動物、だがそれが人間
あくまで独断と偏見ですよ!
あくまで独断と偏見に満ちてますよ!
あ(ry)
私達は、
二本足で歩いて、
道具を使う様になって、
野外から隔離された空間で暮らすことで、
動物から進化した生物となった、と思うだろうか。
そんなの、この肉の器に入っている限りは思い上がりでしか無いというのに。
朝、起きる。
夜寝るから、朝起きる。
これは、昼行性の生き物の特徴である。
昼行性であるということは、暗くて寒い夜間にひっそりと地面を這いずり回る必要のない生き物ということだ。
完全に無防備な状態で睡眠を取れるのも、人間が群れ、意思疎通を取る事で得られた戦利品なのだろうか。
朝、ご飯を食べる。
今日は目玉焼きを作った。
毎日の様に排卵する様になった鶏が産んだ無精卵は、ある意味命の成り損ないとも言える。
それを作ったのは、人間だ。
昨晩のおかずのハンバーグと、少し萎びたサニーレタスを添えて食べる。
野菜に虫が付いていないのは、人間が徹底して殺すからだ。
最近は、虫も菌根菌も土も何も無い空間で野菜を育てる技術が進んでいるらしい。
肉は、まだ何年も生きられるはずの豚や牛を、一番採算が取れる時に殺して肉にする。
彼らは、私達の為に生まれて、私達の為に死んでいく。
私は家畜と何も変わらない。
ただ、人間として、この時代に生まれただけだ。
今日も、美味しかった。
肌触りの良い服を羽織る。
羊の毛は、人に刈られる為に伸び続ける。
なぜなら、人間がそうしたから。
作られたのはこの国じゃ無いどこかで、作ったのは私達より貧しい人達。
お金と時間があれば、時代を豊かに成し得たかもしれない人達。
私は、彼等と何も変わらない。
ただ、日本に生まれただけだろう。
少しだけ時間を過ぎて、慌てて階段を降りれば一段だけ踏み外して足を少し挫いた。
咄嗟の時はどんな動物でも慌てるし、思わず笑ってしまいそうな行動をする。
私は動画で慌てて飛び退く猫と、何も変わらない。
「おはようございます」
挨拶は、どこの国にでも大体ある文化だ。
相手を認知している事を示すのは、コミュニケーションの初歩だ。
まるで、自分の存在を認められた様な気になる。
会話は、技術革新が目覚ましい現代でさえ、最重要の意思伝達手段である。
これまで何種もいた人類種ではあるが、人間ーーホモ・サピエンスは『声帯で最も広い音域を扱える』とどこかで聞いた記憶がある。
また、人間の黒目の少ない目は、視線を向けた方向を何と読み取りやすい事か。
犬が尿で、狼が遠吠えで、蜂がダンスで、イルカが超音波で、ミソサザイが囀りで、様々な動物が様々な方法でコミュニケーションを取る様に、人間は、目と声でそれを行っているのだろう。
私は、他の動物と何も変わらない。
ただ、人間が意思疎通を密に取る事で進化してきたので、その手段が豊富なだけだろう。
あの同僚は、自分が好きで好きで、自分しか大切にできない様に見える。
まるで、必死に羽繕いをする孔雀の様だ。
あの先輩は、好きと決めた私にどこまでも付いてくる。
まるで、雌を離さないとばかりに意気込むヒキガエルの様に見える。
あの後輩は、相手の非を見逃さずに、いつまでも追求し、執拗に責め続ける。
まるで、一度傷つけられたら何度も復讐するカラスの様に見える。
私も、そうした人々と変わらない。
所詮、一人の動物でしか無い。
時計を見ながら、過去の出来事を思い出す。
知らないお爺さんは、刃物を突きつけてきた。
友達と思っていた人間は、他の友達の歓心を買う為だけに私を犠牲にした。
駅に立てば知らない人間から唾を吐きかけられ、学校に通えば物を盗られ、付き纏われ、侮辱され、意味もなく貶された。
