●暗がりを歩き続けてきた男の今――
◆少し時間が遡ります。
雪深い斜面を歩くのはトレシュ。かつてルデロック王国において影を務めていた人物だ。
そんな彼が雪が降り積もる山の奥に分け入ってなにをしているのかといえば、ガルダシア領内の警備と狩りだった。
彼は現在、ガルダシア城のメイド長・トワの下で以前と同じような仕事を任されているのだが、そうした仕事が常にあるというわけもなく。
役目がある時以外はこうしてガルダシア領にあるポッケ村で警備兵兼狩人として過ごしていた。
さて、そんなトレシュの下に一匹の蝶が飛んでくる。
これは魔力で作られた幻影のようなもので、同行している弟子達が獲物を仕留めたことを知らせるものである。
トレシュは指に止まった蝶を解き放つと履いていたブーツに魔力をまとわせ、蝶を追いかけ雪上を走り出す。
この靴はメイド達の教育を受けた後、活動を再開する際に与えられたマジックアイテムの一つであり、平地を走るように新雪の上を走ることができるのだ。
木々の間をすり抜け、弟子達の下へと向かうトレシュ。
すると、しばらくして大きな熊が倒れているのを発見。
周囲には少年二人、少女一人が佇んでおり。
その中の一人がトレシュの姿に気付くと彼に向かって大きく手を振り。
「師匠、こっちこっち」
「マーダーベアの宿無しか、よく仕留められたな」
ぎこちなくも少年の頭を撫でるトレシュ。
宿無しというのはこの時期に冬眠していない熊を指し示す言葉になるが、この場合の宿無しは魔獣化してしまった熊であって、三対一の数的優位があったとしても下手をすれば兵士でもやられるような相手であり、それをこの少年達は三人で仕留めてしまったのだ。
「へへん、どんなもんだい」
「ちょっと止めを刺したのはアタシでしょ」
末恐ろしい子供達だとトレシュは少年たちの反応に内心で驚きつつも、子供達に熊の処理を促す。
「ほらほらさっさと解体しろ、血の匂いを嗅ぎつけて獣が寄ってくるぞ」
「「「はーい」」」
すると、子供達は水と城下の魔法を巧みに使って、熊の血抜きを手早く行い、売り物になりそうな皮を剥いでいくのだが、討伐の際に付けた傷が大きく、皮を剥ぐのに失敗してしまったようだ。
「うわっ、腕のところが切れちゃった」
「仕方がないよ。僕達の力だと関節狙うしかないから」
子供達がワイワイと解体を進める一方で、周囲の気配を探っていたトレシュが瞬間的に身構える。
「お前等、解体はそこまでだ」
「魔獣ですか?」
少年達の素早い理解は日頃の訓練の賜物だろう。
「こいつは群れで来てるな」
「ホワイトウルフとかだったら最悪~」
群れで行動するといえば、まず狼系の魔獣がその筆頭に上がるだろう。
少女の言葉はその事実を踏まえてのものであったが、嫌な予想というのは得てして当たるもので。
「結構大きな群れだな」
「師匠、どうします」
「熊肉を餌に逃げるぞ」
「じゃあ、毒を仕込んでおきますね」
「それよりも時限発火で巻き込んだ方が簡単じゃね」
「バカ、木に燃え移ったら大変でしょ」
「けどよ。これだけ雪があれば燃え広がらないんじゃ」
少年たちの緊張感のないやり取りを見て、こういうところはまだまだ子供だとトレシュは内心で苦笑しつつも、子供達の尻を叩き、罠を仕掛けると近くの樹上に分散して避難。
しばらくすると狼がやってきて――、
冬の間は獲物の確保が難しいのは人間だけではないようだ。
多少の警戒心を残しつつも、すぐに肉に食らいつき、そのまま二度と目覚めぬ眠りに落ちてゆく。
「よっしゃ完璧」
「一網打尽でしたね」
「まだ残りがいるかもしれない。すぐに離れるぞ」
「じゃあ、浄化だけかけて――」
あり得ないことだと思われるが、もしも放置した狼を誰かが食べようとしたら大事だ。
少女が浄化の魔法で毒を無害化。
マーダーベアの皮だけを持って村に戻ると、なにやら入口に人垣が出来ており。
急いで駆けつけてみると、そこで子供達は覚えのある大柄な女性の姿を見つけ、思わず声を上げてしまう。
「あっ、前に獲物を運んでくれたお貴族様だ」
これに驚くのはトレシュである。
彼は前職の関係上、トレシュはシルビアがどういった立場の人物なのかを知っており、子供達の態度が無礼に当たらないかと気が気でなかったのだ。
しかし、それはただの杞憂でしかなく。
「お前達は――、トンネルを出たところであった子供達だな」
「うん、今日は師匠と一緒に村の周りを見回ってたんだ」
「おっきな熊の魔獣を倒したんだよ」
そう言って、腕のない熊の毛皮を自慢気に広げる少年に柔らかな笑みを向けるシルビア。
ただ、その目線がトレシュに向けられると一気に鋭いものへと変化して――、
その迫力に思わず後退るトレシュ。
しかし次の瞬間、別の方向から声がかかる。
「シルビア様、いかがなされましたか」
間に入ったのはこのポッケ村の取りまとめを任されるメイド――リシアだった。
「リシアか……、
いや、そこの彼が子供達の師匠と聞いてな」
「そうでしたか、
彼は領内で保護をした人物でして、もともと山向うで猟師をしていたようなので、せっかくだからと子供達の面倒を見てもらっているんですよ――ねぇ」
場の空気から、状況を察したのだろう。
リシアがフォローするようにそう言うと、シルビアからトレシュに注がれる視線が一転、気の毒そうなものへと変わり。
「成程それは――、
そうだな。だったら村の案内はこの子供達にしてもらおうか」
「よいのですか」
「この村には特別な訓練施設があるのだろう」
「そうですね。視察をするならあそこがいいですか」
シルビアの提案にリシアは思案顔を浮かべながらも最終的にはシルビアの性格を鑑みて了承。
かたや、一人取り残されたトレシュは早くこの場から立ち去りたいと小さく手を上げ。
「じゃあ、俺はここで」
「うむ、お主も大変だろうが頑張るのだぞ」
労るようなシルビアの返事になんと応えればいいか戸惑うトレシュであったが、とりあえず「ありがとうございます」と無難な言葉を返して、その場を立ち去ろうとしたところ、その肩リシアに掴まれ。
「トレシュ、アナタいま逃げようとしましたね」
首筋がゾクリとするような声が耳元で囁かれる。
振り返るとそこに居たのは、ただ微笑むばかりのリシアであって、
「臣下を見捨てて逃げようとするとは、まだまだ教育が足りていないようです。鍛え直しですね」
その後、彼がメイド達に無茶苦茶しごかれたのは言うまでもないだろう。




