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婚約者をつれだす


「それは、つまり、その子どもというのは……」

「はい。わたくしです」

 なんでもないように、ミス・レクレウスはいって、頷いた。彼女は姿勢よく、あずまや内の椅子に座り、膝の上で手を重ね、しっかりとエクを見ている。緑の瞳は澄んでいて、涙に濡れているようなことはなかった。それは、彼女の母であるハノフェアリーレンが亡くなったことを語った時でもそうだった。

 エクは吐き気をこらえている。「では、あなたはなにひとつ悪くないではないか」

「そうでしょうか」

「ご婦人を眠らせて、狼藉を働くなど、男の風上にも置けぬ」

「そのようにおっしゃるのは、あなたさまでふたり目です」

 ふたり目ということは、少なくともひとりはまともな人間が居たらしい。だがそれは、決してレクレウス卿ではないのだろう。

 エクの推測はあたっていた。はじめて彼女が目を伏せる。

「陛下は、わたくしに謝ってくださいました。幾ら、国交がようやく、もとのようになりそうといえ、ああいった男の風上にも置けない大使をのさばらせておくのではなかったと。しかし、ここで大使の悪行がおおやけになったら、シノマと戦をしたい貴族達が、わたくしを旗印にして抗議するだろう、とも。だから、申し訳ないが、ことの経緯を黙っていてはくれないかと」

「ああ……」

 これで、陛下から直々に祝いのメッセージが届いた理由もわかる。陛下はか弱い婦人を、外交の犠牲にしたことを、悪いと思っているのだ。


 ミス・レクレウスは、困ったように、軽く肩をすくめた。「わたくしは断れる立場ではありませんでした。それに、大伯父さま達が、わたくしは結婚などしないほうがいいといつもおっしゃっているので、噂が立てばそうなるだろうと」

「あなたのゆるしを得られるのなら」エクは苦労して、息を整える。「すぐにでも……わたしの邸に移ってもらいたい」

「はあ……」

 エクは本当は、すぐにでもレクレウス卿達をくびり殺してしまいたいと、そういいたかった。だが、どうにも底なしに優しいこのご婦人は、幾らしいたげられても復讐を望んでいないように見える。腹はたったままだが、ミス・レクレウスを怯えさせたり、彼女に軽蔑されるのは絶対に避けたい。だから、口にしなかった。

 ミス・レクレウスは、エクを心配げに見ている。

「あなたさまがおっしゃるのなら、なんでもそのとおりにいたしますが、婚約はこのままで宜しいのですか?」

「何故?」

「ですから……わたくしは、あなたさまの思っているような女ではございません。清らかでも」

「わたしは女性が清らかだろうとそうでなかろうと、その程度のことで態度をかえはしない。わたしは母を尊敬している」

 エクは手を伸ばし、ミス・レクレウスの手をとった。「だが、ミス・レクレウス、あなたのいうこともひとつは正しい」

「なんでしょう……」

「あなたはわたしが思っているようなひとではなかった。もっと素晴らしいひとだ」

 ミス・レクレウスが唖然としたのを、エクははじめて見た。


 エクはヴェールをかぶり直したミス・レクレウスの案内で、まず井戸へ行った。顔を洗って涙と鼻水をなんとかし、伯爵らしい威厳をとりもどすと、エクは機嫌よく杖をふりまわしながら邸へ向かった。

 その傍らには、しずしずと、ミス・レクレウスが寄り添っている。ふたりは腕を組んでいないのだが、歩調はぴったりだ。「あの、ズィークラッヘ卿」

「エクと」エクはミス・レクレウスへ微笑みかける。「いや、あなたがそう呼びたいのならば、ズィークラッヘ卿でもいいのだが」

「……エクさま」

 エクは、ほんのひと月かそこら前のことを思い出した。どうしようか、彼女は我が家の財産をつかいきってしまうかもしれないぞ。なにしろ、わたしが今にも空を飛びそうなのだから。

 エクは上機嫌で邸にはいり、廊下を歩く。従僕達が、エクとミス・レクレウスが歩いてくるのに、仕事をする手を停めて頭を下げた。エクはそのうちのひとりへいう。「君、レクレウス卿へ、すぐに会いたいと伝えてくれ」

