殉教者という名のストーカー
その日、東方の大賢者ロベルトの研究所は慌ただしい空気に包まれていた。
原因は研究所内に浮かぶ幾枚もの魔法窓、そこに映るのっぺりとした揃いの鎧で全身を固めた六人の不審者達だ。
彼らがいる場所は研究室のある森の外苑、つまり研究所の周囲に張られている迷いの結界の境界付近である。
「あらら、まさかこんなとこまで追いかけてくるなんて、どうやって探したのかしら」
研究所周辺に展開される迷いの結界をどうにか抜けようと悪戦苦闘する侵入者。
そんな侵入者を監視するロベルト達に声をかけるのは、その世界において北限の魔女姫と呼ばれ恐れられている本物の魔法使いであるナタリアだ。
「ナタリアか――、
どうしたんだ。さっき万屋に行くって言ってなかったか」
「ちょっと入り用でね。これを取りに戻ってきたの」
そう言って、ナタリアが掲げてみせるのは大粒のサファイア。
近年、虎助たちが暮らす地球がそうであるように、仮想通貨が発達している世界に暮らすナタリアは、金貨などの現金をあまり持っておらず、万屋での買い物をするには価値ある対価が必要になるのである。
「あそこに行った人間が一度は辿る道だな。
売るなら最新のシェルとか、こっちにしかないもんを持ってった方が高く売れるぞ」
「ご忠告どうも」
「じゃあ、その感謝ついでにヤツ等が何者か聞いてもいいか? 知ってるんだろ」
ナタリアの反応から、彼女が賊の正体を知っていると思ったロベルトが、ちょっとした忠告の対価にと、いま目の前に存在する疑問を投げかける。
すると、ナタリアはそんなロベルトに少し呆れたように手を腰に「はぁ」と首を左右に振りながらも。
「誰って、なんで君が知らないのよ」
「有名な奴等なのか?」
「有名っていうか、彼ら『移ろう殉教者』なんだけど」
「移ろう殉教者?
……もしかして神秘教会のストーカー集団か」
「ストーカー集団って――、
ある意味で間違ってはいないんだけど、見るのは始めて?」
「俺のところには来なかったからな」
「君の場合、弱点がハッキリしてるから、どうせそっちの方を狙われたんでしょ」
ちなみに、いま二人が言い合っている『移ろう巡礼者』とは、その世界の三大宗教である秘密教会の暗部として、その世界のアウトローたちの中でそれなりに名の通った組織である。
「自分たちの主義を押し付ける面倒な輩の襲来か。
俺も随分と恨まれたらしいな」
「でも、今回、彼らの狙いは君や私じゃなくて玲でしょ」
「まあ、ここに来たタイミングから見てそうだよな」
「それでどうするの?
あの様子なら放っておいても問題なさそうだけど、気持ち悪いでしょ」
ナタリアからの問いかけに、ロベルトは「ああ――」と嫌そうな視線を魔法窓に落とす。
すると、そんなロベルトの心情を慮ってか、ここで彼のパートナーであるホムンクルスのアニマがすっと手を上げ。
「私が排除して参りましょうか」
続けて、エルフの少女――ホリルが楽しそうに腰に手を当てて、
「待って、私も行くわ」
二人それぞれに移ろう殉教者の排除に名乗りを上げるのだが、女子二人に自発的にこう言われてしまってはロベルトだって黙ってはいられない。
「二人が行くなら俺も行かなきゃダメだろ」
「では、皆で参りましょう」
ため息まじりに自らの出ることを決める。
そんな彼の気遣いに、口元だけに嬉しそうな笑みを薄っすらと浮かべたアニマがみんなでいくことを提案。
すると、ナタリアが「ふふ、本当に君達は仲がいいのね」と誂うようにロベルトの耳元で囁き。
結局、ロベルト達はガイノロイドのプルだけを研究所の守りに残し、移ろう殉教者の対処に向かうことに。
そして、研究所に残ったプルのナビで森の中を移動すること数十分。
四人は移ろう殉教者という名の不審者がうろつく森の境界に到着。
各々が何時でも飛び出せるように準備を整え、もしもの場合、バックアタックができるようにと、森での行動に慣れているエルフのホリルが一人先行。移ろう殉教者達の背後に回り込んだところで、人工的に配置された巨岩の裏で息を潜めていた残りの三人が一足飛びにその大岩の上に駆け上がり、ロベルトとナタリアがそれぞれ武器を構える中、無手のアニマがこう声をかける。
「警告します。
これより先は私有地です。
断り無くこの土地に立ち入ろうとするのなら迎撃させていただきます」
ちなみに、ロベルトの研究所が建つこの土地は、ファンタジー世界にありがちな魔獣が蔓延る空白地帯の一部であり、その所有権は開拓した人物に与えられると国際法で決まっている。
だから、アニマの主張は決して間違ってはいないのだが、それが通じるのは常識的な感覚の持ち主であり、例えば、いまアニマが声をかけた五人のように、明らかに害意を持っている人間にはそんな法などまったく意味を介さない。
「お前は?
