不可解な拒絶
エクは数日後、レクレウス邸に居た。
「お嬢さんに結婚を申し込みに来た」
応接間でエクに対応しているのは、歳のいったレクレウス卿だ。エクの父よりも歳は上だが、エリビエ内での位ではエクが上なので、敬語はつかわない。
ソファに座らされたエクが開口一番そういうと、レクレウス卿は戸惑ったふうで、妻らしい女性と顔を見合わせた。
応接間は、繊細な油絵の額がかかり、金の装飾が施された時計が置かれ、色鮮やかな小鳥の剥製が飾ってあった。ごてごてしていてエクが好むような部屋ではないが、あちらの精一杯のもてなしだろう。
脚を組んだエクは手を鳴らし、背後で控えていたユファが進み出る。若い牡鹿のように動きの滑らかなユファは、小さな木箱を、大切そうに両手で掲げている。エクはそれを示した。「お嬢さんが家格に釣り合うようなものを用意できるよう、用度金を用意した。うけとって戴きたい」
ユファが木箱の蓋をそっと開くと、なかに詰まった金と銀がきらきらとかがやいた。エクを翻意させようと必死な叔父を軽くあしらって、ユファと相談し、これだけあれば充分だろうと用意したものだ。さいわい、エクは田舎で過ごしていたから、服や髪型にこらないし、食事も腹がくちくなればいい。それで、社交デビュー用の資金が余っていた。
ユファが木箱の蓋を閉じる。レクレウスのめしつかいが慌てた様子で前に出てきて、木箱をうけとった。エクの向かいで、レクレウス卿夫妻は、啞然としている。
「……ズィークラッへ卿、本気でおっしゃっているのですか?」
まさか、彼女の家族からもこのような反応をされるとは。
エクは不機嫌になって、レクレウス卿を睨んだ。ミス・レクレウスが結婚を申し込まれるのは不思議だ、とでもいいたげな表情に、無性に腹がたつ。
「それは、わたしが悪ふざけをしようとしていると、そう思っているということかな」
ゆっくりいうと、レクレウス卿は目を瞠り、震えるように頭を振った。「滅相もございません。そうではなく……」
「では、問題ないだろう。わたしはお嬢さんに結婚を申し込む。会わせてもらえるだろうね?」
ミス・レクレウスへの侮辱を聴きたくなくて、エクは話を打ち切った。レクレウス卿夫妻は、不思議そうに顔を見合わせていた。
ユファはめしつかいの控え室へ行った。
エクはひとりきりで、ミス・レクレウスを待っている。中庭にあるあずまやでだ。あずまやの周囲には五弁のばらの繁みがあり、甘い香りを漂わせていた。あずまやそのものは、木製で柱にこった彫刻がしてあり、さぞ金がかかったことだろうと思う。そして、今も金をかけて維持しているだろう。
エクは持っている杖を無意味に振りまわし、ハンカチや手袋の有無を確認し、求婚の為に慌ててあつらえたペンダントの箱が胸ポケットから家出していないかをたしかめた。なにも問題はない。結婚は、貴族男性ならばかならず通る道だし、19にもなればしておかしくない。そう自分にいいきかせる。
エリビエでは求婚に際し、夫側から妻側へ、ペンダントを贈るならわしがある。庶民は精々がとこ、銀のペンダントだが、貴族や王族は宝石を用い、華美なものをつくって贈るのが普通だ。ユファに相談したから間違いはない。あいつはわたしとさほど歳がかわらないのに、式典だのなんだのの決まりがすべて頭にはいっている。まったく得難い従僕を得たものだ。
前方に人影があらわれ、近付いてくるのが見えた。体付きからしてミス・レクレウスのようだ。昨今の淑女らしくなく、慎ましくヴェールで顔を隠し、俯きがちに歩いてくる。背後にはスピティ卿のパーティにも付き添っていた女性が居るが、いかにもやる気のないあし運びだ。
ミス・レクレウスのドレスは着古されたもので、エクの目にもわかるほど時代遅れのデザインだった。レクレウス家の財政は厳しいようには感じられなかったし、夫妻も流行のデザインを着こなしていたから、これはつまりミス・レクレウスがきちんとした扱いをうけていないということだ。
エクはなんとなくむっとして、あずまやをとびだした。不愉快なばらの香りから逃れたいのだと自分にいいわけをしたが、実際は単に、悄然と歩いてくるミス・レクレウスに憐れを催したに過ぎない。求婚をうけるのに、あのような格好で来ないとならないなんて、女性にとっては大変な屈辱だろう。求婚へ訪れること自体は、しばらく前にレクレウス卿に伝えていた。ドレスの一着くらい新調する時間はあった筈だ。それにあの付添人の、なんといやな目付きだろう! あれは主人に対する尊敬もなにもないようだ。
「ミス・レクレウス」
ミス・レクレウスが足を停め、かたあしをさげてお辞儀をした。エクもお辞儀を返す。付き添いの女は数歩離れたところで、ふたりの様子を見ている。
