破局
「何事です!」
きりっとした声が響き、人垣が割れた。おそれたようなざわめきがあり、豪奢なドレスの裾をひきずって、扇で口許を隠した女性が歩いてきた。決して地味とはいえないドレスの貴婦人達と、豪華な外套を羽織った青年数名が、それに続く。
先頭の女性が立ち停まり、金髪を揺らして周囲を睥睨する。ミス・レクレウスが優雅にお辞儀をした。一拍遅れて、エクもそうする。突然あらわれたのは、王妃だ。王家出身の女性で、陛下のいとこにあたる。貴婦人達は高位貴族の妻達で、青年らはやはり高位の貴族ばかりだ。後方にレディ・スピティの姿が見えた。
王妃は緑色の瞳で、泣き崩れるアデルを、憐れむように見た。「このパーティを主催しているのは誰か、忘れているひと達がいるようね。陛下の顔に泥を塗りたいのですか」
「滅相もございません!」
アデルが泣きながら喚く。「王妃さま、出席することで陛下の名を汚す連中がいるのです! あの女狐と、背の高い年増です!」
年増呼ばわりされて、ミス・スィンヴァンの顎が下がった。呆れるあまり、怒りもないようだ。
アデルは反論がなにもないのをいいことに、まくしたてる。
「わたくしはズィークラッヘ伯爵と結婚を誓い合っておりました! それを、あの女狐が、ズィークラッヘ卿を誘惑して邪魔をしたのです!」
「まあ……」
王妃の眉が寄った。貴族青年がさっと前に出て、アデルを助け起こす。そこに、人波をかきわけて、叔父がやってきた。「アデル!」
「お父さま!」
叔父は娘を抱き寄せ、ミス・レクレウスへ憎しみのこもった目をくれた。「お前はアデルから大切なひとを奪うだけでは気がすまず、このような場ではじをかかせようとするのか」
「ミス・レクレウス、あなたの噂は聴いています」
王妃がミス・レクレウスを睨んでいる。その目付きに、エクは憤慨したが、ふと違和感を覚えた。どこかで見たことがある。
まさか。
アデルが喚いた。
「わたしはズィークラッヘ卿の子を宿しております!」
「なんと……悪辣な」
王妃がエクへ目をくれる。「ズィークラッヘ卿、あなたは紳士に相応しくない行動をとったようね。なんとおぞましい。儀仗兵、あの者を捕らえなさい。未婚の娘を身ごもらせて平然としているおそろしい男です」
エクはアデルに呆れているのと、驚いているのとで、ものもいえない。呆然と立っているだけだ。
だがミス・レクレウスは違った。ミス・スィンヴァンに肩をぶつけながら前へ出ると、そのままつかつかと王妃へ近付いていって、その頬を思い切り叩いたのだ。
王妃の持っていた扇が床に落ち、滑って、見物人達のあしの間にはいった。
王妃はしりもちをついて、赤くなった頬に手をあて、こぼれ落ちそうに目を開いてミス・レクレウスを見ている。
ミス・レクレウスはゆっくりと手を下ろし、数歩さがった。「わたくしの婚約者を侮辱しないでください」
「な……儀仗兵! あの女を捕らえなさい! いいえ、今すぐ殺しておしまい!」
王妃が威厳もなにもなく叫ぶ。儀仗兵達がやってきて、ミス・レクレウスの腕を乱暴に掴んだ。エクは我に戻り、婚約者に乱暴なことをしようとしている儀仗兵に体当たりする。
混乱が起こった。とりまきの貴婦人達に助け起こされた王妃、喚いている。「捕らえなさい! ふたりとも捕らえなさい!」王妃のとりまきの青年達がエクをとり囲んだ。エクは邪魔なそいつらを、ひとりは殴り、ひとりは突き飛ばし、ひとりはあしを払って転がし、ひとりは頭突きでその場に沈め、強行突破した。都のひ弱な貴族達がなんだというのだ。わたしは熊と相対したこともある。勝てはしなかったが、それと比べたら人間などなんでもない。
「ヴァスィリサ!」
はじめてそう呼んだ。ミス・レクレウス……ヴァスィリサは、はっとエクを見て、ヴェールの奥でたしかに微笑んだ。
