2.その女、天然につき
本当に今日は運が悪い。
彼女は風に靡く長い黒髪を面倒臭そうに掻き上げた。
大林 唱 (おおばやし しょう)、17歳。
ただ今、私立明東 (めいとう)高等学校の屋上に存在中。目の前には、何故か頬を染めた自称後輩の姿。かれこれ5分くらいは、この状態のまま見詰め合っている。
その不運の発端は、朝からすでに始まっていた。
その1。朝、滅多にしない寝坊をしてしまい、学校に後一歩のところで遅刻した。
その2。授業の時間割りが変更になっているのを忘れていて、友人達に大爆笑された。
他にもエトセトラ、エトセトラ。
そして昼休みの先程、用があるという事で目の前の後輩に、こんな場所に呼び出された。恐らく大した用事ではないんだろう。
その後輩が何かを決心したように顔を上げた。ようやく何か言うのか、と彼女はそちらを改めて見る。
「先輩、付き合って下さいっ!」
「嫌だ」
彼女はかなりの覚悟を要しただろう後輩の言葉を、即座に切り捨てた。
「な、なぜ……」
普通は少しでも考える素振りをするはず、と思っていた後輩は突然の展開に呆然と呟く。
その呟きに反応する、唱。
「何故だと?では聞くが、どうして私でなければならない。付き合うのなら、他の奴でいいだろう。大体、私はアナタの事を知らない。知らない奴にそんな事を言っても、断られると思わないのか?」
口を挟ませない彼女の言葉に、後輩の顔はみるみる青褪めていく。ここまでの反応をされるとは思っても見なかった彼女は、仕方無く俯いてしまった後輩の頭を慰める様に撫でた。
「私はただ、知らない奴とは付き合いたいとは思わないが、知り合いなら応相談だ。まずは名前ぐらい聞かせてくれないか?」
幾分柔らかな口調で目の前の相手に問えば、相手はパッと顔を輝かせる。少し顔が赤い気
もする。
「1年の坂口由貴ですっ、唱先輩!」
そんな反応に、現金なヤツだな、と思いつつ顔には出さない唱。
「坂口さんか。……覚えておく」
そう言って、体ごと別の方向を向けば、話はそれで終わり。坂口と名乗った後輩は「ありがとうございますっ」と礼をして、スカートを翻し走って去って行く。
……そう、スカートだ。
それを視界の隅に見ながら、彼女は溜め息を付く。
ここは女子ばかりが通う高校、いわゆる女子校だ。だが、唱は時々、このような呼び出しを受ける。後輩といわず、同級生、先輩まで幅広く。いくら外見が男っぽいと言えど、男兄弟ばかりのため性格まで男前だと言えど、付き合って欲しいは無いだろう。
「あれぇ、唱ちゃん。どうしたのさ?」
不意に声を掛けられ、そちらを向くとよく見知った顔。
「君枝、何時からいた?」
にこやかに笑った彼女は、よくこの場所、屋上にいる同級生だ。ショートカットに小柄な体型。外見は子犬そのものだが、中身は飄々としており、どちらかというと猫のような印象を受ける。
唱ともそんなに深い付き合いという訳でもなく、顔見知りという間柄に等しい。そんな彼女が唱の顔を覗き込んだ。
「唱ちゃんが屋上に来て、困ったな、って顔してた頃から」
つまりは一部始終見ていた事になる。ちなみに唱は他人に解る程、表情は変えていなかったはずである。
「そうか」
その問題については無視をして、本人は溜め息をつく。では「どうしたの」という問いかけは必要ないのではないか、と思いながら。
「でも、かわいい子だったじゃん。あんな断り方しなくてもよかったのに」
君枝は、本気とも冗談とも取れない口調で、そんな唱に茶々を入れる。
それに眉を顰め、不機嫌を全面に押し出す彼女。
「何で私が付き合わなければならないんだ。顔見知りならいざ知らず、何で名前も知らない自称後輩と買い出しなんかに行かなきゃいけない!」
「ちょ、ちょっと待って、唱ちゃん」
何か引っかかるものを感じて、止めに入る君枝。
「最後のところ、ワンモアプリーズ」
「だからな、何で他人の買い物に付き合わなければならないんだ、と言ったのだが」
何か違うのか?と言わんばかりに、首を傾げる目の前の黒髪美人。
昼休みの終わりを告げるチャイムが、その光景と面白い程、似合っていなかった。
そういえば後輩さんは一言も、自分の気持ちについては告白していなかったっけ。
君枝は少し遠い目をして、未だ解っていない学友を見た。