「かしこまりました」

 従僕達が散った。

「お嬢さま」

 例の、無愛想で感じの悪い付き添いだ。廊下の端から歩いてくる。「勝手におもやへはいるなといいつけられているでしょう」

 ほう。ずいぶん彼女の扱いがいいようだな。

 エクは近づいてきた付き添いの女を、冷ややかに睨んだ。女の足が停まる。困惑したような顔になっていた。エクが自信ありげなのも、いつもよりも姿勢がいいのも、それに()()()()()()()()()威厳があるのも、なにもかもが不可解なのだろう。

 エクは杖を振りまわして女を打ち据えたい気持ちを抑え、低くゆっくりいった。

「何度か顔を合わせたが、名を聴いたことがなかったな。名は?」

 女は口を開いたが、声が出てこない。ミス・レクレウスが、静かに告げた。「ミセス・フティですわ」

「ご親切にありがとう、ミス・レクレウス」

 エクは婚約者に笑いかけ、それからミセス・フティを見詰め、宣告した。「ミセス・フティ、我が婚約者に対するお前の態度は目に余る。殺されたくなかったら二度とわたしの目の前にあらわれるな」

 ミセス・フティの上半身がふくれたように見えた。顔が赤くなり、瞠られた目は破裂しそうだ。

 エクはひらひらと手を振る。

「猶予をやる。十秒以内に居なくなれ。ミス・レクレウスの心配はしなくてもいい。彼女には素晴らしい付き添いを用意する。お前のような、無能で害悪しかもたらさない付き添いは、わたしの婚約者にふさわしくない」

「幾らズィークラッヘ卿といえど」

「聴こえなかったのか?」

 エクがすごみのある声を出すと、ミセス・フティはみるみるうちに()()()()いった。数歩、よろけながらさがる。だが、最後っ屁は忘れなかった。

「ミス・レクレウス、あなたが口さがないとは思わなかったわ」

 ミセス・フティはそういって、エクに杖で打ち据えられる前に、踵を返して逃げていった。

 ミス・レクレウスが付き添いをあしざまにいい、真にうけた若い伯爵さまが可哀相な付き添いを脅したと、週明けには貴族達の噂になるだろう。そう気付いて、エクは叱られた子どものような顔でミス・レクレウスを見る。

 ミス・レクレウスは、ヴェールの向こうで、苦笑していた。それから、そんなにしょんぼりしなくてもいいのですよ、とでもいうように、エクの手を軽く叩いた。


 レクレウス卿はすぐにやってきて、まるで自分の家のようにエクがくつろいだ様子なのに、ちょっとだけ驚いたらしかった。

 エクはソファから立ち上がり、婚約者に手を貸して立たせる。そのまま腕を組んだ。「レクレウス卿、ミス・レクレウスは今日から我が邸に移ってもらう」

「は?」

「もう少ししたら挙式なのだ。多少急いだところで、かわりはない」

「そのような……いかがわしいことはさせられません」

「いかがわしい?」

 エクはレクレウス卿を殴ってやりたくなった。ミス・レクレウスの話からすると(そして、叔父とアデルにひきずりまわされて、パーティとつくあらゆる催しに顔を出し、伯爵に相応な社交場のほとんどへ顔を出したエク自身の記憶からすると)、ミス・レクレウスはめったにパーティに行かない。彼女自身、行きたい場所でもないらしい。

 その、ミス・レクレウスが、どうしてあのパーティに居たのかなんて、考えれば子どもでもわかる。この男は、末の妹の孫を、厄介払いしようとしたのだ。放蕩者達の手に委ねることによって。


