空を泳ぐ魚?
ゲートを抜けるとそこは海の中だった。
夏休みに入り、午前中からの出勤が日課となった僕が、朝も早くからご褒美を求めにやってきた元春と一緒にアヴァロン=エラに降り立つと、そこには南方の海に見るような色とりどりの魚が空中を泳いでいた。
「なあ、虎助。俺の目はおかしくなっちまったのか。珍しく早起きしてみたら、魚が空を飛んでるように見えるんだけどよ」
「大丈夫、寝ぼけてなんかいないよ。この魚は空魚だからね。空を飛ぶのも当たり前なんだよ」
「空魚っつーと佐藤さんの箒を作る時に使ったアレか?」
目をこすりながら聞いてくる元春にそう答えると、元春はとある慌てん坊の魔女さんを思い出すかのように聞いてくる。
本当にこういうことに関する記憶力はいいね。
というよりも、佐藤さんという美女に絡めて覚えていたのかな。
「でも、ここにいるのはたぶん魔獣じゃない方の空魚だと思うよ」
「そうなんか、じゃあ安心だな。 つか、今更だけどよ。魔獣と魔獣じゃない生き物って何が違うんだ?」
改めて疑問に思ったのだろう。脈絡もなく聞いてくる元春に僕はピッと指を立て、教師然と聞き返す。
「そもそも魔獣の定義ってなんだと思う?」
「そりゃ、なんだ――、コアとか魔石みたいなのが体の中に埋まってるのが魔獣とか?」
「ファンタジー系ライトノベルなんかで定番の設定だね。
でも残念、魔獣でも魔石を体内に持っている個体は圧倒的に少ないんだ」
なんでも、体内に魔石を持っているタイプの魔獣は、餌を食べる時なんかにたまたま飲み込んだ魔石が体内に定着しただけという説が有力らしい。
と、僕は鋭い元春の答えを却下するけど、後が続かない。
まあ、フィーリングで生きている元春に複数の答えを求める方が無謀かな。
ということで、元春が無駄に頭を使ってオーバーヒートしても困るのでと、答え合わせに移るのだが、
「正解は、なんとなく危なそうだなって感じる野獣の事を魔獣って呼ぶんだよ」
「――って、おい」
あんまりにもなその答えに元春が低い声を飛ばしてくるけれど、こればかりは僕に言われても困るというものだ。
「ぶっちゃけて言うと、魔獣の定義って世界ごとに違ってくるから、これが魔獣だって一概には言えないんだよね」
そもそも魔獣の中にも、巨獣に悪魔、堕ちた精霊に龍種、どう見ても獣というカテゴリーに当てはまらない魔物と呼ばれるような個体がいたりと、一応は魔獣というくくりにカテゴライズされてはいるものの全く気質が異なる存在だって沢山いるのだ。
「だから、世界によっては普通のクマなんかが魔獣として扱われるところもあるらしいよ」
例えば同じ野生動物でも、僕がよく使う〈一点強化〉のように腕力が強化できる熊がいたとしたら、それだけで普通の獣とは格段に脅威度が違う。
だから、世界によっては原始的な魔法を操る獣イコール魔獣なんて構図が成り立つところもあるらしく.
「マジかよ!! ってこたあ、俺等の世界でもクマとか倒したら【魔獣殺し】が手に入るってことになるのか」
「たとえばそこが佐藤さんたち魔女が暮らすようなパワースポットだったらあるかもしれないね」
まあ、ゲームなんかでも○○グリズリーなんて、ただ地名を当て嵌めただけの熊のモンスターなんてのもいたりするし、アメリカに生息する巨大イノシシ『メガホッグ』なんかは普通にオークなんて言われてもおかしくない生物だ。
もし、そんな生物が地球では希少な魔素が濃い地域に住んでいたのなら、魔獣とまでは言わないものの亜種と呼ばれるくらいには強化された個体になるのではないか。
「で、コイツが魔獣じゃないってのはどうしてなんだ?