ミス・スィンヴァンが、儀仗兵をひっぱたいた。背の高い彼女の一発はたいした威力で、儀仗兵がもんどり打って倒れる。ユファがふたりの儀仗兵をまとめて蹴っ飛ばし、ミス・スィンヴァンと微笑みあって、右手同士を打ち鳴らした。
貴族達がいりみだれての乱闘だ。貴婦人達が悲鳴を上げ、なかには男の悲鳴もまざっていた。ミス・スィンヴァンが儀仗兵ふたりに捕まり、ユファが血相をかえて儀仗兵達へ殴りかかる。ふむ、ユファにも欠点はあったようだ。ヴァスィリサをまもることを忘れている。
誰かがヴァスィリサのヴェールをむしりとった。彼女は驚いたように目を瞠り、誰かに指示されたのか軽く頷いてエクを見る。エクは両腕に絡みついてくる儀仗兵を投げ飛ばし、ヴァスィリサに駈け寄った。「エクさま」
「ああ」
エクはヴァスィリサを抱き寄せる。「ヴァスィリサ、さっきの平手打ちはなかなかのものだったぞ」
「本当ですの?」
「ああ、しっかり腰がはいっていた。やはり筋がいいな」
エクは彼女のかわいらしい頬に軽く口付け、離れた。王妃が喚いている。「おやめ! あのふたりを捕らえなさい! 捕らえなさいったら!」
「ああ!」
近場でユファが叫んだ。
その叫びはあまりにも……あまりにも驚きを含んだもので、そして身を切るような哀しみも感じられた。その所為か、喧噪がおさまる。誰もが息を整え、踏みつけられたあしを庇って呻く者や、外套がどこかへ消えて慌てている者、ドレスが裂けてはずかしそうにうずくまるご婦人などが見てとれた。
ユファはミス・スィンヴァンと並んでいた。顔から血の気がひいている。「なんてことだ……ミス・レクレウスが……」
「陛下、こちらへどうぞ」
はっとした。陛下と一緒にやってきたのは、イリス卿だ。
イリス卿は今日も、ガレーネ達とりまきをつれ、陛下と、陛下をまもる儀仗兵達を促してやってきた。完璧な装いで、すきはない。
陛下は疲れた様子だ。王妃を見て、ああ、と呻くようにいう。
「王妃、何事だ」
「陛下」
王妃は今にも気絶しそうだが、貴婦人達の支えでなんとか立っていた。「あの……ズィークラッヘ卿と、ミス・レクレウスが、可哀相なアデル・ズィークラッヘをいじめていたのです。わたくしはそれを停め、ふたりを儀仗兵に捕らえさせようといたしました。しかしあの……ミス・レクレウスは、わたくしへ襲いかかり」
「婚約者を侮辱されたのです、陛下」
ミス・レクレウスがしっかりと陛下へ顔を向けていう。陛下はなにかいおうと口を開いたが、ミス・レクレウスの顔を見るとはっと息をのんだ。「まさか!」
そのまま、陛下は血の気を失い、浅い呼吸を繰り返している。イリス卿が鼻を鳴らした。
「ズィークラッヘ卿は公明正大、石でできたようなかただ。いじめだのなんだのとは無関係でしょう」
よくいうよ。あんた、騒ぎが最高潮になるまで、見物していたんだろう。
エクは毒づきたくなったが、やめておいた。とりあえず、イリス卿は味方だ。ヴァスィリサをまもろうとしてくれている。
ガレーネがまったく、しらじらしい調子でいった。「おや? わたしの目がおかしいのだろうか……」
「どうしたのかな、カルム?」
「イリス卿、どうも、ミス・レクレウスの目と、王妃さまの目とは、よく似ているように思うのですが」
「ほう?」
イリス卿がヴァスィリサを見る。それが演技だとわかっていても、婚約者をじろじろと眺められるのは、いい気分ではない。
イリス卿もそれがわかったのだろう。すぐにヴァスィリサから目をそらし、エクに一瞬片目を瞑った。
「たしかに同じ緑色をしている。不思議なこともあるものだ」
「ミス・レクレウス」
すると、まったく場違いなことに、ユファが走り出てきた。「僕はユファ・ヴァシロ、あなたの義理の兄です」
エクは驚いたが、イリス卿の驚いた様子を見て、少しだけ気が楽になった。イリス卿でも知らないことがあるようだ。
ヴァスィリサが不審そうにユファを見る。ユファは急き込んでいう。
