●赤いマンドレイク
その日、赤い薔薇の一同は、シフィルド家が誇る大食堂でパトロンの一人であるユザーンに自作のカレーを振る舞っていた。
「悪くはないが、ルーから作るものと比べればまだまだといったところか」
「ルーはあちらの商家が研鑽を重ねて、最適のものとして売り出しているものですから、
なによりスパイスの数が足りません」
「成程、これ以上は地道な調査と料理人の研鑽にかかっているということか」
自作したカレーの評価に始まり、その作り方――、
そして、今後の工夫と話を勧めたところでユザーンは口元をナプキンで綺麗にし。
「あいわかった、晩餐の前に面倒をかけたな。後は食事を楽しもう」
今回の旅で得られた成果の一つとして赤い薔薇が作ったカレーの試食をしたのだが、本来この場は依頼を達成した赤い薔薇を労う場である。
その為の料理はまた別に用意してあるのだと、ユザーンの合図で運ばれてきた料理に、赤い薔薇の面々は舌鼓を打ち。
「しかし、今回はまた面白いものを持ち帰ったようだな」
食後のお茶が運ばれてきたところでユザーンが目を向けるのは、最初に試食をしたカレーの調理に使ったサラマンダーの皮で作られたリュックサック。いわゆる保温調理だ。
「クライよ。一つ頼みがあるのだが――」
そんなユザーンの言葉に『嫌な予感が――』と言うまでもなく、続く言葉は予想できるものだった。
「サラマンダーを取ってきてもらいたのだが」
「次の万屋行きは無しということですか?」
「いや、あの店の商品を切らすことは我々の望むところではない。
日々新作も並べられているというしな」
ユザーンはそこで言葉を切ると紅茶で喉を湿らせ。
「時にお前達はフィーガ山という山を知っているか」
「たしか、ラザリアの北に見える山ですよね」
ユザーンからの問い掛けにクライが曖昧な返事をする横、ニグレットが不可視モードで魔法窓を開き、クライの手元に万屋への行き帰りでマッピングした周辺地図をスライドさせる。
「実はそのフィーガ山で、最近になって赤いマンドレイクが発見されたというのだ」
これに腰を浮かせたのは赤い薔薇の五人――いや、普段から感情を表に出すのが稀なポンデ以外の四人だった。
赤いマンドレイクとはマンドレイクの特殊個体で、特定の条件が揃った場所でしか見つからないとされるものである。
乾燥して砕いたその粉末は辛さの中に旨味を内包する最高級香辛料として知られており、それが手に入るチャンスがあるのならば見逃せない。
「興味を持ってくれたか」
踊らされる格好になってしまうが、赤い薔薇としては引き受けないという手はなく。
交渉を担当することが多いクライとセウスなどは微妙な顔になりながらも、結局その依頼を受けることにするのだった。
◆
それから数日――、
赤い薔薇の五人の姿はフィーガ山にあった。
貴重な香辛料である赤いマンドレイクの情報が、すでに遠く離れた街の盟主であるユザーンの耳にも入っていること鑑みて、急ぎ足でここまでやってきたのだが、いざ現地入りしてみると予想していた賑わいはないようで……。
「やっぱり、サラマンダーがいるってことで避けられてるのかしら」
「ブレスに尻尾――、
なにより火血がありますからね」
ちなみに、いまニグレットが口にした火血というのはサラマンダーの血液のことであり、体外に排出したものに衝撃を加えると爆発的に燃え上がるという危険な性質を持つというものだった。
「しかし、そこまで気にしなくてもいいんじゃないか。
打撃武器を使って一匹一匹倒せば血なんか被らないだろ」
「サラマンダーを狩るだけならそれでもいいかもなんですけど、目的は赤いマンドレイクですから」
「現地がこの様子だと、サラマンダーが多くいる場所に赤いマンドレイクがあるってことになりそうよね」
「あくまで可能性ですが」
現地の様子から嫌なことに気づいてしまったと、クライ・セウス・ニグレットがため息を吐く一方、
そんなことにはまったく興味がないとばかりにロッティが感心するのは、会話しながらもセウスが操っていたスカラベを模したゴーレムだった。