虎助の話を聞くに、浮かぶ魚なんて魔獣認定されてもおかしくないと思うけどよ」
たしかに、僕が例に出した理屈に当て嵌めると、空を泳ぐ魚なんてまさに魔獣と呼ぶにふさわしい生物なのかもしれない。だけど、
「ここにいる空魚は、見たところ普通に日本の食卓にあがるような魚ばっかで、サメみたいなものはいないから、魔法を使う危険生物というよりか精霊とか妖精とかみたいな分類に入るんじゃないかな。たしか前に来た魔女の佐藤さんもそんな風なことを言ってたし」
魔素による変質が起こるにしてもなにもそれは凶暴性や攻撃性に向くとは限らない。
とはいえ、全ての精霊が必ずしも人間と友好的とは限らないのもまた然りで、
おそらく、実績や魔法技術に関係があるだろうその辺の概念は、受け入れる側である僕達の認識が大きく作用しているののではないだろうか。
「でも、エイなんかは気をつけないと危ないかもね」
他の世界のエイがそうとは限らないが、エイの尻尾の付け根から生えている毒針には人を殺す力があるという。だから、このエイを倒せば【魔獣殺し】の実績を得られるかもしれないのだけど……、
「エイなんかよりもまずはこっちの方が問題だね」
見ると、そこには大量の魚を吐き出す光の柱があった。
「ここに網を置いたら大漁になりそうだな」
「まあね。 ただ、この空魚たち何かの追われているみたいな感じじゃない?」
「気にしすぎだろ。 つか、そういうのってフラグになっちまうから止めろよな」
こう見えて元春はジンクスや縁起担ぎなんかを気にするタイプである。
まるで空魚の背後に強大な敵が迫っているような僕の言い方が気に入らなかったみたいだ。
しかし、このアヴァロン=エラに繋がる次元の歪みは、主に魔素の濃い危険地帯につながってる場合が多い訳で、その先に危険生物がいるという可能性を考えるのは当然のことなのだ。
「元春は危ないかもだし、鎧を着るか万屋に避難した方がいいんじゃない?」
「そうなんか。じゃあお言葉に甘えて――」
僕の忠告に素早く回れ右をする元春。
しかし、一歩走り出そうとして振り返り、
「虎助は一緒に逃げねーのか?」
「うん。一応このゲートも僕が管理してる事になってるからね。放ってはおけないよ。それに空魚は空 飛ぶ箒なんかの材料になるし、せっかくだからゲートが繋がりっぱなしの原因を調べるついでにエレイン君達と漁業をしてみようかなと思ってね」
普段ゲスな元春だが、そこに美女さえ関わらなければこういった気遣いが出来る男である。
僕が逃げない理由を聞いた元春は、悩むような素振りを見せながらも、最終的に自分がいては足手まといになるという結論を出したのだろう。
「ワリーけど俺は役に立てそうにないわ。先に逃げさせてもらうぜ」
すたこらさっさと走り去る。
僕はそんな元春の背中に「ベル君の近くにいれば大丈夫だから」声を送ると、改めてに光の柱に向き直り、ゲート周りにいたエレイン君が用意してくれたタモ網を構えて、
「さてと、小魚はたくさんあっても処理しきれないから、大物狙いといきますか」
因みにこのタモ網は、以前、空魚と同じように迷い込んできた虫系の魔獣を捕獲するべく、急遽、近所のホームセンターで買い求めたものである。
虫取り網ではなくタモ網にした理由は、単に季節がら虫取り網を取り扱っていなかったからである。
しかし、今回の事を考えるとタモ網にしておいて正解だったと思う。
僕はそんなタモ網を振り回し、カツオのような空魚を中心に捕まえていく。
なぜカツオのような空魚ばかりを狙うのかといえば、動きが直線的で泳ぐコースが読みやすかったからだ。
けど、あんまり同じ素材がばかり集めても面白みがないかな――と僕は、ある程度の量、空カツオ(仮)を確保したところで、極彩色のタイやリーゼントのようなコブを持つ厳つい顔をした魚に狙いをシフトする。
因みに僕に捕獲された魚は、遅れて駆けつけてくれたエレイン君達に内蔵などを抜かれた後、三枚におろされ、骨は錬金素材に加工するべく工房へ、身の方は氷魔法が使えるエレイン君によって冷凍処理がなされてバックヤードに送られている。
と、そんな食品加工業者も真っ青な流れ作業の光景を暫く繰り広げていたところ、光の柱から一際大きな影が飛び出してくる。
ついに本命のご登場か――と思いきや、
「人魚?」
飛び出してきたのは半人半魚の美少女だった。しかもトップレスだ。
ただ、僕の予想と反して害意はないようで、周囲を泳ぐ魚と戯れるように宙を泳いでいる。
魔獣じゃないのか?
