キ牛と毒の雨
◆いつかのお正月に書いた特別編(567部分)の続きのようなものです。
それはお正月気分もすっかり抜けた、ある雨の日のこと――、
強い力を持つ存在が自宅に近づいているとの報告を受けた僕が、お店をベル君にお店を任せて自宅に戻ると、呼び鈴を鳴らし、やってきたのは白髪交じりの紳士だった。
「御免するのだよ」
「いらっしゃいませ。なんの御用でしょうか」
見覚えのない初老男性に僕が若干の警戒をしていると、その紳士はそっと懐から見覚えのある銀色の兎を差し出し。
「実は彼女にここに連れて行ってくれと言われてなのだよ」
「その兎、もしかしてルナさんですか?」
「良かったのだよ。道案内はしっかりしてくれていたのであるな。
それで、彼女が少々飲みすぎてしまったのであるが、治療をしてくれるであるか」
聞けば、このお正月に以前話にあった十二支で集まる会があったらしく、当然の成り行きとでも言うべきか、その宴会でルナさんの不満が爆発。
酔いに酔った彼女をどうにかしなければならないと、厳正なる話し合いが行われた結果、貧乏クジを引いたのが彼だったということのようだ。
「ということはお客様も神獣の一柱で?」
「牛の神獣のマルなのだよ」
曰く、正式名称がアメヲヨブモノで、地球で知られている名前がキ。
凄く難しい漢字一文字でそう呼ぶらしいのだが、どちらにしても呼びにくいので、そう呼んで欲しいとのことである。
これは後で調べたことになるのだが、キというのは龍を由来とした一本足の雄牛で、雨乞いの為の犠牲獣としても知られているみたいだ。
なんていうか、そんな由来からも彼のポジションがなんとなく透けて見えてしまいそうだ。
「しかし、ルナさんがこんなになるなんて、どれだけ飲んだんですか?」
そもそも神獣が酔っ払うなんてことがあるのかなど分からないけれど、少なくともウチの店で――というよりも、ディーネさんのところでお酒を飲んだ時は酔っ払うことがなかったと記憶している。
「普段ならいくら飲んでも平気なのであるが、今回の酒宴では梅の精が作ったお酒が振る舞われたのだよ」
なんでも、そのお酒は飲みやすい割に非常に酔いやすいお酒のようで、
とはいってもこの場合、酔いやすさというのは、アルコール度数はあまり関係なく、お酒そのものの特性とのことで、
マルさんは人の姿も保てなくなったルナさんの寝言半分のナビゲートに従い、ここまで連れてきてくれたのだそうだ。
「とりあえず、お店の方へ」
普段なら地球からの転移方法は隠すところであるが、相手が異世界転移も自力で可能な神獣とあらばそうする必要もないだろう。
僕はマルさんを家に招き入れ、そにあの口からアヴァロン=エラへ転移。
万屋の和室で落ち着いたところで――、
「ルナさん。これを飲んでください」
「ううっ、気持ち悪い」
「マルさんにはこちらを」
「ありがたくいただくのだよ」
と、出したお茶を一口飲んだところで、マルさんが興味深げに聞いてくるのは、神獣としては至極当然の疑問だったのかもしれない。
「しかし、君は神獣を前にしても試練に飛びつかないのだね」
「神獣の試練が厳しいことはわかっていますから」
「そうなのであるか」
「ルナさんとエンスウさん、テュポンさんにギルガメッシュはイレギュラーな感じでしたけど、いろいろと試練を受けてきましたから」
「き、君は随分と試練を受けているのだあるな。
しかも、テュポン君の加護まで受けているとは驚きなのだよ」
「運が良かったんですよ」
マルさんには僕がどの神獣から加護を受けたのかわかるのかもしれない。
僕が「本当に――」と遠い目をしたところで、なにかしらの事情があったのだろうと思い込ませてしまったみたいだ。
どことなく気まずそうにするマルさんに、僕はあえて本来期待していただろう反応をしてみる。
「ちなみに、どのような試練か聞いてもいいでしょうか」
「あ、ああ、私の試練は毒の雨の中にいる僕に触れるというものであるが――興味がお有りかな?」
すると、マルさんもちょっと調子を取り戻してくれたかな。
返ってきた疑問符に僕が「はい」と返すと、マルさんはその試練を簡単に教えてくれる。
「毒の雨――ですか」
「フフッ、普通の毒と侮るのは止めておいた方がいいのだよ」
「ああ、そういうことではなくてですね」
ちょっと思わせぶりになってしまった僕の態度がマルさんを勘違いさせてしまったみたいだ。
「実は家の方針で新しい毒を見つけたら食らっておけというのがありまして」
「そ、それは変わった方針であるな」
ですよね。
ただ、神獣が作る毒なんてものは、滅多に受ける機会がないだろうから――、
「せっかくなのでチャレンジさせてもらってもいいですか、もしもの時はエリクサーをガブ飲みすれば助かるでしょうし」
「成程、彼女がここを指定するわけなのだよ。
赤き秘薬が大量にあるなら、その自信も頷けるのだよ」
