気持ち
エクは煩わしい叔父と、結婚する筈だったとしつこく食い下がってくるアデルから逃げようと、ユファと相談して叔父の邸から逃げ出した。
従僕はユファだけだし、かつて父と母が暮らしていたズィークラッへ邸は手入れが行き届いていなかったから、叔父の邸に滞在していたのだ。だが、顔を合わせる度にエクの婚約について文句をいってくる叔父と、埃まみれで廃屋寸前の邸であれば、廃屋のほうが余程ましである。
「ユファ、仕事が増えてすまない」
ユファはにっこりして、頭を振った。「失礼ながら、あちらの従僕とは気があいませんで……何人か、めしつかいをかきあつめておきました。掃除は昨日のうちに、わたしが立ち会ってすませておきました。上の階は雨漏りが酷いですので、修理がすむまでは階段をのぼらないほうが快適かと存じます」
「ありがとう」
まったくユファには欠陥というものがないらしい。ひとりきりでなんでもそつなくこなす従僕というのは、少々不気味ですらある。
並んで馬を歩かせていたふたりは、ズィークラッへ邸の敷地へはいり、厩で馬を休ませた。若い厩番は、エクを見るとはずかしそうに顔を伏せた。
めしつかいは、エクに対して適切な距離を保っている。叔父の家の従僕達は、どうもエクを子ども扱いしていたようだったし、ミス・レクレウスの付き添いのような衝撃的な例もある。首都のめしつかいというのは皆、そのようなものなのかもしれないと思っていたが、エクはどうやら特殊な例に行き会っていただけのようだ。
ユファの指導もいいのだろう。ユファに宰領してもらうので、家政取締役として任命し、めしつかい達の指導にあたってもらっているのだ。エクにはまったく快適で、はやく叔父の邸から逃れているのだったと数回思った。
しかし快適なのは快適だが、貴族達の祝いの品が届くのはうんざりする。エクとミス・レクレウスの婚約は首都中の貴族達に知れ渡り、様々な祝いの品や、祝いのメッセージが届いている。そちらもユファに任せきりだ。秘書を雇ったほうがいいのはわかっているが、安心できる人間は簡単には見付けられない。結局、秘書さがしもユファに頼んでしまっている。
「エクさま」
エクが朝食後の散歩から戻ると、ユファがめずらしく困り顔で待っていた。今日はミス・レクレウスとのデートがあるので、そのことで困っているのかと思ったら、そうではなかった。彼は金箔で装飾された紙を持っている。「お祝いのメッセージが届いたのですが……」
「誰からだ?」
「……陛下です」
エクはユファの手から紙をひったくり、目を通した。たしかに陛下からのものだ。ミス・レクレウスとの婚約を祝うとある。
自分は貴族だが、拝謁したことは二回しかない。陛下のおきにいりという訳でもない。婚約で陛下から直々に祝ってもらう理由がわからない。政府から祝いが届くのが普通であって、陛下当人のメッセージなんてものはもらえる筈がないのだ。
ユファと目を合わせる。
「……ミス・レクレウス宛てだろう、これは」
「そう考えるのが妥当かと」
自分が陛下に直に祝ってもらえるとは思えない。ミス・レクレウスの婚約を祝っているのだ。彼女に陛下とどのような関係があるのだろう。
困惑している頭に、めしつかいの声が響く。「ミス・レクレウスのお越しです!」
ユファが慌てた様子で、すぐにきがえをと、エクを家のなかへおしこんだ。
応接間のソファに腰掛けたミス・レクレウスは、地味なドレスを着て、ヴェールをかぶり、しみのついた手袋をつけていた。わたしの記憶力が衰えていなければ、手袋はこの間のものと同じだ。しみが同じ位置にある。
その格好だと、胸許でかがやく真珠が尋常ではなく浮いている。エクははりこんだことを少し悔やんだが、彼女が用度金をつかってドレスをあつらえれば問題ないのだと考え直した。それをしていないところを見るに、彼女は婚約破棄に備えて、あの金には手をつけまいとしているらしい。かりに破棄したとしても、金を返せなんてことはいわないし、そもそも破棄する意思はないのだが。
ミス・レクレウスのヴェールを髪にとめるピンも、肖像画で見る曾祖母がつけていたようなものだと気付いて、エクはぞっとした。
「ミス・レクレウス、よく来てくれたね」
エクは微笑んで、ミス・レクレウスの斜に座る。今日は、例の無礼な付き添いは居ない。正確には、まるで見張りのようについてきたのだが、めしつかい用の控え室にとじこめてある。ああいった態度の付き添いは、見ていたら朝食の消化に悪そうだからだ。
ミス・レクレウスは頭を下げ、小さくいった。
「お招き戴いて、ありがとうございます」
「わたし達は婚約したのだから、そのような挨拶はいらない」
「はあ……」
「これからも、度々、会おう。わたし達はお互いを理解しなくてはいけない」
「そうおっしゃるのなら、そういたします」
エクは煩わしくなって、ミス・レクレウスの手をとり、立ち上がった。ミス・レクレウスの言葉はどうにもうすっぺらく、会話が成り立っていないように感じたのだ。
「散歩に行こう」
「はい」
どうやらこのひとは、必要最低限にしか喋らないようだ。とすると、婚約を破棄してほしいというのはどうしても伝えないとならないことだったらしいな。わたしは嫌われているのだろうか?
ミス・レクレウスは淑女らしくない。エクはすぐに気付いた。
彼女は歩くことを厭わないし、疲れた様子もない。息を切らさない。アデルなら、この半分も歩けずに、めそめそと泣き出しただろう。
ふたりは邸のまわりの森のなかを歩いていた。森といっても、きちんと手入れはされているし、森番が猪や熊が闊歩しないように見回ってくれている。危険はない。
しかし、会話は弾まなかった。ミス・レクレウスはエクがなにをいっても、曖昧な返事ばかり寄越す。好きな季節も、好きな花も、好きな色も、好きな宝石も、なにひとつわからないままだ。年齢は26歳だそうで、七つ上なら父も文句はいうまいとエクは安心した。ここまで結婚の話が進んでいるのに、年齢で横槍がはいっては、ミス・レクレウスに申し訳のないことになりかねない。
「ミス・レクレウスは、ここで生まれ育ったのかな?」
質問に対して、ミス・レクレウスは肯定とも否定ともとれる、呻きのようなものを返してきた。エクはそういった反応には慣れてきていたので、にこやかに続ける。
「わたしは領地……フルリオフォルトで生まれ育った。あなたと結婚したら、そこへ戻ろうと思っているのだが、田舎に慣れていない女性には退屈なところかもしれない」
「わたくしも田舎で生まれ育ちました」
おっと、彼女が心を開いてくれたのかもしれない。
そう思ったが、ミス・レクレウスは付け加えた。「ですが、あなたさまは婚約を破棄されるおつもりでしょう。わたくしが田舎になれているかどうかは、気にする必要はないのではありませんかしら」
自分がこの婚約を破棄するつもりだと思われていることにも、破棄されても大丈夫なようなものいいにも、エクはいたく傷付いた。傷付いてから、どうも自分は、義務というだけでなくこのひとと結婚したいらしい、と自覚して、赤面した。




