エク、告発される
数日、平穏な日々が過ぎた。叔父もアデルも来ることはない。来たとしても、叩き出すようにとユファには命じている。
ズィークラッヘ家で一番偉いのは、エクなのだ。そのエクの婚約にけちをつける権限は叔父にはない。大体、相手の女性に問題があるのならともかく、なんの瑕疵もないひとだ。
エクはミス・レクレウスと散歩をし、結婚後に住むことになるだろうフルリオフォルトの話をし、彼女の好きな色や、好きな花や、好きな季節や、好きな本をききだした。
楽しく平穏な日々はあっという間に過ぎ、王家主催のパーティへの招待状が届いた。
エクはひとりで、王城の大広間に居た。
ユファは壁際に控えている筈だ。エクからはそれが見えないので、希望的観測である。もしかしたら、煙のように消えてしまったかもしれない。「ズィークラッヘ卿」
「はい、閣下」
エクをあしどめしているのは、お年を召して少々……言動がとぼけている、公爵だ。悪いひとではないのだが、先程から同じような話を繰り返し、エクにも同じ話をさせている。
「前ズィークラッヘ卿は、お元気かな?」
「はい、父は田舎で執筆をしております。父は詩が好きなのです」
「おお、それは素晴らしい。出版される予定はあるのかな?」
「いずれはと考えているようです。もし、できあがった暁には、閣下にも一冊お送りしましょう」
ふふふと公爵は笑う。きちんと整えられたひげが吐息で揺れる。この三十分ほどで、何度これを見ただろう?
周囲はがやがやと、騒がしい。香水、白粉、髪油、靴を磨く為の油の匂いがまざって、むっとするような空気になっている。
エクは、婚約者の姿をさがした。エクを囲む人々の向こうに、准男爵令嬢を付き添いにして、ぴんと背筋を伸ばし、両手で扇を握りしめたミス・レクレウスが居た。すぐに話が終わると思っていて、なにか飲みものでも飲んで待っているようにと、付き添いの婦人とふたりで離れているように命じたのだ。予想以上に時間が経ってしまっている。
招待状には、ふたりで来るようにとあった。ミス・レクレウスは、あまりパーティというものが好きではないらしい。いやな思い出があるのだから、当然だろう。彼女がエクの邸に住むようになってからは、ふたりで招待されたパーティでも、エクひとりで行くことはたまにあった。
王家は、今回どうしても、彼女にも来てほしいらしい。なんとなくいやな予感がする。ミス・レクレウスは、王家の誰かの孫なのだ。それが誰か、彼女は知らない。正確な年齢はわからないが、彼女の祖母にあたるフェアファルよりは、おそらく歳上だろう。フェアファルは若くして身ごもった。それも、かなりの若さだ。まだ六十代になっていなくてもおかしくはない。
陛下は今、三十代だから、違う。だが、前王陛下ならばありうる。ミス・レクレウスが、陛下の姪という可能性もあるのだ。
それは、とんでもない醜聞だ。それを知ったら、王家の誰かがミス・レクレウスを抹殺しようとするかもしれない。貴族が王家を傷付けるなんてことは絶対にできないが、王族同士で殺し合うことは、今までなかったことではない。
エクは不意に、猛烈な不安に襲われた。公爵に断って、その場を離れる。ミス・レクレウスを見失わないようにしたのに、人垣をぬけた時には、彼女は居なくなっていた。
いや、大丈夫だ。ミス……スィンヴァン、尼僧のような准男爵令嬢が、わたしの婚約者をまもってくれている。彼女なら、ならず者くらいはあの鋭い眼光で殺してしまうだろう。仕事などでどうしてもしようがなく、数日、ミス・レクレウスを散歩に誘わなかっただけで、ミス・スィンヴァンは尼僧から地獄の責め苦を担当する悪魔のような女性にかわった。お嬢さまがどれだけ淋しく感じておいでかわからない伯爵さまではないでしょう、と叱りつけられ、怯えながらも、ミス・レクレウスが自分のことを考えてくれていて嬉しくなったものだ。
エクはひとにぶつからないように、せかせかと歩く。どこからかユファがあらわれた。「エクさま?」
「ミス・レクレウスが見当たらない」
「控え室で休んでおいででは……いえ、それならわたしに一言おっしゃいますね」
「ああ」
ミス・レクレウスは、そういった連絡をおろそかにはしない。とすれば、まだ広間から出ていないのだ。もしかしたら、あちらはあちらでユファをさがしているかもしれない。控え室で休むと伝える為に。
「ミス・スィンヴァンも一緒ですし、めったなことはないと思いますが」
「ああ勿論……」
エクは天を仰ぎたくなった。一番聴きたくないきーきー声が、広間中に響き渡ったからだ。「この女狐! わたしのエクを返しなさいよ!」
最悪な展開だったが、いいこともあった。アデルの涙まじりの金切り声で、ミス・レクレウスの居場所がわかったのだ。
エクは小走りに、そちらへ向かう。ユファも一緒だった。「エクさま、冷静に」
そんなことが可能だと?