この黒髪美人は自分の容姿もさる事ながら、他人の好意にもかなり鈍感だ。
先程の告白の意味も、間違った解釈をしてしまっているのだろう。
……う、浮かばれないっ。坂口さんとやら……。
「いや、唱ちゃんはそのままでいいよ……」
彼女には、そうとしか言う言葉がなかった。
級友の奇声と共に、顔面に水が大挙して突進してきた。
掃除のためとはいえ、水の出ているホースを人に向けるな、級友よ。
彼女は、べったりと濡れてしまったセーラー服と髪の毛に顔を顰めた。顔に張り付く髪の毛を剥がしながら、原因となったリアクションの大きい級友を睨む。その級友は口をパクパクしながらこちらを指差している。さり気無く失礼だ。
「何をそんなに驚く?」
そう問いかければ級友ははぁ、と溜息をついた。
現在、時は過ぎ放課後。件の呼び出しにきた後輩を目撃していた級友数人に、話を聞かせろと迫られ、清掃のため箒を手に仕方なくその時の事を話した直後、冒頭のリアクションをされた、という所だ。
本人は原因が判らないため、怒ろうに怒れない。
「それ、本心から言ってるの?」
級友の1人が問う。彼女にハンカチを差し出しながら。
「ああ。どこか変か?」
寒くはない。しかし、風邪でも引いたら大変だ。と彼女は別の事を考えながら、それを受け取る。
「物凄くヘン!それって、その子の一世一代の告白だったんだよ」
「告白?」
そういえば、何処と無く態度が変だったな。と今更ながら思う、唱。しかし、告白とは何の告白だったのか、と昼間の会話を思い返すが、勿論、思い当たる節はない。
「何の?」
そう尋ねれば呆れられた。何なのだろう、先程から。
「本当に鈍感だよね、アンタは」
「なんか、貶されている気分なのだが」
そこまで言われる筋合いはないぞ、と彼女は言いながら、手にした箒を級友の1人に押し付ける。
「それよりも、水を掛けた事への謝罪はないのか?」
「あ、あぁー。ごめんね。あんなに突拍子も無い事言うから、驚いちゃって」
「つまりは、これも私の所為にするのか」
濡れたのは流石に自分の所為では無いとは思ったが、彼女はそれを口にはせずに溜息をつく。言っても無駄だ。そもそも悪気が無いのが判っているから、強く言う事も出来ない。
「……判った。これは私も悪かったのだろう。着替えてくる。後はまかせた」
「何でよぅ。掃除は?」
そう言い募る級友達に、彼女は口を歪ませ笑う。
「この状態の半分は、お前等の所為だからな。それくらいの権利はあるだろう?」
そして、そのまま校舎に足を向け、着替えをするために、その場を後にした。
女子校といえども、人目があるのは好ましくない。昼間、あんな事があったから尚更だ。そういう理由で保健室を間借りし、偶然持っていたジャージに着替え終わったのは今しがた。着替えている間に事の顛末を聞いていた保健室の先生が、それを見て苦笑している。
「本当に今日はツイてないのね」
ボブカットの似合う、うら若い保健医は、『学生のお母さん』というより『お姉さん』といった感じの外見で、笑うとさらに幼く見える。
「人生楽ありゃ苦もあるもんですから」
そんな保健医に彼女はそう言うと、仕方がないといったように肩を竦めた。その動作だけでも中性的な彼女がすると、それなりに格好良く見えるもののようだ。後輩に告白されるのも判る気がする。彼女とは初対面だった保健医は頭の片隅でそう思った。
「ま、後は家に帰るだけですし」
「達観しているわねぇ、大林サン。でも油断は禁物よ。こういう日は最後まで判らないんだから」
ボブカットの教諭は、ここに来る生徒の話題にはよく上る彼女に注意を促す。
「そうですね。……それでは、そろそろ帰ります。場所の提供、有り難う御座いました。失礼します」
きっちり45度のお辞儀をして、彼女は扉を開ける。その背中に保健医は声をかけた。
「充分気をつけてね。大林サン」
その言葉に彼女は少し笑って、扉の向こうに消えていった。
残された教諭の顔が少し赤かった事を夕日の所為にして。
唱は大まじめにこれをやっております。
次回予告
下校途中の彼女を突如襲う、怪音波。それは警鐘に過ぎないのか。
やっとの事で辿り着いたその場所で、ついにその元凶が姿を現す!
次回この空の果てよりも「金ダライ、宙を舞って」
選択はいつも、すぐ傍にある……。