第十一話 邪悪な魔法と悪ふざけ
「鉱山って、けっこう広いんだな」
俺たちは、工房長のオキワロさんに頼みこんで、例の破棄された坑道の中に入らせてもらっていた。
「着いたわ。ここが岩盤層よ」
先導していたニイナが、目的地に着いたことを知らせてくれた。
土や砂の層とは違う、茶褐色の堅い壁が、俺たちの進路に立ちふさがった。
「それでリーマ。こっからどうするんだ?」
渋い顔をしていたオキワロさんたちに、リーマは自分に任せろと豪語した。
なにかとっておきの魔法があるようなことを、自信満々に言っていた。
「さっき、魔力伝導性の話が出ておったじゃろう」
リーマは岩盤層に近づいて、岩質を確認しながら、簡単に説明を始めた。
「魔力伝導性とは、噛み砕いて言えば、物質に流し込める魔力の量と質の上限値じゃ。限界を超えた量を無理矢理に押しこめば、その物質は崩壊する。そして、あまりに高純度の魔力を注いでも、その物質は崩壊を始めるのじゃ」
そしてリーマは、その両方を実行可能な、膨大にして上質な魔力を備えている。
リーマは右手を岩の壁に添えると、ニイナに下がっているよう伝えた。
もしも触れたら命にかかわると、ぶっそうなことを警告して。
「喰らえい岩盤! 魔王の鎧が最終奥義! 【覆滅の黒縄網】!」
籠手の掌から、黒い魔力が迸った。
魔力は岩壁に葉脈状に伸び拡がって、岩肌の上を生き物のように這って覆った。
「消えよ!」
直後に岩が崩れ落ち、たちまちのうちに粉々になって、粒子に変わって消えていく。
岩盤には人が通れるくらいの穴が空き、その先に、周囲と色の違う地層が現れた。
「あっ、あれだわ! 【ギィタル鉱】が採れる地層よ!」
歓喜の声をあげるニイナを尻目に、俺は呆然とその光景を眺めていた。
「え? この魔法、凄すぎね?」
正直、ドン引きしてしまうくらいにあっさりと、リーマは岩盤の一部を消滅させてしまった。
振動はおろか、指先ほどの力すら加えず、実に静かで、鮮やかな破壊法。
「妾の魔力を優しく染みこませてやれば、たいていの物質はこうなるのじゃ」
俺の反応にご満悦なリーマ。
最終奥義と言ってただけあって、とんでもなく高位の魔法に違いあるまい。
「まあ、別に最終でも奥義でもないんじゃがな」
その場のノリかよ!
「って、ちょいと待った。今の魔力って、一番最初に俺が流されてたのと同じなんだよな?」
初めてリーマと会った時、俺を取り込もうとしたリーマは、魔力を体に流し込んできた。
融合中であればまだしも、あの時の俺はどうして無事に済んでいたのか。
「あの時は、魔力を流すと同時に強化の術法をかけておったのじゃ。体が耐えられていたのはそのおかげじゃな」
「ああ、どうりで。あんな強い魔力、体も心もどうかなっちまうはずだもんな」
「いや、心は守っておらんかったぞ」
「ん?」
「ん?」
俺たちの疑問符は連鎖した。
「なんじゃお主、気づいておらんかったのか。妾は最初、お主の精神をぶっ壊すつもりで魔力を送っておったのじゃぞ」
なんですと?
「おそらくお主は、妾の魔力と極端に相性が良いのじゃ。他の人間ならば廃人まっしぐらであったろうに、精神が魔力の邪気を受け入れよった」
「廃人……邪気……」
物騒な単語が、俺の背筋に冷たいものを走らせた。
「どうした、臆したか?」
挑発的なリーマの声。
俺は、意固地になって反発する。
「い、今更怖がらねえよ。リーマのおかげで、俺はあのドラゴンに一矢報いることができたんだからな」
リーマの気配が、柔く緩んだ。
「お主はやはり好い奴じゃのう。思わず抱きしめたくなるのじゃ」
鎧の内側が、うねうねと蠢動した。
「ひゃああっ!? ちょっ、急に、やめ、うおうっ!?」
全身をもぞもぞと撫で上げられ、身悶えてしまう俺。
突然奇声を発した俺に、ニイナが「ひっ!?」と後退った。
「ドン引きすんな! リーマを止めてくれっ!」
「な、中で何か起きてるの?」
俺は、見た目には直立不動であるらしかった。
今は鎧の支配権がリーマにあるから、中の動作が反映されていないのだ。
「気にせんで良いぞ。ちょっとじゃれあっておるだけじゃ」
「おまっ、ふざけ、あひぃ!」
状況を理解したニイナは、しかし、
「ええっ!? 中は、中は今どうなってるのっ!」
俺を助けてくれるどころか、防具マニアの本領を発揮しやがった。
「魔力を用いて一部を変形させておるのじゃ。装備者との接触部を、流体的な感じでうねらせておると言えば伝わるかの。サイラスの全身の肌の上をじゃな、波打つように、あるいは包み込むように――」
「へ? 全身の、肌?」
まずいところに食いつかれた。
ニイナの勘が、とんでもない精度で働く。
「ひょ、ひょっとしてサイラスって、全裸でリーマの中に入ってるの?」
「うむ、そうじゃぞ」
「ばっ、バカ、ばらすな!」
そう、俺は今、完全な素っ裸で、リーマの鎧だけを着込んだ状態なのである。
一番最初に融合した時、あの時点で、俺の元々の服は消し飛んでいた。
融合の邪魔になったのかと思っていたけど、もしかしたらリーマの魔力が流れたことが原因だったのかもしれない。
何にせよ、俺には着る服がなにもないのだ。
「サイラス、そういう趣味が……それとも、ふたりはそういう関係……」
変な思考に走るニイナ。
お前は防具のことだけ考えてろ!
「なんじゃ、ドワーフ族はあんなに熱心に妾の体を見ておったのに、人と鎧の情事には不寛容なのじゃな」
煽るリーマ。
情事とか言うんじゃない!
「ち、違うのっ、貶めるつもりはないのよ! ただ、巧みな技工に憧れるのと、そういう方向に防具を愛でるのは、またちょっと違いがあって……」
ニイナは顔を赤らめて、必死になって弁明している。
「どんな方向にも愛でてねえよ! リーマもわざと誤解させてんじゃねえ!」
「別に誤解させようとなどしておらんしー。それに、あながち間違ってはおるまい。お主の陰部は、つねに妾の秘部にぶつかっておるようなもの――」
ポン、と音を立てて、ニイナが蒸気を吹き出した。
顔じゅう真っ赤に茹で上がり、その場にくたくたと倒れこむ。
完全に目を回してしまっていた。
「やれやれ、小娘には、ちいと刺激が強かったかの」
「勘弁してくれ。まだ鉱石を掘り出してないんだぞ……」
俺たちは、倒れてしまったニイナを担いで、一旦穴の外に出た。