集まってきた物見高い人々をかきわけるようにして、エクは婚約者に近付いていった。「ミス・レクレウス」
「……エクさま」
ヴェールの向こうで、彼女の目がほっとしたように見えた。エクは彼女の腕をとり、自分の腕を絡める。背の高いミス・スィンヴァンが、ミス・レクレウスをまもるように少し前へ出て、冷ややかな目で、泣き喚くアデルを見ている。唇が、見苦しい、という動きをしたが、声は出ていない。
アデルを見て、まったくミス・スィンヴァンの思うとおりだと感じた。アデルは涙で化粧がぐちゃぐちゃに流れ、ハンカチをひきちぎったのか、細切れになった布が足許に散らばっている。よほど暴れたのか、ボディスのひもがゆるんで、今にももっと見苦しいことになりそうだ。いっそ、髪だけはきちんとしているのが、滑稽なほどだった。
「アデル」
エクは苦労して出した自分の声が、冬になると山から吹き下ろす風のように冷え切っていることに気付く。「見苦しいことはやめたほうがいい」
「見苦しいですって!」アデルは目を瞠ってエクを見た。「見苦しいのはどちらかしら?! 結婚もまだだというのに、婚約者を自分の邸に住まわせて」
「一緒に住んだらなにが見苦しいというのだ」
「床をともにしているのでしょう!」
アデルの叫びに、見物している貴婦人達が悲鳴じみた声を出してざわついた。なかには逃げ出す者もある。
エクは鼻に皺を寄せ、ちっちっと二回、舌を打った。
「誰に吹き込まれたのか知らないが、そのようなことを喚くと見苦しいのは君だといっている。床をともになどできようものか。そんなことをしようとしたら、おそろしいミス・スィンヴァンがわたしの生皮を剥ぐだろうから」
ちらっとミス・スィンヴァンを見ると、彼女はくさいものをかいだような顔をしていた。「結婚前なのですから、寝室を分けるのはあたりまえです」
「そのとおりだ、ミス・スィンヴァン」
「伯爵さまは礼儀正しいかたですので、お嬢さまの部屋へはいろうとなどなさいません。近寄ろうとしたことさえない筈です」
ミス・スィンヴァンは満足そうに頷く。ユファが笑いをこらえている。
アデルは、まともな令嬢なら思い付かないようなことをいったと気付いたのか、頬を赤らめた。だが、まだまだ亢奮していて、ドレスのスカート部分をもみくちゃにする。折角の新品らしいドレスが、見る間に皺だらけになっていく。
「だとしても……その女が……あなたをだまして婚約をとりつけたことにかわりはないわ!」
「なにか悪いものでも食べたのではないか、アデル?」エクは皮肉っぽくいう。「彼女がどうやってわたしを騙す? かりにそういった企みがあったとして、わたしがそんな簡単に騙される阿呆だと、そういいたいのか? わたしを侮辱しているのだな」
アデルがひゅっと息を吸い込んだ。エクは伯爵位をふたつに、子爵位ももっているのだ。公然と侮辱されるなど、あってはならない。
「それは……」
「なんだ?」
「わ、わたしはあなたと結婚の約束をしていたわ!」
まるでそれが切り札であるかのように、アデルが高々と宣言した。エクは呆れてものもいえない。そんな話はひとかけらもきいていないし、父がいわなかったのだから存在しない話だ。叔父がそのように画策していたのかもしれないが、うまくいってはいない。
エクが唖然としている間に、アデルは更に、毒のある言葉を吐き出した。「わたしはあなたの子を身ごもっているのよ!」




