09.貴族の廃屋
「アリアネさん、ちょっと怖いかも……」
アリアネの姿が見えなくなると、ローズマリーが小さな声でそう言った。
「良い人だよ。今だって、まだ何も言ってないのに、俺たちのために色々世話してくれてる」
そんな話をしていると、筒状に丸めた大きな紙をもって、アリアネが帰ってきた。
それは、アンローヘイムの地図であった。
「これは、私の予想だけどね」
アリアネは、王都の一部分をとんとんと指し示した。
「ローズマリーが誘拐されたという前提で話をするよ。さっきも言ったが、それはここ最近の話じゃない。そして、関連づけられるような誘拐事件の話も入ってきていない。だから、少し違う見方をしようと思う。この辺りは、貴族の住んでいる地域だ。この中に、一か所だけ、廃屋がある。中に争った形跡はないが、ある日突然、誰もいなくなったそうだ」
「それって!?」
ローズマリーが身を乗り出して、叫ぶようにして言った。
一瞬で、嫌な想像が頭をよぎったのだろう。
「まだ、話の途中だよ。事件性がなかったからね、どこかに引っ越したか、旅に出たか、魔物に襲われたか……。とにかく、土地の権利を持っている人間の死が確認されないと、衛兵たちと言えども手が出せない」
「そんなの、実際には誰も使っていなくて放置されているなら、無理矢理にでも取り壊せるんじゃないですか?」
キリアが聞くと、アリアネはかぶりを振った。
「さっきも言った通り、ここは貴族の家さ。勝手なことはできない。でもね、おかしいのはそれだけじゃない。この話はね……」
突然、玄関の扉がノックされる。
アリアネは渋々玄関の方へ向かうも、はっとして、ふたりに言った。
「窓から通りに逃げな。屋敷の場所は分かっただろう? 行ってみるといい。トキサメには私から説明しておく。お前はその娘をしっかり守れ。分かったか?」
何だか分からないが、キリアもよくない気配を感じていた。
力強く頷くと、ローズマリーを連れて、家の奥へと走った。
「さて、誰が来たのやら」
扉を開けると、そこには黒いローブを着た集団が立っていた。
「……賢人会か。私に何の用だ?」
「この王都で一番情報に精通しているのはあなただ。おかしな女を見たという話は聞いていないか?」
「おかしな女?」
「そうだ。女にしては背が高く、やたらと明るい女だ。冒険者や傭兵ではない。恐らく、記憶を失っているはずだ。もし何か知っていれば教えてくれ」
「……悪いけど、そんな話は聞いてないね。さしつかえなければ理由を教えてもらえるかな?」
「理由を話す権利を我々はもっていない。……何も知らないのならいい。何かあったら賢人会まで報告を頼む」
それだけを言って、彼らは帰っていった。
ただの女ひとりを捕まえるために、いったい何人の魔法使いを率いてきたのだろう。
(賢人会が関わっているとなると、やっぱりろくでもないことに巻き込まれてるな……)
賢人会は、魔法の改造や発明をしている集団であったが、アリアネから見れば真っ当であるとは言いづらく、本来ならば魔法の研究は魔法学校の領分である。
そことは袂を別っているところが、昔からどうにもきな臭かった。
「少しだけ手を貸してやるとするか……。少し気になるところもあることだしね」
アリアネは書斎にある机の引き出しを開け、魔法陣の書かれた半紙を取り出した。
簡易魔方陣は、魔力のこもった紙に書かれており、誰にでも使える魔法陣だ。
それを壁に貼り付けると、魔法陣のあったところが洞窟のようになり、アリアネはそこへ足を踏み入れた。
キリアは、ローズマリーを連れて通りを急いでいた。
貴族の住宅街は警備がしっかりしており、あそこまで行けば怪しい奴らも簡単に手を出せないだろう。
「ねえ、誰が来たのかな」
「さてな。だが、弱い敵意を感じた。アリアネさんと仲が良いってわけでもなさそうだ」
「そうなんだ。私、分からなかったな」
少し残念そうに、ローズマリーは言った。
「そんなもんだ。それより、まだ何も見覚えのあるものはないか?」
「……うん。知らない街に来たみたいな、感じ」
ローズマリーは不安気に辺りを見回していた。
ひとつでも知っているものがあれば安心できただろうが、何もないことが逆に不安がらせているのだろう。
「廃屋に、何もなかったらいいな」
キリアがそう言うと、ローズマリーは静かに頷いた。
「せっかく教えてもらったのに、私の知ってる場所だったら嫌だ、なんてワガママかな」
「俺も御免だ」
ふたりの気持ちはひとつだった。
その廃屋に何もないことを確かめるために、急いでいるのだ。
「――――待て、止まれローズマリー」
貴族の住宅街へさしかかった時、キリアは先程もアリアネの家に来た訪問者と同じ気配を感じた。
ローズマリーと共に曲がり角に隠れ、先の様子を伺った。
この道を真っ直ぐ行けば、目的の場所には着く。
「俺が先に行く。合図をしたら、ついてこい」
キリアは身をかがめ、素早く進んだ。
敵が何であるか、自分の目で確かめるためだ。
目的の廃屋は、すでに目と鼻の先である。
ひと際大きな屋敷であり、広い庭もついている。
しかし、そのどれもが荒れ果てて、門ですら錆びてところどころ崩れていた。
門から玄関口まで、五十メートルはあるだろうか。
その間に、ふたりの黒いローブを身にまとった怪しい人間がいる。
キリアは門の手前までローズマリーを呼んで隠れさせ、自分は壊れている柵の隙間から中へ忍び込んだ。
(ええと、人間の視界は、真横よりちょっと後ろくらいまでだったな)
彼らは有り難いことにフードまで被っている。
背後から忍び寄って、ひとりずつ気を失わせていくことは、さほど難しいことでもなかった。
まず、ひとりの背後に忍び寄り、刀の鞘で後頭部を殴りつけ、気を失わせる。
もうひとりは、腕を首に回し、気絶させた。
(見つからねェように、と)
庭にいるふたりは庭の端に寄せておく。
表の道からは見えないように、物陰に並べておいた。
(さて、時間はあまりないな)
屋敷の中には誰もおらず、崩れかけた天井や壁から日の光が射し込んでいる。
入り口を見張っていた奴らは、まだここに誰か来ることを想定していないようであった。
キリアはローズマリーを呼んで、屋敷の中へ入れた。
「あっ……」
彼女は屋敷の中を見回しながら、小さく声を漏らした。
「どうだ? 何か思い出せる――――」
キリアは言葉を途中で止め、口をつぐんだ。
ローズマリーは二階を見上げたまま、表情を変えずに、ぽろぽろと大粒の涙を流し始めていた。