ああ、ここは聖敵である卑しい賢者のアジトであったな」
「情報としては入っていたのだが、まさか本当にホムンクルスが完成していたとは」
「もののついでだ。ここで罰しておくべきだと思うが――」
「諾」「「「罰せよ」」」
赤い瞳に白い髪、その類まれなる容姿と教会に伝わる特徴から、いま話しかけてきたアニマをホムンクルスと断定し、即座に攻撃姿勢を見せる鎧の五人。
そして、あからさまな理不尽をさも当然とばかりにのたまう狂信者に、ロベルトがアニマを庇うように一歩前に出て、
「あいかわらず、神秘教会のヤツ等は話が通じねぇな」
準備をしておいた魔法銃で応戦しようとするのだが、
ここでナタリアがロベルトが軽く構える魔法銃に手を添えると、さり気なくその銃を奪取。
「ロベルト君、ここは私に任せてくれない」
「いや、俺の銃――」
「なに?」
「まあ、予備があるから構わないんだが――殺すなよ」
大岩から飛び降りるナタリアと、アニマをかばいつつも新しい魔法銃を取り出すロベルトのやり取りに視線を鋭くする鎧の五人。
「殺す、だと?」
「卑しい錬金術師と腐った魔女の分際で」
「先ずは我らが聖女を拐かした魔女――、お前にその罪を償ってもらうぞ」
そして、それは宗教的なものだろうか、鍵のような独特の形状のナックルガードを持つ直剣を逆手に構え。
「先ずはって言われても。
正直、あなたたち程度なら、私一人で終わらせられるんだけど」
「逃げ回るしか脳のない弱者がなにを言う」
男の一人がナタリアを嘲るような言葉を呟いた次の瞬間、男の像がブレて消え。
直後、移ろう殉教者達との戦いに挑まんと岩から飛び降りたナタリアの側面に、まるで瞬間移動のように敵が現れる。
そして、手に持った直剣を突き出すように構え、スピード重視の攻撃で華奢なナタリアの腹部を狙うも。
「はいはい、そういうことはちゃんと実力を見せてからいってよね」
ナタリアが敵の攻撃に肩をすくめたその瞬間、彼女を中心に爆発的な風が発生。襲いかかろうとしていた鎧の人物を派手に吹き飛ばす。
ちなみに、いまナタリアが使ったのは特製風のマントの一機能。
風のマントの素材に使われているストームワイバーンが飛行の際に使う風の力である。
ナタリアはその力を移動ではなくただの爆風として使い、襲いかかってきた敵を吹き飛ばしたのだ。
そして、こちらが風のマント本来の使い方――、
ナタリアは風のマントを使って、その場から一気に飛び出すと、いま吹き飛ばした鎧の人物の背後に回り込み、吹き飛ばされている状態から、素早い身のこなしで体勢を立て直そうとする移ろう殉教者に、ロベルトから奪い取った魔法銃を突きつけ、その引き金を引く。
「がっ――」
すると、ゼロ距離で魔弾を食らった男の体がビクンと海老反りに、そのまま前のめりに倒れてしまう。
と、その一部始終を見た他の移ろう殉教者が、一瞬その動きを止める中、ナタリアはいま自分が倒した敵の鎧を展開した鑑定魔法で一瞥。
「しかし妙な格好ね。今とも昔とも違う意匠みたいだけど」
『様式美とか、そういうヤツじゃねぇか、万屋で読んだ本にそういうのがあったぞ』
次の獲物を求めて風のマントを発動させたナタリアの耳に届いたのは、彼女の耳元に浮かぶ極小の魔法窓を介したロベルトの声。
