●気象観測とその結果
時刻は午後十時過ぎ、自宅リビングにいる僕の目の前には二枚の魔法窓が浮かんでいる。
片方の魔法窓には賢者様の研究所にいる面々が分割された状態で映し出され、もう片方の魔法窓には工房の地下にこもるソニアの姿が映っていた。
さて、この集まりがなんなのかというと――、
『こんな時間の報告になっちまって悪いな。とりあえず打ち上げから一ヶ月、人工衛星から送られてきたデータがまとまったんで、その報告と検討をしようと思っている』
そう、この集まりは、近年、賢者様が住む世界で起こる異常気象――、
その異常気象が研究所周辺の自然に及ぼす影響の改善にと、世界樹の植え付けと合わせて打ち上げられた、人工衛星から送られてきたデータを検討するための集まりだ。
『とはいっても、ボクも環境問題 とか、そういうことについては素人だから、大したことは言えないんだけど』
『ソニアがそれを言い出したら、私達はどうなるのよ』
『あくまで世界樹の観測のついでなのだから、いいんじゃない』
さて、主催である賢者様の挨拶からの軽いやり取りが終わったところで、それぞれがわかる範囲でデータをチェック。
ざっと目を通したところで、ようやく本格的な検討に入るのだが、
『これを見るに、全体の魔素濃度にそこまでの違いはなかった?』
『工場周辺の濃度が少し低いくらいか』
『でも、これくらいなら他の世界でも起こりうる差なんじゃない?』
ナタリアさんの疑問は当然といえば当然のものである。
そもそも自然界においても、魔素が常に均一の状態であることはありえない。
『ただ問題はそれが同じ場所で継続して起こっているってことが問題になるんじゃない』
『そうだな。
アニマ、例の映像を出してくれ』
賢者様の指示でアニマさんが手元の魔法窓を素早くタップ。
すると、僕を含めたそれぞれの手元に天気予報などで見る雨雲レーダーに似た、魔素の流れを視覚化した地図情報が表示される。
「これは、ここ七十二時間のドロップ工場周辺の魔素濃度の変化なんだが、ドロップの製造工場の周辺だけが、魔素が極端に薄くなっているのがわかる』
『それに魔素流れもだね。魔素の薄い部分に吸い込まれているように動いてるんじゃないかな』
『けど、ここまで局所的だと、全体の動きとしては大きな影響を与える程じゃなさそうじゃない?』
たしかに、ナタリアさんの言うように、たかが工場周辺の魔素濃度が下がったくらいで、周辺の天気に影響を与えるっていうのは大袈裟だという意見もわからないでもないけど……、
『ちなみに、これの影響だと思われる現象はどんなものが考えられるの?』
『わかりやすい影響は雨だな。
こっちの世界のネットワークを調べてみたら、ここ数年で雨量が虫で機械レベルで増大した地域がいくつか見つかった』
『他に落雷の発生率、ハリケーンの進路、一部菌類の有毒化、小型魔獣の異常発生などがその関連を疑われます』
と、賢者様の説明を情報面からフォローするのはアニマさんだ。
『しかし、これだけハッキリしたデータが出てるってなると、そっちを専門に研究してる人とかいそうなものだけど』
たしかに、いくら賢者様の住まう世界が魔法優位な世界だとしても――、
いや、魔法技術がかなり発達しているだけに、むしろ魔法的なアプローチから気象を研究する学者なりがいそうなものだが、
『それなんだが、俺らのところだと人工衛星が飛ばせないからな。天気とか災害なんかの予報は占星術や精霊術の範疇になるんだ』
そういえば、魔獣とかそういう存在が跋扈する世界だけに、賢者様のところでは宇宙開発はもとより、辺境の開発すらそこまで進んでいないんだっけ。
それに精霊存在が周囲の環境に影響を与えることを考えると、天気予報が精霊術の範疇っていうのもなんとなく理解できると、そんな話の流れからか、ソニアが思い出したとばかりに口にするのは以下のうようなことだった。