「しかしそれ、よく歩きながら動かせるな」
「慣れるとそんなに難しくないわよ」
「ただ、店長さんも得手不得手があると言っていましたし」
「ロッティの場合、大雑把だから、スクナを買った方がいいのかもね」
ちなみに、赤い薔薇はすでに二度ほど万屋を訪れているものの、買って帰ったのは食べ物や調理器具、後はそれに関連する魔法のデータばかりで、スクナカードにはまだ誰一人手を出していなかった。
「だけどあのカード、かなり高いんじゃなかったか?」
「一応、安いのもあるみたいだけど、一生物だから、買えるお金があるなら高いヤツを買った方がいいんじゃない」
「宿る精霊も人を見て判断するみたいですしね。
私達の場合、もしかしたら食べ物に関連した精霊が来てくれるかもしれませんし」
「そういう相棒なら欲しいかもな」
スクナの話題に花を咲かせていたところ、先頭を歩いていたポンデが静かに手を上げる。
すると、それを見た他の四人が会話を止めて静かにポンデの周りに集まり。
「どうしたんですポンデ」
「変な臭い」
「毒ガスでしょうか?」
火山地帯に毒ガスが発生していることはままあることだ。
しかし、ポンデは鼻をひくつかせるセウス達に首を左右に振って「多分こっち」と歩き出す。
これに他の四人は意味がわからないというような顔をしながらも、なにか理由があって案内しようとしているのだと理解して、他の四人がポンデの後を追いかけると、そこにあったのはゴツゴツした岩場を流れ下る小さな水の流れで、
「川の源流?」
「だけど、湯気が出ていますよ」
「温泉」
「ああ、これが店長さんの言っていた温泉ですか」
「多分」
「どういうこと?」
ポンデとニグレットだけが分かり合うという状況に、そう訊ねたのはセウスだった。
「実はこっちに帰ってからもお風呂に入れないかと、店長さんに相談した時に温泉というものがあることを聞いていたんです」
「ふ~ん、じゃあ、これがその温泉?」
「わからないから――」
「調べて欲しいんですね」
と、ここでようやくポンデの言いたいことを理解したと、ニグレットが自前の魔法窓から鑑定の魔法を発動。
「うん、これは温泉で当たりみたいです」
答えるニグレットの手元に、思いの外、詳細な鑑定結果が出ているのは、その魔法が万屋のデータベースからダウンロードしてきた情報を参照しているからだろう。
「入っていくか?」
「掃除が先」
そして、万屋で風呂の気持ちよさを知ったロッティがウズウズし始めるが、ポンデがそれに首を横に振って応え、無言のままに近くの高台に登ると、少し離れた岩場を指差してみせる。
と、その岩場から見下ろした先に居たのはサラマンダーの群れだった。
ただ、重要なのはそれだけでなく。
「ちょっと待って下さい。あのサラマンダー達が食べてるのって赤いマンドレイクじゃないですか」
「すごく勿体ない」
普段口数が少ないポンデすらも思わずそう零してしまう程の光景がそこにあったのだ。
「これは手早く片付けませんと」
「魔法を使う?」
「そうしたいのはやまやまなんですけど、火血が飛び散るといけませんから確実に倒していきましょう」
「ってことは、途中で狩ってきたあれの出番ね」
セウスの声にポンデは頷くと道中で倒したフォレストディアーのすねの部分を取り出し、赤いマンドレイクを貪るサラマンダーの群れの背後に投げ込むと、順番待ちをしていたサラマンダーの一体が地面に落ちる湿った音に振り返り、見つけたそれにおもむろに近づこうとするのだが、投げ込んだその肉には糸が巻き付けられており、サラマンダーから一定の距離を保ちながら手ぐすねを引くポンデにサラマンダーは誘導され、ゆっくりと物陰までおびき寄せたところで、ロッティが反対に持った大振りな鉈を振り下ろし、文字通りサラマンダーの首を鯖折りにしたところで、
「じゃんじゃん行くぞ」