エクはできる限り愛想よく、ミス・レクレウスに微笑みかけた。ヴェールではっきり見えないが、ミス・レクレウスに怯えた様子はない。エクは胸ポケットから、ペンダントの箱をとりだす。
蓋を開け、ペンダントをとりだした。銀の鎖に、大粒の真珠をあしらったものだ。このところ、首都では真珠とさんごがはやっている。耳聡いユファの情報ならば間違いはない。真珠とさんごならば、真珠がミス・レクレウスに似合うと思っての選択だ。
エクは箱を胸ポケットへ戻すと、ミス・レクレウスの手をとった。可哀相に、しみのついた手袋をしていて、扇のひとつも持っていない。貴族の令嬢が、どうしてしみのついた手袋で我慢しているのだろう。余程のかわり者か、我慢強いか、そういったことにこだわっていないかのどれかだろうが……。
エクはやわらかい調子でいった。「あらためて、あなたに結婚を申し込みに来た。うけとってくれるね」
ミス・レクレウスは顔を伏せ、答えない。随分引っ込み思案らしい。
ふんと、付き添いが鼻を鳴らした。エクは面喰らってそれを見る。主人が求婚されている場面で、付き添いが鼻を鳴らすなんて、そんなことがありうると考えたことすらない。それで、言葉も出なかった。
付き添いは意地の悪いにやにや笑いをうかべていた。
「お嬢さま、お受けになったほうが宜しいですよ。これを断ったらまともな結婚なんてできません。お嬢さまの身に余る幸運です」
口調は丁寧だが、悪意をたっぷりしみこませた言葉だった。エクは思わず睨みつけ、付き添いはまるで気分を害したように顔をしかめる。
「わたくしはお邪魔でしょう。失礼いたします、ズィークラッヘ卿」
エクがなにをいうひまもなく、付き添いはせなかを向けてずんずん歩いていった。未婚女性が半裸で男に抱えられ、ふたりきりで居るところを見付かったのが、どう幸運だったというのだろう?
しかし、不思議なことに、ミス・レクレウスが怒った様子はない。俯いたまま動かず、感情らしいものは見えなかった。
「ミス……」
「ズィークラッヘ卿」
ミス・レクレウスは顔を上げ、穏やかな調子でいった。エクは、やっと会話ができるようだと安心したが、ミス・レクレウスはすぐに、訳の解らないことをいう。
「あの……断ったほうが宜しいのでしょうが、わたくしが断るとあなたさまにはじをかかせてしまいます。ですので、一応おうけしますが、形式的なことですので、安心してください。あなたさまのご都合の宜しい時に、婚約を破棄してくださいませ」
まったく予想外の言葉に、エクはしばらくかたまった。これは、とおまわしに断られたということだろう。
何故、と、頭のなかが疑問でいっぱいになる。ミス・レクレウスとエクがふたりで居たことは、もう社交界には知れ渡っている。つい一昨日のパーティで、そうほのめかされたからだ。だから、エクの求婚を断る利点は、ミス・レクレウスにはない。
それに、エクは爵位というものの価値をわかっているつもりだ。伯爵位をふたつ持っている人間はそう居ない。エクはその上、子爵位も持っている。求婚して、女性に困惑され、その上婚約破棄の話までされるとは思わなかった。もしかして、わたし自身にそこまで魅力がないのだろうか? それとも、彼女には、思う相手でもあるのだろうか?
ミス・レクレウスは、絶世の美女という訳ではないが、充分美しい部類にはいる。それにしてはパーティで見かけなかったが、慎み深い人物なのだろう。もしくは、嫁き遅れていることを家族がはじて、パーティに行かせなかったかだ。そう、彼女は婚期を逃している。それでどうして、求婚を断ろうと?
エクは困惑しつつも、ペンダントの金具を外そうとした。苦労していると、ミス・レクレウスがそっと手を伸ばし、器用に金具を外した。「ああ、どうも……」
「いえ」
およそ、求婚直後と思えないような言葉を交わし、ふたりは一瞬目を合わせた。その後、エクはどぎまぎしながらミス・レクレウスの細くて長い首に手をまわし、金具をはめる。真珠が古臭いドレスの胸許で揺れている。
エクが手をおろすと、ミス・レクレウスはもう一度、丁寧なお辞儀をした。エクもお辞儀を返し、なにかいおうと思って、しかし言葉が出てこなかった。真珠は好きかとか、結婚したら田舎へひっこんでもらうことになるがかまわないだろうかとか、乗馬はできるかとか、読み書きに不便はないかとか、話題は用意してあった。だが、そのどれもが相応しくないように思えたのだ。
「では、また会いましょう」
結局エクは、そんなことを口走っていた。「一緒にパーティへ行くこともあるだろうし、また、その場で話したい」
「かしこまりました、ズィークラッヘ卿」
ミス・レクレウスの返事はまったく、事務的だった。