「へぇ、あの店って魔導書だけじゃなくて、そういう読み物も置いてあるんだ」
『いや、その本はお前が考えてるのとはちょっと違うと思うぞ』
ロベルトの言っているそれは、漫画やアニメなどにありがちな量産型暗殺者のデザインのことであり、決してマジックアイテムや、各地の装備の様式などそういう情報を集めた図鑑などではないのだが、戦闘中のいまここでそれを訂正している時間も無く。
「なんにしても詳しく調べるなら全員倒した後よね」
『そうだな』
会話を打ち切ったナタリアとロベルトは魔法窓を使って、鑑定の魔法で読み取った相手の詳細を共有。
「余裕でいられるのも今のうちだ」
「我らの真の力に恐れ慄くがいい」
と、ここで仲間が一人倒された動揺から立ち直った移ろう殉教者が、ナタリアを包囲しようと――いや、その一部はロベルト達の急襲に回ったか――さりげなく二手に別れる中。
「ふふ、真の力ね。
だったら、その力を見せてもらいましょうか」
「後悔するなよ」
ナタリアの軽い挑発に正面から挑んだ男の一人が平坦な声でそう応え。
その直後、ナタリアの声に答えた男を除く四人の像が、じわりと森の景色に溶けて消えてしまうのだが、
「ふぅん、これが移ろう殉教者、本来の戦い方ね」
「これで、もうお前達は我らの姿を捉えることができない」
「けど、今さら目の前で消えられても意味ないんじゃない」
相手の目前で姿を消したところで意味がない。
しかし、そんなナタリアの指摘にも、一人姿を表したままの男の余裕は崩れない。
「くく、それはどうかな」
そして――、
ズドンッッッッッッッッ!!
ナタリアの後方から重々しい打音が打ち鳴らされ、吹き飛ばされる銀の塊。
「いまの音は――、
いや、それよりもディーがやられただと!?
なぜディーの位置がお前たちに?」
「なぜって、さっき消えた時からずっと把握してたからに決まってるじゃない」
男の口から驚きとともに零れ落ちた疑問。
そんな疑問に答えたのはこの惨状を生み出したホリルだった。
さて、いまの一瞬でなにがあったのか。
そして移ろう殉教者の男がなぜこれ程までに驚いているのか。
その答えを導き出すには少々時間を巻き戻さねばならない。
実は先ほど、ナタリアが風のマントを使って移ろう殉教者の一人を倒した時のやり取り。
あの瞬間移動のような攻撃は、事前に隠れていた男と直線に消えた男が切り替わるように攻撃したに過ぎなかった。
つまりあの時、移ろう殉教者が行った攻撃は単一の人物による瞬間移動ではなく、二人の人物が姿を消すという鎧の機能を使い、入れ替わりを行っていたのだ。
そして、瞬間移動を装い、先に姿を消した男がナタリアを害そうとチャンスを伺っていたのだが――、
この森に展開された迷いの結界の効果により、ロベルト達の側には、その伏兵を含めた男達の動きは明け透けの状態で、
にも関わらず、彼ら移ろう殉教者は自分たちの優位を疑わず、ナタリアに襲いかかろうとした結果、現状に至るというわけである。
しかし、この状況は残る移ろう殉教者たちとって全く信じられない状況だったようで。
「馬鹿な。聖鎧の加護は絶対の筈。
なぜ我らが必勝の一撃が破られたのだ!?
