03.動じない女の子
ローズマリーを担ぎ、ガルムから見えないところまで逃げたところで、キリアは止まった。
息を切らせながら、ローズマリーを下ろす。
ここまで来れば早々見つかることはないはずだが、安心は出来ない。
体力を回復させる間に、気になっていたことを、彼女へ聞いた。
「ところで、あんた、えーと、ローズマリー。何をやってたんだ?」
「何をって?」
「袋に詰められてたろ。拐われたのか?」
ローズマリーは即答せず、うんうんと考えて、答えた。
「……覚えてない」
「はァ? そんなことあるか?」
「思い出せないの。なんで私はここにいるの?」
「俺が知るかよ。記憶喪失ってやつか? どこに住んでたかも覚えてないか?」
「それは分かるわ! 私は王都にいたのよ。お父さんとお母さんと、一緒に暮らしていて、それで……」
「覚えていない、か……」
彼女の記憶からは経緯といったものがすっぽりと抜け落ちていた。
自分が何者でどこに住んでいたかは覚えていても、いつどのタイミングで袋詰めにされたかは、全く記憶にないようであった。
キリアは医者にでも預けるべき容態の彼女を、森の中に放っておくわけにいかなかった。
「普段なら王都まで送ってやるところだが、あいにく俺も暇じゃない。あんたが何日か待つって言うならまだなんとかできるかもしれないが、どうする? 早く家に帰りたいなら、最寄りの街まで送ってやるから頑張って帰ってくれ」
「じゃあ、待つ! 私急いでないし、こうやって裸足で歩くのも初めてだし!」
彼女はそう言って嬉しそうに土の上を跳ねた。
そこでキリアは、ふと自分が履かせたはずのクツがなくなっていることに気がついた。
「……俺のクツは?」
「脱げちゃった。私には小さかったみたい」
後ろを振り返っても、道の上にクツらしきものはない。
(やべェ……。とんでもないやつ拾っちまった……)
キリアがそう考え至るまでに、時間はかからなかった。
しかし、不思議と、嫌な気持ちにはならなかった。
それは、彼女を知っているような気がしているからだ。
しかし、絶対に会ったことがないと自信を持って言える。
だからこそ、複雑な心境であったが、彼女に対して悪い印象を抱いてはいなかった。
ともあれ、この状況で彼女に対する評価を思案するだけの時間はない。
とにかく今は、自分の目的を達成することだけを考えることにした。
「……はァ、少し隠れて待ってな」
「何をするの?」
「あいつを倒さないと帰れねェんだよ。できるだけ急ぐが、まだ二日か三日かかるかもしれない。もう見失っちまったし」
そう言うと、彼女はムッとして言った。
「喧嘩はダメよ」
「喧嘩? ……あのな、何を勘違いしてるのか知らんが、魔物は殺さねェといけない決まりなんだよ。あんただって襲われたろう?」
「でもあの子、戸惑っているみたいだった」
「なんで分かるんだよ?」
「なんとなく! ね、やめておこう? たぶん、襲った理由があるのよ」
自信満々なローズマリーに押されたキリアは、少し考えて、目的を諦めた。
もうキリアは、彼女を説き伏せてまで続行したいとは思わなくなっていた。
今回の魔物退治は、早急に行う必要のあるものではない。
人里からは離れていることもあり、修行の一環以上の意味を持っていないのだ。
「……わかった。あんたが思ったより邪魔になるようだし、先に送り届けてやる。だけど、その前に事情を話しに親父のとこに行かなきゃならない」
「お父さん?」
「実の父親じゃねェ。うちじゃ師匠のことを親父って言うんだ。親父の許可がなけりゃ、あんたを送ることもできない」
「そうなんだ。大変だね」
ローズマリーはまるで他人ごとのように言った。
キリアはそのマイペースさに何か言おうと思ったが辞め、黙って街道を歩き始めた。