いや、自信とかそういうものはまったくないのだけれど、母さんの教育のおかげで、目の前に未知の毒があるとなれば、どうしてもそれを接種しないといけないと、そんな使命感に駆られてしまう当然の成り行きであって、場所を移して荒野のど真ん中――、
「そういえば、毒の雨の対策をした方がいいんでしょうか」
試練が毒の雨をくぐり抜けるということで、土壌汚染などの可能性を考えて、シートか何かを用意した方がいいのかもと訊ねてみるのだが、マルさんが言うには――、
「私の雨は試練の間しか効果を発揮しないものだから余計な心配は無用なのだよ」
そういうことならと僕はマルさんに言われるがままに距離を取り。
「では、始めまるのである」
マルさんは紳士然とそう言うとパチリと指を鳴らす。
すると、雲も何もないに雨が振り始め、それはあっという間に豪雨となって彼の姿を覆い隠す。
「無理だと思ったらすぐに言ってくれるのだよ。すぐに雨を止めるであるからな」
「はい」
僕は雨の柱の中から聞こえてきた忠告に気合を入れて、まずは片方の手を雨に当て、毒の具合を確認すると豪雨の中へ足を踏み出す。
と、すぐにずぶ濡れになってしまうが、
「あれ?」
体に異常は見られない。
遅効性の毒なのかと少し待ってみるも特に体調の変化はなくて、
ならばと上を向いて、雨を直接、口に入れてみるも、痺れたり苦しかったりすることもまったくなく。
そうしている内に心配になったのか、マルさんが僕に「大丈夫ですか」と優しく声をかけてきてくれたので、無事を伝えるついでに一つ確認をしてみる。
「あの、これって本当に毒の雨なんですか」
困惑するような僕の問いかけに、雨のカーテン越しにマルさんから「ちょっ、ちょっと待ってくれるかな」と少し焦ったような声が返ってくる。
そして数秒、ドサッと重そうな何かを落としたような音が聞こえて雨が上がり、地面に横倒しになるマルさんの姿が顕になる。
「マルさん」
「ひ、秘薬を――」
駆け寄る僕にそう言うと、マルさんの伸ばした腕がゆっくりと地面に落ちる。
どうやら、マルさんは自分の毒にかかって死にかけているみたいだ。
僕が急いでエリクサーを飲ませると、さすがは神獣というべきか、マルさんは元春に匹敵する回復力で立ち直り。
「治療済まないのだよ。毒が自分にも効果があることを忘れていたのだよ」
これはどうリアクションしたらいいものか。
僕はロマンスグレーなマルさんのドジっ子宣言にちょっと困った顔をしながらも。
「しかし、それが僕に効果がなかったのはどうしてなんですか」
「毒はしっかり君の体内に入っていた筈なのだよ。ただ効果がなかっただけなのだよ」
単純に状態異常への耐性の高さが故の結果だったみたいだ。
「これは信じられない結果なのだよ。私の毒は龍をも殺す毒であるのに」
成程、龍種をも殺す毒か……、
「だとするなら、少し前に手に入れた龍種の鱗が関係しているのかもしれません」
実はついこの間、リドラさんが龍の谷で回収してきてくれた龍の素材の中に、毒龍をはじめとした毒を武器に戦う龍種の爪や鱗もあって、母さんと一緒にそれを食事に取り込んいたのだ。
しかも、長年、龍の谷で生き延びていたパルス老に匹敵するくらいの毒龍の鱗もあったようで、後でリドラさんに驚かれたとそんな話をしたところ、
マルさんから何故か化物でも見るような目を向けられてしまったのだが、神獣の毒が効かなかった原因はおそらくこれで間違いないだろう。
その後、なんとか正気を取り戻したマルさんに加護をいただき。
「加護の方、ありがとうございます」
「いやいや、加護だけでなくエリクサーのお返しもしなければならないのだよ」
別にいいと思ったのだが、マルさんがどうしてもというので、僕は少し考えて。
「それなら毒の雨をいただけませんか、母さんにも飲ませてあげないと」
この願いにギョッとしたような顔をするマルさん。しかし、勘違いしてもらっては困る。
「さっきも言いました通り、家には毒の耐性を上げるために毒を接種する風習がありまして」
これでわかってもらえたかな?
しかし、マルさんの毒は試練の間しか効果を発揮しないもののようで、毒の雨を受けるのなら試練を受けて貰う必要があると、ルナさんの具合が良くなるまで待つ必要もあるので、母さん達が返ってくるまで少し待っていただき。
母さんが帰ってきたところで試練を受けてもらうのだが、その結果は言わずもがなで、
ただ、その際に、義父さんが純粋な興味から、義姉さんが疑い半分と毒の雨に触れてしまい、泡を吹いて倒れるなんてハプニングがあったのだが、エリクサーですぐに回復。
このハプニングで二人も高い毒耐性を得られたので結果オーライといったところか。
◆キ牛……〈雷声雨呼〉
雷声雨呼は経験則による天気予報の精度に補正がかかるというものです。
鍛えていけばスポーツ漫画にありがちな風読みレベルの予測も出来るようになったりします。
◆次回投稿は水曜日の予定です。




