大賢者ロベルト
少し長めです。
それは珍しく忙しい一日だった。
日曜日ということで、午前中から出勤していたその日、ちょうどお昼を回った辺りで大挙としてお客様が訪れたのだ。
彼等はとある世界に存在する、〈防人の大鎮守〉というマングローブのみで形成された大樹海を探索していた研究者チームなのだという。
曰く、普段から魔素の濃度が高く希少な素材が取れると有名なその森で、先日、アダマンタイトの甲殻を持った大蟹と遭遇したという報告を〈防人の大鎮守〉のほど近くに存在する都市にあるギルドが受けたのがきっかけらしい。
希少な魔法金属発見の報告は、すぐにギルドのお偉方から街の首長、地方の領主、そして国のトップに伝わり、あれよあれよという間に、その蟹殻を採取すべし――と、腕利きの探索者と研究者との合同チームが組まれ、〈防人の大鎮守〉に向かうことになったらしい。
だが、そんな探索の最中に遠方の国で大地震が発生。その影響から大波が襲来したのだという。
その事を通信魔法によって外部から知らされた探索チームは、すぐに樹海からの脱出を図るのだが、件の蟹を求め、なまじ奥地まで探索の手を進めていた所為で非難が間に合わず、樹海半ばまで戻った辺りで大波に巻き込まれてしまったのだという。
ただ幸運な事に、大波に巻き込まれたのが樹海の只中ということで、波の威力が若干抑えられ、更に魔法結界を重ねがけすることにより、どうにかこうにか命だけは助かったのだが、
大波に巻き込まれたことには変わりない。結果、彼等は現在位置を見失い、装備品の大半を流される途中で失ってしまったのだそうだ。
そして、最大の問題は〈防人の大鎮守〉の魔素濃度が高いということだった。
そんな森の奥地に住まう魔獣は強力なものが多く、装備をほぼ失った状態の彼等では歯が立たない。
と、僅かな物資を手に隠れ潜みながら亀のように出口を求めて彷徨うことになってしまった彼等だが、その隠者のような歩みが功を奏したか、運良く(?)アダマンタイトの殻を持つ蟹を発見。大波に巻き込まれたからだろうか、動きが鈍くなっていたこともあり討伐に成功。更に更に進んだところで次元に歪みに巻き込まれ、本当に運がいいのか悪いのか。このアヴァロン=エラに至ったのだという。
そして、ゲートの先で万屋を見つけた彼等は店に入るなり、
「この神々しいまでの剣はまさか聖剣か?」
「こっちには魔剣があるぞ」
「この鎧はまさかミスリル製?」
「なんだこの杖は?結界銃?聞いたことがないぞ、そんなもの」
「エリクサーまで売っているなんて……」
と、初来店の客様がするベタなリアクションを一通り済ませると、手持ちにあったアダマンタイトの蟹殻の半分と交換に、充分な量の携帯食料と飲水にポーション。冒険者に人気のオートマッピング機能を備えた魔法の地図。そして、眠りや麻痺など状態異常や足止め目的の結界弾が撃てるアンティークなマスケット型の魔法銃を何丁かにミスリル製の鉈。魔法金属や魔獣の革を使った防具を全員分と、〈防人の大樹林〉を脱出する為の準備を整えて、元の世界へと帰っていった。
そして午後――、
「で、これがそのアダマンタイトの蟹殻ってやつか、たしかにこりゃあ――完璧に魔法金属化しちまってるな。ドラゴンでも住み着いたのかね」
カウンターにどかっと腰掛け、ルビー色をした固まりをペシペシ叩く堀の深いダンディな顎髭の男性はロベルト=グランツェ、【東方の大賢者】と呼ばれる人だ。
「アダマンタイトとドラゴンって何の関係があるんですか?」
「ドラゴンそのものが希少生物だからな。ちゃんとした研究って訳じゃないからはっきりした事は言えないが、俺の世界じゃ、特定の合金に竜の血を混ぜたものがアダマンタイトになるって言われてんだよ」
会話の後半部を捉えて疑問符を浮かべる僕に、賢者様は未確認の情報としながらも「まあ、眉唾ものの話なんだけどな」そう付け加えながらも説明をしてくれる。
「じゃあ、この紅い色は――」
「竜の血の成分がそうさせるんだとか言われてるな」
こういう話を聞いていると本当に【賢者】様みたいだな。真面目っぽい話をする賢者様に不敬にもそんな事を考えていたところで、カラカラと店の前面を覆うスライドドアが開く。