そうして、途中――複数匹が連れてしまうというアクシデントがあったりしつつも、赤いマンドレイクに群がっていたサラマンダーの一団を半分ほどまで減らしたところで、赤い薔薇の前衛陣が自らを囮に赤いマンドレイクに群がっていたサラマンダーを引き寄せる。
と、ここでニグレットの魔法が炸裂し、小爆発を引き起こしながらもサラマンダーの群れの殲滅が完了。
そして、なにはなくとも血抜きをしなければと樽を用意。
セウスとポンデが分担で倒したサラマンダーに血抜きの魔法をかけたところで、赤いマンドレイクの採取を始めるのだが、
「結構食べられちゃってますね」
「とりあえず無事なのを回収していきましょ。じゃあニグレット、血抜きの前に防熱の魔法をかけてくれる」
「はい」
マンドレイクといえば死の絶叫が有名であるが、赤くなったマンドレイクの亜種は何故かその絶叫が熱エネルギーに変換されれてしまう特徴を持っていて、
一般人にとってそれでも脅威には変わりないそれも、その対処が行える人間にとっては普通のマンドレイクよりも収穫しやすいものなのだ。
それが赤いマンドレイクが人気な理由でもあるのだが、今回はその近辺に大量のサラマンダーが住んでいたのが幸運だったのか、赤いマンドレイクは赤い薔薇の独占状態で。
「無事なヤツは八割がた持ってくとして、食われちまったヤツはどうする?」
「残していきましょう。しっかり土をかけておけば再生することもありますから」
「それなら分散させた方がいいんじゃない」
「そうですね。一箇所に集めたら他のサラマンダーに掘り返されちゃうだけですもんね」
クライ達は綺麗な赤いマンドレイクを採取しつつも、サラマンダーに食い散らかされたマンドレイクの一部も回収し、齧られた部分に浄化をかけて綺麗にした上で、体の大きなサラマンダーに食べられてしまわないよう、岩の間などを狙い、また生えてくるのを祈って一株一株バラけて植えていく。
と、そうしている内にもサラマンダーの血抜きが終わったようだ。
大量の血が収められた樽の前で手を振るニグレットに呼ばれ。
「火血は処理がされた魔法瓶に入れておけば大丈夫なのよね」
「その筈です」
ニグレットはやや不安気にしながらもそう答え、樽の中の火血をセウスが用意した魔法瓶にサラマンダーの火血をゆっくり慎重に注いでいく。
そして、血でいっぱいになった魔法瓶をマジックバッグの中に収納していき。
「残りはどうするんだ」
「とりあえず蓋をしておきましょう。本体を解体した後に使わない部位と一緒にそこに置いておけば魔獣が処理してくれる筈です」
物騒なことを言いながら、サラマンダーのお腹を割って皮を剥ぎ、依頼である火袋を抜き取り、一部の肉と骨を回収したところで解体作業は終了。
血の臭いに惹かれて魔獣が集まってくる前にとその場を離れ。
「じゃあ、飯しようぜ」
天然温泉の近くまで戻ってきたところで昼食となるのだが、その材料は当然サラマンダーになる。
サラマンダーの血は体外に出ない限りは爆発しないとされているものの、念の為に解体した肉が爆発しないか調理用のハンマーで叩いて確認。
「下位竜種のお肉はタンパクなものが多いのでバターソテーですかね」
少し拝借しておいた無惨に食べられてしまった赤いマンドレイクの残骸の綺麗な部分を微塵切りにして、それを軽く塩揉みに、
わずかに出てきた水気を絞り、〈乾燥〉の魔法で乾燥させて、それをバターに練り込めば下準備の出来上がり。
後は普通のバターでサラマンダーの胸肉を焼いていき、中までしっかり火が通ったところで、赤いマンドレイクを練り込んだバターを落とせば完成だ。
ちなみに、付け合せは道中で回収してきた山菜の和え物と、密かにポンデが用意していた温泉卵で、
「いただきます」
この手を合わせる挨拶は万屋の店長に教えてもらった食事の際の挨拶だ。
小難しい祈りの言葉よりもこっちの方がシンプルだと、仲間だけの食事ではこっちを使っている。
「辛っ、でも美味っ」
「辛いの苦手だけど、温泉卵と一緒に食べるとまろやかになります」
「しかし、これ材料不足のカレーも美味しく出来るんじゃない」
「たしかに、そうかもしれませんね」




