ジビエと熟成
その日、文化祭関連の準備を終えて、いつもより少し遅い時間に来店した元春が、静かにスライドドアを開け、その隙間から顔をのぞかせる。
「なあ虎助、加藤のじっちゃんはもう帰ったんだよな」
「なにを今更――、
けさ帰っていくのをその目で見たじゃない」
「そうなんだけど一応な。
けど、これで俺は自由ってか」
さて、どうして元春がこんなに喜んでいるのかというと、加藤さんがいる間、元春は毎日のように修行の付き合いとしてディストピア攻略に駆り出されていたからである。
まあ、その大半は文化祭の準備があるということで躱していたのであるのだが、
求道者の朝は早い。
そして、最近元春の生活態度がだらけ気味だったという事情も重なったのだろう。
僕の母さんと元春のお母さんである千代さんの結託もあって、元春は学校へ行くまでの数時間をアヴァロン=エラで過ごしていたのだ。
と、そんな厳しい生活が今朝まで行われていたことから、さっきまでの警戒感まるだしの行動があったというわけなのだ。
しかし、加藤さんがしっかり家に帰っていったとわかった途端、元春はしかめっ面から一転、晴れやかな顔で店内へと入ってくる。
そして、カウンターの横を通り抜け、和室に上がろうとしたところで、掘りごたつ式テーブルの上に置かれた大きな肉の塊に気付いたようだ。
「なにやってるん?そんなデケー肉用意して」
「実はいまちょっとした試食をしようと思ってて――」
「試食ってか、それ、ふつうにパーフェクト焼き肉の準備じゃね」
用意された肉の塊にいかにもな七輪。
そして、肉を切り分けるナイフとまな板がテーブルの上に並べられている状況を考えると、元春が言わんとすることもわからないでもないが、今回は本当に試食だけで、用意してあるも肉のみで、
とはいえ、ここでまた変に言い訳のようなことを言って、元春だけ仲間外れにすると後が面倒なりそうなので――、
「元春もちょっと食べてみる」
「当然だぜ」
そう言いながら和室に上がった元春は、先にスタンバイしていたマリィさんと魔王様、次郎君と玲さんと軽く挨拶を交わし、女性陣に誘導されるがままに、一人テーブルの端に追いやられるも、それはいつものことと特に落ち込むようなことはなく。
「ちなみに、これ何の肉?」
「熊肉だよ。おととい加藤さんが仕留めた魔獣だね」
「わたしも手伝ったのよ」
「マジで」
「凄いでしょ」
和室の奥、無い胸を張る玲さんに微笑まし気な視線を向ける元春。
当然のようにその視線の意味は玲さんに気付かれて、光杭でお仕置きされるという結末が待っていたのだが、こちらはこちらで毎度のことなので、誰も特に気にすることなく。
「では、焼き始めましょうか」
僕は自分と用意した包丁に浄化の魔法をかけると、それぞれの要望を受けながら用意された熊肉をスライスしてゆく。
そして、それぞれの熊肉をしっかり熱せられた七輪の上の金網に乗っけたところで、煙が上手く外へ逃げるようにと、マリィさんに風の魔法をお願いして、
「マサとかゼッテー悔しがるぜ」
「悔しがるって試食だよ」
こればっかりは巡り合わせというものがあるのだが、何度も言うが今回の目的はあくまで試食である。
なので、分厚い肉を前に無駄にはしゃぐ元春に焼肉パーティではないことを改めて念押ししつつ、肉の焼き加減を見極めて。
「そろそろいいんじゃないかな」
別に焼き肉奉行とかそういうつもりはないのだが、なぜか一人焼きに徹していた僕がいい感じに焼けた熊肉を、トングを使ってそれぞれのお皿に取り分けたところで、元春が早速とばかりにその上焼き肉くらいある熊のお肉を口いっぱいに頬張って、
「おお、やらけーな。前に食った熊肉よりも全然やらかくてうめーじゃん」
「というか、あんた達、熊の肉を食べたことがあるの?」
「母さんに連れられて山に行きまして――」
「ああ――」
そう言いながらも熊肉を口に運ぶ玲さんも母さんの洗礼はすでに受けている。
加藤さんが元春達とディストピアに潜る一方で、魔法の練習をしていた玲さん環さん姉妹が、母さんに目をつけられ、ちょっとした護身術を習ったのだ。
その時の訓練内容を思い出したのか、表情を死なせる玲さんだが、肉を一噛み、二噛みしたところで弾ける笑顔を取り戻し。
「おいしいじゃないこれ」
「っすね。やっぱ魔獣だからとか」
動物の種類にもよるのだが、魔素を体内に宿す生物の肉には旨味が詰まっていることがある。
そして、その肉も身体強化によって強化されている場合がほとんどで、それが切れてしまえば、普通の獣よりも柔らかい肉質だという場合も少なくもなく、結果的に美味しい肉となるのである。
ただ、今回の熊肉は決してそこまでいいお肉ではなかったので、