来店したのはマリィさんだ。今日もボリューム過多な金髪ドリルが素敵に決まっている。
「いらっしゃいませ」
「そちらはどなた?」
テンプレートなご挨拶にマリィさんが余所行きの口調で訊ねてくる。
別に初めて会う賢者様に人見知りをしているという訳ではなく、単にチョイ悪な印象を抱かせる賢者様の風体に警戒しているだけだろう。
他方、賢者様はさっきまでのだらけた態度が嘘だったかのようにシャキッと背筋を伸ばして腰を折り、
「自分は愛の狩人・ロベルト=グランツェ。お見知りおきをレディ」
一見すると礼儀正しくも見える賢者様だが、その目はチョモランマ如きマリィさんの胸部パーツに釘付けで、
マリィさんも位置的に自分からは見えないながら、女性特有の鋭い勘でその不躾な視線に気付いたのだろう。
蔑むような視線を軽く下げた賢者様の頭頂部に落としたかと思いきや、そのまま僕に『本当に何者ですの?』と、不機嫌な視線をパスしてくる。
「えと、はい。確かにこの方は、とある世界で〈東方の大賢者〉なんて呼ばれている偉い人らしいです」
心の中で、一応――と付けながらもした僕の紹介に、マリィさんはあからさまに疑わしげにしながらも、嘘や冗談で僕がこんなことを言わないだろうと、本当に残念だと言わんばかりの色を瞳に湛え、気が乗りませんわ。そんな声が聞こえてきそうな重い息を吐き出し、言う。
「私はマリィ=ランカーク。現在、自宅軟禁中のしがない【地方領主】ですの」
「ん!?」
優雅にスカートをつまみ上げるマリィさんに、賢者様は、ちょっと意味が分からない。そんな一音を漏らしてしまう。
だが、それも当然の反応なのかもしれない。
なにしろ、地方領主でありながら自宅軟禁中、しかも、このアヴァロン=エラにはやって来ているなんていう自己紹介は、普通に考えたら矛盾だらけのものなのだから。
だが、マリィさんは何一つ嘘は言っていない。
お家騒動から正当な【姫】という肩書を剥奪されたマリィさんだが、周辺の人間の思惑から、今もそれなりの領地と発言力を有しているといる。
だがそれは、あくまで、マリィさんの力を疎む側、すがる側、マリィさんを除く全ての関係者による妥協の産物のようなもので、僅かな領地を預けて丁重に扱っているように見せるポーズでしかないらしいのだ。
そう、マリィさんは自分以外の権力者が望む微妙なバランスでの探り合いの結果、多少の自由という皮を被った不自由な現状に留め置かれているのだ。
そして、そんなマリィさんが何故このアヴァロン=エラにやって来られるのかというのは、その軟禁状態にされている城そのものが深い堀に囲まれており、外部からも内部からも難攻不落の城塞であるが故の監視の無さと、軟禁されている城の隠し部屋で見つけた〈遠身の姿見〉のおかげなのだという。
とまあ、ほんの些細な自己紹介から、そんなマリィさんの裏事情に気付けと賢者様に言うのは無理な話というものだろう。
だからではないが、賢者様は持ち前の軽薄さからすぐに気を取り直して、懐から二つのグラスと酒瓶を取り出すと、
「レディ。この出会いを祝して乾杯といきませんか?」
というか、あの酒瓶をどうやって出したんだろう?魔法じゃあないみたいだけど、空間系の魔導器とかかな? じゃなくて――、
「駄目ですよ賢者様。ウチのお店はお酒厳禁です。それにマリィさんは未成年ですからお酒はダメでしょう」
「ちょっと待て虎助少年。未成年って――、レディ。お幾つかお伺いしても」
目の前で展開した光景につい興味が先走り、ワンテンポ遅れた僕のツッコミに賢者様が声を割り込ませてくる。
まあ正直、マリィさんの国に未成年という概念が存在するのかは不明だが、それよりも問題なのは賢者様がした質問だ。
僕の母さんが言うには『女性の年齢を聞くならその者は死を覚悟しなければいけない』のだという。
そんな質問を平然と口に出してしまった賢者様は、僕から見ると単なる自殺志願者にしか見えなかったのだ。
しかし、今回ばかりはマリィさんの若さに助けられたようだ。
「十六ですの」