魔法探知? ありえない。だとすると勘か?」
喚き散らしたのは姿を消していない一人だが、そのセリフはこれまでの経験に裏打ちされた移ろう殉教者全員の心の声だったのかもしれない。
しかし、それはあくまでこれまでがそうであったというだけのこと。
「ふつうの監視装置だったらごまかせたかもだけど、あの店のとんでも技術の前だと意味がないのよね」
「でも、せっかく瞬間移動を装ったのに、その後に本来の使い方をするのってどうなの」
周囲の景色に溶け込める能力というせっかくのアドバンテージを自ら晒すという、ナタリアの指摘ももっともである。
ただ、結局のところ、その装備の力がこの森に展開される万屋謹製の結界の効果によって看破された時点で彼らの命運は尽きていたのかもしれない。
たとえ相手の姿が見えなくとも相手のいる場所さえ把握することができれば、後に残るのは装備者の実力のみ。
そして、これまでその力頼りだったというのも一つの原因だったのかもしれない。
伏兵としてせっかく潜伏していた一人が真っ先にやられてしまったことで、大いに動揺してしまった移ろう殉教者達は、その後、自称・聖鎧の加護を使って戦いはしたものの、結局のところ相手がどこにいるのかさえわかってしまえば対処は可能で、
ナタリアとホリル、それぞれに魔法と物理と、強力な遠距離攻撃を持つ人物の前では本当にただの的であり。
最終的にその二人の手により、全員が仕留められ戦闘は終了。
そして戦闘後、四人の中で一番の力持ちであるホリルが、森との境界に散り散りに倒れる移ろう殉教者を一箇所に集めながら。
「倒したのはいいんだけど、この人達どうする?」
「身ぐるみはいで、どこか適当な街に捨てて来ればいいんじゃない。
この装備、換えがきかなそうだし」
「そりゃそうかもしれないが――、
そうしたらそうしたで、また別に面倒なのが送り込まれそうじゃないか」
「別にそれならそれで構わないと思うんだけど」
そもそも神秘教会の暗部と恐れられている彼らがこの体たらく。
別の人員が送られたところで特に問題はないんじゃないかと、ナタリアはそう言って、
ただ、相手側が名目上の弟子を狙っているということが気になったのかもしれない。
「これを使うのはどうかしら――」
自前のマジックバッグから取り出すのはシンプルなベルト型の魔導器。
「お前、それ――」
「あれ、ロベルト君もこれ知ってるの?」
「ああ、前にそれをつけてるとこを見たことあるからな」
「もしかして使われた?」
しかめっ面のロベルトに、もしかしてとイタズラな笑みを浮かべるナタリア。
しかし、ロベルトは「違うっての」とそれを否定。
「マオってわかるか?」
「えっと、いつもカウンターの向こうでなにかしている。あの可愛らしいハーフエルフの女の子のこと?」
「あの嬢ちゃんが頭がおかしい純血主義のエルフに絡まれたんなだよ。そん時にちょっとな」
そこまで言えばみなまで言わずとも理解できる。
ナタリアは「成程、そういうこと」と、一瞬悲しげな表情を浮かべるも。
すぐに気を取り直すように用意したベルトを束をロベルトに突き出して。
「じゃあ、ロベルト君、後はお願いね」
「俺がやるのかよ」
「相手が相手だし、私達がつけるわけにはいかないでしょ」
ナタリアはそう言いながら倒れる男の股間をコツンと足の爪先で小突く。
そして、そんなナタリアの声に「そうね」と続くのは、自分がぶっ飛ばした移ろう殉教者の鎧を引っ剥がすホリルである。
なにしろ、のっぺりとした鎧を剥がした後に出てくるのは、ピッチリとした全身タイツに身を包んだ屈強な男達。しかも、森での探索から自分達の戦闘と大量の汗をかいたのか、物凄く臭い。
そんな男達の服を脱がしてベルトをつけるなんて女子の仕事ではないのである。
「私がやりましょうか」
ただ、ここでマスターたるロベルトの反応を慮ってか、ずっと静かにしていたアニマが男達の処理に名乗りを上げる。
ただ、彼女のマスターであるロベルトとしては、パートナーであるアニマによくわからない男の股間にベルトをつけさせることはさせられないと。
「俺に任せておけ」
「じゃ、お願いね」
いい笑顔で親指を立て。
結果、男達の処理はロベルト一人ですることになり。
「それで、この人達が着てた鎧どうするの」
「普通に万屋に売っちまえばいいだろ。
ここにあっても困るだけだし、せっかくだからさっきのサファイアと一緒に、この鎧を一セット持っていって、どれくらいの値段になるか確認してきてくれねーか。売った金はお前が使ってもいいから」
「そう、だったら、ありがたくそうさせてもらうおうかしら」




