●修学旅行06
◆今回は場面が転々と移り変わります。
虎助が雪山でイエティもどきの精霊と激闘を繰り広げる一方、中谷綾子は悲嘆にくれていた。
あの後すぐ、綾子はスキー場のスタッフの手により、滑り落ちた斜面から助け上げられ、どうにかホテルまで戻ってきたまではよかったのだが、彼女からしてみれば、一緒にいた虎助が自分の所為で行方不明になってしまったようなものなのだ。
「間宮君が――、
間宮君が私を庇って」
「落ち着いて中谷さん。
なにがあったのかを話してくれる」
「わからないです。
救助を待ってたら急に大きな動物が横から走ってきて、間宮君が私の代わりに」
事情をまだ把握していない教師に向け、必死の訴える綾子。
しかし、その途中、堪えきれずに泣き出してしまう。
これに教師陣はこれ以上の追求は生徒の負担にしかならないと、綾子のことを養護教諭に任せ。
「電話はどうだ?」
「ダメです。
圏外にいるのか電池が切れているのか、繋がりません」
「こうなったら、我々が行くしか――」
「それは止めておいた方がいい」
いままさにホテルを捜索に出ようと提案した男性教師を止めたのは、オレンジの狩猟ベストを着た壮年の男性だった。
彼――いや、彼を含む数名の男性達はこの地域の山岳会のメンバーであって、スキー場にやってきた高校生が斜面を滑り落ちたというの連絡を知人経由で受け取り、すぐに駆けつけてきてくれたのだが、
しかし、そのタイミングは少し外れたもので、
「どうしてですか」
「外を見てみろ」
男性の声に促され、教師達が窓の外を見ると、まだ日もある時間帯にもかかわらず、外は暗く、猛烈な吹雪がただでさえ悪い視界を更に狭めていた。
「こんな雪の中、捜索に出たら二次被害にしかならんぞ。
ワシ等でも危ういのに素人さんが出ていくのは自殺行為だ」
「そんな――」
男性の言葉に愕然とする教師達。
しかし、そんな沈痛な空気を呑気な少年達の声が切り裂く。
「大丈夫っすよ」
「松平――」
「そうそう、これくらいよくあることですよ」
「虎助って俺のことを散々言うけどよ。結構トラブルメーカーだよな」
「いえ、そもそも虎助君は自分から問題を起こすようなタイプじゃありませんから」
「モトや志帆姉に巻き込まれて現場に出てくんだよな。
中学ん時も――」
あまりに危機感のないその会話に思わず唖然となる周囲。
ただ、一部山岳会のメンバーだけは、何故かそんな少年達に微笑ましげな視線を送っていた。
◆
ホテルのロビーにてどこか茶番じみた一幕があった後、
場所をトイレに移した元春達が声をかけるのは、騒動の中心人物だった虎助だった。
但し、その虎助は本人ではなく、念話通信越しの虎助であって、
「ってな感じになってんだけど、そっちはどんな感じなん」
『大事になってる?』
「そうでもないぞ。
委員長や先生とかはかなり慌ててたんだが、大場のおっちゃんがいろいろフォローを入れてくれてな」
『もしかして呼んでくれた』
「委員長を助けるのにな。
おっちゃんに頼めば手っ取り早いと思ったんだけど、ある意味でファインプレーになってんじゃね」
『この状況だと逆にね』
ちなみに、四人が話題にする大場という人物は、先ほどロビーに顔を出した壮年の男性ことで、
この大場を含めた山岳会のメンバーと虎助達は、虎助の母であるイズナが主催するブートキャンプを介した顔見知りであった。
ゆえに、大場を含めた山岳会のメンバーの一部は虎助のサバイバル能力の高さも熟知しており、いま二人が話したように、前もって連絡があったことから、虎助が遭難したのをあまり心配していないというのが正直なところなのだが、それを一般人である綾子や教師達に信じてもらうことが難しく。
現在、大場達は虎助の帰りを信じつつ、待つ側の精神的なフォローに回り、ことを大きくしないように立ち回ってくれていた。
「そんなわけだから、さっさと来いって」
『そうだね。あんまり長引くと前みたく後始末が必要になるかもしれないし、すぐに帰りたいところなんだけど、ちょっと問題があって――』
「なにかあったのか?」
『実は僕があの斜面から落ちる前に突進してきたのが雪の精霊でね』
「もしかして、勢い余って倒してしまったとか?」
『ううん、倒したりとかはしてないんだけど、そのお子さんが行方不明みたいなんだよ』
ちなみに、その雪の精霊は虎助との激闘の末、今はすっかり頭も冷えて、虎助の横で反省しきりだったりするのだが、今は事情があって元春達にはその姿を見ることが出来ない状態になっており。
「おいおい、精霊ってマジでこっちにも居んだなあ」
『この前、見つけた八百比丘尼さんだってそうだし、原始精霊とかは普通にいるじゃない』
実際に姿を表すような個体は他の世界よりも少ないだろうが、場所によっては魔法があるような世界と同レベルの魔素濃度を有するパワースポットなどという場所があるのである。
そうした地域の周辺なら、少ないながらも力を持った精霊がいてもおかしくはなく。
『それで三人にちょっと調べて欲しいことがあるんだけど、いいかな?』
◆
「で、どうする?」
「どうするって言われてもなあ。どう聞きゃあいいんだよ」
虎助との通信の後、元春と正則がコソコソと物陰から覗き込むのは、ホテルのロビーの一角で友人達に囲まれ放心する中谷だった。