「ちょ待――って、つか、その体で十六とか嘘だろ!?」
気負いもなくマリィさんが言った年齢に、賢者様が不躾なセリフを口にする。
僕の世界では、僕やマリィさんと同年代でグラビアアイドルやってるなんて人はザラに居る。
さすがにマリィさんレベルのプロポーションの人となるとそうそういないのだろうが、全く居ないいうわけではない――と思う。
だから、そこまで驚くことでもないと思うのだけれど……。
僕が賢者様のリアクションに若干的外れな事に考えていると――、
「嘘だと思うのなら〈調査〉でもかけてみてはいかがです。初級程度で得られる情報なら、私も目くじらを立てませんの」
マリィさんの言う〈調査〉という魔法は、理術系統の初級魔法でありながら、熟達した魔法使いが使えばありとあらゆるデータを数値化できるという、どこかの地上げ屋宇宙人が標準装備する片眼鏡も真っ青な性能を持ち、魔法世界において身分証明などに重宝される魔法である。
そんな魔法の性質から、〈調査〉を使っても構わないということ即ち、自分が口にした情報に虚偽がないということの証明でもあるという。
まあ、敢えてそう言うことによってハッタリを利かせる場合もあるそうだが、
マリィさんの性格上、そんな小細工などする筈が無く。
しかし、賢者様としては事の真偽はともかくとして、マリィさんが自称する何気ない情報こそが、ことさら重要なものだったみたいだ。
「なんだガキかよ」
瞬間、作り込んだジェントルマンの顔を崩した賢者様はチッと舌打ち混じりにそう吐き捨てると、あからさまにがっかりした様子でカウンターに座り直す。
うわぁ。分かりやすく最低だ。
と、ストライクゾーン以外の女性はお呼びじゃないというこの態度にカチンときたのはマリィさんだった。
「貴方こそ、お何歳ですの?精神年齢は随分と幼いようですけど」
「二十五だよ」
売り言葉に買い言葉、特に考えもせずに放ったと思われる質問に意外な答えが返ってくる。
「にじゅ――」「ごっ!?」
「ん、どうしたんだ?」
「いえ、思っていたよりもお若くてビックリしてしまいまして、僕も賢者様のことをもっと年上なのかと思っていましたから」
見た目からして四十前後じゃないかと見積もっていた賢者様がまさか二十代だったなんて――、
僕達のリアクションを訝しんだ賢者様に答える。
二十五歳の男性を捕まえてその考えは失礼かとも思ったが、割りと動じない性格をしていると自覚している僕も、これには驚いたのだから仕方ない。
しかし、そんな僕の迂闊な発言はまだ軽いジャブだったみたいだ。マリィさんから止めとばかりの辛辣な一言が突き刺さる。
「老け顔ですの」
あまりにもあけすけなその一言に、今度は賢者様の方が固まってしまう。
だが、そこは軽薄が服を着て歩くような賢者様のこと、数秒で立ち直ると、
「は、はんっ、嬢ちゃんみたいなおぼこいガキには俺の魅力なんて分かんねえんだよ」
この『おぼこい』いう言葉の翻訳はどうなっているのだろう。つい余計なことを考えてしまう僕の隣で、なんですって――と、マリィさんがその優雅な金髪ドリルを逆立て荒ぶって、
「ハァン?たかだか年齢一つで態度を変化させるような、器量の小さい貴方のような男のどこに魅力がありますの?」
うわぁ。鋭いツッコミだ。
「フ、フンッ、俺の渋さが分かんねえなんて体は大人に見えても所詮は子供だな。ちょっと言われたくらいですぐキレるなんざあ――なっちゃいねえぜ」
賢者様もムキになっているように見えるんですけど――なんて指摘はしない方がいいんだろうな。
「こちらこそ、貴方のような俗物に私の素晴らしさが分かってもらえるとは思いませんの」
「素晴らしさぁ?ンなもん胸のデカさ以外ねえっての。なあ、虎助」
そんな話を僕に振らないでくださいよ。
急に振られた話の内容に、思わず逸してしまったのが、またマリィさんを怒りを煽る結果に繋がったのかもしれない。
「くっ、虎助の好みは関係ないでしょう。虎助の好みは――、本題は貴方が理想とする女性でしょう。まあ、どうせ、貴方の理想の女性なんて碌でもないものなのでしょうけれど」
「言ってくれるじゃねえか……いいだろう。俺が求める最高の女、それをいまから教えてやんよ」