「あ、待って、どこ行くの?」
「帰るんだよ」
キリアはローズマリーの返事を待たず、歩き始めた。
彼女はペタペタと足音を立ててついてきていたが、キリアはそれが気になって、足を止めて振り返った。
懐から布を取り出し、二枚に割いて彼女の足を包むようにして巻いた。
「なにこれ?」
「こんなのでも無いよりマシだ。裸足じゃ足切るぞ。そこから怪我が悪化することだってある」
「へぇー、ありがと!」
硬めの布はそう簡単に擦り切れたりしない。
とりあえず、帰り着くまではこれで我慢してもらうしかなかった。
ふたりは途中で休憩を挟むこともなく、辺りが夕暮れに染まるまでしばらく歩いた。
ガルムが後ろから追ってこないか、キリアは常に気を配っていたが、そんなこともなく森を抜けて、街道の周囲は見晴らしのいい草原の景色となっていた。
いつのまにか、よく使われる新しい街道と合流しており、足元も歩きやすく踏み固められた地面となっていた。
ローズマリーは、苦しい顔ひとつ見せずに、キリアについてきている。
目に入るもの全てが楽しいようで、夕焼けの中、草木を触っては喜んでいた。
「あのさ、あんた、良いとこの箱入り娘? 外を見るのは初めてなのか?」
耐えかねて、キリアが話しかけると、彼女は満面の笑みで答えた。
「そうみたい!」
「みたいって……」
「外って良い匂いがするんだね!」
全く、彼女は屈託のない笑顔をしていた。
キリアもそれ以上の追求はやめ、黙って歩みを進めた。
そして歩きながら、ローズマリーがなぜ誘拐されていたのか考えていた。
まだ出会って数時間しか経っていないが、恨みを買うような人間ではないと感じていた。
身代金目的だろうか、とも思ったが、大事な人質を護衛もつけずに、魔物のいる森へ連れてくるだろうか。
本人は何も覚えていないと言う。
恐怖で一時的に記憶が混濁しているような様子もない。
捕まる時に暴れて怪我をした様子もない。
考えれば考えるほど、不思議であった。
(本人も気にしてなさそうだし、送り届ければ何か分かるだろ)
そんなことを考えていると、不意に彼女がキリアの顔を覗き込んだ。
「うわっ!!」
思わず驚いて飛び上がる。
ローズマリーはにこにこと笑いながら言った。
「ねえ、親父さんってどんな人なの?」
「親父? 親父か……」
突然の質問に、キリアは頭の中でその姿を思い浮かべた。
思い出せる情景は、どれも厳しい修行の場面であり、それを一言で言うなら……。
「魔人、だな」
「魔人って、あの、強い人たちのこと?」
「なんだ、そういうことは知ってんのか。なんでもβクラスの魔物とひとりで張り合えるって話だ。とんでもなく強かったんだろうな」
「じゃあ、親父さんもそれくらい強いの?」
「あの人はそれどころじゃない。何せ、魔物を狩り飽きたから、人を育てることを始めたくらいだ。αクラスの魔物だって、やっちまうだろうさ」
「ふーん、すごいんだね」
伝わったのか、伝わっていないのか。
彼女はまた、景色を楽しむことに戻っていた。
すっかり辺りは暗くなり、空には星が出始めたのだが、ローズマリーはまだ疲れた素振りを見せなかった。
キリアは三日三晩ほど歩き続けられる訓練を積んでいるため余裕はあったが、普通の娘であるはずの彼女がさすがに心配になって、休むことを提案した。
「うん、分かった!」
元気よく答える彼女に、呆れるような感心するような、複雑な感情を抱きながら、キリアは野宿の準備を始めた。
半紙に描かれた簡易式の魔法陣で火を起こし、一枚しかないマントを彼女に渡した。
しばらく、ローズマリーは火を眺めていたが、やがて目をこすり始め、寝息を立て始めた。
それを見ながらキリアは、本当に彼女と初めて会ったのだろうか、と考えながら横になり、眠りについた。