そう、虎助が頼んだ調べ物は綾子から精霊の子供の情報を聞き出すことだった。
しかし、どうして精霊の子供に関する情報を綾子に聞くのかというと、あの雪の斜面での接近遭遇が精霊父が精霊娘の魔力を追いかけた末のことだったからで、
まあ、あそこで虎助が綾子を庇わずに、精霊父がもう少し冷静だったのなら、突発的なバトルは発生しなかったのかもしれなかったのだが、終わったことをあれこれ言っても仕方がない。
そして、冷静になってみると、ただ単純に本人に聞けばいいというのは当然の考えであって、現場の元春達が綾子の話を聞くべく、ロビーに戻ってきた訳であるが、
現在、彼女の側には鈴木や佐々木などの友人達が深刻な様子で張り付いていて、とても話しかけられるような状況ではなく。
ただ、そんな状況にもブレないのが彼である。
「普通に話しかければいいじゃないですか」
「普通にって、あの空気の中に入ってけってのかよ」
眼鏡をクイと上げ、物陰から歩き出す次郎を慌てて追いかける元春と正則。
一方、次郎は基本お馬鹿な二人に具体的な説明するのも面倒だと、おもむろに綾子に近付いて、
「中谷さん、いいですか?」
次郎の声にのろのろと顔をあげる綾子。
これにあわあわしながら割って入ったのは綾子の横に座っていた鈴木であった。
「あの、酒井君。
綾ちゃんは今――」
「わかっています。
ただ、この状況で僕達が虎助君を助ける為に無理をする必要があるか、いくつか伺いたいことがあるんです」
しかし、窓の外の景色と絡めて虎助の名前を出されてしまっては嫌とは言い辛い。
ロビーから見える吹雪のスキー場に周囲が静まり返ったのを見て、次郎が口を開く。
「中谷さんにお聞きしたいのは、二人を襲った生物がどのようなものだったのかということです」
「……ごめんなさい。私も突然のことでよく見ていなくて」
相手が相手だけにそういう答えが返ってくるのは次郎にもわかっていた。
しかし、本題はこの後であると次郎が切り込もうとしたところ、綾子を中心とした女性陣から少し離れた場所に立っていたクラス委員長の谷が小さく手を上げて、
「猟友会の人は、カモシカかイノシシじゃないかって言ってたけど」
「クマとかではなくてですか?」
「この時期は冬眠してるって話だよ」
例外も存在するが、基本的にこの時期はクマの活動していないのが常識だ。
加えて、スキー場の回りにはしっかりした害獣対策が施されているようで、本来なら野生動物がスキー場の近くに来ることは殆ど無いということは、次郎も知っていることであって、
「そうですか、ならば問題ありませんね。
しかし、そうなりますと中谷さんや元春君が見た巨大な生物とはなんだったのでしょう。
聞けば、あからさまにお二人を狙っていたようですし」
と、ここで次郎は意味ありげな間を作り。
「なにか襲われる原因でもあったんでしょうか、
たとえば、食べ物の匂いがしていたとか、その生物の子供に触れていただとか」
「子供……」
子供というワードに引っかかるような綾子の反応に次郎は眼鏡を光らせて。
「なにか心当たりが」
「え、あ、心当たりとかそういうのじゃなくて、実はあの少し前に迷子の女の子を見つけてて」
綾子がいう『あの』というのはスキー場でのコースアウトのことだろう。
「迷子の女の子ですか?」
「ええ、リフトから降りたすぐのところで泣いていたから、インストラクターの先生に引き渡したんだけど……」
さすがにこれと謎の巨大生物とは関係ないだろうと、綾子の問うような視線に次郎は腕を組みながら顎に手を添え。
「だとするなら、二人がその謎の生物に襲われそうになったのは、あくまで偶然ということになりますか」
独りごちるようにそう呟くと、改めて「ごめんさない……」と申し訳無さそうにする綾子。
次郎はそんな綾子の様子に「いえいえ参考になりました」と短いフォローを入れつつも、これ以上は聞くことがないと「すみません」と頭を下げて、
「お手数かけました」
ほぼ置物になっていた元春と正則の肩を叩き、その場を立ち去さろうとするのだが、三人がロビーを出ようとしたところで、虎助達のクラスメイトの一人、佐々木が追いかけてきて、
「ねぇ、間宮君は大丈夫なの?」
「さて、さすがにハッキリとしたことは言えませんが、この辺りで一番危険なクマに襲われたなどでないのなら心配ないかと」
次郎がそう言えば、元春と正則も頷き。
「相手がクマだったとしても、そう簡単に死ぬようなタマじゃねぇよな」
「どっちかっていうと、その場合、クマの方が気の毒かもな。
逆に狩られたりとかもあるかもだし」
実際は精霊を捕獲して説得したのだが、本当のことを言うわけにもと適当に誤魔化して、元春達は微妙に苦笑いの佐々木と別れ、さっき虎助と通信を行ったトイレに戻ると、まずは元春が、
「で、いまの話でなにがわかったんだ」
「おそらく、内田さんがスキー場で会ったという女の子。
その女の子が虎助君が言う精霊のお子さんなんでしょうね」
「けどよ。虎助と戦ったのはまんま雪男みてーな精霊なんだろ。その子供が女の子ってのは違うくね」
たしかに、まさにファンタジックな雪男の娘がかわいい女の子と言うのには違和感がある。
「そこは、精霊ということで理解してもかまわないのでは?
