08.王都アンローヘイム
「ここが王都アンローヘイム?」
ふたりは数日歩き通して、巨大な城壁の前にいた。
魔物の浸入を防ぐために作られた城壁の外からは、中の様子を伺えない。
ローズマリーは何か見えないかと必死に背伸びをしたり、角度を変えてみたりしているが、成果はないようであった。
街道はこの城壁にそって、王都の出入り口になっている大門まで続いている。
衛兵たちが絶えず巡回している街道は、ぐるりと王都を囲んでおり、魔物が来ても大型の兵器を素早く運んでこられるようになっている。
魔物の占拠する東大陸から最も遠く、西の端に位置するこの王都は、人類が追い詰められたとき、最後に身をゆだねられる場所として、常に万全の準備を行っている。
王都を守ることに対して一切手をぬかず、皆が真剣に取り組めるのは、誰もが魔物の恐怖を知っているからに他ならない。
「王都に住んでたんだろ? 城壁を見たことないのか?」
「うん。なんでだろう?」
「城壁の見えないところに住んでたとか?」
「そうなのかな?」
ローズマリーは少し考えて、言った。
「あ、家の場所、わかんない……」
彼女が屋敷の外に出たことがないと言っていたことを思えば、王都のどこに自分が住んでいたか知らなくても無理はなかった。
「だったら、順番を変えよう。まずアリアネさんのところに行く。あの人に聞いてみれば何か分かるかもしれない」
「そう言えば、アリアネさんって、誰なの?」
「すごい人さ。昔は冒険者ギルドで『猟犬』って役職についてとんでもない数の魔物を狩ってたって話だ」
「昔は? 今は違うの?」
「今は引退して、冒険者ギルドで手に負えない強い魔物を、それぞれの私立機関に依頼する立場になってる。親父とは古い知り合いらしい」
「へー、すごいね」
王都の出入口は、大きな鉄の扉がつけられているものの、もう何十年も閉じられたことがない。
しかし、手入れは綺麗にされており、錆びついてはいなかった。
威圧感のあるその大門を抜け、ふたりは、王都に足を踏み入れた。
住居や施設が段々に並び、最も高い位置に王城が見える。
王都アンローヘイムは、大通りを馬で移動することが認められているほどに広い街である。
港にも面しているが、入り口では潮の香りも感じない。
歩いて港まで行こうと思えば、丸一日かかるだろう。
たくさんの人が行きかう大通りを、キリアはすぐにそれた。
「アリアネさんの家は路地裏にある。はぐれないようにしっかりついてこいよ」
「うん」
ローズマリーはキリアの服のすそを握った。
「何してんだ?」
「ダメ?」
「いや、いいけどよ」
ローズマリーの手は微かに震えていた。
街中を歩くのも初めてで、少し緊張しているようであった。
「ごめんね。なんだか、人がたくさん居てびっくりしちゃって……」
「俺も初めて来たとき、同じこと思ったから気持ちは分かるぜ。人の多さも、音の多さも、未だに苦手だ」
「うん。ちょっと、色んなものが、ワッて入って来ちゃって……」
入ってすぐに元気がなくなっていたのは、そういう理由だったか、とキリアは納得した。
「休むか?」
「ううん、大丈夫、歩ける」
足取りはしっかりしているため、キリアもそれ以上は何も言わなかった。
アリアネの家は、入り組んだ路地の先にあった。
普通なら大きな通りに面しているはずの玄関が裏にしかなく、知らない人には訪ねようがない。
キリアは、木の扉をノックしてしばらく待った。
しばらくすると、扉はゆっくり開き、優しそうな老婆が姿を現した。
「キリアだね。いらっしゃい」
「お久しぶりです」
「中へお入り。後ろのお嬢さんもね」
アリアネは彼らを招くと、部屋の明かりをつけた。
テーブルや椅子、食器棚、と備えてあるものは普通だが、ひとつだけ、壁に立てかけてある巨大な鉄板のような剣が来訪者の目を引く。
ローズマリーがそれに目を奪われていると、アリアネは微笑んで言った。
「それはね、私の剣だよ」
「えっ!?」
ローズマリーは驚きの声をあげる。
この老婆には、とても振れそうにはないように見えているのだろう。
たしかにキリアも、剣を振る勢いで全身の骨が砕けてしまうのではないか、と心配したことがあった。
今では戦っている姿を見たことがあるため、欠片もそのようなことは思っていないが。
「アリアネさん、うちで受けた依頼の魔物は全て討伐し終えました」
「そうかい。あんたたちも強くなったね」
「いえ、まだまだです」
席につくと、アリアネはふたりの分の紅茶を用意した。
「それで、その子は何者なんだい?」
アリアネの目が鋭く光る。
まだ何も言っていないのに、とキリアは生唾を飲んだ。
応えかねるキリアに代わってか、ローズマリーが言った。
「あの、私、自分のことがよくわからないんです。あっ、名前はローズマリーと言います。王都に住んでいた、はずなんです」
「どうして、そんなに自信がなさそうなんだね?」
「そのころの記憶だと、私はまだ子供だったんです。背も全然小さくて。なのに、気がついたら、大人になっていて、森の中で目を覚ましました。キリアが魔物から助けてくれたんです」
「ふうん。王都と言っても、ここは広い。どこに住んでいたのか、覚えていないのかい?」
「……すみません。私、屋敷から出たことがなくて、王都のどこに住んでいたのか分からないんです」
「なるほどね」
アリアネは興味深そうに何度か頷き、そして言った。
「ここ最近、王都で起きた事件の数はそう多くない。さらに、ほとんどが解決済みだ。優秀な衛兵がたくさんいるからね。だが、ローズマリーが言うことが本当なら、子供のころに誘拐されたのかもしれないね。そして、最近まで眠らされていた」
「そんなこと、できるんですか?」
「出来る魔法があるかもしれない。だけど、順を追った方が良さそうだ。ローズマリーからは嫌な匂いがする。恐らく、かなり危険なことに巻き込まれてるよ」
キリアの方を見て、アリアネは言った。
「ああ、そうだ。『トキサメ』はこのことを知っているのかい?」
『トキサメ』とは、師匠の名前である。
親父をそのように親し気に呼ぶ人間は、そう多くない。
「いえ、入れ違いだったようで、まだ会っていません」
「出来ればやつの手を借りた方が良かったが……。まあ、まだ大丈夫か。少し待っていなさい。これからのことを指示してやろう」
そう言って、アリアネは部屋の奥へ姿を消した。




