アヴァロン=エラの植生
アヴァロン=エラに豊穣の雨が降り注いだ翌日、授業を終えて帰宅した僕が着替えたのは、いつものジップパーカーではなくつなぎ姿、今日はちょっとした実験をしようと思っているので、汚れてもいいこの格好が丁度いいのだ。
僕は万屋に着くなり、裏の工房で昨日から作っておいてと頼んでおいたミスリル製のクワを回収して、万屋の脇、元春の魔法練習に使っている石壁の前のスペースに移動する。
そう、僕がしようとしていた実験というのは、このアヴァロン=エラにおける家庭菜園。だだっ広いこのアヴァロン=エラの土地を活かすために何か植物を育てられないかと考えたのだ。
ということで早速、見る人が見たら勿体無いというだろうミスリルのクワで不毛の大地を耕していく。
ざくっざくっと小気味いい音を立ててかき混ぜられる赤土。ミスリルのクワのおかげか思っていたよりも地面からの抵抗感はない。
そして、だいたい2畳分くらいの広さだろうか、小さな花壇くらいある広さの土を耕したところで、正面に見る石組みの儀式場から光の柱が立ち上る。
この時間にこの世界を訪れるお客様と言えば――、
と、少しして、予想していた人物が、金髪やら何やらと体の各部を弾ませてやってくる。
「何をやっていますの?」
「いらっしゃいませマリィさん。これはちょっとした実験ですよ」
挨拶を抜かして問い掛けてくるのはマリィさんだ。
僕は額の汗をつなぎの袖で拭い、いつもの挨拶を返すと、マリィさんの質問に答えるように、ポケットから近所のホームセンターで買ってきたミニトマトの種を出す。
そして、百聞は一見にしかずと、その種を耕したばかりの地面へと埋め、ディーネさんの井戸から汲んできた水をかけ、待つこと暫く。
「あの虎助――」
マリィさんが困惑気味に何か言おうとしたその時だった。先ほど植えたばかりのトマトが目を出し、蔓を伸ばす。
しかし、その蔓はわずか1メートルほど成長したところで花を咲かせると、そのまま枯れてしまう。
まるでビデオを早回ししたような成長スピードに、マリィさんは目をまんまるにして聞いてくる。
「こ、これはどういうことですの?もしや伝説の魔法の種?」
「いいえ、この種は僕が近所の販売店で買ってきたものですよ。ただ、アヴァロン=エラの膨大な魔素が作用して植物を急成長させてしまうみたいなんです。だから少し目を離した隙に枯れてしまうんですよね」
魔法の種なんてものもあるのか。僕はマリィさんの発言に興味をそそられながらも、目の前で起きた植物の急成長についての説明をしていく。
そう、わざわざ家庭菜園を作る前に実験するという理由がこれなのだ。
ソニアが言うには、魔素の濃い地域の植物は成長が早いのだという。
そして、このアヴァロン=エラの魔素濃度は地球の数万倍、マリィさんの世界からしても数千倍になる。そんな環境下に植えられた植物がどのような成長をするのだろうか。その実験がいま見てもらった結果である。
考えてもみれば各神社に存在するご神木やらなんやらが大きく育つのも、魔素の影響を受けているからなのかもしれない。
有名な神社仏閣がパワースポットに建てられているなんて話はよく聞く話だ。
まあ、他にも、大切に育てているからこそ大きくなったという理由もあるのだろうけど、それはそれとして、
「成程、いまの現象がどういう原因を元に起こっているのかは理解しました。ですが、花が咲いたというのに実をつけず枯れてしまったのはどういうことですの?」
「一つは水の影響ですね。土に含まれる水が成長し切るのに足りずに枯れてしまったんです。あと、あまりの成長スピードに受粉が間に合わなかったからでしょうね」
多くの植物は、それぞれに合った方法で受粉ができなければ実をつけられなければ種は出来ない。
この魔素が溢れるアヴァロン=エラが不毛な大地のようになってしまっているのは、過剰なまでの魔素濃度の所為で植物が急成長することにより、子孫を残すことができなくなっているからなのだ。
本来、魔素が豊富な土地にはダンジョンじみた樹海が出来るなんて場合がその殆どのパターンなのだという話だが、過ぎたるは及ばざるが如し、何事も過剰になればデメリットの一つもあるということなんだろう。
「しかし、勿体無いですわね。この世界ならば最高級品質以上の錬金素材が収穫できそうですのに」
「この世界にも対応できる植物があればいいんですけどね。そういった植物はだいたい魔物化したような危険な植物ばかりですから、品種改良でもしなければ使えないんですよ。植物系の魔法は使えるんですけどね。その辺りどうなっているのか不思議です」