しかし、これは目のやり場に困るなあ。
僕が伏し目がちにしながらもどうしようかと考えていたところ、また一人、光の柱から現れて、
「あら虎助、こんなところで何をしていますの?」
おっと、これはマズイ状況になっちゃったかもだぞ。
この手の話題に敏感なマリィさんにご登場に焦る僕だったが、マリィさんは至って冷静なご様子で、
「セイレーンですのね。珍しい」
ゲート周囲がいつもと違う状況だと把握すると、その中でも特に異質な空を泳ぐ人魚に視線を向ける。
「というか、彼女、裸なんですけど気にならないんですか?」
「下位の精霊が裸なのは当たり前ではありませんの?」
いつもなら破廉恥だの何だのと騒ぎそうな場面からの逆質問。
なんだろう。絵画の裸がエッチじゃないみたいな感覚なのかな。
ともあれ、マリィさんが意識していないのに僕が意識していては余計な誤解を招きかねないか。
だったらここは流れに乗って――、
と、僕はできるだけ上半身裸(というか全裸状態)のセイレーンを見ないようにしながらも、平静を装い、マリィさんの会話を進めることにする。
「しかし、精霊ですか。僕の世界ではセイレーンは伝承にある怪物みたいな扱いだったんですけど」
「そうなんですの? 私の世界では清らかな歌を好み、正しき者に力を与えてくれる天使のような存在だと知られていますが」
所変われば品変わる。セイレーンもオークのように世界ごとに特徴があるのだろうか。
まあ、僕の世界ですら半人半鳥だったり人魚だったりと伝承によって姿すらも違うのだから分からなくもないのだけれど。
「それでどういたしますの。相手がセイレーンならば逃がすのは惜しい相手ですの」
「といいますと?」
「下位精霊であるセイレーンは精霊契約の対象ですのよ」
精霊契約というと、たしか特殊な魔具に精霊を宿して使役する召喚魔法のようなものだったっけ?
前に魔王様が使えるようなことを聞いたことがあるような気がするけれど。
「あの――、マリィさんが契約を結ぶというのはダメなんですか?」
魔法初心者が契約するよりも魔法に長けたマリィさんが契約した方が精霊でもありがたいのではないか?そう訊ねるのだが、
「手持ちの魔具もありませんし、セイレーンと私とでは得意属性の相性が悪いですから。まあ、苦手な属性をフォローするという考え方も無くはないのですが……」
契約に使うだろう魔具は、たぶんバックヤードを探せば見つかるとは思うけど、精霊契約にも属性による相性のようなものがあるみたいだ。
「じゃあ僕が契約を交わすのが一番って事ですか?」
「ですわね」
「……でも、ちょっと可哀想ですよね。魔具に宿すってことは要するに封印するみたいなものでしょう」
魔王様やソニアから聞かされていた精霊魔法の説明から、魔具に宿すということイコール魔具に閉じ込めておくこと――と、僕なんかはそんなイメージを抱いていたのだが、どうもそれは違うらしくて。
「精霊には寿命があってないようなものですから。むしろ契約を交わす方が安眠できるという利点があるのですよ。それに契約主の実力・行動いかんによっては精霊としての格が上がる場合もありますから、むしろ精霊としては契約して欲しいそう願うと思いますが」
成程、寝ている間にパワーアップっていうのはある意味で夢のような話なのかもしれない。それが寿命なあってないような種族なら、尚更そう思えるのか。
「それにです。例えば虎助が以前いっていた、光の精霊を宿すエクスカリバーのように、物に宿った精霊が不幸になるとは限りませんの。考えますとエレイン達もある意味で精霊が宿った存在ではありませんの? たしか核の部分に幻視精霊を宿しているとかなんとか前に説明してくれませんでしたか」
まあ、エクスカリバー云々の意見はあくまでマリィさんの見解ではあるが、たしかに精霊が宿っている道具が大切にされるってイメージはあるかな。
それにもし、マリィさんの考えが正しかったとしたら、精霊契約した後でセイレーンにゴーレムの体を与えてあげれば僕の懸念も解決するのかもしれない。
と、マリィさんの説得――というかいつものご病気を聞いて、僕が精霊契約に前向きになっていたところ。
「ちょっと待った――――っ!!」
聞こえてきた叫び声に振り向くと、万屋の方から元春が全力ダッシュで走ってくるところだった。
そして、ゼェゼェと息を整えて、
「話は聞かせてもらったぜ。その契約、俺にさせてくんねーか」
聞かせてもらったってどうやって聞いていたのさ。
あっ、もしかしてベル君が気を利かせてこっちの様子を逐一報告してくれていたのかな。
「言っておきますがセイレーンは下位とはいえ精霊ですから邪な感情には敏感ですわよ」
「あれ、精霊が邪な感情に敏感って、マールさんはどうなるんです?」
その理屈なら、現状における元春とドライアドのマールさんとのおかしいのでは?