と、これは光系の魔法だろうか。賢者様が懐から取り出した携帯電話のような薄い板を一撫で、魔力を流したかと思いきや、僕達の中心にホログラムのような映像が浮かび上がる。
マリィさんが目を見開いて驚いているのは、その近未来的なホログラムが原因か、それとも空中に浮かんだ複数の女性が原因か。
と、そんな僕やマリィさんの驚きを置き去りに賢者様が話を続ける。
「ふふん。見ろ、これが俺が今迄に集めてきた理想の女性モデルだ。けどな、見た目だけじゃあそこの嬢ちゃんと変わらねえ。俺が求めるのは内面だ。具体的に言うのなら、どこまででも男に都合の良い包容力。だが、ただ媚びるだけじゃいただけねえ。適度に拗ねて、しっかり甘えさせてくれる、それが適度に出来なきゃダメだな。そんで最後にいちばん重要なのが、その女が処女だってことだ」
「処――」
恥ずかしげもなく垂れ流された妄想の最後、突然飛び出したセクハラまがいの発言に動揺するマリィさんを見て、ここが好機と賢者様が口端を吊り上げる。
「おやおや、白馬の王子様を夢見るようなお姫様にはちょっくら過激だったか?」
鼻で笑い、決めの一言。
「お子ちゃまだな」
いや、賢者様も大概子供みたいな性格をしていると思いますよ。
というか、賢者様の理想を完璧に満たす女性というのは、それこそラブコメ漫画――いや、残念な友人の大好物であるエッチな漫画に出てくるようなキャラクターでも限り無理なんじゃないだろうか。
まあ、だからこその錬金術なのだろうが……、
「ま、そういう訳でだ。このアダマンタイトだけどよ。少しでいいから売ってくんねえか?」
そして、もはや次の言葉も出てこないといったマリィさんに、勝った――とばかりにニヤリと嗤った賢者様は、そう言って話を打ち切ると、満足げな表情のまま振り返り、何事もなかったかのようにマリィさんが来店前にしようとしていた商談を始めようとする。
そのあまりの落差に呆気にとられてしまうマリィさんだったが、その会話の中に出てきたとあるワードが、停滞に捕らわれかけたマリィさんの意識を強く刺激したのだろう。
「アダマンタイトですって」
アダマンタイトという言葉に、ロムカセット仕様のコンピューターゲームのような素早い再起動をしたマリィさんは、鬱陶しいとばかりに賢者様を押し退けて、カウンターの上に置いてあった巨大な蟹殻にがぶり寄ると、
どこぞの古美術鑑定人のようにアダマンタイトの蟹殻をノックしたり、〈調査〉を使ってみたりと、それが本当にアダマンタイトなのかを確認しようとするものの、相手は伝説の金属、しかも初見というのなら、いくら色んな武器を見てきたマリィさんといえど真贋の判断が付かなかったのだろう。最終的に僕を見上げて「本物ですの?」とすがるように聞いてくる。
と、僕がその必死さに若干引きながらも頷くと、マリィさんはその瞳に宿していた不安を、うっとりとした恍惚に変えて、その瞳が写し込む紅い蟹殻を慈しむように白魚のような指先で撫で回す。
一方、賢者様は、口説きから始まり、口喧嘩に、そして現在と、めくるめくマリィさんの変化を目の当たりにして戸惑いながらもこう訊ねてくる。
「どうしちまったんだこの嬢ちゃんは」
「マリィさんはちょっと心配なくらいの武器マニアなんですよ。やっぱり素材の方にも興味があるんじゃないでしょうか」
「勿論ですの。素材が無くてはいい装備は作れませんものね。そもそもですの。アダマンタイトというものはですね――」
賢者様からの心配に僕が答えていたところ、いつものウンチクが炸裂する。
と、そんなマリィさんに、僕は申し訳ないとは思いながらも、
これは長くなりそうだ。ということで、適度に相槌を打ちつつ、その内にと、これからする賢者様との商談に向けてちょっと確認すべく、ベル君に話しかけようとするのだが、
「聞きなさいっ!!」
ちゃんと聞いていると思われていなかったのかマリィさんが声を荒らげる。
けれど、僕としてはお客様をないがしろにするつもりなどない。
「聞いてますよ。アダマンタイトがいかに希少なものかですよね」
「さすがだな少年は――、で、どうなんだ?」