「それもあるけど、錬金術で熟成させてるから」
「感謝してもいいんですよ」
「なんでそこで次郎が偉そうなんだよ」
「それはですね。今回の肉の熟成には僕も関わっていますから」
「マジかよ」
そう、文化祭の準備で忙しいにも関わらず、きょう次郎君がここにいるのは、自分で仕込んだこの肉の出来栄えを確かめる為である。
硬い狼肉なんかを実験台に、以前からいろいろと試していたのだが、今回その研究の結果、エレイン君の手によって、かなりいい感じの熟成肉が作れたとのことで、こうしてわざわざ足を運んでもらったのでだ。
ちなみに、以前作った熟成肉は、食べられるものは食べ、それ以外は魔力に還元させてもらった。
さすがに全部が全部、成功とはいかなかったのである。
そして、この還元があるからこそ、素材の無駄なく実験ができるわけで、
「今回はうまく出来てると思うけど、ただ熟成肉って食べたことないから、これでいいのかわからないんだよね」
その成分の分析結果から、明らかに美味しいというレベルまで持ってこれたのはいいのであるが、そもそもからして高級店にあるような熟成肉がどんなものなのかを僕達は知らなかった。
そこで白羽の矢が立ったのが玲さんである。
「それで玲さん。どうでしょう」
「熟成の所為かはわかんないけど、専門店にも負けてないんじゃない。
ってゆうか、むしろこっちの方が美味しいまであるかも」
そう、玲さんはこう見えてお嬢様らしき存在なのだ。
そんな玲さんによると、今回の熊肉は熟成のお陰かは分からないとしながらも、専門店に出てくる肉よりも美味しいという。
ちなみに、この熊の熟成肉を食べるのに使っているつけダレは市販のものである。
だから、玲さんの評価は肉そのものの味の評価になっているのだと思われるのだが、
はてさてその完成度はどれほどのものだったのだろうと、玲さんの評価を詳しく聞いていると、
ここでじっくり熟成熊肉を味わっていたマリィさんが、しっかりと口の中のお肉を飲み込んで、口元をナプキンで拭いてから「あの」と声を上げ、聞いてくるのは、
「さっきから言っている熟成肉とはどのようなものですの」
「ああ、それはですね。
なんていいますか、切り出した肉の塊をいろいろと条件を揃えて長期保存したものになりますか」
イメージとしてはカマンベールチーズが一番わかり易いかな。
本来の熟成肉というものは、肉の表面に麹菌などを繁殖させ、防腐と共に肉のタンパク質を分解。
宿る水分を抜くことによって旨味が増やすという技術だったと思う。
とはいっても、肉の熟成に関しては絶対的なルールが決まっていないようで、場合によっては塩麹に漬けただけでも熟成肉といえば熟成肉だという話もあったりするそうだ。
だから、僕達が作ったそれもおそらく熟成肉の一種だとは思うのだけど、絶対的にそうかといえば確信をもてるものではなく。
「てか、そういうのって、ヨーロッパ? とか、そういうとこの伝統のってイメージがあるけど、どうなん?」
「そうだね。そういうものもあったとは思うんだけど、今は外国とかだと逆にジビエ料理が衰退してるみたいだから」
そこがまた判断が難しくなるところであるが、
「そうなん?」
「ほら、いまあっちだと、食肉加工が残酷とかいって、一部過激な人が大袈裟な反対運動とかやってるみたいじゃない?」
過激な人は街の精肉店に突撃するとか、店の間でわざわざ屠殺の現場写真でサンドイッチマンをするとか、まったく意味がわからない状態になっているらしいのだ。
「そういやそんな話もあったような――」
うん、まったく知らないって反応だね。
「けど、実際そういうのってどうなん?
熊肉とか、そういうのを狩るのって害獣駆除ってのもあんじゃん。
単にグロ耐性が低いとかなんじゃね」
「身も蓋もない言い方をするとそうかもだけど――」
まあ、そこは個人個人の考え方によるもので、なにか特定の考え方に一極化してしまうのはどうかと思うっていうのが僕の考えだ。
「全く理解できませんわね」
「……ん」
そして、この意見にマリィさんのみならず魔王様までもが頷いているのは、害獣以上に命の危険を伴う魔獣という存在が当たり前のようにいる世界に暮らすお二人からしてみると、そうするのが当然であるからなのだろう。
とはいえ、こういう問題は信仰心に近い微妙な心情を挟む問題で、ここで僕達がなんやかんやを言ったところで仕方のないことだからと。
「しかし、錬金術でお肉の味がこれほど変わるというのなら、私達も勉強する必要がありますわね」
「その際のデータは取ってありますから、メモリーカードにして渡しましょうか。次郎君もいいよね」
「ええ」
「お願いしますの」




