教養人の消失を意味するだろう。私はそう感じている。それは、精神科医の権威としての存在よりも、私などにとっては大切なものに思えた。中井久夫は現存する人物では「天才」と呼んでも、何の違和感もない人物だった。


 しかし今やその火が消えた。彼を追悼する事は、自分の価値観を表明する事でもある。私は自分の中に怒りの焔を燃やしつつも、誰もいない虚空に向かってただ哀悼の意を伝えよう。中井久夫さん、これまでご苦労様でした。ありがとうございました。



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