因みに植物系魔法うんぬんという話は、このアヴァロン=エラを訪れた魔獣や探索者の方々の使った魔法を参考にしていたりする。
「植物魔法はどちらかといえば精霊魔法に近いですからね。ですが、品種改良とはどういったものなのです?」
意図的な品種改良を可能とする技術が確立したのないつの時代のことだったか。
マリィさんの世界が僕の世界の歴史と完全に一致するとは限らないのだが、昔は取捨選択や野生の中から新たな苗を探してくるのが主流であり、現代のような掛け合わせの品種改良が始まったのは結構最近のことだったような気がしないでもない。
ただ、そんな技術を、中世ヨーロッパのような世界に暮らすマリィさんに教えていいものか。
僕は脳裏に技術ハザードや何やらというワードを思い浮かべ、取り敢えずその話は先送り。
誤魔化すように、「日が暮れる前に他の実験もしてしまいましょう」とカリカリに枯れてしまったプチトマトを丁寧に回収。次に植える植物の為に軽く土を耕しはじめる。
しかし、植えてすぐに枯れてしまうものをどうやって収穫すればいいというのか。
それは簡単だ。
プチトマトに見切りをつけた僕が次に取り出したのは、家庭菜園の大定番、二十日大根の種。
そう、実をつけるものが収穫できないならば、実以外を利用する農作物を収穫すればいいのだ。
僕は先に植えたトマトと同じように二十日大根の種を一粒、軽く耕したばかりの地面に落とし、土を被せ、ディーネさん印の水をたっぷりとかける。
そして、再び待つこと暫し、カップラーメンが完成するよりも早く新芽が顔を覗かせ、みるみるうちに葉が広がっていく。
地面から赤や白の根っこが頭半分飛び出して、ここが収穫時期だとタイミングを図って抜いてみるのだが、その間にも、二十日大根は根に付着した土から魔素を取り込んでいるのか、成長が続き、水で土を洗い流した時にはもう、たくあんを作るために天日干しした大根のように絶妙なしなび具合になっていた。
(う~ん。実をつけない植物なら意外と簡単に収穫できるかと思ったけど、問題はアヴァロン=エラの土に宿る魔素そのものか。水の方は関係ないみたいだしな)
ならばと僕が次に試したのは葉野菜である小松菜の種。
二十日大根の失敗を考えると根っこから抜いても成長は止まらないだろうと予想して、僕が植える役となり、マリィさんにはハサミで刈ってもらう役を担当してもらうことにする。
そして、先の2例とはまた別の方法、予め水をたっぷりと含ませた土の上に小粒の種をばら撒いていく。
するとすぐに小松菜はまるで火をつけた蛇花火のように勢い良く葉を伸ばし、ハサミを持ったマリィさんがその葉っぱをザクザクと刈っていく。
「畑仕事とはなかなかに難しいものなのですね」
「いや、これはそういうレベルじゃないと思いますよ」
それでも種を撒き過ぎたのか、半分くらいは干からびてしまったが、結構な量の小松菜が確保できた。
後はその応用だ。葉物野菜を中心に、時には大根のような根菜類をどうヤッたら収穫できるだろうと、考えながら野菜の収穫(?)を行っていたところ、ふと考え込むように収穫した葉っぱを見つめるマリィさんが目に留まる。
「どうしました?」
「いえ、通常の植物にこれ程までの影響が出るのだとしたら、私達人間にももっと影響が出ていてもおかしくはないのでは?と思いまして」
「ああ、それは前にも説明しました通り、この世界には加護が働いていますから。心配ないと思いますよ」
あれは義姉さんに無理やり連れてこられた佐藤さんに話した時だったか、いや、それよりももっと前にか。以前、説明したこのアヴァロン=エラを覆う加護の話を持ち出す僕に、マリィさんは口元に小さな苦笑を作りながらも、
「でしたわね。けれどここまでの成長を見た後ですと、やはり心配になってしまいます」
たしかに、短くて数十秒、長くても5分足らずで、成長し枯れてしまう植物を見てしまえば、自分にその影響はないのかと不安に思うのは仕方のないことなのかもしれない。
「加護がかかっているとかそういう理由だけでなく、生物と植物の体を構成する要素が違うそうですからね。この世界が植物に及ぼす影響が即人間に繋がるものではないということですよ」
簡単なところでいうのなら、小学生の頃に習う細胞膜と細胞壁の違いがその両者を分ける一つの原因なのだそうだ。他にもDNAが持つ細かな因子の違いだとか、魔力の質や操作に関する精神的な強度など、