私も、そうした人々と変わらないのだろう。
自分の為した事の意味を把握できず、きっとどこかで人を傷つけているだろう。
違うのは、相手の気持ちを考える余裕があった事だけだ。
恋愛が絡むと、人は更に動物に近くなる。
好きな相手の事は何でも知りたいから、付いて回ってプライベートまで覗き込みたい。
関心を引きたい。
動物には、糞で相手の健康状態を伺うものもいる。
好きな相手を誰にも渡したくないから、他の同性の影に怯え、怒り、焦る。
自分の遺伝子を託したい相手に、自分の遺伝子を遺せない可能性を感じれば、それは激情を引き出す事もあるだろう。
熊だって、見つけた雌を発情させるために、他の雄の子を殺すのだから、動物の子孫を残そうという本能は、それは生き残る為に編み出してきた立派なものだ。
だから私は、いくらセクハラをされようとも怒らないし、どれだけしつこかろうとも相手を見捨てはしない。
ただ、貼り付けた笑顔で流すだけだ。
私とて本当は、とても怖い。
哺乳類はある種の性的ニ型として、雄の方が体格が良い事が多い。
それは、雄同士が闘争し、力尽くで雌を奪うからだ。
それは、人間だって変わりはしない。
いつ、襲われるのだろうか。
襲われた時、体格で劣る私の抵抗は意味を成すのだろうか。
狸は一夫一妻で、鹿は力強い雄が何頭もの雌を囲う。
人間は、どうだろうか。
年中発情期のこの賢い猿は、文化圏によってそれが異なる。
光源氏の如く結婚相手を自分好みに育てる民族もあれば、一夫多妻が公認の国もある。
だが、多くでは一夫一妻が是とされている。
それでも、多くの性犯罪が男性によって成される現実を見るにあたり、未だに人間は動物でしかない。
肉の齎す快楽に従って、自分の遺伝子を残す行為に励む動物でしかない。
だが、人間は群れの動物である。
どれだけケチを付けたくなろうとも、怒りを覚えようとも、馬鹿らしく感じようとも、法規というのはその群れを維持するためのルールとして存在している。
一人が謂れのない暴力を振るえば、残る皆でその人を排除するのが群れのルールだ。
この社会において、とうとうセクハラは違反行為として周知された。
ならば、私はそれを、群れのメンバー以下として扱っても問題あるまい。
だが、私の安全が確保されるまではそれを表面に出してはいけない。
男性は兎角、女性に負ける事を嫌うからだ。
そも屈服させる対象である女性が、競争相手ですらない女性が、その舞台で自身に土を付けるのが甚だ気に食わないというのは、哺乳類の雄の生態とも曲解できる。
また、追い詰められた生物は、何をするか分からない。
窮鼠が猫を噛んで、猫が死ぬ事だってあるだろう。
そのくらい、生き物を追い詰める事は危険に満ち満ちている。
あぁ、人間なのに言葉が通じないなんてーーまるで、動物のようだ。
時折、人間の行う山野や海洋への搾取が、まるで自然から切り離されて語られる事に一抹の違和感を感じる。
人間という種は、増殖の結果として多くの資源を求め、進化の過程で得られた数々の道具を用いて、生存してきた。
それは、増え過ぎた鹿が樹木を伐倒し、多くの植物を地域絶滅に追い込む事や、夥しい蛆が地表をめくり上げ、不毛の地に仕立て上げるのと何が違うのか。
しかし、あまりに、あまりに増え過ぎた人間のそれを、自然の流れというには甚大過ぎて、罪と呼ぶには贖うに能わず、ならばと結果だけ見るに『人間が引き起こした大規模な自然破壊』と呼ぶのが一番しっくりくるのかも知れない。