賞賛と共に確認を送ってくる賢者様に、待ってください。僕は思案するように視線を斜め上へと向けて、
「大丈夫みたいです。でも、鉱石の状態とはいえ希少素材ですからね。かなり高い値段設定で――同重量の金貨×5の取り引きだそうですが、どうしましょう?」
「高っけえな。けど、モノがモノだけにしゃーなしか。俺んトコじゃほぼ手に入らねえ素材だからな」
僕の提案に賢者様は頭をボリボリと困ったようにしながらも、後は分量の問題かとなったその時、マリィさんが口を挟んでくる。
「アダマンタイトなんて賢者が何に使うのです。私の世界では上位錬金術師の事をそう呼ぶ敬称ですが、だとすると、むしろアダマンタイトを作る側なのではありませんの?」
各世界によって【賢者】と呼ばれるその意味に多少の違いはあれど、今回はマリィさんの認識で合っている。
賢者様がその肩書で呼ばれるようになったきっかけが、幻と歌われた魔法薬の練成なのだというのだから間違いないだろう。
しかし、賢者様が錬金術師として行う研究はその先のステップに進んでいて、
「そりゃ、骨格のコーティングとかに――てか、嬢ちゃんの世界じゃ普通にアダマンタイトが作られてんのか?」
アダマンタイトの骨格なんて、どっかで聞いたような話だけど、賢者様の場合は手に入れられる量からして、メッキや各関節なんかの補強材として使うのだろう。
「伝説にそのような記述があるだけですの。そもそも高位の錬金術師でミスリルを作るのが精々というくらいですから、アダマンタイトの制作など夢のまた夢といったところですの」
僕のイメージでは、マリィさんが暮らす世界はハイファンタジーとかそういうジャンルに分類される世界である。
とするなら、ドラゴンなんかも普通にいるのかもしれなくて、アダマンタイトの蟹殻を見た時に賢者様がしてくれた話から、マリィさんの世界でもアダマンタイトも取れるのではないだろうか。
しかし、現実には中々難しいみたいだ。
そもそも、ドラゴンが存在していたとしても、最強生物と言われるドラゴンの血を手に入れることは容易では無い。
だとすると逆に、例のアダマンタイトの殻を持つ蟹はどうやってドラゴンの血を手に入れたかという疑問に繋がるけど、現地を調査できない以上、いくら考えたところでそれは机上の空論にしかならないだろう。
マリィさんと賢者様の会話をきっかけに、僕がどんどん思考を脱線させる一方で、マリィさんは賢者様がポロリと零した言葉の方が気になったみたいだ。
「しかし、骨格ですか……、ロベルト、貴方は一体なにを作っていますの?」
あれ?これは少しマズイ流れかな。
「賢者様はいまゴーレム作りに傾倒していて、材料を買いにここに来るんですよ」
およそ錬金術士とは関わりないようなワードを突っ込まれ、ああ、それはだな――と、言葉を濁そうとする賢者様に僕が助け舟を出すのだが、ゴーレム作りとは仮の言葉、本来の研究が研究だけにあまり女性に知られたくなかったのだろう。
「と、とにかくよ。先に取り引きを済ましちまおうぜ」
「ちょっとまって下さいまし」
ややも強引に話を進めて誤魔化そうとする賢者様。
だが、マリィさんはその言葉にストップを掛ける。
走る緊張。しかし、マリィさんが強引な話題転換を止めたのは、賢者様に対する追求の為ではなくて、
「おの、私にもアダマンタイトを譲って欲しいですが……」
何だそんなことか。と胸を撫で下ろす賢者様。
「まあ、それなりに量がありますから大丈夫ですけど――、マリィさんこそ何に使うんです?」
午前中にやって来たお客様が置いていったアダマンタイトの蟹殻は、大きなシャコガイくらいありそうな固まりに足が数本と、二人に譲る分は充分にあるのだが、
アダマンタイトとは魔法金属の中でも最も硬いとされる金属である。
いくらマリィさんが重度の武器マニアだとしても、軟禁中の人が製錬前の鉱石を手に入れたところで加工できず、あまり意味が無いのではないのか?そう思って訊ねてみると、
「……サ、サンプルに欲しいのです」
うん、何も考えてなかったみたいだね。ただ欲しいというだけで手を上げてしまったらしい。
