●幕間・望月静流の受難
※以前、登場した地球産の魔女の一人、望月静流視点のお話です。
その日、望月静流は間宮家を訪れていた。
なぜ私が再びこの間宮家を訪れているかといえば、ジョージアの暴走に始まり、私達の訪問、そして謝罪からの命令と、いろいろあった末に、なし崩し的に彼等との間で約束した賞品の取り引きを私が担当することになったからである。
正直言うと、たとえ上司の命令だったとしても、この家を訪れることはあまりしたくなかった。
しかし、行かなかったら行かなかったで上司が怖い。
恐る恐る鳴らしたインターホンに出てきてくれたのはこの間宮家の息子さんである虎助君だった。
「あ、望月さん。いらっしゃいませ」
「この度はお日柄もよく。……ど、どうぞよろしくお願いします」
「あ、アハハ……、望月さんでも冗談も仰るんですね。あ、どうぞ、上がって下さい」
年甲斐にもなくガチガチに緊張する私に、虎助君が苦笑しながらも案内してくれたのは例の居間だった。
するとそこには、すでに小さなゴーレムが待ち構えていて、人形とは思えない滑らな動作でこう気さくに話しかけてくるのだ。
「やあ静流、待ってたよ」
しかし、いくら気さくだからといって油断してはいけない。
どうしてなのか、それは――、そのゴーレムを操っている中身にある。
かのゴーレムを操っているのは異世界の魔女たるソニア=モルガナ。仮初の体での行動の為、その潜在能力は未知数だが、以前報告にあったとある軍事施設でやらかした事を考えると油断ならない相手であることは明白だからだ。
だが、いまこの場所においては、彼女ばかりを気にもしていられない。
何故なら、この間宮家には彼女よりも更に危険な魔物が存在するのだから。
「あの、イズナさんは、今日は姿が見えないようですが――」
「ああ、すみません。母は今――警察ですか?その関係者に魔法の事を教えてるみたいで、留守にしているんです」
この間宮家の主にして恐怖の象徴たる間宮イズナ。その所在を確認する私に、虎助君は困った顔をしながらも答えてくれる。
しかし、こちらとしては間宮イズナの不在は好都合。
ほっと一息。「そうなんですか」と流そうとして、いやと思い直す。
「ちょ、ちょっと待ってください。いま警察って――、詳しく聞かせてもらってもよろしいでしょうか」
そうなのだ。虎助君はこう言った『母はいま、警察関係者に魔法を教えているから留守にしている』と――、
もし、その話が本当なら、私たち魔女にとって看過できる話ではない。
そして、聞かされた内容はとても信じられないようなものだった。
なんでも、最近になって本格的に魔法という技術を身に着けた間宮イズナが、旧知の仲である知り合いにその魔法を見せびらかしに行ったところ、魔法の特訓を頼み込まれてしまったとのこと。
因みに虎助君も、その特訓に関わっており、アヴァロン=エラなる万屋が存在する世界で特殊部隊の人間を鍛えているという。
いや、最近になって魔法を覚えたとか、素人に特殊部隊の隊員に魔法の教授とか、魔女という立場から考えると頭痛レベルを優に超えた問題がいくつも積み重なっているが、まあ、それはいいとして――、いや、よくありませんけど。まさか日本の警察が魔法に目をつけるだなんて、いったい何の冗談なのか。
もしかして、私たち魔女に対抗する為に――、
いや、私たちの存在が日本の警察組織に知られているということは無いハズだ。
だったら他にどんな理由がある。
そういえば、以前、欧州の魔女をまとめるジャンヌから、魔術を使ったテロ行為が密かに行われている聞いたことがある。
もしや、日本の警察はその事実を把握して、魔法を利用した犯罪という新たな手口を防ぐべく、新たな組織を作ろうとしているのか。
しかし、理由はともあれ、警察勢力が魔法の技術を身に着けるというのは、日本に暮らす魔女にとって脅威以外のなにものでもない。
かといって、あの間宮イズナに面と向かって反対意見を出せるだろうか。
いや、不可能だ。
ならば我々に何が出来る?