生態系を含めた万物の流れを『エコシステム』と人は呼ぶが、それでは元の『システム』が役不足にはならないかと思うほどに、凄まじいものだ。
日々細かなアップデートを行い、強い者、たまたま運が良かった者が生き残り、置いていかれた者が須らく死に、その屍さえ悉く利用され尽くす、血も涙も残らないある種のシミュレーションゲームの様でもある。
私がユーザーならお問い合わせ待った無しのクソ仕様で、しかし悲しいかなそれが現実である。
もしかすると、これが異世界転生ものが流行る理由の一つかも知れない。
運営は、太陽光という資金源をバックにつけて、地球という天体を土台に、全物質を使った壮大な舞台を作り上げた。
暫く経つと生命が生まれ、しかし時折、運営は強権を振るうが如くに隕石を落とし、火山を噴火させ、地震を起こし、数多の生命をデリートしてきた。
一つの生物種が集えば、病気としてその命に手を伸ばしてきた。
菌類や細菌類、ウイルスの動きはまるで、神が見えざる手を伸ばしているかの様に私は感じる。
それは、いつかの授業で読んだ、菌は神様であると書かれた文が未だに頭の隅に引っ掛かっているからかも知れない。
菌は、確かにそこには法則があり、目に見えない程の小さな、人間とはあまりに異なる生命体が蠢いているのだろうが、牛乳がヨーグルトに変わるのは、いつ見ても不思議だ。
大量発生したマイマイガは、病気が流行して次の年には消えた。
あまりに高い密度で同種の生物が暮らせば、多くの個体で病気がやり取りされて広まるのは自明の理であり、必然である。
ーー次は、人間の番なのかも知れない。
いつ死が宣告されるか分からない世界で、私は今日も生きている。
他の命を消費して、害虫の命を捻り潰して、目に見えない菌類と死闘を繰り広げる体を抱えながら、この心を包む肉の望みを叶えて褒美を貰っている。
どんな動物だってそれは変わらない。
「動物を殺すなんて可哀想」と言われるかも知れない。
だが、本当の意味で何も殺さずに生きる事など出来やしない。
それは、残酷な事だろうか。
「人間は言葉や道具を使い、動物から進化した万物の霊長だ」と言われるかも知れない。
だが、それでもまだ人間は動物でしかないと私は思うのだ。
それは、的外れなものだろうか。
皿に盛られた魚の欠片も、
こちらを見返す真丸な卵の中身も、
照明の内側に溜まった虫達の死骸でさえ、
一つの生物だった者の成れの果てである。
たまたま、私がこうして消費する側にあっただけではないのか。
ーーもしかしたら、私であったものなのかも知れない。
美味しい、と感じる事が楽しい。
外から聞こえる鳥の声が、微笑ましい。
味覚で感じ、咀嚼し嚥下する事に快感を覚える。
空腹を満たされる事が嬉しい。
満腹になり、充足感に幸せを感じる。
睡眠を促され、微睡み間延びする時間を過ごす贅沢を噛みしめる。
寝床に入り込み、肌触りの良い布団が剥き出しの肌に当たる。
目蓋を閉じ、次第に温まる手足に、疲れが溶けて出て行く様に感じる。
そして、全ての煩わしさや興味を投げ捨てて、今日という世界から旅立つのだ。
だから、
人間は動物であり、だから人間であるのだ。
そう、思う訳です。
個人的に肉を食べながら「鶏可哀想」と宣う家族をぶっ飛ばしたいという欲求と、
近い業界で漏れ聞いた話への怒りと、
職場で繰り返されるセクハラへのストレスを混ぜ込んだら、この通りの生臭い可燃物になりました。
一応、別に筆者は人嫌いとか動物嫌いとか馬鹿にしてるとか絶望してるとかそんなつもりは一切ありません。寧ろ逆です。
ここまで読んで下さった有り難い皆様、その場でジャンプして口から漏れる感想を落としてって下さらないかなぁ……?