『そういえば前にそっちの世界で、エルフに見えていた原始精霊の姿が見えなくなったとか、そんな話がなかった?』
『それね。たしかに見える人が減ってきたっていうのは本当みたいなんだけど、私はそっち方面の才能がまったくなかったから、そこまで詳しくないんだよね』
『ホリルは精霊が見えなくなってきたことにドロップのことが関係していると思う?』
『うーん、魔法が廃れてドロップやシェルなんてものが使われるようになったのはここ百年のことだけど、精霊を見ることの出来る人が減ってきたのはそれよりも前だったから――』
産業革命と環境問題は切っても切り離せない関係であるが、ホリルさんの地元で精霊の目撃談が減ったのはそれより前だったとのこと。
こうなると、この精霊が見える人が減ってきた原因はドロップの問題になんの関係もなさそうであるが――、
『でも、シェルの原型になる道具はかなり前からあっただろ』
『ええ、オートメイジにイージチャフ、固有名詞をあげていけばキリがないわね』
どうやら、シェルとドロップ以前にも、似たような作りのマジックアイテムがあったようだ。
だとしたら、精霊が見えなくなった原因もその辺にあるのかもしれないと――、
ただ、ここでソニアが気にしたのは賢者様とナタリアさんが口にしたマジックアイテムそのものだった。
『へぇ、それはどんなものなんだい?』
『そうだな。
……万屋の魔法銃にシェルを参考に作ったマガジン付きのヤツがあるだろ。
ドロップじゃなくて魔法金属を使った。
ああいうヤツだよ』
『ああ――、
って、それ、もしかしてボク、技術を逆行させてた?』
ちなみに、賢者様がいったそれは、ガルダシア城のユリス様やメイドのみなさんに人気の特殊魔法銃で、
マガジンを変えなければ弾種を変えられないという弱点があるものの、ディロックのようにマガジンそのものに魔法が込められているいる為、自身の魔力消費無しに強力な魔弾が雨霰のように放つことが出来る魔法銃のことである。
『どうなんだろうな。魔力の変換効率で言えば、あれはドロップよりも上だし、むしろあれこそが正当進化ってヤツじゃないか』
『ふぅん。
でも、基本設計はほぼ同じなんでしょ。
ちょっと気になるね。
できれば実物を見てみたいんだけど』
『ん、ああ、そういうのが欲しいってんならナタリアなんだが――』
おねだりとも取れるソニアの発言にナタリアさんを見る賢者様。
どうやらナタリアさんはアンティークの収集もしているようだ。
ただ、当のナタリアさんは続く賢者様の説明に肩を竦め。
『残念だけど、コレクションはお城の方に置きっぱなしだから手元にないわ』
『お城?』
『私の研究所。むかしある国の辺境を収めていた侯爵の古城を改造したものなの』
聞けば、ナタリアさんは、かつて魔獣の領域に沈んだ古城を改造して使っていたという。
しかし、その研究所があるのが賢者様の研究所から1万キロくらい離れた場所らしく。
『レイのこと、そして神秘教会の動きを考えると、しばらく戻れそうにないから――』
『だったら蒼空を貸し出そうか?』
今すぐにそのマジックアイテムを取りに戻るのは難しいと言うが、ソニアとしてはどうしてもそのマジックアイテムを調べてみたいのだろう。
ナタリアさんの言葉を遮るように蒼空の貸し出しを提案。
ただ、ナタリアさんからしてみると、『蒼空』と言われただけではそれがどのようなものかわからないと蒼空の名前をオウム返しに呟き。
そんなナタリアさんのリアクションに、ソニアも自分の気が逸っていたことに気付かされたのだろう。
軽く苦笑した後、手元の魔法窓を操作して、
『蒼空はボクが作った鳥型ゴーレムだね。マジックバッグ機能もついてるし、研究所の中に入れるなら、いろいろと回収できるんじゃない』
『へぇ、それを貸し出してくれるんだ』
これはもうナタリアさんのお城にあるマジックアイテムを回収することで決定かな。