生物としてそれぞれが持つ特性の違いが、生物の場合は新陳代謝やその機能などに影響が現れ、植物には成長やそのものへの強化へと繋がる――といった風な違いに現れるのだという。
そして、魔獣に代表される魔素を過剰に摂取した存在なら、その区分はかなり曖昧なものになり、精霊や竜種といった上位存在に近付いた個体ならば、その才能によって変化を自由に操れるようになるのだという。
「まあ、今回の実験結果に関していえば、使った種は全部僕の世界から持ってきたものですから、魔素に対する耐性みたいなものが著しく低いのかもしれませんけどね」
僕の世界における現代野菜は、ただでさえ品種改良によって人間に都合よく調整された植物である。
そんな種が野性味溢れる土壌で、しかも魔素なんてエネルギーが大量に存在する世界でまともに成長できる訳がないのだ。
「でしたら、今度、私の世界の種を持ってくるのも面白いのかもしれませんわね」
しかし、その種が普段から魔素を取り込んでいる土地に存在する植物の種ならどうだろう。
マリィさんはそういいたいのだろうが、残念ながらマリィさんの世界とこのアヴァロン=エラの間でも魔素濃度の差は数千倍。
マリィさんの世界の植物がアヴァロン=エラの環境に対応できてしまったのなら、どこか、強力な魔獣が暮らす森からこの世界に紛れ込んできた種でこのアヴァロン=エラは緑溢れる土地になっていたことだろう。
だが、現在のところアヴァロン=エラが緑におおわれたことは一度たりともないという。
まあ、そこには、ゲート周りに常に展開されている各種様々な魔法式の影響や、ゲート付きのエレイン君が迷い込んできた全ての素材を常時回収してくれているなんて努力も関係しているのだが、
「その辺りの検証は今後進めていきたいテーマですよね。だけどまずは収穫した野菜がどうなっているのかを調べてみましょうか。なにか面白いことになっているかもしれませんので」
僕はマリィさんの提案に端を発した思考を一旦打ち切って、〈鑑定〉と一言、魔法を発動させる。
「あら、〈鑑定〉覚えましたのね」
「毎回のように〈金竜の眼〉使っていましたから、さすがに覚えてしまったみたいです」
と、そんな特殊な魔導器由来の〈鑑定〉によって表示された説明は以下の通り。
小魔Ⅱ菜……大量の魔素を含んだ小松菜。焼いて良し、煮て良し、蒸して良し、錬金して良しの万能野菜。
しかし、この鑑定結果に表示される名前やら何やらはいったい誰が決めているんだろう?
なんだか、どこかのヘビィメタルバンドみたいな名前になっていて、いろいろとツッコミどころが満載な鑑定結果なのだが、とりあえずこれで薬草として価値が有ることが判明した。
「それで、どうでしたの?」
「多分この世界で育てた野菜を使ってポーションチートができますね」
「ポーションチート?ええと、もう少し私にも分かり易く説明していただけると助かるのですが」
「ああ、すいません」
普段から僕の世界のライトノベルなんかを読んでいるマリィさんでも、ポーションチートなんて言葉はさすがにわからなかったか。
「実はこの種、銀貨1枚も出せば何千粒って手に入るんですけど、出来上がったこの小松菜の魔素含有量だと、ハイポーションくらいは簡単に作れそうなんですよね。とすると――」
「ハイポーションの価格は最低でも金貨1枚。それがたった銀貨1枚で、この野菜の収穫率や錬金術の手間などの深く霊要素もありますが、たった銀貨1枚で、金貨1000枚以上の価値になりますの」
問いかけるような僕の説明に、驚愕と共に一応は領地経営をしているが故か、素早い金勘定で答えるマリィさん。
因みに、この万屋ではハイポーション1本を日本円にして2万円、銀貨20枚という価格で売っている。
だから、マリィさんの計算はあくまでマリィさんの世界に限った話であるが、
どちらにしても儲かることには代わりない。
「まさに錬金術とはこのことですわね」
何やら上手いことをいいながらも、ゴクリ。喉を鳴らして、大量収穫された小松菜を見つめるマリィさんであった。
◆今後修正するかもしれないちょっとした設定。
因みに魔力の過剰供給によって枯れてしまった野菜などが何故ダメなのかといいますと。野菜に含まれるビタミンやミネラルなどのエネルギーが失われてしまうからです。よって魔素以外にも栄養素などのファクターが必要な錬金術には向かなくなってしまうのです。逆にきちんと天日干しなどで乾燥したものならばビタミンDが増えるなどの効果があることから、用途によっては逆に効果が高まったりするものもあります。