まあ、こんな場所でもなければ、アダマンタイトなんて一生に一度見れたらいいってくらいの金属らしいから、手元に置いておきたいというマリィさんの気持ちも分かるけど。
「では、マリィさんは金貨一枚と一欠片、IDタグのようにカットすればサンプルとしても装飾品としても使えそうですから、それでいいですか?これなら後で加工するにも都合がいいらしいですからね」
「カットって、虎助。アダマンタイトは硬さだけなら既知の魔法金属の中で最高ですのよ」
「いや、そこはほら――、アダマンタイトはアダマンタイトで切れますから」
「そんな方法が――」
マリィさんとしては既にある状態の欠片のどれかを、それに応じた金額で譲ってくれる――そんな風に考えていたのかもしれない。僕が言った加工方法に驚きの声をあげる。
しかし、こういった高硬度の素材加工法はわりとポピュラーだと思うんだけど、案外、魔法や錬金術が発達した世界だと思いつかない方法だったりするのだろうか。
マリィさんの反応からそんな風に思ったりもしたのだが、同じ魔法世界の側である賢者様はそうでもないご様子だ。
まあ、賢者様の住む世界は、普段の身なりからして、中世に近い雰囲気を持つマリィさんよりも僕達の世界に近い――もしくは、それよりも発展した文化・技術がある世界なのかもしれないことが伺える。
科学知識というか、高度な錬金知識とかいう意味合いで知っていてもおかしくはないだろう。
「じゃあ、マリィさんの方はそんな感じでいいですかね。で、賢者様の方は買えるだけとのことですが、支払いはやっぱり――」
「面倒だし委託の方でな。売り上げはどれくらいの額になってる?」
その声を受けてベル君が賢者様の依頼にそった査定のフキダシを浮かべてくれる。
しかし、表示された査定を読む前に、再びマリィさんの手が挙がる。
「虎助、委託とはなんのことですの?」
「実は賢者様にはこの万屋で売る魔法薬の一部の作成をお願いしていて、その資金がプールしてあるんですよ」
そんな説明にマリィさんは「そのような販売方法もあるのですね」と、感心したように腕組みをして、
「私、ポーションなどの魔法薬はこの万屋で作っているのだとばかり思っていましたの」
「エリクサーとか貴重なものはオーナー自ら作っているんですが、ポーションなんかはオーナーが面倒――じゃなくて、逆に材料が手に入らなくて賢者様に任せているんですよ」
ポーションなどの魔法薬には、魔素と呼ばれる魔法の元となるエネルギーを溜め込んだ薬草が必要となる。
しかし、店の外の赤茶けた荒野を見て分かるように、このアヴァロン=エラでは薬草の類などが全く収穫できない。
魔素そのものは大量にあるのだから、土壌を改良して栽培できれば安定供給も可能だろうが、資金的にも人材的にも、そして技術的にも、まだそこまで手が回らないというのが現状だ。
「というか、何か、今――本音のような言葉がチラリと漏れましたけど」
「オーナーくらいの腕ともなるとポーション作りは面倒この上ない作業らしいです」
材料が入手できないというのが一番の理由だが、たとえ入手できたとしても作ってくれるかはオーナーの気分次第、それでは店の商品として成り立たないのだ。
「そうですわね。エリクサーを作れる程の技術を持つ方からすればポーションなど、どこぞのエセ賢者に任せたいと思うものなのかもしれませんの」
「くっ、言いたい放題言いやがって」
「ま、まあ、僕もベル君達の為に錬金術を覚えてみたいとは思ってるんですけど、なかなか機会がなくて」
「私が教えてさしあげましょうか」
会話の中にさり気なく毒を入れてくるマリィさんに賢者様が呻くように呟き、そこに僕が割って入ったところ。何気なく口にしたその内容に、マリィさんから嬉しい申し出がなされる。
しかし、そんな申し出に賢者様が反発する。
「オイオイ、止めてくれよ。営業妨害だっての」
一番の売れ行きであるポーションが万屋からの販売になれば現金収入がガクンと下がってしまう。賢者様の文句も至極当然だろう。
しかし、それらなそれで、ここで仕入れた希少な素材を賢者様の世界で転売すればいいのではないか?
