3-10. 開く地獄の釜
二人はしばらく、夜に浸食されていく足元の長細い島をじっと眺めていた。
やがて太陽は大陸のかなた、円弧となった地平線の向こうに真紅の輝きを放ちながら沈んでいく。
「綺麗ね……」
ルコアが耳元でつぶやきながらヴィクトルの手を取った。
「あぁ、こんなに赤い太陽は初めて見たよ」
ヴィクトルはそう言いながらルコアの手を両手で包む。
すっかり冷えてきたシールド内では、お互いの体温がうれしかった。
太陽が沈むと一気に満天の星々が輝きだす。ひときわまばゆく輝く宵の明星に、全天を貫いて流れる天の川。それは今まで見てきた星空より圧倒的に美しく、幻想的に二人を包む。
下の方ではところどころに街の明かりがポツポツと浮かび、街のにぎやかさが伝わってくるようだった。闇に沈む大地に浮かぶ街の灯りは、まるで灯台のように道しるべとなってくれる。
しばらく二人はその幻想的な風景を静かに眺めた。自分たちが何気なく日々暮らしていた細長い島。そこに訪れた夜に浮かび上がる、人々の営みの灯。それは尊い命の灯であり、人類という種が大地に奏でる光のハーモニーだった。
「素敵ね……」
ルコアがつぶやく。
ヴィクトルはゆっくりとうなずき、大地に生きる数多の人たちの活動に魅入られて、しばらく言葉を失っていた。
例えこれが作り物の世界だったとしても、この美しさには変わらぬ価値がある。ヴィクトルの心に、思わず熱いものがこみ上げてくる。
「あっ、あれ何かしら?」
ルコアが指さす先を見ると、暗い森の中に何やら赤く輝く小さな点が見える。
「場所的には暗黒の森の辺りだね……。あの辺は人はいないはずだけどなぁ。何が光ってるのだろう……」
ヴィクトルはそっと涙をぬぐうと、降りて行きながら明かりの方へと近づいていった。
徐々に大きくなって様子が見え始める。
「あっ、あれ、地獄の釜だわ!」
ルコアが驚いて言う。
「地獄の釜?」
「魔物を大量に生み出す次元の切れ目よ! きっとたくさんの魔物があそこで湧き出しているわ!」
「えっ!? それはヤバいじゃないか!」
焦るヴィクトル。
「誰がそんなこと……」
眉をひそめるルコア。
「妲己だ……」
ヴィクトルは『手下を準備する』と言っていた妲己の言葉を思い出し、思わず額に手を当て、ため息をついた。
「地獄の釜を開いたとしたら……十万匹規模のスタンピードになりますよ?」
ルコアは不安げに言う。
「この位置だと襲うとしたらユーベ……。マズいな……」
ヴィクトルは去年まで住んでいた街が滅ぼされるのを想像し、ゾッとした。
「よしっ! 殲滅してやる!」
ヴィクトルは大きく息を吸うと、下腹部に魔力をグッと込めた。そして両手を前に出し、巨大な真紅の魔法陣を描き始める。
満天の星々をバックに鮮やかな赤い魔法陣が展開されていったが……途中でヴィクトルは手を下ろしてしまった。
そして、うつむき、何かを考えこむ。
「主さま……? どうしたんです?」
不安そうにルコアが聞く。
「これ、妲己との開戦になっちゃうよね……」
「きっと応戦されますね。でも、主さまなら余裕では?」
「いや、レヴィア様は『妲己だけじゃない』って言ってたから、うかつに攻撃はヤバいかも……」
「うーん……」
宇宙空間に浮かぶ二人は目をつぶり、考えこむ……。
「攻撃はいったん中止! その代わり、こうだ!」
ヴィクトルは書きかけの魔法陣を消し、今度は巨大な青い魔法陣を描く。そして、パンパンになるまで魔力を込める。魔法陣はビリビリと震えながら青いスパークをバリバリと放った。
「主さま……、これ、ヤバいですよ……」
ルコアは不気味に鋭く輝く巨大な魔法陣を見て、青い顔をする。
「ふふっ、ヤバいくらいじゃないといざという時に役に立たないよ」
ヴィクトルはニヤッと笑った。