雪山に雪男が存在するように雪女も存在すると言い伝えられていますから」
「ちょっと待て、それって完全に美女と野獣のカップリングじゃねーかよ」
と、元春が叫ぶ『完全に――』がどんな意味を指すものなのかは次郎にも正則にもわからないが。
「とにかく、その迷子がどうなってるのかを調べましょう」
「だな。雪女ちゃんがまってるぜ」
「そこはせめて虎助が待ってるとか言っとくトコじゃねぇか」
「いやいや、虎助はピンピンしてんじゃんかよ」
「あ――、そういわれるとそうなのか」
◆
さて、そんなこんなで綾子の情報をもとに精霊娘の捜索を行った正則達であったが、肝心の精霊娘の姿を見つけられず、ふたたび虎助と連絡を取っていた。
「そのインストラクターのお姉さんから話を聞き出して、預かり所に来たんだけどよ。その雪女ちゃんがいなくなってんだわ」
『そうなんだ。
でも、それ、もしかすると見えなくなってるだけかも』
「どういうことです」
『実は雪の精霊は体を雪で作ってるみたいで、溶けたら精霊本体しか残らないんだよ』
これは、つい先ごろの精霊との戦いで虎助が体験したことで、熱湯攻撃を食らった雪の精霊は一度体を失っていたのだ。
だから『それよりも力の弱い精霊娘が温かい室内で物理的な体を失い、回復できていないのでは?』というのが虎助の予想であって、
「それですと見つけるのは難しそうですね」
『グラムサイトがあれば簡単なんだけどね。
さすがに修学旅行には持ってきてないから、ライカにでも頼んで見つけてもらって』
物理的な肉体を失った精霊は人間には見えなくとも、精霊には見えると、スクナに頼った捜索を提案する虎助に「よっしゃ」と元春が相棒の一人、ライカを呼び出そうとポケットに手を伸ばすのだが、その手を次郎が「待ってください」と止め。
「あん、なんで邪魔すんだよ」
「なんでと言われましても、元春君のスクナは目立つでしょうに、
その点、自分の相棒たるスクナのユイたんなら――」
と、やや強引にユイたんの活躍の場を用意する次郎に元春がジト目を向ける一方、
「俺のドラドなんか、思いっきりギンギラギンだしな」
正則は自分の相棒である黄金のドラゴンを思い出し、次郎の指摘に納得。
結果、次郎の目論見通り、ユイたんが周囲を調べてもらうことになるのだが、
「見つけたみたいだな」
「なにもないところでコケたぞ」
「可愛いでしょう」
何故か得意げな次郎の顔に元春と正則はハイハイと呆れたようにしながらも、ユイたんを追いかけ、ホテルの片隅にある非常口に続く扉の前で、急に身振り手振りを始めた彼女の様子をひっそりと観察。
「なんか話してるな」
「なんていうか不気味だな」
「相手は女の子のようですから、僕達はここでユイたんの成果を待ちましょう」
何もない通路の片隅に話しかける手乗りサイズのアイドルというシュールな光景を見ること数分、
「おっ、ユイたんが戻ってきたぞ」
「どうしました?ああ、連れてきてくれたんですね。お手柄です」
次郎が過剰なまでにユイたんを褒め称えるという蛇足がありながらも。
「では、さっそく虎助君に連絡しましょうね」
「「おうっ、そうだな……」」