ナタリアさんが自分の手元に送られてきた蒼空の仕様書に興味津々と視線を走らせ。
と、そんなナタリアさん――とソニア――の脱線を横目に、ここで賢者様の咳払い。
「あー、本題に戻っていいか?」
しかし、そんな賢者様の声もナタリアさんには聞こえていないようなので、
ここは賢者様の為にもと僕が話の流れを変えるべく。
「ちなみに、地球の環境問題は二酸化炭素の増加なんて言われていますが、ドロップを作る時になにか出ているってことはないですか?」
地球での産業革命時、各地で起きた公害――、
いや、いまも大小の差はあれど、先進国・発展途上国とわず起きている公害がドロップ製作により起きている可能性はないのかと、手を上げて言ってみると、先にソニアが脇道から復帰してきたみたいだ。
『それはないよ。ボクが作る前に調べたから』
考えてもみれば、万屋でもドロップなどは作っている。
その製作時になにか不具合があった場合、ソニアがそれを放っておくハズもないか。
『やっぱり、ボクが気になるのは魔力の流れかな』
『『『魔力の流れ?』』』
『この前、虎助のところのテレビで見たんだけど、なんか風の動きとか気圧配置とかの条件が重なると、同じような場所で雨が降り続いたりするらしいんだよね』
たしか湿舌だったかな。
偏西風の流れや気圧配置により、一定の地域に湿った空気がどんどん流れ込むことによって大雨になるって現象だ。
『だから、あくまでこれはロベルトの研究所近くで起きた長雨にあてはまるかもって話なんだけど――』
『ふむ、つまり、その風の流れの代わりを魔素の流れが影響してたってことか』
『あくまで予想だけどね』
『考えられなくはないのかしら』
『あと、その工場で魔素を集めることで、地脈や龍穴の流れや位置に影響が出てるなんてことは考えられないかな。ドロップの製作に地脈は必須じゃないみたいだけど、効率を考えると地脈の位置とか気にしてるんじゃない』
『ああ、むしろそっちの方がしっくり来るな』
地球でも魔女のみなさんがそうしているように、あちらの世界でも大きな魔導工場を作る際に地脈の位置なんかを意識しているのだろう。
そして、そんな地脈の近くに不自然に魔素が薄い空間があったらどうなるのか。
『とはいえ、計測をはじめてまだ一ヶ月だし、ハッキリとしたことはいえないか。
とりあえず、いま出た話を参考にデータを増やしていくしかないだろ』
『そうね。どっちにしても、たとえこれで原因がわかったとしても、私達にはどうすることもできないし』
『結局、世界樹の片手間だからな』
そう、この検証はあくまで研究所周辺の環境保全を目的としたもので、
僕達としても、賢者様達としても、この検証はあくまで世界樹育成のオプションのようなものなのだ。
『それに最初にソニアも言ってたが、この研究は俺達の専門じゃないからな』
『データを集めても限界があるわよね』
『それに、なにかわかったとしても、私達だけじゃどうにもならないしね』
そう、データを見れば、いろいろと予想を立てることは出来るのだが、
なにか、これと決め打ちするには僕達は知識が足りないのだ。
それになにかわかったとしても、その原因の根絶にはマクロな動きが必要になるだろう。
だからというべきか――、
『まあ、次はなにか気になるデータが出てきたら、こうやって相談するってことで――』
『そうね。私達で判断がつかなくても、みんなで考えて危なそうな情報だってわかったら、どっかの研究機関に投げちゃえばいいんだから』
結論らしきものが出たところで、今日はお開きかな。
ナタリアさんの食付きからして、後で蒼空の準備をしないとだけど、とりあえず話がまとまったのなら、明日も早いし僕は寝る準備をしないと――、
僕はまだ細々とした話し合いをする賢者様達に先に落ちますと断りを入れて、お風呂場に向かうのだった。