「僕らは父親が同じです。あなたは絵で見た父にそっくりだ。シノマのリューベ王子が僕らの父、そうでしょう?」
「ユファ、どういうことだ」
ようやくと声を出せた。ユファははっとした様子で、エクを見る。エクはいう。
「お前はまだ21の筈。ヴァスィリサの兄というのはおかしい。それに、名字はないと……」
「ああ、申し訳ありませんエクさま、嘘を吐いておりました。僕は本当は、今年で27になります。名字も隠しておりました」
成程、それならば兄というのもおかしくはない。子どもっぽい顔だから、年齢は信じられないし、あまりヴァスィリサにも似ていないが。
ユファは涙ぐんだ目をぱちぱちさせる。
「僕の母はリューベ王子の愛人でした。王子の死後、しばらく宮廷に留め置かれたものの、僕の危険を察知して逃げ出し、それから民の間にまざって暮らしていました。生前の王子から妻を頼むと頼られ、そのいいつけをまもろうと、王子妃さまをさがしていたのですが、貴族出身の母には苦しいことも多く、年経るにつれて王子妃さまの名も、その生家の名も忘れてしまい……しかし、もし子どもが居ればそれは大切な王子の子どもで、僕のきょうだいです。なので、どうにかして見付け出し、困っているようなら助け、しあわせなようなら邪魔をせずにみまもるようにと、母がそういいのこして……」
ユファの目から涙がこぼれた。ミス・スィンヴァンがハンカチをとりだし、ユファへさしだす。ユファはそれをうけとって、顔を埋めた。
イリス卿が息を吐いた。「成程、レクレウス家からシノマの王家へ嫁いだ女性が居たな。結婚相手が亡くなってから実家へ戻り、その後の消息は聴かないが、シノマ王家の子どもを生んでいたのか」
「そのような」王妃が喘ぐようにいう。「この女は誰の種とも」
「王妃、それはシノマを侮辱しているのと同じだぞ!」
ユファがハンカチから顔を上げ、王妃を睨んだ。「彼女はリューベ王子に瓜ふたつだ! シノマの王女を罵るとは何事か!」
単なる従僕にくってかかられ、王妃はひっと息をのんで黙った。陛下がゆっくり歩いてきて、ヴァスィリサを見る。
「たしかに……リューベ王子に似ている。わたしが幼い頃、遊学に来た王子が、木剣で遊ぶのに付き合ってくれた。王子はとても優しいかただった」
「父が……」
ヴァスィリサは父親の話をいくつも聴かされ、混乱しているらしい。ユファが喚く。「それでは、ミス・レクレウス、レクレウス家の邸に王子妃さまもいらっしゃるのでしょうか? 母は、か弱い花のような王子妃さまを心配していました。何度か宮廷へ呼び戻そうと働きかけたけれど、貴族達が妨害を」
「母は亡くなりました」
ユファがはっと息をのむ。何故か陛下もそうした。それから、怒りを込めていう。「レクレウス卿!」
一瞬、間があって、レクレウス卿がひっぱられてきた。ひっぱっているのはイリス卿のとりまきのひとりだ。別のとりまきが、ペルノ侯爵をひっぱってくる。レクレウス卿もペルノ侯爵も、顔色が悪く、怯えた様子だった。
「な、な、なんでしょう、陛下」
「なんでしょう、だと? ハノフェアリーレンが死んだなどと、聴いていないぞ!」
ユファが、ああ、とつぶやく。そんな名前だったのか、と。
レクレウス卿は怯えきり、震えていた。陛下が喚きちらす。「ハノフェアリーレンは……シノマとの外交をよくするのに役に立ってくれた、だから生涯に渡り、年金を……貴様、ハノフェアリーレンの金を横取りしていたのか!」
どうも、そういうことのようだ。レクレウス卿が這いつくばり、謝罪をはじめる。
「も、申し訳ございません! つい出来心で」
「ついだと? つい、国王を騙したのか! ハノフェアリーレンが子を生んでいたというのも聴いていない!」
「申し訳も……」
陛下はぶるぶると怒りに震え、顔を真っ赤にしている。