 エクはふんと鼻を鳴らす。「自分はどうなのだ、レクレウス卿?」

「なにを……」

「どうして、大切にはなれへ閉じ込めていたミス・レクレウスを、あのパーティには出席させたのかと訊いている。高位の貴族が美しい彼女に狼藉を働かぬとも限らぬのに」

 なんの証左もない。だが、エクには奇妙な確信があった。

 そして、それはあたっていたらしい。レクレウス卿はなにもいいかえさず、あおざめて黙りこくった。エクは自分の推測があたったのに、なにも嬉しくなかった。


「とにかく、彼女はわたしの邸へ移る。よいな?」

「は……はい、ズィークラッヘ卿」

 レクレウス卿はうなだれ、小さく返事をする。エクは尊大に頷いた。にっこり笑う。「彼女の為に費用を計上しているだろうが、寄越せなどと()()なことはいわない。どうせ、すぐに結婚するのだから、今から我が家がすべてまかなおう」

 レクレウス卿は痙攣じみた動きで数回頷く。古くさいドレスと、シミのついた手袋と……彼女の為にあたらしく用意したものなど、今までひとつもなかっただろうに。飢えて死ななかったのが不思議なくらいだ。いや、それは殺人に等しい。王家の血を濃く持っている彼女に、そういった仕打ちはできなかったのだろう。したかったとしても。

 エクははらわたが煮えくり返る思いだったが、大きく頷いて、うなだれたレクレウス卿の脇を通って部屋を出た。それから思い出して、肩越しにレクレウス卿を見る。「ああ、わたしは彼女の母上の為に、きちんとした墓を用意したいと思っている。後から遣いを寄越すから、彼女の母上が埋葬されている場所を思い出しておき給え」

 レクレウス卿は言葉がないようだった。


「あの、エクさま」

 エクはにこにこと、隣の席の婚約者を見る。エクと呼ばれるのは悪くない。いや、とてもいい。

 ふたりは馬車に揺られ、エクの邸へ向かっていた。「なんだろうか、ミス・レクレウス」

「先程おっしゃっていたことは……」

「ああ、あなたの母御のことだろうか。きちんとした墓をつくってさし上げたいのだが……あなたの優しいのは、母上が優しかったからだろう。あなたを全力で、命にかえてもまもろうとした、素晴らしいかただ」

 ミス・レクレウスは口を噤んだ。それから顔を背け、どうも、泣いているようだったが、エクは紳士らしく見ないふりをした。


 ユファは本当に頼りになる。憎たらしいくらいに。

 ミス・レクレウスをつれて帰り、エクは彼女用の部屋があるのか唐突に不安になった。だが、ユファは階段の上の修繕をきちんと完了させ、女主人に相応しい部屋が整えられていた。「式がすんでも、しばらくはこちらだろうと思いまして」

「天はわたしに味方しすぎているな。もう完璧な従僕が居るのに、その上に完璧な妻まで与えようというのだから」

 ユファはにっこりして、ミス・レクレウスに頭を下げる。「なんでもお申し付けください、奥さま」

「ええ……」

 ミス・レクレウスは戸惑いつつも、しっかり頷いた。エクも満足して頷く。


 その日の夕方、エクはミス・レクレウスと散歩をしていた。ミス・レクレウスははやりの生地をつかったドレスを着て、しみのない手袋をはめている。エクは杖を意味なく振りまわし、上機嫌だ。

 森番の小屋近くまで来ると、ふたりは立ち停まった。「では、はじめよう」

「はい、エクさま」

 エクはにこにこして、ミス・レクレウスの手を掴んだ。

「このように手を掴まれた時は、(てのひら)を返すようにする」

「こうですか?」

 ミス・レクレウスがエクに掴まれた手をくるりと返し、エクの手が離れた。エクは頷く。「そう……あなたはだいぶ、筋がいい」

「あの、女が武術を学ぶというのは、宜しいのですか?」

「宜しいもなにも、是非覚えてほしい。田舎は不埒者が多いのでね」

 ミス・レクレウスは、ヴェールの向こうでなにか考えている。邪魔っ気なヴェールだが、ミス・レクレウスははずそうとしなかった。エク以外に顔を見られたくないそうだ。それはなんだか、自慢できるようなことに思えて、エクはにやついたものである。

 ミス・レクレウスが頷いた。「そうですわね。もし、子どもができたら、きちんとまもれないといけませんものね」

 すこしずれたことをいうのが愛しくて、エクはミス・レクレウスを抱きしめ、こうされたらどうやって反撃するのですかと訊かれた。


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