そう訊ねる僕にマリィさんが言うには、
「彼女は中位の精霊であり半分妖精のような状態になっていますからね。契約相手としてではなく隷属相手として見ているのではありませんの」
たしかに二人の関係を考えるとまさにそんな感じである。
「そもそも中位精霊である彼女には人間と契約するメリットはありませんからね」
なんでも、自分の格を上げるべく他の生物と契約を結ぶのは下位の精霊が殆どで、それ以上の力を持つ精霊ともなると加護を与える側になるとのことだ。
「んで、結局、俺はあの子と契約ってのができるんか」
正直、もし元春と契約になってしまったらセイレーンが可愛そうなんだけど、元春が出てきた時点でオチは見えているような気がするから……。
「取り敢えず試してみる?」
と、僕が話をしている最中に、魔法窓を通じて探しておいたもらった指輪型の契約魔具を差し出すと、元春は「おっしゃ――っ!!」と気合一発、契約魔具をひったくり、指に嵌めて魔法を使おうとしたところで首を傾けて、
「えっと、コレどうやれば動くん?」
いや、無駄な可愛さアピールは気持ち悪いからいいんだよ――じゃなくて、
「普通に魔具を使うのと変わらないと思うよ。魔力を込めて脳裏に浮かんだ魔法名を唱えれば、きちんと機能を発揮するでんじゃない」
僕の適当な説明に元春は「ふ~ん」と呟きながらも、すっかり慣れた様子で魔具に魔力を流し込み、改めて腕を突き出しこう唱える。
「〈精霊契約〉」
すると、バーコードのような光の帯で形作られた立体的な魔法陣が凝縮、白く輝く魔弾となって飛んで行き――、
ベシン。
「尾ひれで弾かれましたわね」
けれど、ここで諦めないのが元春という男である。
「〈精霊契約〉、〈精霊契約〉、〈精霊契約〉、〈精霊契約〉、〈精霊契約〉」――っ!!」
乱れ飛ぶ白い魔法陣。
しかし、その全てが「落ちろカトンボ」とばかりにセイレーンの尻尾に弾かれていく。
それからどれくらい無駄な努力を繰り返したのだろう。周囲にはセイレーンの尻尾で弾かれた魔法陣の残滓が大量に浮遊していた。
そして、精も根も尽き果て地面に突っ伏す元春にマリィさんが諭すようにこう声をかけるのだ。
「諦めなさい。やはり貴方のような邪な人間が精霊と契約すること自体が無理だったのですよ」
それを聞いた元春はガックリと、たった三文字のアスキーアートのようなポーズのまま、契約の指輪を突き出し言ってくる。
「もう、虎助でいいから彼女と契約してくれ。そんで、俺にイチャイチャするように命令してくれ」
「分かりやすく最低ですわね」
「可哀想だから帰してあげるってのはダメなんでしょうか」
「――って、ダメに決まってんだろ!!」
そんな押し問答をする僕達の姿が楽しそうに見えたのか、それとも、仲裁に入ろうとしてくれたのか。セイレーンが僕達の間に割って入ろうとしたその瞬間、半透明の体から海色の光が放たる。
そして、気が付けばセイレーンの姿がなくなっていた。
「契約完了――ですわね」
「って、この場合、誰がご主人様とかあんのかな。魔法陣を作った俺とか?」
「おそらくは――というよりも、確実に指輪を持っていた虎助になると思いますの。むしろ虎助が指輪を持っていたから彼女が自主的に契約に応じたのではありませんの」
えっと、つまりこれは押しかけ召喚獣ってことになるのかな。
取り敢えず、彼女の為にも例の量産型ゴーレム計画を早めてもらうようにソニアに言っておいた方がいいのかな。
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