「お前は我が国とシノマの関係を危うくした! シノマの王女をわたしの目から隠し、ハノフェアリーレンの死を隠し……!」
「申し訳ございません、ですがわたくしはその娘をきちんと育てる為に王家からのお金を」
「なんだって?」
エクは思わず口をはさむ。陛下とレクレウス卿が、驚いたようにエクを見た。エクは目を丸くしている。「いや、驚いた。こんなに驚いたことはない。レクレウス家ではしみのついた手袋を高値で買っているのか? 彼女はわたしがあたらしいものを与えるまで、しみのついた手袋ひと組を後生大事につかっていたぞ。子爵令嬢とは思えぬような古臭いドレスと、無礼で無能な付き添いに、一体幾らつぎこんだというのだ、レクレウス卿。それとも首都ではそんなものでも大金がかかるのが普通なのか?」
「レクレウス卿!」
陛下の怒号が響き、レクレウス卿はひえっと叫んで再び這いつくばった。まあ、とヴァスィリサがいい、エクにより体を寄せる。
イリス卿がにこやかにいう。「シノマの王子妃さまに払われていたのですから、額面はなかなかのものでしょう、陛下」
「月に金貨を二百枚だ」
「ほう、それにしてはレクレウス卿の暮らし向きはつましいようだ」
決してつましいとはいえないが、たしかに、金貨二百枚ならばもっと贅沢な暮らしをしていてもおかしくはない。ためこんでいたのだろうか。
しかし、イリス卿がいった。
「王妃さまはなにかご存じなのではありませんか?」
王妃がはっとした。陛下がイリス卿を見、それから王妃を見る。
「イリス卿、どういう意味だ」
「王妃さまは、ミス・レクレウスに気を配ってさしあげていたようです。なんと慈悲深いかたでしょう。レクレウス卿が邸に閉じ込めていたミス・レクレウスを、王家主催のパーティへ呼んであげたのです。ミス・レクレウスにとっては悲しい結果に終わりましたが……」
王妃の顔色が悪くなった。陛下が混乱気味にいう。
「たしかに、パーティへ呼ぶ客の選別は、王妃も関わっている。王妃?」
「わ、わたくしは……わたくしは……」
王妃は口をぱくぱくさせ、その後ペルノ侯爵を見た。「ペルノ侯爵がミス・レクレウスのことを教えてくれました」
「なっ!」
ペルノ侯爵が見るからに慌て、喚いた。「なにを、わたしはなにも関わりございません陛下!」
「おや、そういえばペルノ家は、シノマとの外交樹立にずっと反対の立場ですね……」
イリス卿がわざとらしくいう。陛下の目付きが険しくなる。「ペルノ、もしやと思うが、シノマとの外交を危うくする目的で、お前がミス・レクレウスを騙したのか? ミス・レクレウスを騙して、大使に」
「滅相もございません! あれはその女が」
「王女をその女呼ばわりとは!」
ユファがペルノ卿へ殴りかかろうとしたが、ミス・スィンヴァンが羽交い締めにして停めた。ペルノ卿は喘ぎ、呻くようにいう。
「わた、わたしはなにも知らない。本当です」
「ところで、そもそもは、ズィークラッヘ卿の縁者が騒いだのでしたね。陛下、処分はどうしましょう」
イリス卿が急激な会話の転換を図り、陛下は面食らったようにイリス卿を見る。イリス卿はにこやかにいう。
「わたしとしましては、このような場でズィークラッヘ卿、それにシノマの王女でもあるミス・レクレウスを中傷するなど、大変な犯罪だと考えます。極刑に処すのが、シノマとの外交をまもる為には一番では?」
「いやだわ!」
アデルが息を吹き返したように喚いた。混乱してはいるようだが、旗色の悪さはわかったのだろう。口を塞ごうとする叔父の手を強烈な一撃ではたきおとし、泣き喚く。
「こうしたらエクと結婚できるとお父さまにいわれただけです! 王妃さまもペルノ卿もお味方してくれるから、なんの心配も要らない、エクの目を覚ますには一度捕まるくらいでちょうどいいのだって!」
ペルノ卿が呆然と座り込み、陛下が険しい顔で儀仗兵達に、王妃とペルノ卿の拘束を命じた。




