毛の話
◆時系列的には少し前のお話になります。
それは遅れて店にやって来た元春と玲さんの何気ない会話から始まった。
「今日も遅かったわね。また呼び出し?」
「違うっすよ。今日は床屋に行ってたんす」
「部活とかでもないんだ。
てゆうか、あんたその頭って美容院でやってもらってるの?」
「近所の床屋っす」
「ううん、そういうことじゃなくって、
あんたのその頭、自分でやってると思ってた」
「自分でもやるんすけど、やっぱプロは仕上がりが違うんすよね。
あと、顔剃りとか気持ちいいじゃないっすか」
ちなみに、元春が近所の床屋さんに行く理由は他にもあって、この時期のセルフカットは寒いからという理由が一つ。
あと、床屋に行くと千代さんから散髪代が出て、その余りのお金で帰りに近所の肉屋のコロッケやメンチカツなどが食べられるからということがもう一つの理由になるのだが、玲さんやマリィさんがそんな裏事情があるなど知る由もなく。
「その顔剃りというのはなんですの?」
「床屋さんが顔を剃ってくれるんです」
「それが気持ちいいというのはどういったことですの」
「滑らかな温かい泡をこう――モタッって塗ってくれて、ごっついカミソリで顔の産毛とかを剃ってくれるんすけど、これがまたスッキリするんすよ」
たしかに、床屋さんの顔剃りはまさにプロならではの仕事で、顔剃り後の爽快感は他で味わえるものではなく。
「そういうものあるんだ」
「玲っちはやったことないんすか」
「普通やらないでしょ」
玲さんが顔剃りを体験したことがないのは、普段から美容室に通っていたからだろう。
「言われてみれば、二人とも顔周りを綺麗にしてるかも」
そして、続く指摘については、僕がもともと髭が薄いということもあるのだけれど、元春の場合はまた違った事情があって、
「そりゃ、ここの薬があるっすから」
「ここの薬?」
「玲っちは万屋の除毛剤を使ってないんすか」
と、マリィさんは元春の言っている薬がなんなのかを理解しているようだが、玲さんには心当たりがないようで、
「あ、玲っちもしかしてパイ――」
元春が迂闊なセクハラ発言を口にしようとして光線が閃き、玲さんの鋭い視線が僕に向けられる。
「ガルダシアのメイドさんや魔女の皆さんに人気の薬です。
除毛だけでなく、肌も再生するようになってますから」
「そうなの?」
「はい。メイドさんからの依頼で、美容品に魔力付与したらどうなるのかを調べる中で見つけたんです」
「ちょっ、それ聞いてないんだけど」
「言ってないからね」
元春がなにを想像しているかはわからないが、これに関して個人の特定を行う行為は、その寿命を確実に縮めることになるだろうから、誰かから頼まれたという細かな言及はあえて避けるとして、
「そういうのもあるんだ。使ってみようかな」
でしたら直ぐに用意しますね――と僕が元春の追求を無視して話を進めようとしたところ。
「いやいや無理すんなし」
まったく元春には学習能力というものがないのだろうか。
いや、メイドさんの件を深堀りしなかった判断を鑑みるに、相手によっては危機感知能力が働いていると思われるが、玲さんに限ってみれば、そうした気遣いはピクリとも反応しないようだ。
無遠慮な割り込みをかけた元春に本日二度目の制裁が下され。
「でも、そんなの強い薬だと間違って髪の毛とかについたら大変そうじゃない」
「あら、あの薬なら髪についても問題はなかったのではありませんの」
これに関してはマリィさんの行っていることが正解で、魔法の除毛剤の脱毛の範囲は使用者の意識一つで変えられるようになっていた。
「なんか理不尽」
「魔法の薬ですから」
と、ここまでの話から何か思いつくものがあったのか、ここで玲さんが自分の傍らで横たわる坊主頭を見下ろし。
「じゃあ、例えばここでわたしが元春の頭にその薬を塗ったら、この坊主頭がツルピカになったりするの」
「いえ、どうもこの薬はしっかりそういう部分はフォローしてくれているみたいで――」
と、僕はカウンターの下から実際に魔法薬を取り出し、それを玲さんにパス。
「ふーん、別に塗っても変わらないんだ」
「ちょちょちょっ、やらないっすよね」
ここまでの一連の流れに元春が慌てて身を起こし。
「だけど、そういう薬ならめちゃくちゃ売れるんじゃない」
実際、その魔法薬は気になる部分をツルツルに処理をするのと、その後のケアにかなり有効な効果を有しており、かなり有用な薬であると言えるのだが。
「ただ、さっきも言ったんですけど、この薬は市販の商品にちょっと魔力を付与しただけですから」
「そういえばそうだった」
それは所詮、他社の商品に魔力をちょっと足しただけのものであるからして、万屋でこじんまりとうるのなら問題はないのだろうが、大々的に売り出すのは気が引ける商品であるのだ。
「でも、そう言ってる割りには、ここでもそういう薬は見かけないんだけど」
「他に優先すべき商品がありますから」
万屋はもともと解体される筈だった駄菓子屋を改造した店舗なので、並べられる商品の数にも限りがあり、いくら人気の商品でも客層が限定的とあらば店頭に並べるのは難しく。
「まだ、わたしが知らない商品とかありそうね」
「頼まれて作ってるものもありますから」
例えば、いま話していた除毛クリームがそういったものであり。
最近は常連の皆さんからの薦めもあって、宿泊施設で売っているシャンプーや石鹸などの他に化粧水みたいなものも出してはいるものの、それ以外は魔法窓から見られる万屋の広告で紹介されているだけだと、玲さんに魔法窓限定で美容品を紹介しているページを開いて見せたところ、玲さんは目を皿のようにして。
「めちゃくちゃ気合が入ってない」
「次郎君が頑張ってくれたんです」
ちなみに、この商品紹介ページの作成には次郎君の他にも色々な人の手が入っており。
「あら、ティアラが売れていますのね」
「近々どこぞの侯爵家で結婚式が開かれるらしくて、アムクラブからのお客様が買っていきましたよ」
「そういえば、ここのアクセサリってマリィがデザインとかしてるんだっけ」
マリィさんには武具の設計をする傍ら、アクセサリのデザインもしてもらっていて、魔法式を付与して売りに出しているのだ。
「だけど、売れ筋が毛生え薬とか精力剤って……」
「定番っしょ」
ちなみに、こういった商品は元春と賢者様のプロデュースで、
最近では調味料よりこちらが優先されることが多くなってきていた。
「化粧品の扱いって思ったよりも小さいのね」
「ここまで来るお客様のほとんどが男性ですから、買ってくれる人がどうしても少なくて」
貴族からの依頼を受けて、アクセサリを買っていくという探索者のお客様は増えてはいるが、美容品はまだまだといった状況で、
「たしかに、ここの立地を考えると、そうなっちゃうのも仕方がないっか」
「その分、常連の皆さんからの注文は多いんですけど」
「ま、玲っちには関係ないわぎゃっ!?」
元春が三度玲さんの制裁を浴びたところで、マリィさんから玲さんに「私達はまだまだトワのようにそういったお薬の必要はありませんの」という、ちょっと際どいフォローが入り。
将来の為にはそういったものを試していくのも悪くないと、その後、魔王様も含めた三人は幾つか美容品のサンプルを試すことになるのだった。