そう考えて出した結論は――、
「あの、その訓練は私――、いえ、我々も受けることが可能なのでしょうか?」
本来の目的である商談をすっ飛ばしてこんな事を訊ねるのは失礼かもしれない。
しかし、今の話を聞いたからには悠長に構えている訳にもいかないのだ。
「あのこれはきちんとした取り引きとしてお考え下さい。対価は払います。なので我々にもジョージアにしたような魔法力をあげる訓練を受けさせてもらえませんか」
無礼を承知で必死に懇願する。
これで無理なら、今から行う取り引きで特殊な魔具でも手に入れなければ――、
そうも考えていたのだが、許可はあっさりと降りた。
「静流ならいいんじゃないかな」
「本当ですか?」
「うん。まあ、他の人は要面接って感じになるだろうけど大抵は大丈夫だと思うよ。違う世界の魔法使いとの接点はそれだけで価値があるものだからね。
でも、魔法修行を受けるってなると、なんだっけ、その特殊部隊の人?達がいるからさ。静流達からするとどうなの?」
たしかに警察機関の人間が特訓をしているところにバッティングするのは具合が悪い。
別にわれわれ日本の魔女が犯罪行為に手を染めている訳ではないのだが、現状、日本の警察機関に魔女の存在を明るみになることは避けたいのが本音である。
「まあ、その辺は虎助と相談して決めてよ。今回の訓練うんぬんの話は殆ど虎助に任せてるからさ」
と、ゴーレムボディのソニアさんはそこまで言った後、思い出したかのように丸っこい二つの手をポムと重ね合わせて、
「そうだ。あと、結構な頻度で魔獣が来るからね。そっちの方も忘れないでね」
魔獣。それは人に害なす魔の獣。魔素と呼ばれる自然エネルギーが濃い土地で育ち、規格外の力をもった存在のことである。
「私達の森にも銀狼と呼ばれる魔獣が出ますが、どのくらいの強さなのですか?」
答えてくれたのは虎助君の方だった。
「どのくらいの強さと聞かれましても、難しいですね。そもそも僕は地球の魔獣と戦ったことがありませんから、その銀狼ですか――を実際に見ることができれば、ある程度の推測が可能になるんですけど」
魔術という文化が薄れたこの地球で、魔獣と呼ばれるようなファンタジックな存在と出会うことは稀である。
たしかに出会ったこともない魔獣の強さを口で語るなどできないか。
だが、そんな問題の解決は思わぬところからもたらされる。
「銀狼――、それってシルバーウルフじゃないかな」
さすがは魔法世界の魔女。ソニアさんは銀狼の存在を知っているようだった。
しかし、続く内容を聞いて私は愕然とすることになる。
「強いんですか?」
「う~ん、どうだろ。もし、静流が言ってる銀狼がボクが知ってるシルバーウルフなら、正直微妙っていうのが本音かな。新米冒険者パーティでも相手が単独ならどうにか勝てるってレベルだよ。ただ集団になると途端に難易度があがるかな。でも、中級の魔道士が一人でもいればどうにかなるから、虎助一人で十分対処できると思うよ」
「それは本当ですか?」
聞き返したのは私の方だった。
なにしろ銀狼といえば魔女が数人がかりで追い詰め倒すレベルの魔獣なのだ。
間宮家の住人の実力は私もジョージアを通してある程度把握している。しかし、それでも高校生である虎助君が単独でシルバーウルフに対処できるという言葉が信じられなかったのだ。
「直接見てみないとちゃんとしたことは言えないけど、地球の魔素濃度ならまず間違いないと思うよ」
そういえばこの世界と他の世界では魔素の濃度に大きな違いがあったんですね。
魔素の濃度というのは魔法的な成長に大きな影響を与える。
加えて、以前、彼女等が経営する万屋に出向いたことのある佐藤の報告にあったステイタス。それを効率よく鍛えることが可能だとしたら、一足飛びに高位魔女の実力を飛び越えていったとしても不思議ではない。
しかし、だからこそ逆に――、
「つまり、その万屋が存在する異世界には魔狼のような存在が普通に出現するということですか?」
「というよりも、それよりも強いヤツがうじゃうじゃ出るって感じかな」
「うじゃうじゃ……。そんな場所に我々がお邪魔して大丈夫なのでしょうか?」
こう見えて私は一地域のまとめ役を任されるくらいの魔女である。相手が銀狼ならば遅れを取らないという自負がある。しかし、それよりも強い魔獣が跋扈している場所ともなると対処しきれないのではないのか。
不安がる私を見てか虎助君が手を挙げてくれる。
「あの、オーナーのうじゃうじゃというのは言い過ぎですから。たくさん来る時でせいぜい日に何度か来るくらいで、安全対策もきちんと施されてますから万が一の事があっても大丈夫ですよ」
いや、日に何度も魔獣が現れるという時点で、我々からすると異常事態に他ならないのだが、
しかし、思い出してもみればジョージア達もその場所に送られて無事に帰ってきた。一般人と一緒にその世界に赴いたという佐藤も同様にだ。
だとするのなら、私が赴いても特に問題は無いのか。
いや、ここは安全策を取って、その世界を知る佐藤を送るべきか。
だが、それは彼女等を信じていないと言っているものではないのか。
どう対応するのがベストな選択なのか。私が悩んでいると、小さなゴーレム姿のソニア=モルガナが閃いたとばかりに豆電球の幻覚を頭上に浮かべて言ってくる。
「そうだ。取り引きの後で案内してあげればいいんじゃないかな。魔獣はともかく、ディストピアに入ってもらえばある程度の実力は見れるだろうし」
「ディストピア?」
「擬似戦闘を体験できる魔法のアイテムですよ。たしかに望月さんなら春日井さん達と違って魔法の心得もありますから、カーバンクルくらいなら相手にできるかもしれません」
先ほど言っていた警察関係者もその修行場で魔法の実践訓練を行っているのだという。
成程、素人に配慮した安全設計の修行場か。
もしや、ジョージア達が鍛えられたのもそのディストピアなのか。
だとしたら、万が一があっても大丈夫という虎助君が先ほど言った言葉は、それを指しているのではないか。
ならば、
「わかりました。それでお願いします」
「では、万屋に行く前にいつもの取り引きを済ませてしまいましょうか」
「ふふん。やっと話がまとまったようだね。待ちくたびれたよ」
と、いうことで一つの交渉がまとまり、次なる交渉に挑むことになるのだが、私は後にこの時の判断を後悔することになる。
だが、それを知るのはまだ暫く後のことだ。