日々この世界に迷い込む物品や魔獣、その死骸から取れる素材で溢れかえる万屋のバックヤードを思い浮かべてそんな皮算用をするのだが、それはまたオーナーに相談してからでもいいだろう。
なにはともあれ、まずは目の前の取り引きからだ。
改めてベル君が表示したフキダシを確認すると、
「今月はお客様が少なかったものですから金貨一枚に達していませんね。残っている金額と合わせて、だいたい金貨十枚ですか。それですと、購入できるアダマンタイトの蟹殻は硬貨二枚程度の大きさにしかなりませんけど……」
申し訳なさそうに伝えたその査定に、賢者様は「マジかよ」と肩を落とす。
賢者様の落胆も尤もだろう。金貨に使われる金の質にもよるのだが、金貨一枚を僕の世界の価値に換算するならおよそ十万円前後、金貨二十枚ともなればざっと計算しても二百万を超える金額になってしまうのだから。
それだけのお金を費やして、手に入れられるアダマンタイトが、まだ未加工の状態、更にコイン二枚程度の大きさともなれば、肩の一つも落としたくなるというものだ。
「すいません。希少金属ですので金額もそれなりになるんですよ」
「それはこっちも承知の上だからな……」
しかし、それもでも手に入るだけまだマシというものだ。そもそも他の場所でアダマンタイトを購入しようと思っても、伝説の金属なんて手に入る訳がないと鼻で笑われるのがせいぜいで、よしんば取り扱っていたとしても、個人取引が出来るようなものではないのだから。
と、全てが各人の思い通りにとはいかなかったものの話がまとまったところで、賢者様とマリィさんに渡すアダマンタイトを切り出す作業に取り掛からなければなるまい。
とはいっても、さすがに店の中でアダマンタイトを切り出すという訳にもいかないので、ベル君に頼んで万屋の裏にある工房エリアで加工してきてもらう訳だが、
そんな空いた時間に、マリィさんが気になっていたのだろう事を聞いてくる。
「そういえば、万屋の魔法薬はほぼこの男に任せているとのことですが、どんな魔法薬を扱っていますの。私、知りませんの」
もう半年近くもこの万屋に出入りしているというのに、魔法薬のラインナップを知らないなんて、
それだけ聞くと、本当に常連客なのかと疑いたくなるセリフだが、マリィさんは基本的に武器や防具のコーナーにしか興味を示さない。ただ通り過ぎるだけの店に並ぶ魔法薬の品揃えなんて詳しく知らないというのは当然なのかもしれない。
僕は座る上がり框の更に奥、この万屋の元持ち主が使っていた生活用品が詰め込まれた部屋の片隅に、積み重ねられた在庫の中からストックしてあった幾つかの魔法薬を取り出して、カウンターの上に並べると、
「えと、賢者様から下ろしてもらっている魔法薬は、右から――ポーション、マナポーション、万能薬、活力薬、性機能治療薬、透明薬、媚薬、となります」
順々に説明していくのだが、その説明が左へと移っていく度にマリィさんの瞳から光が失われ、そこに宿る温度が急降下してゆき、
「因みに一番の売上はポーションです」
「当たり前ですの。こんな下品な魔法薬が売れるなんてあり得ません」
「ちょっと待てお嬢、最初の二つ以外の魔法薬もちゃんと売れるんだぞ。覗きや惚れ薬ってのは男のロマンなんだよ」
マリィさんの言わんとすることも分からなくもない。だけど、賢者様が熱弁も間違ってはなくて、
実はこのちょっと怪しげな魔法薬は売れていたりするのだ。
しかし、その用途は賢者様が思い描く本来の使い方とは違ったもので、
「えと、売れているのは透明薬です。魔獣から逃げるのに便利だと評判で、こっちは正規商品にいれてもいいかなってオーナーが言ってました」
もう、これは何を言っても無駄だろう。
開発者の思惑から外れて真っ当に使われる魔法薬に、マリィさんから放たれる視線の温度が更に低下、そのイメージは原始的な魔法となって店内に影響を与え始める。
その後、IDタグのように加工されたアダマンタイトのプレートが届くまで、まるで厳冬の屋外にいるような冷気に晒され続ける僕と賢者様だった。
【東方の大賢者】……名誉実績。
【賢者】……魔法と錬金を極めし者。
【地方領主】……名誉実績。
〈防人の大鎮守〉……ロトスネシアという地方に存在する樹海の大迷宮。マングローブで形成される。
〈アダマンタイト〉……竜の血液が鉄と結合することで生み出される魔法金属。凄く硬く、魔力を通し難い。加工方法によってその強度は変化する。今回の蟹殻の場合、アイアンクラブという殻が金属の蟹型魔獣が樹海の奥底で傷を癒やしていた竜から流れ出した血液を体内に取り込んだことによって生成された。




